ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

かこがわ、お城物語(29) 志方城の戦い(1)

2015-11-10 08:35:34 | かこがわ、お城物語

    志方城の戦い

  ついに、神吉城は落城しました。信忠(信長の長男)は神吉城を叩き潰しました。

 引き続き、信忠は大軍を率いて城主・櫛橋政伊(くしはしまさこれ)の志方城へ攻め寄せました。

 先に述べたように、この時、官兵衛は加古川にはいません。

 したがって、官兵衛は自分の妻の実家・志方城を攻めるという苦痛から逃れることができました。

 守る志方の兵は1000人。

    志方城の戦いはあったのか?

 志方城の攻防についての詳細はよくわかりません。

 以前、あるところで「志方城の戦いはなかった」と言う説を紹介したことがあります。

 そう考えたのは、志方城に先立つ神吉城の戦いでは、織田軍に押しつぶされ、城主(神吉頼定)も討たれました。

 その時、近隣の城からも、三木の城からもほとんど援軍はありませんでした。野口城の戦いでも援軍はなありません。

 志方城の戦いでも援軍は期待できません。そうなると、最初から志方城の敗北は確実です。

 ただ、戦うとすれば「勇敢に戦ったという事実を歴史に記録する」という武士の美学だけが支えの戦いになります。

 志方城が、そんな美学だけで、一丸となって戦ったとは考えられないのです。

 志方城に「後世に名前を残す」という哲学があったなら、それなりの記録を残していそうなものである。記録はありません。(no3012)

 *絵:官兵衛の妻・光姫(てるひめ)のキャラクター

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