志方城の戦い
ついに、神吉城は落城しました。信忠(信長の長男)は神吉城を叩き潰しました。
引き続き、信忠は大軍を率いて城主・櫛橋政伊(くしはしまさこれ)の志方城へ攻め寄せました。
先に述べたように、この時、官兵衛は加古川にはいません。
したがって、官兵衛は自分の妻の実家・志方城を攻めるという苦痛から逃れることができました。
守る志方の兵は1000人。
志方城の戦いはあったのか?
志方城の攻防についての詳細はよくわかりません。
以前、あるところで「志方城の戦いはなかった」と言う説を紹介したことがあります。
そう考えたのは、志方城に先立つ神吉城の戦いでは、織田軍に押しつぶされ、城主(神吉頼定)も討たれました。
その時、近隣の城からも、三木の城からもほとんど援軍はありませんでした。野口城の戦いでも援軍はなありません。
志方城の戦いでも援軍は期待できません。そうなると、最初から志方城の敗北は確実です。
ただ、戦うとすれば「勇敢に戦ったという事実を歴史に記録する」という武士の美学だけが支えの戦いになります。
志方城が、そんな美学だけで、一丸となって戦ったとは考えられないのです。
志方城に「後世に名前を残す」という哲学があったなら、それなりの記録を残していそうなものである。記録はありません。(no3012)
*絵:官兵衛の妻・光姫(てるひめ)のキャラクター
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