「国包」は、難解な地名の一つである。
それに、こんな「丁寧な標識」をご覧になったことがあるだろうか。
わざわざ「ここは上荘町の・・・」と説明がある。
「国包は八幡町でしょうか?」と、加古川検定にも出題されそうです。
というのは、国包は川東にあるが八幡町ではない。
不思議なことに上荘町に属している。
その昔、加古川は印南郡と加古郡の間を流れていたと考えられる。
(郡境は聖武天皇の神亀三年(726)に創設された)
記録によると国包は、もとは川西の村であった。
村が移動したのではない。
嘉禄元年(1225)、この地を大洪水が襲った。
そのため国包村は流され、あとは一面の河原となった。
この嘉禄の大洪水で加古川の流れも大きくかわったのである。
現在でも、川の西岸の井の尻には国包の字、花の谷・稲中・城ノ下・岡入・河原などがある。
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