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アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

繋がった!

2025-04-29 | 世情もろもろ
 半年も経っていた。
 2024年から今年、こうやって繋がってきたのか―と確信するまで。

 昨夜(2025/4/28)、舟木一夫concert tour2024のfinalステージ(於・LINE CUBE SHIBUYA 2024/11/6)のテレビ放送があった。
 生で観たステージだが、当日は23列というあまりに遠い席からの観覧だったので、よく見えなかった。そのせいか、昨夜の放送は初めてみるステージを観ているような感覚があった。
 これは、お得感有り。2回観た気持ち(笑)。
 バンドメンバーのそれぞれの見せ場(?)などもカメラがアップでとらえてあったので、ステージ上の一体感が自然に!目の前に示されたようで心温まる想いがした。
 途中一度もCMを挟まずに、生の感覚、一気に駆け抜けた放送にも拍手!

 2024/12/12まで、あとひと月―というところでの渋谷公演。
 12/12の港に着いた『希望の船』は錨を下ろして少し停泊。
 年が明けて船出。
 船出したら、最初こそ、いくらかゆっくり、穏やかな風を送りつつ…が、すぐに、その航路は、キャプテン(勿論、舟木氏)の性に合わなかったのか―と、最近は、この人の、「行くぞ!」とはっぱかけてきそうなパワーを見慣れている?!せいか、「性に合わないのだろう」と思ってしまう。
 船が…昨年以上に力強く進んでいるのを感じる。
 やっぱり、奇跡は、あるのだ。
 これは、奇跡なのだ。
 が、何度も書いてきたように、奇跡は、自身の中の大切なもの、決して譲れないものに対して真摯(しんし)に向き合い、そうあろうとする者の上にだけ訪れる。
 この『希望の船』=『奇跡の船』が、今年の12/12を目指しているのはいうまでもない。
 そこまでは、「突っ走る?!」…風な感じだ。
 それには、勿論、異存は無い―と、エラそうに言う(笑)。
 それが、我ら(!)がキャプテンらしい。
 2024年のステージ、そして、目指した12/12のカウントダウン80まで、今年よりも「落ち着いていた(おとなしかった?)」―と、2025年のステージをこの4月まで観てきて、初めて思った。確かに、昨年も力強くはあったが、大人風(大人っぽい?)だった。今年は青年!?に逆戻りっぽい(?!)
 今年は「走っているなぁ、凄い風を巻き起こして」―そんな言葉が、今、出てくる感想の第一声…かな。

 そうして、2025年の航路は、生命(いのち)燃やす航路となった。
 それなら、我らも、生命燃やす旅になるか。幾らか自信が無いーなどと呟いている間に、速度の早いこの船はさっさっと先に行ってしまうぞ、置いて行かれるぞ、お前!―と自分を叱咤激励(激励を多くしてほしい?)。

 そう、こうして、昨年から2025年の航路へと、繋がった、この旅路だ。
 ちょっと陸(おか)に上がって休んだけれど、やっぱり、海原に出て、昨年以上のパワーで、突っ走っている。
「止まったら、もう、走れなくなるからね」と、我らは冗談を言いながら、そして、実は、止まったら走り出せなくなる自らを充分に知りつつ、自身も、走る、走るしか無い!
 2025年の12月12日まで、止まったら、再度走り出すことは困難になる我らも、とにかく、「走るか!」―と。
「キャプテン、待って!」ーと(笑)。

 そうして、みんな、元気で、本当に、元気で、まずは、今年の12/12の港に着こう、ね!―と、どこか、少し必死な願いのように、ステージに向けて飛んで行った私の心だった。

                                  (2025/4/29)

【追記】書き飛ばしの一文となった。京都行きを来週に控えて、多忙、多忙!やる事が山。でも、想いは綴っておかなくては…。




熱が…翔んだ!

2025-04-19 | 世情もろもろ
タイトルに『!』がついた―と、書いた自分でも少し驚いた。
〞翔んだ〞は「飛んだ」が正しい表現なのかもしれないが、ここでは、「翔んだ!」と言いたい。
その時、私の心が、
「翔んだ!」
と叫んだから、こちらの表現が合っているはずだ(強気に言い切る)。
〞熱〞は「熱さ」と言ってもよし、「情熱passion」と置き換えても差し障りは全く無い。
翔んだのは、舟木一夫の熱!
「わ〜!爆発した〜!」
と、私は緞帳が上がり、2〜3曲目で叫んでいた(勿論、心で)。
「翔んだ〜!」
この人の熱さ(今回ばかりは、〞暖かさ〞ではなく)が、翔んで行った。会場の屋根を突き破って…と表現したいくらいに、生命(いのち)の熱が広い大気を目指して飛んでいったようだった。
オープニングのあと、ひと言、挨拶。
そして、1曲目歌い、2曲目に入った。その途中から、動きにスピードとキレが現れて、世の中の一般的な定規で測る年齢は、
「この人には当てはまらないのだ」
と今更ながらに納得させられて、その私の目の前で、舟木一夫の熱が、ステージひとつひとつに乗せる想いが、弾けた。
弾けて、空高く飛んで行く感覚さえ覚えた。
「翔んだ!ホントに、翔んだ!」
ひどく伸びやかな、耳にさわりの良いキィの声が、翔んで行った。

そんなステージだった、埼玉県川越市のウエスタ川越公演―。
concert tour2025、4月17日・木曜日午後2時―その時、その想いの熱は大空に翔んで行ったのだなぁ…と今、あらためて思う。
「素晴らしいものをみたのだ、お前は」
と自身に語り、知らせる。 
 そして、この先も、『素晴らしいもの』は、まだ目にすることはできる。
 そう、あと数ヶ月、その区切りの12/11…か。
 いや、そこで、幕が降りるのか否か、そんな事はわからない。
 先の事だ。
 その時に、そのさらなる先が見えるはずだ。
 その場所は、日々、力(パワー)を増すこの〞希望の船〞の、〞とりあえず〞の、
寄港地だ。そこにちょっと滞在して、再び、出航するだろう―と私は思っている。何しろ、この船のキャプテンは〞あの人〞だ。
今、目の前で熱を高く飛ばした、その人である。
 だから、その地に一度錨を下ろしても、次には、その先へと舵を切るだろう。
 この川越のステージで、トークした。
「81歳になる12/12まで、このまま進み、そこから先は、委細面談で」―と。委細の中身が、
「嬉しい中身でありますように」
と、ちょっと祈った(笑)。

 その地点まで、8ヶ月を切った。
 時間の経つのは思うより早いものだから、それは、すぐに来るかもしれない。
 けれど、そこまでは、まだ「素晴らしい事」は続き、「素敵な事」にも出逢えるはずだ。

 世界は先の見えない暗さに覆われている。
 ロシアの老婦人が街中のインタビューに答えていた。
「愚かな老人二人が世界を共有する」―と。ロシアでこういう発言をする勇気ある老婦人に私は少し驚いた。勿論、「愚かな老人ふたり」が誰であるかは言うまでもない。
 その二人に限らず、愚かな権力者ばかりが、あちこちにいる。そして、世界は混沌を極めた。
 報復関税、貿易戦争が世界の不況を呼び、やがて、第二次世界大戦へ―と、みんな知っている事実。

 現在(いま)、そんな只中にいる我々だ。
 けれど、心の底には、ピンと張った強いものの存在を、私は確認(!)している。
 それは、ステージから、遥かに飛翔していった舟木一夫の熱と、どこか似ているかもしれない。

                               (2025/4/19)


【追記】川越のステージは何故か、私は目を凝らして必死に観ていた。熱が爆発したからかも…。あまりにも必死に観ていたので(笑)翌日、眼が真っ赤になって眼科にいった(笑)
「コンタクトで目が乾きすぎたのです」(医師)、「目薬は時々さしていました」(私)、「目薬をさしていても、何かを必死に観続けて瞬きを忘れたり、じっと目を凝らしていたりすれば乾きますよ」(医師)。眼科医は私が前日に、舟木一夫concertに行ったのを知っているのか(笑)

【追記その2】4/17でひと段落。公演はまだ高崎や相模大野があるが、京都を目指す時まで(5/9)、私は、サァ!仕事するぞ!(掛け声だけはいつも勇ましい(笑)
やる事は実は、たくさんある。
 引っ越しをしなくては…といっても、住まいではなく、このブログ。goo blogが終了する―というお知らせが!!
2025/11/18で終了。だから、ブログの引っ越しをしなくてはならない。
4/16より引っ越しデータの作成可能、が、最初は込み合うので一定期間を置いてから利用を―云々。わ~!!面倒だ~!(これが私の第一声)
 現在のこのブログは、ずっとずっと前に(本日でブログ開設6809日だそうだ)スタッフが開設し、私が書き込んでいたのだけれど、この膨大なデータが無事に引っ越しできるのか…不安と「マ、何とかなるだろう」と。
コンピューターの偉大なところは、膨大なデータも一瞬で完結させることができること。が、今回の引っ越しは3日間ほどかかるーと(これ、ちょっと不安)

                                (2025/4/19)

105分の物語

2025-04-12 | 世情もろもろ
 105分の物語の果てに待っている大切なものを見つけた。
 そして、「感極まる」というのはこういう状態をいうのだろう―と、胸の底から込み上げた〞熱いもの〞の正体(!)をそんな風に納得した。

 物語を紡ぐ人は、舟木一夫。
 正確に言い表せば、舟木一夫とバンドメンバー、コーラス、照明さん、音響さん、この105分を届ける事業(!)に関わる全ての人々が、〞紡ぐ人〞と言える。
 だから、私は、緞帳が上がると、ステージの真ん中に立つ人(当然、舟木さん)を見て、次にバンドメンバーに目を移す、さらに、コーラスの人々へ…、端から端まで、しっかりと見る。
 同じ船に乗り、同じ航路をこんなに長い歳月、共に歩んできたら、もう、同じ港を目指す仲間であるーと、勝手に思い込んで、上がった緞帳の中に現れる全ての人々は、いや、仲間(!)は、「元気かな」と、つい、見回してしまうのだ。
 そして、紡ぐ人から届けられる物語に触れて私は想いを紡ぐ。
 想いの優しさと、温もりに、ふと涙する時もある。

 物語は進む。
 そして、急に、ワッと泣きそうになった。感極まる状態?
「感極まった!」と感動や感激のあまり、口にする時がある。
が、随分と長い時間、その感を覚えることがなかった気がする。
よくないことで、感情がいっぱいになることはあっても、良いことでの〞それ〞は、最近の世情を思い返しても、なかなかあるものではない。
 そんな〞貴重〞な感覚が脳ではなくて、心、胸の底から突然湧き上がった。少し慌てた。
 涙が滂沱と伝う気がしたから…。
 ここで泣くわけには行かないぞ!―と自分に言う。が、一瞬、顔を覆った。自身の制止に関わらず、涙が流れてしまいそうだったから…。

 それは、長野市で、北斗文化ホールという場所で。
 舟木一夫コンサートツアー2025長野公演。
 ここは毎年訪れる会場。昨年は2月で「雪、大雪だ」―とか。長野は好きな場所なので、天候に関係なく「行こう」と決めている。   
 それに、長野は空気と食べ物が美味!

 コンサートは物語を秘めながら進む…と、選曲や構成に苦労している人々の思惑は横に置いて、完成したものを観るこちらは、自分の勝手な想いを胸の中に抱えて、目の前の世界(物語)を見つめる、受け止める。
 その105分の時間の中で、突然、かつての日々や、それこそ、〞青春の光〞が予告なく過(よぎ)ることもある。
 青春の仲間たちよ、もういない人よ、早々に旅立った盟友(とも)よ…と、思わず呼びかけたりする。

『友を送る歌』の中に、友をみる―これは前回、ここに書いた。
 が、この長野のステージは、彼ら、彼女ら、たくさんの友が、大きく手を振っている感覚を覚えた。
「そうだ、ここまで来た。こんなに遠くまで、私は来た。どこに居るのか、友よ」
 そんな感覚である。
 その感覚が、本当に、本当に、遠くまで来たのだ―と強く自覚させる。
 それが悲しいとか、悔いるとかでは、決して無く…。
「お前は、よく歩いてきたよ、歩を止めることなく、よく歩いた」と自分を褒めてやりたくなるくらいに前向きだ。

 時間の中で、いろんな想いが交差して、『恋唄』を待ってみたり、アンコールの『君に心こめて』に期待が山ほどになったり、そうやって、物語が進む。
 それでも、始まった瞬間から、いつの間にか、心待ちにするようになったのが、ラストの『湖愁』。
『湖愁』は、聴く毎に、深い歌になっていく―と、また音楽の素人が生意気な事を綴る(舟木さん、ゴメンナサイ!)
 私の中でこの歌への思い入れが深くなっている事が自分でもよくわかる。
 いつも、待っている、その登場を…。歌声とそれに続くサックスの深い音色―この時、目の前に、歌の世界の、その風景が広がる、その景色を見る。
 終わりは、舟木一夫のその後ろに、その高みに、青い空が広がっている。どこか哀しみを秘めた、けれど、ぬけるような青の濃い空をみる気がする。
だから、この歌が来る!と思った途端に、そう、感極まって泣きそうになった。
それほどに大きな歌なのだろう。

 久しぶりの感極まる気持ちをいきなり持ってきてくれた『湖愁』に、ちょっとお礼を言いたい気持ちの舟木一夫コンサートツアー2025 長野公演だった。

                                (2025/4/12)

【追記】長野駅にてー。
 帰りの長野駅、ステージが終わって帰る観客、ステージのスタッフ、バンドメンバー、そして、舟木一夫本人。ファンが舟木一夫の写真を撮っている。
 離れた所でその光景を見ていた私達のそばに、40代半ばほどのサラリーマン氏がいた。
「誰ですか?」と聞かれた私達。
私達「お母さん世代なら知っているかもしれないけど、舟木一夫さんです」
サラリーマン氏「ああ、舟木一夫さん、知ってます。若いですね。幾つですか?」
私達「幾つくらいに見えますか」と問う。「60代くらい」との答えに、私達は内心、狂喜乱舞…だったかも(笑)。年齢を告げたらとても驚いて、親父は舟木さんより年下だけど、あんなに若くないーと。
 そして、そのサラリーマン氏、スマホカメラで、距離があるので望遠にして、写真を1枚パチリ。私にも撮ってもらおうとスマホを出したが、「もう時間がないので」と。が、時間がないはずなのに、また、写真を数枚撮っているので、厚かましく!私のスマホでも撮ってもらった(笑)。
 背の高い人だったので、舟木一夫本人を囲んでいるファンの姿は全く入らずに、よい写真を撮ってくれた。
 写真、大事にしよう(笑)

【追記 その2】
 あちこち、桜。桜。春爛漫―。ふと、昨年4月初めの頃の京都を思い出す。桜を追いかけて、私たちは3部構成(?)の3日間だった。午前、桜。午後舟木一夫theater concert。夜、夜桜。桜の魔に取りつかれて、ハードに歩き続けた。
 そうして、今年の京都行は5月、今度は、青紅葉か。
 その前に川越公演がある。4月は1週間に1公演という頻度。
 私は行かれないが、4/22群馬県高崎市、4/23神奈川県相模大野市―ここは連日!

                                   (2025/4/12)





ひどく綺麗な瞳で…

2025-04-02 | 世情もろもろ
 季節が足踏みをして春がなかなか来ない―という事を前回書いた。
 その後、春は一度(!)来た。
 東京の桜が開花した。
 我が家のまるで大樹のようになった雪柳もあっという間に満開。
 しかし、季節はまた、足踏み状態?
 早咲きの桜はまるで「山盛り」と言い表してもよいくらいに咲き、満開を迎えていた。が、ソメイヨシノはその途中でいきなり歩みを止めてしまった(?)。
 季節が足踏み…ではなく、後戻りしてしまった。
 一昨日あたりから、温度計の示す値が、〞冬〞である。
 本日も、まだ、冬。
 昨日(4/1)は真冬の天気予報、気温も真冬を示していた。
 季節の逆戻り。けれど、悪い事ばかりではない(暖かくなってからの気温の低下は身に応えるけれど(笑)。開花した桜花は、寒くなった事で、散るのが遅くなる。まだ開いていない蕾も開花を少し待つ。
 子供達の入学式に桜花が、それを祝ってくれる!…という嬉しい状態になる。これが、よい事の第一!
 学校の正門前には必ずといっても過言でないほどに、桜の木々が植えられている。
 その下をくぐって、まだ背に大きなランドセルを背負って、少し緊張した表情の小学一年生。季節が足踏みして、さらに、逆戻りし、歩みを止めたから、今年はそんな情景があちこちで見られる。
 そして、ここに、歩みを止めることない人がいる。
 その人は、ひどく綺麗な目をして、真っ直ぐに顔を上げた。
 いや、目…というより、瞳。
 輝いていた。
 歳月と共にあちこち故障したりの私は視力も落ちたから、昨日(!)はさほど後ろではない良席であるのに、時々、オペラグラスを覗いた。
「昔はコンタクトレンズさえ入れていれば、25列からでも、くっきり見えたのに…」ーとちょっと詮無い呟きを吐いた。
綺麗な黒色の濃い瞳だった。昔と変わりなく…。その瞳が力強かった。
「歩みはまだ止めないぞ」
と言っていた。
 その瞳(め)に幾分圧倒されながら、
「そうだろうなぁ、歩みは止めない」
と、納得して、が、実は、幾らかたじろぐ。止めない歩みに、時に、速度を上げるその船のパワーに、「!」が山ほどついた私の目の前を走り抜けて行く、その強い瞳に、時々、息を切らして追いかける。だから、時々、たじろぐ。
 しかし、こんなに遠くまで人生という旅をしてきてしまった現在(いま)、少しの躊躇いやら、さらに少しの迷いやらで、足を止めているわけにはいかないーということは、よくわかっている。(頑張れ、私!)
 そして、ひどく綺麗な瞳(め)をして、その人は、言葉にした。
「この先、どこまで行けるのか、いつまで歌っていられるのか。今年の12月(12/11  誕生日の前日)までは行かれる、そのあと、どこまで」ーと。
 これまでは、「そのあと、2〜3ヶ月やれば、その先が見えてくる」と言葉が続いた。
 が、昨日、『舟木一夫concert tour 2025』北とぴあ公演では、
「そのあとは2年、(そして)65周年」―と、言葉は続いた。
「!!」
会場内は拍手。
 しかし、私は拍手の前に一瞬、いろんな想いの中に立ち尽くした。
 誤解のないように言えば、いろんな想いの種類は悪いものはひとつもない。悪いものと言えるかどうか、ひとつあるのは、
「頑張れるか?!私」ーという自信の有無のみ(笑)。
「遂に言葉にした、2年、その後の65周年」
そう、舟木一夫は、ひどく綺麗な目をして、そう言った。
「今年の夏頃に来年以降の事を伝える」―云々、先月辺りはそんな風に言葉にしていたようだったが、夏を待たなかった。
 確かに、今年1/30にスタートした公演は、スタート時こそ、船はもう海原を進むのではなく、大地を歩いて行くのだろう、優しい風を我らに届けながら…と思わせた。
 しかし、これも、以前、ここに書いたが、ゆっくりと地を歩いて行くのは、この人には合わなかったか、やはり、海原に出た。
 そして、やっぱり、この船は『希望の船』のまま、航路を進み始めた。…と思う間に、パワーや温もりや熱い想いも、まるで「俺には、これが合っている」とでもいうかのように、波高い海原を力強く進み出したのだ。
 幾らか呆気にとられながら見つめていた私は、ハッと我に返る。慌てて船の後を追う、飛び乗る、そうしたら、私の目の前にも大海原。
「大丈夫、まだ、あと少しは行かれるか、私も。幸い、船には強い、嵐の青函連絡船でもただ一人、船酔いしなかった私」
と、バカな自信(?)を呟いて、しかし、胸の内に幸福がポトリと落ちていた。

 concert tour 2025のステージはまだまだ(!)続く。
 まだ始まったばかりと言える。
 大宮、葛飾、松戸、そして、昨日の北とぴあーと観て来た中、昨日のステージが、希みや想いや、そして、熱いパワーがそこかしこに満ちていて、私には、ベストステージだった。

「友を送る歌」―この歌は、7歳の娘を遺して40代で逝ってしまった、幼馴染のような雰囲気の友を思い出す―と、以前、どこかに書いた。昨日のステージ、その友を思い出した。歌詞のように、遠い道を歩いて行く友の後ろ姿をふいと思った。
『恋唄』―これは大好きな歌。イントロからいつも情景が降り注いでくるようだ。そこに現れた世界に、いつも迷いひとつなく浸る。
『湖愁』―どんどんよくなる、どんどん成長する、どんどん心に沁みてくる…等々、たくさんの言葉を並べても、並べきれないくらいの、
「とても大きな歌になったなぁ」
と、音楽の素人が生意気に呟く。
 ワァーッと広がって行くようなサックスの音色と舟木一夫の伸びやかな歌声が、即座に、本当に、すぐに、歌の情景を連れてくる。会場内がその風景の中に一瞬で入り込んでしまうような、そんな、大きく素晴らしい歌になった。日々、成長?日々、深くなる?様々な表現を用いても語りつくせないほどに、この歌は大きくなるのだろうと思っている。
 ラストの♪空の果て〜♪、見つめるステージの、舟木一夫の後ろに、大きな水色の空をいつも見る。

 いろんな歌に、いろんな想い溢れて、そして、昨日もまた、素晴らしい『君は心こめて』(この歌は本当に素晴らしい)に送られて、4月というのに寒い雨の夕方の外に出てみれば、心の底に、ほっこりと暖かな火が灯っていた。

                                           (2025/4/2)

【追記】サァ、ここから、1週間に一度のconcert tour 2025。
 来週は長野市。Concert tourで長野市はほぼ毎年のように訪れるので、この地が好きな私は、どういう季節であっても「長野は行くぞ」と思っている。昨年は2月、雪だ、大雪だ―等々、スノーブーツまで購入した(笑)。その日の長野、雪は大したことなかった。その後の東京の雪、雪かきにこのブーツは大いに役に立った(笑)
 長野だ、川越だ―と言っている間に、すぐに、京都行の5月の東海道新幹線車内…なのだろうなぁ…。

【追記 その2】 k列ほどで観ていた友人Nが帰り道、話していた事。
彼女の後ろの席のおばあさん、「初めて舟木一夫の生のコンサートをみた、素晴らしかった!よかった! 見ることが出来て本当によかった!」と、多分、頬を紅潮させて語っていたのだろう―そんな想像がつく。その方、緞帳がおりて帰ろうとした。友人Nの友人が、「まだ、もう一曲ありますよ」と教えた。そして、素晴らしい『君へ心こめて』をしっかり聴いて、その方は、きっと、幸福に包まれて、初めての舟木一夫concertの会場をあとにしたのだろうなぁーと、私も、何だか嬉しくなった。

                                            (2025/4/2)

季節の足踏み

2025-03-20 | 世情もろもろ
〞季節〞というより、春の足踏み、こちらの表現の方が現在(いま)の心境にピッタリなのだが、この数年は、〞早く来てほしい季節〞が足踏みをしていて、なかなか来てくれない。
早く来てほしい季節は、勿論、春、そして、秋。
秋は灼熱の暑さの夏の中に我らを待たせて、待たせて、
「暦(こよみ)の上では秋」
などと表現はされても、さらに、待たせて…そうして、やっと来たかと思う間に、すぐに冬隣の季節を呼び込む。
「無情だ〜」
と私は心で幾らか恨めしげに呟く。
 来るのが遅いから、秋というよい季節は短くなってしまう。
 そして、それは、もうひとつのよい季節、春も同じ。
 現在、春の足踏み状態。
 2月半ばを過ぎると、ちょっと、春めいた風を送って来たりするのだが、それは、数日で、木枯らしが吹き荒れたりする。
 暖かい日々に梅はとっくに咲いて、寒桜も満開に近い様相をみせて、「春だなぁ」と、我らに錯覚させて、そうして、昨日のように目覚めてシャッターを開ければ、雪景色!…などという日を齎(もたら)す。
 春は秋以上に気まぐれかもしれない。
 そんな、よい季節達の足踏みの頃、3月18日、千葉県松戸市の『森のホール21』で、舟木一夫コンサートツアー2025。
 2025年は1月の埼玉県大宮ソニックシティでコンサートツアーのステージをスタートさせて、神奈川県〜東京都〜愛知県〜大阪府〜兵庫県(神戸市)、そして、この森のホール21ですでに7ヶ所。
昨年同様、海原に出港した船のその航路は日を経るに従って、力強くなって行くようだ。そんな航跡を残しているから、私は、ふいと呟く。
「やはり、これは、奇跡だよね〜」
と。
 ずっとずっと歩いて来た、まだ、あと幾らかの時間は歩いて行くだろう〞人生〞という名の旅ーそこには〞奇跡〞というものが訪れるのだ―と、あらためての〞実感〞を得た。
 生物学的見地から論じる舟木一夫の年齢、我らの年齢(私たちはそれなりにかも(笑)を、落ち着いて(!)思い直せば、奇跡!!としか表現できない。
「もしかしたら、この人は、年齢を誤魔化していないか」
と半分くらいは冗談で思う。
「もしかしたら、この人は、私達よりずっと年下ではないか」
と、時々は、つい本気で思ったり(笑)してしまうほどに、生物学上の年齢はどこかに行ってしまったようだ。
 いや、違う、そうあろうとする者の上には天が齎す(もたらす)のだ、我らが思いもかけないような、そう、〞奇跡〞というものを…。
 そうだ、私は、ずっとずっと以前から、そう信じて来たではないか―と、つい、忘れていた自分を叱咤する。
 そう思い返したら、奇跡のような出逢いや、何年も前からそう決められていたかのように導かれ、道は繋がり、〞そこ〞に至るような…導かれるような邂逅(かいこう)もあったではないかーと、思い当たる。
 そうして、道は、現在に至る。
 辿り着いた現在は、やはり、舟木一夫は歌い、その温もりある心や想いを届けていた。ずっと、以前から…それは、現在(いま)も、これからも…。
 この〞これから〞の長さは、ここまでの長さよりは当然短い。けれど、ここまでとは違う〞もの〞が、そこに在るーこれを私は確信している。誰が何と言おうと、信じている。
「それは贔屓目(ひいきめ)」
と言われようとも、
「贔屓目、大いに結構ではないか」
と笑い飛ばしながら、ずっと、信じる。

…というわけで、距離的にとても遠くに感じた松戸市の森のホール21のステージに力溢れた、そして、それ以上に熱く、暖かいものに溢れた2時間弱の舟木一夫コンサートは、素晴らしい中で緞帳が降りた。
♪悲しみを悔みを抱いて生きるな、何よりも君にはそれを願う♪
と、また、背中を押されながら、会場を後にした。
♪俺が心こめる歌のひとひら、春を告げろ、君にとどけ♪
 春は、足踏みのいくらか肌寒い日だったが、確実に春は届くだろう、あと少しで…。この人が♪君にとどけ♪と歌う春は届いている。
 そういえば、ステージ上でこの人も、「今日は冬」と言っていたなぁーとトークを思い出し、
「それでも、今日は、あなたから、春をもらいましたよ」
呟き、少し冷たい(?)春風の中、帰宅―。
 
                                 (2025/3/20)

【追記】この松戸市の公演から4月終わり近くまで、コンサートツアーは1週間に1度という頻度で続く(!!)。
「やっぱり、この人は怪物なのかもしれない」と冗談抜きで!心底思った、ほんの一瞬(笑)。
 友人の一人は次の東京都大田区の公演(3/25)も行く。
 その後、4/1東京都北区、4/8長野県長野市、4/17埼玉県川越市―これらは私も行くが、この間に、JAZZ LIVE有り、ほかの友のイベント有りーと、4月は怒涛の日々、「わ〜大変だ〜」と口では言っているが、内心は嬉しいが沢山!
 そして、5月の京都南座へと続く、怒涛の日々、怒涛の幸せ!!

 そうそう、私は行かれないが、前述の川越市の後は、4/22群馬県高崎市、4/23神奈川県相模大野市ーと続く。(連チャン!!)
いくら怪物でも(ア、つい言ってしまった、舟木さん、ゴメン!)体に気をつけて!!

                                  (2025/3/20)




やっぱり、海原が好きだった…?

2025-02-20 | 世情もろもろ
 今年の冬は立春を過ぎてから「来た!」のではないかと、つい思ってしまう。
 異常気象がずっと続いて、例えば、今年も、昨冬と同じく、躑躅(つつじ)は葉を落とさずに新年を迎えた。
植物たちは気象の変化を微妙であっても見落とさない。それは、自身の生命の継承に関わる重要な事態だからだ。 一番鈍感なのは人類かもしれない。
…と前置きが長くなったが、
「やっぱり、この人は海原が好きだったか」「私もこの旅の方が好きだなぁ」―と心底、勝手に、またしても(!)、勝手に納得した2025年2月19日、とても寒い一日の東京葛飾のシンフォニーヒルズ、大ホール。
…と綴れば、そう、〞この人〞は、舟木一夫。
 2025年コンサートツアーのスタートの大宮公演(1/30)、その前月の大阪公演から見てきて、ここまで波高い海原を航海してきたこの『希望の船』は港に着いた、この先は大地を歩くのか?ステージから届く風が、ふわりとした慈愛を含んだ風に変わっているーと思っていた、昨日まで…。
 大宮公演から昨日のステージまで、その間に、神奈川県横浜市でのツアー公演を経ている。
 その神奈川のステージは行かなかったので、友人Yにその様子を聞いた。
 今年のファーストステージとは違っていた―と聞いて、
「やっぱり、船は出たのだろう。神奈川の会場は目の前が港だから、出港もしやすかった」
と戯言(たわごと)冗談を言って、それを歓迎した。
 私も、まだ海原を進み行きたい…と、実は思っていた。
 けれど、大地を歩くなら,その傍らを歩き、その歩みを見つめ続けられる限りは…と、歩く覚悟(!)をしていたことは事実。
 しかし、やはり、舟木一夫のステージは、この人の想いと温かい心が、そのパワーと共に届けられる熱のある風がふさわしい。
 勿論、そういうステージをひとり、舞台に立ち、2時間ほども歌い、歩き、talkして、時にスタンディングーと…これは、〞生物学上〞の年齢の若い者達であっても、そうできることではない。年間のステージ数も50ステージを越して、それほどにパワーある2時間は、
「やっぱり怪物なんだ!」
思わず、そんな言葉が出てしまった(ごめんなさい!舟木さん!思ったままを書いてしまった。思ったまま?いや、もっと悪い)
 いや、そうではない。
 ここまで歩いてきた旅路へのたくさんの想いや願いを込めて、本当に、心を込めて、2時間、ステージに立っている。その心は、やはり、海(!)にあり、まだ、海原を進む、この希望の船―。
 こんなに遠くまで来たというのに、この旅を行く船は、まだ、希望の光を瞬かせて、進んでいくのか!私は言いようのない感動や感謝や、そして、胸の底に、ワッと泣き出したいような、そんな感情に満たされていた。
 幾分、滅茶苦茶な感情が、呟いた。
「やっぱり、海原が,好きだったよね」
呟いたその言葉が、タイトルになった。

 キィをあげた明確で爽やかな声を出していた。
 と、こういう声をだすことができるところが、怪物(あ、ゴメン!)。
 声が昨年のコンサートツアーの声に戻った。「嬉しい!」と勝手に単純に喜んだ私だった。
 本当は、戻ったのではなく、進化…である。
 昨年のままではないから…。また、新しい、耳にさわりの良い声を見つけた?この人は…。と、“音楽素人”は本当に勝手に、そうして再び呟く。
「歌に関しては,怪物だからね」と、どうしても、〞怪物〞から抜けられない私。
「なんと優しい怪物だろうか」―と心が、ほっこり…である。


慈愛ある温もりよりも、熱のあるパワーを求める?まだ?ここまで来ても?…等々、自問自答。
熱のあるパワーであっても、この人のそれは、充分に温もりある、あったかい想いがこもっているから、長い長い航海も、我らは何ひとつ悔いることなく、その波間を進んでいけるのだ。

素晴らしいステージだった。

そう、やっぱり、海原を行きたいよね。

                                (2025/2/20)


【追記】相変わらずの勝手を連ねた私の一文―。
「サァ!始まった」とふっと呟く。「船、出たから、ね」―と。
3月4月―と怒涛のconcert tour 2025。4月などは毎週公演があるスケジュールになっている。誰もが知っているけれど、80歳である。きっと、舟木一夫の80歳は40代なのかもしれない…と、ものすごく馬鹿なことを思って、次に私がこの熱!に触れるのは3月半ばの千葉県松戸市の会場。4月は前述のような毎週開催!が、毎週というわけにはいかない、仕事しなくては(笑)5月には京都に向かうのだから…。
 昨日夜には嬉しい知らせのLINEも届き、
「よしっ!山ほど頑張るぞ!今年は特に…」
と、力強く(あくまで気持ちは力強く)呟いた私だった。あとは、体力の問題(笑)、いや、ホントに、笑い事ではなく、体力の問題である。

                                  (2025/2/20)

                            

風が…変わった

2025-02-04 | 世情もろもろ
―理解、そして、納得―

 理解して、納得して、そのあとは、「そして、覚悟」という言葉が続くのかもしれない。
 覚悟の後には、何が続くのか…、『永遠(とわ)』…か。

 舟木一夫の2025年の公演が1/30に大宮ソニックシティからスタートした事は、前回綴った。
『君へ心こめて』という素晴らしい歌、その心温かな言葉に背中を押されて、午前中からず〜っと続いたままのJR東日本の交通トラブルの中、帰宅した。
 それから、スタートのステージの事を考えていた。
 そして、昨日(2/3)午前、公演を取材したフジテレビの放映を見た。
 見て、数日の間、脳裏にあったことへ、「そうか!」と…。
 いろんな事が見えてきた。
 それをここに綴るのは時期尚早だから、まだ綴れないか。
 ただ、昨年までのステージから、角(かど)を曲がったのだーと思った。
 前回、道を歩く…云々と書いた。波の中を進んで来た船は港に着いたのだから…。
 終着の港はどこなのか、それは、すぐそこか、或いはまだまだ先なのか、まだ、波打ち寄せる航路を行くのか―と、昨年まで、いや、今年のスタートのステージまで、思って来た。けれど、すでに港に着いていた、昨年12月12日に―。
 だから、2025年は、新たな道を歩いていく。その道は昨年までの荒波のなかでさえ進みゆくパワーに満ちた航路ではない。しかし、地に足をつけた歩みだ。どことなく、ふわりとした温かさを齎して…そういうステージになったのかなーと、また、素人が勝手を綴る。
 勝手を綴りながら、納得する。
 その〞勝手〞のままに思えば、昨年までとは、ガラリと変わった(曲は変わらないが)ステージから届く風がわかる。納得に辿り着いた。
 そう、船は港に着いたのだ。
 大海へはもう出ない。
 目的の港には到着したから、この先は、地を歩く。
 そう思った、いや、わかった。
 だから、ステージから届く風が変わった。
 大海の荒波を押し退(の)けて力強く吹いてくる風ではなく、大地を渡る柔らかな慈愛の風になったのだ。
 かなり感覚的な表現だが、そんな風に感じて、これもまた、納得した。

 それゆえ、この後(のち)は、心の底に幾らかの〞覚悟〞を置いて、舟木一夫の歩く12/12までの道のりを、その道の傍らを私も歩こう。
 そこに着いたら、その先はその時に考えればよいーと、これは、変わらず。
 ただ、この年は、ものすごく大事な年になる。これは、確かだ。
 いろんな事に気をつけて、歩いて行こう。大切な人々を失ったりしないように。〞大事な友〞たちが傷ついたりしないように。

 いつか、これらの日々を綴ることがあるだろうか、思うままに、書くことができるだろうか。いや、まず、その日まで、我が生命が長らえているか…この問題の方が先―という、少しなさけない結論―?
 いや、それほどに遠い所まで来たということである。そして、生命は年齢順に去るのではないのだから…。

 心も意志もしっかりと前をみて、何も見落とさないように、さて、
「歩くぞ」
と。
                                   (2025/2/4)


【追記】勝手に綴る―とか、想いの通りに書く―とか、エラそうに言いながら、まだ、綴れない事象があるなど、何だか、逃げのような、なんとも、情けなくなるけれど、でも、とにかく、あと10ヶ月半、しっかりと歩こう!と、自分を叱咤激励…の状況(笑)

 なんとも、わけのわからない今回の綴りである。
「風が変わったのだな」―と、それだけが伝わればよいかな…と、逃げではない、守るべきものがあるので…と、ジタバタ(笑)

                                   (2025/2/4)
        












とにかく、あるこう、傍らを

2025-02-02 | 世情もろもろ
 歩こう、ここから…と言葉が続く。
 ここから…このファーストステージから、とにかく、歩こう。
 そんな風に呟いて、1月30日の舟木一夫concert tour 2025の最初のステージ、大宮ソニックシティ大ホールを後にした。


 聴き慣れた曲がステージから流れてくる。が、それは昨年とは違うような気がした。
なぜ?
「あゝ、声が違う」
と、気がつく。
 この日、テレビと新聞の取材があった。
 その中で語ったことが翌日の新聞に掲載されていた、「艶っぽい声で」云々と―。
 そう、昨年まで、自身の声(声帯)に負荷をかけているように、キィをあげて、ひどく爽やかな声で、歌がとどいた。
「そうだ、声が違う」
まさに、艶のある声―。
 潤いのある声が、今年の歌たちを届けてきた。
 声の違いにはっきりと気がついたのは、『恋唄』。
 この歌は大好きで、最初の音!が流れた瞬間に、いつも
「おっ!恋唄だ!」「恋唄が来る!」と心躍らせた。
 その『恋唄』が、昨年まで聴いていたそれとは違う歌になって耳に届いた。
「すべての歌が、昨年までとは違う歌になった」
 なぜ⁈
 声が違うからだったのかー〞明確な答〞を得たのは、舟木一夫が取材の中で答えた言葉。
 それが確信を齎してくれた。
「自分の声の量と質の上限と下限を年齢なりに保っていく…」云々。
とは言え、それができる人間は歌の道を歩む者に限らず、そうはいない。(それが出来ずに四苦八苦する者のひとりの私―。)
 しかし、だから、聴き慣れた歌たちが、違う歌になって耳に届いたのか。

 12月12日までの10ヶ月余、どのような歩みが歌たちと共にあるか。
 舟木一夫言うところの「日の当たらない歌」たちも、時に、ひとつずつでもコンサートツアーの仲間に入れてあげたりして、歩いて行けたらよいなぁーと、まさに『音楽素人』の勝手な想いと願いと言い分(!)を、ちょっと思った(!)

 そして、久しぶりに聴いた、これも、大好きな『君へ心こめて』、この人の作詞作曲の素晴らしい歌たちの中のひとつ。
♪悲しみを悔やみを抱いて生きるな、何よりも君にはそれを願う♪―
と大きく包み込むような言葉と音(メロディ)で、歩む背中を包んで、道に送り出してくれたーそんな気がした、今年のコンサートツアーのその最初の時、〞ここ〞から…、
「とにかく、歩いて行こう」
 まず、あと10ヶ月半ー。その後のことは、前回のブログにも書いたけれど、
「その時に考えればよい、決めればよい」―と、胸の底で拳を握る。
 荒波の中を進む船ではなく、道を歩いて行こう。
 歩むその傍らを歩いて、その道を見つめていこうか…などなど、想いをこめて、最初の会場を後にした私だった。

                                   (2025/2/2)


【追記】相変わらずの勝手な想いを,勝手に綴ってのスタートである。頑張ろう、私も。頑張って歩くか!!
 それにしても、ものすごい数の公演回数である。その12月までのステージの数。生物学上(?)で若い年齢の者でも、これは、やれないだろう―という数のステージ。それを、バンドメンバー、スタッフとともに、一人でやる!(みんなも頑張って!)
「もう数年前のようにはできない」とか、「一年ごとに体力が衰える」とか、そんな〞戯言(たわごと)〞を言っている私たちの頭をガン!と殴ってくれないか…なんて、過激に思った。

 さて次、私は葛飾行き…か。今年は4月に長野があり、長野は好きな土地なので、暑くても寒くても雪が降っても行くことにしている。この先を眺めると、そこには、本当にたくさんの数の〞舟木ステージ〞! こんなに遠くまできたのにね―と、幸運に感謝―。
                                   (2025/2/2)



思うままに… 11か月を

2025-01-18 | 世情もろもろ
2025年になったーと思ったら、もう1月の半分は終わった。
先のブログにも書いたが、今年は、舟木一夫コンサートツアースタートの1/30の大宮公演を待たずに、スタートした…と思う(?)私なのだけれど、そのスタートから数日の今日まで、さしたる行動や仕事をガンガン進めたーという事はなく、ひたすら、脳内の準備(?)だった。
昨年終わりは、JAZZ LIVEで締めて、今年の始まりも、実は、 LIVEだった。が、これは珍しく、座してじっと聴いている…というのではなく、所々、参加型?
素晴らしかった〜より以上に、楽しかった!スッキリした!ーこれが終了後の第一声(笑)。
もちろん、歌った人(女性)もミュージシャンも素晴らしかった。
とりあえず、そこから、スッキリしてスタートした。
そして、舟木一夫大宮公演まで、12日ーというところまで来た!

 2025年は大事な一年になる。
 勿論、どの年も大事な…ではあるのだが。
 2025年12月12日まで、あと一年ではない。あと11ヶ月ー。
 この一年を…と思っていた私は、
「あと11ヶ月を」
と思い直した。
 そうやって日々は思う以上に早く流れる。
 まずは(!)そこまでの時間(とき)を、
「思うままに」ーと。
 自身の思うままに、望むままに、願うままに、舟木一夫にはそうやって歩いてほしいーと祈るほどに願った。
 来年、再来年…などと、私はもう考えはしない。自身に考えを巡らせても、来年は、ずっと先の事だ。
 時間(とき)の経つのは早すぎるほどに早いから、時間的には、来年はすぐにくる。が、すぐにくるそれらは、ここまで歩いて来た身にとっては、“ずっと先”になってしまった。つまり、そんな先の事は、もう考えられない―と。
 その時、自分が、どのような場所に立っているのか、全くわからない。数年前までは予想ができた。が、ある意味(良い意味で)、激動だった昨年から、先は全て予想のできる時間ではなくなった。
 だから、来年も再来年も、わからない。
 そんな不透明な日々を歩くのだから、もう、ここまで来たら、舟木一夫には思うままに歩いてほしい!ーと思うのだ。
 思うままに、その心を抱きしめて、望むままの歌を、ずっと願い抱きしめて来た歌たちを紡いで、11ヶ月の後の12月12日を迎えてほしい。
 それは、きっとできる。
 なぜなら、この人は、歌にずっと誠実であった。だから、できる。そして、その先は、その時に、考えればよい。
 私も私のその先は、11ヶ月後のその時に、見つけられるだろう。
 私も思うままに、自分の心をちょっと大切にしてやって、11ヶ月を歩こうと思う。
 
 思うままに…と舟木一夫に、この人には、その心の願うままに…と願いながら…。祈りながら…。
 そんな2025年の始まりー。

                                  (2025/1/18)


謹賀新年 あるいは一陽来復 そして4分の1

2025-01-05 | 世情もろもろ
 長いタイトルになった。
 2025年。4分の1とは、もう今世紀の4分の1を生きてしまったーという事。早い!本当に早い!実に早い!日々の24時間は,本当に24時間あるのだろうかーと時々、冗談ではなく思ったりする。
…という事で(?)、タイトルの4分の1はそういう事。

 その前にひとことお詫び。
 新年挨拶だから、1月2日には…と、ブログを書こうとしたら、アクセスできない!
 その日、明け方から、docomoがサイバー攻撃によるシステム障害を起こしていた。このブログのgooのサイトも同様だった。
 この日、知人,友人から、「読めない、サイトに行かれない」―と。
 ごめんなさいーと頭を下げる。
「ア、でも、私のせいではないからね」―と、やっぱり言い訳をしてしまう私…。

 東日本大震災の翌年の年賀状は『謹賀新年』『あけましておめでとう』の文言よりも、『一陽来復』と書いた人が多かったーと、報じられた。
 一陽来復とは「冬が終わり春が来る事、新年が来る事」だが、「悪いことが続いた後で良いことに向かうこと(陰の気が極まって陽の気に転じる)」の意味も…。
 大災害の後の、祈りにも似た想いで願った、その年の賀状に「一陽来復」と書いた人々が多かった。
 けれど、2011年3月の後も、一陽来復と記したい事象は、本当に、これでもか!と思うほどに、この国に、いや、この地球(ほし)に訪れた、今、この瞬間にも…である。
 自然は生けるものに優しいかもしれないが、時に、非常に苛烈でもある。
 だから、せめて、人がその過酷な状況を齎すことは即!やめろ!ーと戦争に明け暮れる愚かな主導者(いや、独裁者)に、世界中の〞良き人々〞が一言ずつ言うことができたら良いなぁ…と思う。でも、良き人々は、自身と家族が食べて、生きていく事で精一杯の場合が多い。
 ここまで思ってしまうと、新年早々、やり切れなくなるから、この話はここでお仕舞い(!)

…という事で、2025年にも(!)なってしまった。
 駆けていけるか…と、2024年のラストブログにも書いた。何とも心許ない。年ごとに体力の低下を感じている昨今(泣)。
 舟木一夫は2025年12月12日を目指すだろう。
 だから、私も、とりあえずは(?)は、そこを目指して、踏み出そうか、2025年の第一歩。
 「辿り着けなかった〜」などということにならないように、体力と精神力の充実、勝負。
 『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』
 この言葉が、強く、深〜く、胸の底に谺(こだま)しているのは、なぜ?!

 2025年、よろしくお願いいたします。
 幸せであれ!!

                                  (2025/1/5)


【追記】1月30日、大宮ソニックシティ大ホールから、舟木一夫CONCERT tour 2025がスタートする。例年、スタートは大宮ソニックシティからが多い。それで、私も例年、ここから活動をスタートすることが多かった。でも、今年は、その前にスタートすることになりそうだ。どこから、スタートしても、もうこんなに遠くまできたのだから、どの地点のスタートも悔いのない時としなくては、〞生(せい、いのち)〞が勿体ない。