今年の4月で加古川線は開通100年になる。
そのため、神戸新聞は「東北播磨を結ぶ軌跡(加古川線開業100年)」のキャンペーンを組んだ。
「その3」に、きょう紹介したい「国包の鉄橋」を取り上げている。
「加古川100選(61)」は神戸新聞を参考にさせていただいた。
国包の鉄橋 *上荘町国包
県内最大の河川・加古川に架かる「第二加古川橋梁」は通称、「国包の鉄橋」と呼んでいる。
開業当時のレンガ造りの橋梁が残こっている。
この橋梁は大正2年(1913)8月、加古川線の前身播州鉄道は国包から旧鍛冶谷線西脇駅まで延伸されたが、その時の橋が改修され現在も使われている。
加古川~国包駅の開通は(大正2年)4月1日であり、国包~西脇間のほとんどのカ所で軌道の工事が終わっており、加古川~西脇が遅れたのは、加古川の橋梁の工事が遅れたからだと言います。
それだけ、加古川橋梁は難工事であったようだ。
当初の鉄橋は橋脚のはばも狭く、水面からの高さもひくかった。
そのため、度々の台風や長雨により橋脚はずいぶん損傷した。
現在は、中央の橋脚はコンクリートに替わっているが、古い橋脚も改修され現役として活躍している。
26日(金)、この橋梁が写真が欲しくて撮影に出かけた。
どうせ撮るのなら電車のある橋梁の風景が欲しかった。こんな時に限ってなかなか来てくれない。
草に寝ころんで電車を待った。周りにスカンボがいっぱいあった。
30分ほど電車を待つことになった。西岸の橋のところにある警報の音が聞こえてきた。
嬉しかった。こんな事にうれしくなったのは久しぶりである。
というのは、急な雨のシャワーがあり、服がぬれてしまった。
「帰ろうか・・・(いや)もう少し待とうか・・・」と迷っていた。そんな時の警報音だった。
「ゴー・・・」と響きを残して、電車が通り過ぎた。
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