ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川の戦争(22)・学徒動員(加古川高等女学校)

2006-12-12 17:21:02 |  ・加古川の戦争

2871423e  12月9日(土)、「第15回・加印平和のための戦争展」行われ、戦時中に学徒動員され、日本毛織印南(いんなみ)工場(加古川市米田町)で働いていた女性3人を交えた座談会が行われました。

  写真は、加古川高等女学校(現:県立加古川西高等学校)の第31回生173名が入学時から、学徒勤労奉仕として日本毛織(現:ニッケ)に働きに行った時の写真です。

  終戦も近い、昭和20年3月に撮影されており、当時のこれだけ揃った集合写真としては、他にない貴重なものです。

  (座談会)

  ・あけてもくれても日本毛織で働きました。

  ・学校の思い出より、日本毛織がまるで学校のようでした。

  ・1年生の時、簡単な英語を習いましたが、2年生から英語はなくなりました。

  ・終戦も終わりに近かった日、会社の人から、「明日から来なくてもよい」とだけ言われ、何があったのか分かりませんでした。

  ・加古川飛行場(尾上飛行場)へ行った、加古川中学校(現:加古川東高等学校)の人と違い、あまり苦しい仕事ではなかった。一途に戦争(日本は勝利する)を信じて働いていました。

  また、参加者一人Sさんは、卒業してすぐに特攻にでる人と結婚し、その苦しかった経験を話されました。

*「加古川の戦争」をしばらく続けます。平岡探訪は、「加古川の戦争」の後、継続します。

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