ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

上荘町・平荘町探訪:明治初期の白沢の人口・74人

2009-04-16 09:59:56 |  ・加古川市上荘・平荘町

Taira_188 『播磨地種便覧』がある。

 明治の初期の各村々の田畑、山林原野そしてそれらの地価、人口等をまとめた書籍である。

 明治15年の出版である。

 内容は、それに先立つ数字である。

 人口・戸数は、明治14年調べである。

 明治14年は、明治時代といいながら村のたたずまいは、江戸時代を引きずっている。

 江戸時代から、明治の初期の白沢の人口を見ておきたい。

 ◇白沢新村(現:白沢)の人口(明治14年調べ)◇

       戸数  17戸

   人口   74人

 なお、上荘町の他の村々の人口・戸数(明治14年調)は、次のようである。

           戸 数      人 口

  小野村     92戸      433人

  薬栗村    100戸       437人

  見土呂村    89戸      403人

  都染村     72戸      317人

  井ノ口村    58戸       250人

  国包村    226戸          950人

 白沢は、上荘の他の地区と比べても特に小さな村であった。

 これらの数字から、明治・江戸時代の白沢村を想像ください。

*写真は、現在の白沢周辺の風景    

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