アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

素晴らしき哉、Thanks concert! 舟木一夫 in 新橋演舞場 最終日 

2022-12-24 | 世情もろもろ
 12月21日、タイトル通りのThanks concert で、舟木一夫の60周年のfinal―。
 1月の国際フォーラムAホール、60周年記念公演のスタートから、ほぼ一年間、ただの一度も欠けることなく、予定通りに公演を開催し、奇跡と言ってよい事象を残した。
 そして、この12月、新橋演舞場、ロングコンサート。
 21日、帰宅してから、
「素晴らしき哉、Thanks concert!」
 という言葉がずっと、頭を巡っていた。それをそのまま、タイトルとした。
「すばらしき哉、人生という映画があったなぁ」―などと、ちょっと、思って、そして、翌朝、新聞を読んでいたら、番組欄に、映画「すばらしき哉、人生」のタイトル名が…。あまりの偶然に、少し、ドキリとした。ドキリとして、録画予約を入れてしまった(笑)

 60周年記念公演のfinalに相応しいロングコンサートと冠した公演だった。
 舟木一夫は、10ステージ、各2時間以上、一人でステージに立ち続けた。320~330曲を歌った。
 A~Ⅾの4つのversionを、三日ごとに開催、Ⅾは『Thanks concert』の形で…という無謀な(!)企画―果たして、どうなるか…という心配が、私に全く無かったわけではない。だから、こちらも、「よし!」と、心、構えて、臨んだ部分も少しある。
 しかし、〞心配〞はサッサと溶解していき、いつの間にやら、消えた。〞無謀な企画〞という部分は全部消えたわけではないけれど、舟木一夫が、この公演の初日前日の各取材で、話していた。「自分に負荷をかけて」と。
「そうか!!」
 と、目の覚める思い。その通りだ。こんなに遠くまできた現在(いま)、自分に負荷をかけないと、先へは行かれない。それは、とても納得―。わかったけれど、
「それでも、無謀な企画だよね」
という弱気な心が私にはまだあって、「ごめんなさい!」…である。
 しかし、私の弱気な心などは蹴り飛ばして(笑)、ステージは、ひどく安らかな心持ちになれるものに変わった。舟木一夫が変えてしまった。
「この人は、やはり、〞心の天才〞だ」―。
 心を尽くして、心に想いをのせて、その大きな空間の大気を丸ごと変えてしまう。いろんなことが危うくなってしまった日常、世情に身を置く人々(ほかにどこへ行けというのか、為政者諸君(怒)、―その憂いを消し去って、その時間は、この空間にいる限り、安んじていられる。舟木一夫は、そういう魔法(?)を使う。
 最終日のⅮ versionは、バイオリニストの向島ゆり子さんが組曲の部分で演奏に入った。
 舟木一夫は、黒い服、黒い色合いの服装が多い彼女を「魔法使い」という。確かに、魔法使い風の可愛い人である。
そして、そういう舟木一夫も、実は、魔法使いだった。〞心の天才〞は魔法使いだった―突拍子もないことを思って、一人、ちょっと笑った。外(世情、世界)に出たら、うすら寒い事象が山ほどの昨今だから、この温い空間に居る間は、そんなメルヘンも有り…で、よい。
 
 4日に1度の公演休演日ごとにだけ、雨が降り、天気が崩れ、公演日は、真っ青な空―と、天気にも恵まれて、11日間が過ぎ、12月21日、最終日、Ⅾ version『Thanks concert』。
 60周年記念公演のfinalのさらに、その大final(?)のThanks concertは、もっとも、それに相応しい構成で、この1年の記念の年の締めにぴったりだった。
 本当に、素晴らしいステージだった。感動に満ちて、終盤は、涙、涙の私―。「感動したら、まだ、涙が出るね、私」と、照れ隠しをちょっと、自分に言う(笑)

 Thanks concertの幕が開く。
 前半は、自作の歌―。随分と前に作った歌たち。
 その頃、レコード制作会社が持ち寄る企画のどれもが、自分の心にピタリとこなかった―と語る。それで、自分で書いた歌の数々。
思いっきり自分の思いをぶつけている歌ばかり、だが、「これも自分の足跡」と、語った。
その歌たちを、『WHITE』というアルバム(Ⅰ~Ⅲ)にまとめた。よい歌がぎっしりである。私は、『WHITE』がとても好きだ。まだ、音源になっていない自作の歌たちで、『WHITE Ⅳ』を作成してほしいくらいに…。
 前半の10曲目くらいだったか、「End・Fin・Fine(ラストシーン)」という歌の際、中央階段の途中に腰を下ろした。
「あの音楽が来る!」
 直感。そして、流れた仏映画の有名な曲。ピアノ奏者の腕にすべてかかっていく。
 しばらく、そのメロディに浸る。海が見え、青春の輝きやら、悔いやらが、波間に見え隠れ、あの映画の中のラストのシーンでトム・リプレー(リプリー)の胸には何が去来していたのだろう―などと、映画の中へ、現在のこの場所へ、会場全体を包む音の流れ、それらが行ったり来たり…素晴らしい数分間だった。ピアノも舟木一夫の歌も…。
 急にあの映画を観たくなった。DVDはもちろん、持っている。けれど、ここで観るための2時間がとれるか、「暇じゃなかった」と、諦める。
 組曲「日本の四季」を経て、後編へ―。
『高校三年生』から発表順に歌を並べて歌ったことが無い、ここは、それをやってみようかと―話し、60年前、私たちが耳にした順番に、懐かしい歌たちが流れる。
 これは、思いがけずに、胸を熱くした。懐かしく、楽しい歌たちのはずだが、あの頃がそっくり脳裏を訪れた。「高校三年生」のレコードは確か500円ほどだった、親から貰うお小遣いがひと月500円だったから、初めてレコードを買ったその月は、残高0で何も買えなくなった…とか、家には小さいポータブル蓄音機(!)があって、それで、聴いていたなぁ…とか、他愛もないことが遠い、遠すぎる記憶の中から起き上がってきた。
 順番に並べて歌う―この構成はちょっと胸熱くなり、とてもよかった。
 歌は進み、『君たちがいて僕がいた』で、終わった。幕が降りていく。
 そして、アンコール―。

 60周年記念のfinal公演のその最終日のステージの終わりに、盟友(とも)の歌を置いた。歌った。イントロで会場に風が吹いた。
♪いつでも いつでも 君だけを♪その声が届くのと同時に、涙が溢れた。舟木一夫の心が、友への想いが、伝える言葉が、はっきりと、こちらの胸にも届き、涙が止まらない。いろんな想いが、思い出すことが、胸底からこみあげてくる。
 自らの60周年記念公演のその最終のステージのその終わりに、盟友(とも)の歌を置いて、終わらせる―舟木一夫のいろんな気持ちが「わかる」などと、そんな安易な言葉で表現しては、あまりに無責任で勝手か、「気持ちを感じることができる」というくらいの表現しか許されないか、それでも、「よかったね、よい友がいてくれた、ね」と、そんな言葉を、私は、涙の中から、そっと、呟いた。
 そして、いろんな意味のある歌『湖愁』(こしゅう)へ。
『君だけを』から『湖愁』へ、来年への歩みのはじまりを、盟友に伝えて、幕が降りる。
 この1年の様々を心に刻んで、緞帳が降りる。

 お疲れさまでした。
バンドメンバーもコーラスも、スタッフも、この一年、ステージに関わったすべての人々にも、大きな「ありがとう!」を伝えて、
「また、会おう!きっと、また、会おう」

                           (2022/12/22 & 12/24)
                                   



 





 


六十年、夢に到着。 舟木一夫 in 新橋演舞場 … その中で…

2022-12-18 | 世情もろもろ
 「ブルースを歌いたくて歌い手になった」―と、舟木一夫は、時々、語る。
 十八歳の詰襟学生服のデビュー、『高校三年生』―
「そこへ、連れて行ってくれた歌」
と、語り、十七歳のスカウト時に歌った『湖愁』(こしゅう)という歌。上京して、コロムビアレコードのオーディションの時にも、歌った。
 その歌『湖愁』を、このほど、CD化(レコーディング)した。60周年記念曲―。
 新しい曲を作成するのではなく、あえて、この歌にしたのは、前述したように、
「高校三年生に連れて行ってくれた歌」―だから…。
 60年経った現在(いま)、歌が好きで、歌いたくてたまらなかった十七歳のあの時に、一度、戻ってみようと―と、語った。
 この先は、自分の好きなブルースを「あれこれ」「次々に」レコーディングして、CD化していくと、話す。
「これは、すごく、楽しみだ」
私も、この先に、楽しみを置いた。
「この人は、60年の時間(とき)を経て、夢にたどり着いた」
と、思った。
 十七歳の夢、希望―それが、現在(いま)叶う。好きなブルーストーンの曲(歌)を残していく。『湖愁』はもちろんだが、選んだそれらの歌たちも、やがて、きっと、ステージに上がってくるだろう。生(ナマ)で聴くこともできるに違いない。
 こんなに…、こんなに遠くまで歩いてきて、暗いニュースばかりの世界の荒波の中を進む航海の、その船の中に、〞新しい希望〞が、在る(!)。稀有なことだ。奇跡みたいなことだ(いや、奇跡か)。
 私たちは、人生の道を大分歩いてきて、ある意味では、静かに(?)終わりに向かう時期と表現されても間違いではないところまで来た。
 けれど、そこ(!)に来て、新しい夢や希望が存在していた。
「人生は、捨てたものではない」
ありきたりの言葉を呟いて、続ける。
「本当に、人生は、捨てたものではない。人生は、あるいは、その最期の一瞬まで希みに満ちているのかもしれない。」
その希み、夢を見つけられないだけで…。いや、見つけることを思いつかない人間が多いのか?
舟木一夫の夢に「バンザイ!」と喝采を送りたい気分だ。
そして、自分の中に、そっと、存在している希みにも、少し、遠慮がちに(?)、拍手を送っておこう。
「頑張れよ、お前」…とか、言い聞かせて(笑)

「60年経った現在(いま)、歌が好きで、歌いたくてたまらなかった十七歳のあの時に」と、書いたが、それは、十七歳の時だけでなく、多分、今の舟木一夫も同じ気持ちだ。ステージの姿、笑みをみれば、その心は、よく、わかる。
 そのステージの、C version が、本日、初日―。

 私は、明日からの〞三連〞(しつこいようだが、馬券ではない(笑)に向けて、本日は、ゆっくりしていよう―ではなく、やる事が、山盛り。がんばろう。


                             (2022/12/18)




繋がる三つのversion 舟木一夫 in 新橋演舞場

2022-12-16 | 世情もろもろ
 新橋演舞場の舟木一夫ロングコンサート、12日にA versionが終わり、14日から、B versionへ―。
 そのB versionの最初を観て、思った。
「この三つの構成は、順番が違っていたら、ダメかも」―と。
 二部構成のこの公演、二部は3versionとも、〞青春〞、〞若い日〞、そこに居てくれた歌たち、懐かしさがこみあげてくるほどに、久々に日の目をみた(?)歌たちも含まれている。
 一部は、それぞれのversionで馳せる想いが違う。役目(?)も違う。だから、この順番が違っていたら、もしかしたら、楽しい思いや、「もう少し、がんばるぞ」などの決心(!)は沸いてこなかったかもしれない。
 まだ、B versionの一日目を観たところまでだから、確信しているのではないが…。
 A version―手拍子ひとつごとに、元気が胸の中から湧き出てくる…云々、前回に書いた。
 Aで、元気になる。早いテンポの、威勢の良い言葉がちりばめられた江戸の歌で気持ちがスッキリ、上を向く。ステージも客席も元気になっていくような気がした。
 そして、B version一部、深く、じっくりと、歌を聞かせてくれた。遠いふるさとにあったかもしれない風景、温もりある故郷に吹いていた優しい風、初めての恋―想いが飛翔していく。ゆっくりと…、そっと…、そんな時間だった。
 けれど、そんな風に、心緩やかに、思い馳せるには、世情は混沌、不安、憤り―どうとらえても、精神衛生上、まったく、好ましくないこと多々。まずは、心と精神(こころ)を元気にしなくては…。そこへ、A version の元気唄(!)だった。
 元気になって、B versionへ。
 懐かしい、懐かしい遠いふるさとや初恋へ、なにひとつ憂うることなく、心が気持ちを飛翔させる。
「そうだ、三つのversionの内容と、順番は、これでよかった!」
いや、舟木一夫の狙い通り?…なのかもしれない。
「やりそうだなぁ、この人は」
と、呟いて、ちょっと、嬉しく、一人笑み―。
 本日、このB version の二回目を観る。ここには、滅多に聴くことができない大好きな『恋唄』が入っているから、最初から、チケットは二回分確保。
 最近、『恋唄』に関しては、いつも頭に「滅多に聴くことができない」という言葉が付くようになってしまった(笑)。聴くことができないと、より餓(かつ)えるから、より、聴きたくなる、そういう数式なのか。
 本日は、B versionの千穐楽―。
 そして、明日、一日を置いて、18日から、C version。
 
 各version、初日、中日、千穐楽の繰り返し…と、舟木一夫のtalk。
 そのtalkをA versionの千穐楽(12日)に聞いた仲間の一人が、その夜、電話をしてきて、私も、
「大変! 間違えた!」
と、公演も始まって、一つ目のversionも終わったという時になって、自身の間違いに気が付いた。
 その仲間は殆どの日程を購入しているが、舟木一夫のtalkで、C versionの千穐楽を購入していなかったことに慌てた。帰りに、演舞場のチケット売り場に寄って、買ってきたとの事。
 この公演の千穐楽は21日と認識していた私。いや、認識というより、勘違い。
 毎年といってよいほど、12月の新橋演舞場のひと月公演は、舟木一夫特別公演、芝居と歌のステージ。その千穐楽と次の日には、『サンクスコンサート』が開催される。だから、この数年、千穐楽、大千穐楽、サンクスコンサートと、3連続に、その年一年間の自分の閉めもかけて、「あと少し、頑張れ、私」と、自身を叱咤激励(笑)して、一年の終わりに向かう。
 ところが、勘違いしていた私は、これでは、今年を終わらせられないではないか!…と、自分を叱り飛ばして(泣!)、即、チケットフォン松竹のサイトを開いた。前述の仲間のいう通り、すでに二階席しか残りなし。それでも、また、オペラグラスの力を借りればよい(笑)―と、これまでに座ったことのない席だったが、「購入」を迷いなくクリック!
19から21まで、3連になったけど、これで、今年を終わらせられる、「3連」と書いて、競馬みたい(笑)、「3連続」―。
舟木一夫は連日、2時間以上、舞台に、一人で立ち続ける。歌に心をこめて…。私も、頑張ろう―心底、思う。
 どこかのセブンイレブンでチケットを引き取って、本日、B versionの千穐楽に出かけよう。
 行ってきます!

                              (2022/12/16)

Happy birthday to…舟木一夫 in 新橋演舞場

2022-12-12 | 世情もろもろ
 12月新橋演舞場、舟木一夫の60周年記念公演『ロング コンサート』が、12月10日、スタートした。三つのversionとラストの一日のD version。初日と二日目を観たのでA version。
 11月の下旬からこの時期、一年の締めくくりのように、様々な知らせが届く。知らせは、悲しみや淋しさが、喜びの何倍も多いのは、やはり、それなりに年を経たからだ。
 届く便りの中には、人生を閉めるのか―と、推測できるものもあり、私は愕然と、術(すべ)なく立ちつくした。病を経て、それまでの歩いてきた道を停止する、閉める。これまでの日々に感謝し、今後は、年賀状をはじめとして、その他の便り、連絡、見舞い、面会…等々、「お断りします」と。あらゆる絆を断ち切る、そういう閉め方なのか、あるいは違う意味なのか、本当のところはわからない。尋ねることもできない。そういう去り方もあるのか―と、あらためて知る。
 そんな様々な便りが届く時期だから、年毎に、淋しさは大きくなる。ちょっと下を向いてしまいそうになる。
 そんな日々の中では、上を向けないなら、下を向いて仕事しようと机に向かう、そのくらいの開き直りはできるようになった、これも、年を経たからだ(威張ってどうする(笑)。
 冬を目の前にして、冬隣りという優しい言葉ではなく、冬構え…か。
「よし!迎え撃つぞ! 冬将軍」
というくらいに自分を励まして上を見る。前を向く。そうしたら、12月10日になっていた。
 舟木一夫の公演の幕が上がる。これが、60周年のfinalだ。
 二部構成。一部は和服(日本男児の和服姿、とても好きで、しかし、最近、若者は和服を着こなせない。着ても、なぜ、あんなに間が抜けた感じになるのだろう。)
 一部は、江戸の歌(江戸歌謡?)。江戸っ子の威勢の良い歌詞、弾むようなメロディ、気持ちすっきりの歌たちが並んで、ず~っと手拍子。手拍子のたびに元気がひとつ、また、ひとつと、胸の底から飛び出してくる。 
 そんな歌たちと舟木一夫の伸びやかな歌声、とびきりの笑顔、そして、必死な(!)バンドの面々―ワンチーム!
 十日間の公演で合計330曲余。これは、やはり、前に書いたように、無謀な企画だった?
いや、無謀を超えるだろう、このワンチーム―二日間を観て思った。
 観るこちらは、心が元気になる。心が元気ならば、老いは、来ない。
 心の元気が無いな―と思う人は、「観ること」(宣伝?)
 もうここまで来たら、どこまで行くか、行き着くか、まるで、暗夜行路のような世情の波の中を、舟木キャプテンの航海は続く。まだ、続く。すでに来年へと想いは及んで…。
 そして、本日は、happy birthday to Mr,Funaki―。
 毎年12月は新橋演舞場で特別公演を開催することが数年続いているので、birthdayは例年、公演中―。当然、この日は混むので、私は、毎年のように、この日の観劇を諦めてきた。今年も同じだ。
 しかし、今年は、より「行きたかったなぁ」の思いが強い。その思いを抱いて、今日は、小さいケーキを買ってきた。一人で祝うぞ!
 Happy birthday  to Mr,Funaki―と。さらに、and me!
 私は12月12日生まれではないが、今日、スタートだったことがあるから、無理矢理、理由づけた(笑)
 35日ぶりの筋トレのスタート(笑)。実は左足くるぶしの靭帯損傷、全治1か月。だから、11月15,16日の中野サンプラザホール公演はサンダル履き仕様(それでも行く(笑)サンプラザホールが遠くでなくてよかった)
 35日も空白があるから、マシンは重くて動かないのでは…と思っていたけど、そうでもなくて、それが嬉しかった。しかし、「これはできるな」と思うと、向きになるタイプだろうから(よくわかっている(笑)、始まりは20%の力で―と、医師に何度も言われていたので、「よし!」と思う思いを、そのたびに抑え込んだ。おとなしく、やった。気持ちすっきり―。 
 怪我をする前、疲れていた。休養が必要な時に体を休ませないと怪我をする―と、医師が言っていたとおり、負傷する前は、筋トレもひどく疲れて、スッキリは遠かった。
 35日間の休養をとったことになる、そして、今日からスタート。無理にこじつけて、「to me」。ローソクは無し。年齢二人足したら、100本では足りないし(笑)
 さぁ、本日でA version 終わり。一日休演、明後日からB version―当初は、無謀な企画、大変だ~と思ったけど、この企画はすごく良い!次のversion、その次のversionへと、想いがすごく強くなった。
 どんな構成で、どんな色の、どんな香りの風が吹き渡るか、会場を包む大気は、どんな風景を見せてくれるか―想い、期待、夢が、次へ、次へと沸いてくるようだ。本当に、これは、良い!
 様々なことが危うい状況にある現在の世界、その中に居るしかない我々、そういう日常で、夢や希望が次々と沸いてくる―などということは皆無だ。
 60周年の終わりのステージをこんな風に終わらせることを思いついた(考えついた)舟木一夫はやっぱり、歌が好きで、大好きで仕方がない男(ひと)なのだ。
 そんな舟木一夫のステージだ。そして、今日は、心から、
「おめでとう!!」

                                 (2022/12/12)

【追記】 手元にコンサートや芝居のチケットが1枚もなくなると、ひどく寂しくなる。現在は、演舞場公演チケットが数枚と1月の旬(小栗)クンの芝居のチケットが1枚。
 演舞場チケットの1枚は、桟敷席。友人Tのチケット、桟敷席は足がだめだから変えて―と、何回か言われていたけど、私はものすごく躊躇い、そのうち、全日程(21日を除く9公演)観劇した人に演舞場から記念のプレゼントがある―という企画が発表。彼女は全日程行くので、頂く資格(?)がある。
「もらったら、それ、あげるから、変わって」と、Tの買収(笑)。結構、あっさり買収された私(笑)。しかし、そのあとで、後悔少しと、まだ、躊躇。
「スタンディングの時、桟敷席の人はどうするのだろう」と、昨日は、その場面で、桟敷席を一生懸命(笑)見ていた。皆さん、立っていた(!)
 これも経験だ―と、頑張ろう(何を頑張るのか(笑)

風は、風の中で…、舟木一夫 in 東京中野

2022-12-01 | 世情もろもろ
 冬隣りの季節となった。季節が雪崩(なだれ)を打って冬へと向かう。晩秋―。
 日本の四季がずっと昔から齎してきた大気や景色とは違う様を見せるようになったのは、気候変動というヤツ(!)による。その原因を作ったのは人類だから、
「四季が無くなった!」
と嘆いても、自業自得(!?)。
 四季の中の心地よい季節の春と秋が短くなった。猛暑か、厳寒。
 いつまでも暑いなぁ―と思っていたら、突然に紅葉が進み、空が高く青くなって、アッという間に、晩秋―いつの間にか、冬がこっそりと隣に来ている。
 冬隣り、冬構え、冬備え―等々、この時期を現した言葉。
「間もなく、冬だぞ!覚悟しろよ~」
と、言われているような…。
 何だか、次の冬は、三月になっても、早春という季節になっても、本当の冬は明けずに、いつまでも、「覚悟しろよ~」が続くのではないか―云々、思ってしまうのは、世情が、なんとも危うい状況で、それを回避する役目のはずの為政者たちにその力量は全くなく、国民のお金(血税!)を無駄に使う政治屋(!)ばかりだから、いつまでも、冬が明けないような気がするのだろうか。
 それでも、世情がどうあろうと、風は、船を進ませる。〞From 舟木一夫〞の熱い想いや温かさをエネルギーにして…。
 冬隣りのこの時期、その年のconcert tour finalが、東京中野サンプラザホールで開催される。今年までは、毎年、このサンプラザホールだった。(サンプラザは来年7月2日で閉館)。
 60周年!…で、駆けてきた(まさに〞駆けてきた〞)舟木一夫concert2022年はここで終わり…というわけではなく、そのtalkで語ったように、
「これは、concert tourのファイナル、12月の新橋演舞場の60周年記念ロングコンサートが60周年のファイナル」
 つまり、ここまで参加しないと2022年は終わらないという事を、語る裏側に匂わせて(笑)、サンプラザのステージは、いつも以上の熱い大気に包まれて進んだ。
「さすがに、concert tour final」
と、ちょっと呟いた私が、山ほど嬉しかったのは、concert tour2022のステージでは構成に入っていなかった『恋唄』が、一部のラストに置かれていたこと。
 この歌は、イントロの音ひとつが耳に届いたときに、「恋唄が来る!」と、心がパッと輝いて、待ち構える(?)大好きな歌だ。稀にしか聴くことができないが、
「まだ、最初の音ひとつでわかるか。まだ、心が輝くか」
などと、自分の胸の内を確認する、いや、胸の内ではなく、脳の確認かもしれない(笑)。
 理屈(?)はともかく、この二日間観たので、当然ながら、『恋唄』を2回聴くことができた、これは、思いがけずに、この掌(てのひら)にそっと置かれた贈り物になった。2022年、駆けてきたことへの褒美―と、思うことにしよう(笑)。
 それから、もう一曲。『君へ心こめて』―こちらは、concert tour2022の二部のオープニング曲に構成されていたので、毎回嬉しく、〞from 舟木一夫〞の想いとその世界を受け取っていた。
 一年間、今年も、良い風をそのステージから受け取ることができた。もう、こんなに遠くまで歩いてきたというのに…。道は、この船の航路は、まだ、続きそうだ。
 が、これで、終わりではない2022年。先に書いたように、12月―怒涛(!)のロングコンサートが、その先に待っている。
 本当に、「怒涛の…」である。考えられない事をやる。
「いや、もともと、舟木一夫という人は、考えられない挑戦をする人だ。結構、無謀(笑)」
 昔、とても若い頃、舟木一夫は、容姿も屈強な男にはほど遠かったこともあり、「ひ弱で暗い」と思われていた節がある。
 心根は優しい男(ひと)で、繊細であるが、決して、ひ弱ではない。むしろ、「それは、ちょっと乱暴ではないか、無茶ではないか」と思ってしまうようなことに着手して、やり遂げてしまう。そういう人だから、12月の新橋演舞場ロングコンサートも、構成を3version(+最終日のversion)で行う。この怒涛の企画(!)―もちろん、これも、from 舟木一夫。これも、やり遂げるだろうなぁ―、これは、これまでの様々、数々を振り返ってみての思い。(プレッシャーをかけているわけではない(笑)頑張って!)。
 話をもとに戻して、サンプラザホール。
 冬隣りの季節の中、ステージに風が吹く。心地よい風が会場の全てを包む。熱い想いは溢れている。力強くもある。それでも、大気は心地よい。
 舟木一夫の想い溢れた大気の中、
「風は、風の中で…」
と、その言葉がずっと頭の端に在った。
「風は、風の中で、風向きを変える」―と、言葉は続く。
                          (2022/11/23)

 もう12月になってしまった。
 冬隣の季節…どころか、冬!だ。
 書きかけのまま、一週間ほどが過ぎてしまった。
 さて、続き―。
「風は、風の中で、風向きを変える」―これは、『双葉の丘へ』と題された詩の一部。
東日本大震災後にツイッターで投稿した詩集『詩の礫(つぶて)』を書いた福島市の詩人で高校教師、和合亮一さん作。
 福島県双葉町の合併七十周年の記念行事で発表された詩―。和合氏が朗読した。
 原発事故で全町非難が続いた双葉町は1951年に新山町と長塚村が合併してできた町だそうだ。
 原発事故で町が直面した様々な状況を「風」という言葉で表した詩で、街に吹く風は今は強いが、いつか変わる―と、未来へ光を託す。
「風よ 吹け 双葉へ 明日へ 」という言葉で終わる。

 その長い詩の中、ところどころ胸が詰まる言葉の中、
「風は、風の中で」
という言葉がずっと、残っていて、サンプラザ公演の間、脈絡もないはずなのに、私の頭の中を巡っていた。
それは、何なのだろう―と、正体(?)を模索。
 風はいろんな風に、いろんなところで吹く。人生という坂道にも吹いて、追い風よりも、向かい風の方が多いのが、人生という旅なのだろう―と、私は勝手に位置付けている。
 舟木一夫、60周年の今年、コロナ禍はもう3年、戦争も何だか身近になってしまったこの2022年、世は荒波で、吹きつける風も嵐のようだ。が、そんなことは、歩みを止める何の理由にもならない、航海を止めることはできない―と、進んできた奇跡の、本当に、奇跡のような力強い航海だったと、まだひと月を残すが、そこに、『怒涛の公演』が大地に足をしっかりとつけて待っているが、ここまでの十一か月の時間に心いっぱいの拍手を!
 そう、風は、風の中で、風向きを変える。追い風ばかりではないことは、こんなに遠くまで来てしまった現在(いま)、は、よ~くわかっているから、風向きが変わろうと、こちらの歩みは変わらないのだ。
 風は、いつでも、どこにでも、吹いている。味方につける。味方にして、12月、60周年のfinalへ、Go!

                                  (2022/12/1)

【追記】怒涛の公演なら、私も、2022年の終わりのひと月、心して、頑張ろう、「頑張るんだぞ、お前」と、言葉にして、自分を励ます(笑)まずは、予報ではかなり寒そうな初日から、よしっ!頑張るぞ!
【追記2】一文をupして、これで、やっと、1月の国際フォーラム、2022concertのスタートステージDVDを見ることができる。書き終わる前にみると、頭の中が混ざってしまうかも(笑)と、我慢していた(笑)。昔は、一度に、内容の全く違う作品を2~3本書いていたのに(泣)、これが、年を経る(年をとる・・とは言わないぞ!)ということだ。