アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

北の街で幸福が… ― 舟木一夫 in 金沢

2022-10-10 | 世情もろもろ
―山のかなたに― 
 舟木一夫concert tour 2022、金沢(10/6)、長野(10/7)が終わった。
 金沢のステージが終わった直後から今も、ずっと、頭の中に歌声とメロディが巡っている。忘れられない一節ということ…か。
『山のかなたに』―今年のconcert tourの構成に入っているので、必ず聴いている。歌のはじめをあえて(!)歌いなおす。
 コーラスの♪山のかなたに~、山のかなたに♪で始まる歌。歌いなおす時は舟木一夫も歌う。♪山のかなたに~山のかなたに♪ここが、私はすごく好きだった。
 すべてのステージで歌うのではないが、今年の前半はそのようにしていたようだった(いい加減な言い様の私)。
 そして、その部分、これまでみてきた中でのその一節―金沢のステージで、想いが遠くに飛んだ。少し冷たい気のする風(早春の風?)が、スーッと通り過ぎていった気がした。透き通った空気の中の山並みが目の前に浮かぶようだ。
 コーラスの澄んだ歌声と舟木一夫ののびやかな声、そのハーモニーがぴったり合っていた。私は〞音楽しろうと〞だから、こういう言い方が正しいのか間違っているのか、判断もつかないが、一言でいうと、「聴き惚れた」ということかな。
 その一説がずっと頭の中に残った。
『山のかなたに』はずっと昔の歌である。
 舟木一夫がtalkするように、このステージ、歌は古い。古い歌を古い歌い手が歌い、古~いお客様(笑)が聴く―客席に笑いが溢れる。
 その古~い歌なのだが、その当時よりも、ひどく新鮮に耳に届く歌たちが、2時間余のステージのあちこちに散りばめられている。
 歌たちは新しい歌になっている。アレンジのせいだけではない。当時はわからなかった事が、こんなに遠くまで歩いてきた現在(いま)になって、よ~く(!)わかる。現在(いま)になって、
「この歌はこんなに心に染みる歌だったのか」と思うことも多々ある。
 舟木一夫のデビュー曲の『高校三年生』のB面はブルース調の『水色の人』―当然、当時はその曲の良さがわかるはずもなかったが、現在(いま)、舟木一夫が歌うのを聴くと、心の底に染み入ってくる。
 そういう歌たちがいっぱいである。
 贅沢な時間、贅沢なステージを、私は目にしていることになる。
 それから、金沢のステージでは、もうひとつ―。コーラスがモンシェリーだった、大阪のチーム。
 Concert tour2022は何回かみてきた。が、ふと思い返すと、この構成で、コーラスがモンシェリーだったことはなかった。勿論、西の地域や九州などの公演では、大阪コーラス、モンシェリーが付くが、私はそれを見ていなかったので、concert tour 2022 のモンシェリー版(?)は今年は見ないで終わるだろうと思っていた。金沢公演のこの日、誕生日だった私は、「これもプレゼントのひとつ」と、〞ひとり納得〞(造語)して嬉しくなった。
 かけがえのないものを幾つも受け取った気がする、金沢のこのステージ。歩いてきた人生という旅の中、最高のバースディだった―と、勝手に思い、心から感謝した。


 金沢は、私の執筆の原点(大袈裟!)みたいな場所。十代の終わりから二十代のはじめまで、何回か、金沢・能登を訪れた。冬枯れの能登半島の先端まで行った。晴れた日にはそこから佐渡島が見えると、地元の人が語っていた。そして、そこからのバスは昼過ぎには帰りも行きも無かった。珠洲町まで、冬の茶色の景色の中、時々、雪花の舞う中を歩いた。十八か十九だから、距離も寒さもなんのことは無い(笑)
 そこで見た風景や空気が、その数年後、私の紡いだ物語のあちこちに書き写された。あるいは、金沢の繁華街・香林坊の裏手に一間間口の飲食店が軒を連ねる。そこでひとり、店を営む四十代半ばの女性の何気ない話は、さらに数年後の私の作品の中に登場してきた。
 二十一の頃の学生で世間の荒波などはまだかぶっていないのに、何か、傷ついたような気になっていた仲間たちの中に二・三人の『文学の同志』(おっ!エラそうに)がいた。当然、今はどうしているやら…。
その中の一人の故郷が金沢。冬休みに金沢に帰っていて、私も十八・九のころから訪れている金沢なので、行ってみた。そこで、悔しい思いをして、結構な長い時間、悔しかった。
「なぜ、書くのか」―という議論になって、これだ!という答えを出せなかった。東京に戻ってから、「論破された!」と、なんとも生意気な言い様をして友人に訴えた。
 現在(いま)なら即答できる。
「好きだから」―と。
 書くのが好きだから―それ以外の理由(わけ)はない。「書くのが使命だから」とか、「そんな大それたものではないよ」と、答えるだろうなぁ。

―解き放つ―
 好きなことに全力で向かう。心を、想いをかたむける。
 舟木一夫も数年前に、「歌うことが好きだと気が付いた」と言っていた。だから、好きなことに全力で向かうのだ。それが、少しも苦ではない(はずだ?(笑)
 体力も、あるいは、気力の持続も、若い頃のようにはいかない。けれど、それを超えても、〞好きなこと〞に向かう満ちた心、嬉しさ、幸福感は、若い頃のそれを超える。年齢的に(!)若かった頃、「幸福だ」などとあらためて、言葉にするような思いには至らなかった。
 しかし、現在(いま)は、
「幸福(しあわせ)だ。好きなことに向き合えている」
と、語ることができる。
〞好きなこと〞へ全力で向き合う。それは、或いは、魂(たましい)を解き放つということではないか―と、気がついた。己れの魂が解き放たれる。そして、〞好きなこと〞、〞愛してやまないこと〞に全力で向き合える。そんな幸福は稀有だ。 
 因みに、私は〞好きなこと〞の段階、〞愛してやまないこと〞までは至っていない…なぁ。
「愛してやまないことなのだろう、どんどん書け」―とか、恐ろし~い(笑)

 二時間余のステージ、魂を解き放って、想いを乗せた熱唱。私も、心を解き放って見入る。金沢という地で、あるいは、書くことの原点になったのかもしれないこの地で…。思い(想い)を巡らせながらの唯一無二の時間―。
 昔々の『おなじみの曲』では、涙が溢れるようなタイプの歌ではないのに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうだ。この地を訪れていた頃は、私は、とっくに(!)舟木一夫が大好きだったなぁ―と、今更、思い出し、その頃の自分をも思い出し、ついには、泣き笑い。
 素晴らしいステージだった。嬉しいステージだった。
 そして、『浮世まかせ』の歌に、ここまで歩いてきた道を、全肯定されて、幸福に溢れて、私は会場を後にした。

                                 (2022/10/9)

【追記】ブログとはいえない長い文章となった。区切ることができなかった。
「あ~、これで、金沢がおわってしまった」―と肩を落としている場合ではない。すぐに、静岡公演が来る!ここは、私も友人もオペラグラス持参。中ほどの席でも、私はコンタクトレンズ使用しオペラグラスのお世話になり、友人は「ここまで見栄をはって裸眼できたけれど、もうダメ」―等々、つくづくと年齢を感じる。「中ほどでそれなら、11/1の風アダルトは3階後方だから、望遠鏡を設置しなければ」と私の冗談。いずれにしても、楽しさはつづく。何が起こるか予測のつかなくなってしまった世の中なのに…。大事にしよう、その時間を…。
 そうそう、静岡行きはもうひとつ楽しみがある。新幹線、行きも帰りも、グリーン席!
のぞみ号でないのが、ちょっと、残念だけど、実は、こだま号には、お得な商品がある。
なんと、こだま号のグリーン車は、普通車両の指定席より少し安い。勿論、数に限りがある―という商品だけど。ひかり号の方が20分ほど早いが、「グリーン車などめったに乗れないから、行きも帰りもグリーン車にしよう」と友人Yは大乗り気!(私もだけど(笑)。そう、グリーン車など自費では(!)滅多に乗れない―と、それで、ネットで頑張って座席get! 楽しみ!!
                                    (2002/10/10)