アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

さくら、また、桜―さくらの郷(さと)に舟木一夫の歌声響く in 南座

2024-04-09 | 世情もろもろ
 桜、さくらーと何度も繰り返し、何度繰り返しても、途切れることない桜花の群れ、どこまでも、どこまでのさくら色の波、また、波。こんなに美しく、優しい波なら、何度打ち寄せてもよい、「この船にさくら色の波、来い!」
そんな言葉をつい心で紡(つむ)ぐ。
さくら色の波打ち寄せるなら、この船にある〞希み〞はより確かになる。そんな気さえする桜花爛漫―。
 年々、開花が早くなっている桜が、今年は、途中で足踏み。皆、心待ちにしている桜の開花、一応、開花宣言なるものは出たけれど、そこから、また、足踏み。4月5日から7日まで、京都行の私と友人Yと友人Tは、満開を待っている人々の思いは聞こえないふりをして、「まだ、満開になるな~」「ちょっと待て~」と勝手な願いを願って、4月5日の新幹線に乗る。
 そして、京都に到着してみれば、桜、桜―。京都は仕事も含めて、何回も訪れているが、勿論、桜の時期にも来ている。が、桜花の開花は気まぐれだから、その気まぐれとこちらのスケジュールが一致しなければ、桜花爛漫には出会えない。
 今回は、まさに、その〞出会い〞―。その桜花(さくらはな)の波間に、舟木一夫の歌声が響いた。桜色の波を越えて、水色の空まで、爽やかに澄んだ声が届いた。そして、幸福な笑みも一緒に桜たちに届けられた気さえする、そういうステージだった。飛び切りの笑顔である。この人は、ものすごく幸福そうな、いや、倖せに繋がるような笑顔を見せる。勿論、それを意識はしていない。意識もせずに(!)そういう笑みができる(笑みになる)、辛い事や、ふと下を向いたまま顔を上げることを忘れてしまっていても、その笑みをみると、下を向いていた事が、「なんだ、そんなことだったか」と、顔を上げて、こちらも笑みを見せることができる、舟木一夫の笑顔は、そういう笑顔だ。そして、私も、
「なんだ、そんなことに囚われていてどうする。大切なものは心にしっかりとあるだろう」
と、前を向いた。その先に、また、さくら、桜の、春真っ盛りー。

 さくら、桜、「さくらの郷(さと)」というには、京都は都会であるけれど、この三日間は、桜に溢れた、まさに「さくらの里」だった。見渡す限りの桜は、うすいピンク、まさに桜色。私たちが子供の頃、あるいは、若い頃に見た桜の花色だ。東京の桜花は何故か色が白くなった。

 喧騒から少し離れた例年泊まるホテルは何か月も前の予約にも関わらずgetできなかった。
繁華街から離れて、それでも不便ではない、近くに美味しい京のおばんざいの店やカフェが
ひっそりとある、すごく気に入っている一帯なのに今年は残念だった。
 けれど、いつもと違う場所の宿泊になり、桜花爛漫でもあり…で、私は、ホテルのテレビを1回もつけることなく、(旅先でもニュースとその地の天気予報くらいは見る)、桜色一色の世界に身を置いて、舟木一夫の創る世界に心を置いた時間(とき)を過ごそうと考えて、そうした。それは、とてもホッとする良い時間だった。
 桜一色の世界に身を置いている時は、それこそ、『桜追いかけ隊』(笑)、舟木一夫の創る世界では、『心追い求め隊』(?)だ―と、胸内でひとり呟きながら、いつもと違う場所に拠点を置いているせいで、電車で出かけることへの苦が無くなり、それが当たり前になり、「行きたい。行こう」と思っていた場所とその計画は完遂。

 私には2月22日の『concert tour2024』長野公演以来の舟木一夫のステージ。
 曲の構成(歌の順番)は、久しぶりの曲も並んだ。とても嬉しい内容だった。
 以前も綴ったが、『今日限りのワルツ』の穏やかで、あまりにも優しい声、歌いは、今回もそうだったから、ふっと胸が熱くなる、ちょっと涙が出そうになる。これは不思議でもある、昔、この歌はそのように聴くことはなかった。現在(いま)は、深い優しさに出逢う。
 そして、大好きな『恋唄』は、やはり、遥かな風景が浮かんだ。
 久々に聴く『紫の人』は「素晴らしい!」の一言に尽きた。聴く私の心や想いまでが、歌にある霧の中を遠くまで漂っていくようだった。漂ってのち再び、その深い感動、波が、胸の奥にまで押し寄せた。
 本当に、歌こそが、ある意味では『魔』か?昔々は「いい歌だ」で終わって、勿論、その奥の深いものは歌う人、聴く人のとらえ方によって変わるものだろうが、歳月を経て、ものすごく成長(進化…とは言いたくないなぁ)してくる歌もある。初めて聴いた時はそれほど、心に響かなかったはずなのに、現在(いま)耳にして、ハッと胸を衝かれる歌になっていたりする。舟木一夫の歌はそれが、とても多い。いや、舟木一夫の歌への愛、情、想いゆえだ。
 その想いが沢山に詰まったステージだった。
 素敵な素晴らしいステージだった。その伸びやかな声に、爽やかで、耳に心地よい歌声に、私は「ありがとう!」と胸内で何度も言う。その先で、ひどく澄んだ瞳(め)をした舟木一夫の笑顔が忘れられないものとなって、緞帳が降りた。
 希望の船、進む航路の桜の季節に着いた京都南座という港―、3日間の『theater concert』。
 こんなにも遠くまで旅をしてきて、その途上で、〞奇跡〞は一度ではない―と、知らしめる出来事、風景に出逢い、そして、ここに、また、奇跡ひとつ―。
 荒波打ち寄せる海に出航したこの船は、「希望の船に違いない」と信じることが出来る。希みは棄てない、希みは持ち続けた―と、最後の港に着いた時、私も言葉にできる、そんな奇跡への確信を持つ。この船の航路から目を離さずにいれば、必ず―。

                               (2024/4/8 & 4/9)
 

【追記】1日目、午前は京都への新幹線移動、午後、舟木一夫ステージ、夜、前述のとっても気に入りの地域で、40年近い昔に知り合ったこちらの友人S(知り合った時、彼女は19歳だった)も合流して、おばんざいの料理店へ、話が弾み、しっかり食べて―外に出てみれば、夜空を背にした桜はよりくっきりと、魔さえ含んで目に飛び込んできた。ここで、桜の魔に捕まったに違いないと、あとで確信する。
2日目、午前中は「休む」「あまり早く出かけない」といっていた私。が、結局、八坂神社の枝垂桜が満開になっている―と先の友人Sに聞いてしまったので(?)桜の魔に誘われて、予定より早くに京に向かう。こうして、『桜追いかけ隊』の始まり。枝垂桜を見た。
その午後1時、南座2日目の1階10列ほどの席に座った時は足が痛い(笑)10列なのに、時々、オペラグラスに頼る。千穐楽はもう1列後ろに下がるから、オペラグラスに頼る回数は、もっと、増えるだろうと思ったら、2日目の10列より見えた…私の目はどうなっているのか?!もう、あちこちがポンコツ?と考えるとなさけないから、4月12日の高崎公演が終わったら、コンタクトレンズ作り直しに行こうかな(笑)、高崎ステージの次は私も友人たちも6月19日の山形の公演まで行かれない。GWの5/2~5/8大阪の舟木一夫ジョイント公演は、GWなので、もう一年も前から仲間との企画でみんなが動いているのに、抜けることはできないから、あとで、知って、「あ~!ダメだ~(泣)」―と。 
 2日目の夜は予定していた三井寺(みいでら)の夜桜に出かけて、また、桜、桜―「よく歩けるね、普段はこんなに歩けないよね」「桜があるからだ」「桜に捕まった我ら、桜追っかけ隊」―等々、馬鹿なことを言いながら、ひたすらに、桜に誘われる。
 午前、午後、夜―1日がくっきり三つに分かれていた。それを完遂した自分たちに拍手。1万歩などはとっくに越した我が身にも拍手。すべて、桜の魔に誘われて…。
 3日目、午前は琵琶湖畔で、この湖は淡路島より大きいと聞いて、ビックリ! その後、京都壬生寺へ。歳さん(新選組副長土方歳三)の胸像が昨年夏に建立されたので、見ておかなくては―と。そして、南座千穐楽へ。この公演のラストステージ、やっぱり胸がいっぱいになって、京都を後にした。

 長すぎる追記、桜の話と南座と京都、四方山話はまた、あとで。サァ、高崎へ、そのあとは、2か月ほど、ちょっと寂しい時間がくるぞ~ではない、抜けられないイベントがある。作業もある。トマト植えよう、キュウリ植えよう…という作業。家庭菜園という類の仕事。でも、やっぱり、寂しい時間はくる…なぁ。
                                (2024/4/8)
「お詫び」横書きが苦手なので、ブログは通常の原稿のように縦書きしたものをコピペして掲載している。そのコピーがトラブったのか、同じ文章が並び、また、抜けた部分もあり、今、気が付いて、訂正。