大野であったおばあさんは、青面金剛(しょうめんこんごう・写真)をそう呼んだ。
江戸時代、ずいぶん盛んであった。庚申信仰(こうしんしんこう)も現在では、すっかりその姿を消した。
庚申信仰は、平安時代に中国から日本に伝わり、一般民衆の信仰になったのは、室町時代のことで、特に、江戸時代に盛んに行われた。
コウシンさんは、庚申の夜(六十日に一回)、人体に住むというサンシチュウという虫が、人の寝ている間に天に昇り、天上の神にその人の罪を告げに行くという。
そのため、庚申の夜は寝ずに、当番の家に集まり、庚申像を拝んだり、村の庚申さんにお参りに行くという行事である。
いつしか、この行事は人々が集まって、一晩中酒を酌み交わし、演芸を楽しむと言う行事に変っていった。
江戸時代、庚申信仰では、もっぱら青面金剛が拝まれるようになった。
氷丘地区では、「青面金剛」と刻まれた碑を中津の権現社に一基、大野に二基みつけた。
*写真は、中津権現社にある青面金剛
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