→→「来る年は相当な覚悟が要るだろう」
などと呟いて、しかし、その足もとが定まらないうちに、まだ居て欲しかった人々を亡くして、2016年に放り込まれた。
そんな風に明けた私の新年だった。→→
と先日書いた(風のいたずら林檎)が、そうやって放り込まれた今年は、やっぱり、「相当な覚悟」が要るということが、2016年になって、ひと月しか(ひと月も)経たないうちに、ジワジワと、身に迫ってきていることに気がついた。
そう、わが身の、いや、為政者たちを除く、この国の全ての人々の緊急事態である。
でも、「免罪符」を手にしている財界人やお金に物いわす富裕層は、緊急事態から免れるから、「全ての人々」ではないか。
庶民である。我々である。緊急事態に直面しているのは…。
今年夏、参議院選挙がある。十八才以上から選挙権を有するようになったから、中には、現役高校生も居る。
安倍政権は改憲を公約に掲げることを表明した。
ただ、私たち国民が権力者から自らを守るための日本国憲法のどの条文・条項を変えるのか、明確に答えない。修飾語をいっぱい盛り込んでの得意のゴマカシを駆使する。
都合の悪いことは明確に答えないのは安倍首相の得意技であるが、憲法9条を変えられてはたまらない―と、護憲派の人々も、私たちも、当然、思っている。しかし、9条だけに目を奪われていては、それこそ、我等にとっての「緊急事態」が迫っている事を見落とす。
そう、国会答弁の中でも、政権側がしばしば、口にする「緊急事態条項」―北朝鮮が水爆実験を行ったとか、中国が東シナ海を…云々とか、それらを、まるで、「口実」のように使用して、
「国民の命と安全を守るために…」
と続ける。
確かに、この国を取り巻く、(いや、世界中が)状況は、以前のように、穏やかな時間が流れる―というわけにはいかなくなっている。
世界中が力(武力)によって、違う意見を抑え込もうとしている。だから、国交断絶、戦争―等々。人類は「言葉」と言う宝を手にしているのに、幼稚で劣化した指導者たち、為政者たちは言葉を使うことを忘れて、武力を使うようになった。
それは、「平和国家」として国際的にも認識されてきたこの日本においても、同じだ。
昨年、曲がり角を大きく曲がって、Uターンしたから、この国はもはや「平和国家」ではない。
そして、その「平和国家」ではなくなった日本の現政権は、憲法改憲の前に、目論んでいることがある。
憲法9条の改憲には抵抗する人々が多いから、その前に、
「作ってしまおう」
と企んでいるのが、「緊急事態条項」―。
これが、新設されたら、それこそ、私たちには、緊急事態である。
Photo 雑誌「DAYS JAPAN 2月号」は「2016年をどう生きるか」というメッセージ特集を組んでいた。
そこに、自民党が改憲で新設しようとしている「緊急事態条項」についてのメッセージがあった。
それで、私たちの緊急事態が身に迫っていることに、あらためて気がついたのだ。
緊急事態条項―他国(外部)からの武力攻撃・内乱、自然災害が起きた時、総理が「緊急事態宣言」を発動できるようにするもの。
これは、よその国でも、よく見かける(?)状況だ。
そのあとが、問題。
●内閣は国会の承認なしに法律と同等の効力を有する政令を制定できるようになる→内閣が立法権を手中にする。
●すべての国民は「国、その他公の機関の指示に従わなければならない」と条項には明記されている→国家権力に国民が徹底的な服従を強いられることが、憲法に定められる。
●緊急事態が宣言→国民の各基本権停止。公権力が制限なく全権を振るう。国会は完全に形骸化。言論報道機関も統制。行政府が立法府を兼ね、法律と同じ効力を持つ政令を国会にはかることなく乱発でき、予算措置も取れ、期間の延長もできる、事実上無制限の権力行使が可能となる。
「本当に、それこそ、我々にとっての緊急事態だ!」
と思った。
この国は、70年前、民主国家への道を歩み始めたのではなかったのか。
世界中の人々に迷惑(!)をかけて、多くの若い命を犠牲にして、ようやく、手に入れた民主主義、平和憲法ではなかったのか―と、憤りが胸を苦しくさせる。
「なんて、愚かな馬鹿な奴らが政権を握っているものだ」―と、怒り、次に
「なんて、愚かな国民たちだ」―と、それでも、内閣の支持率が下がらないことに怒り…である。
マァ、この支持率というヤツも、当てにはならない。ランダムに電話をかけて(うちにもかかってきたことがある)、そのうちの半数ほどか、それ以下の回答を得た―というが、そもそも、電話がかかった件数も5000件を上回ることはない。この国の有権者の数を考えれば、何とも少数過ぎる数で、その答で「支持率が」―云々の判断は本当は正しくない。
『DAYS JAPAN』では、この条項を「万能の切り札」とあった。(以下)
《 自民党の改憲草案における緊急事態条項は、いわばジョーカーのような万能の切り札である。
安倍政権は、これさえ手に入れてしまえば憲法9条の改正すら必要ない。
護憲派は、9条改正という「本丸」にばかり目が行き、「隠れ本丸」である、この緊急事態条項への警戒を怠っている。
メディアも知識人も、事の重大性に気づいていないし、周知しようともしていない。油断のうちにこの改憲発議を通してしまっては、取り返しがつかないことになる。》
本当に、私たちの緊急事態なのである。
《 現状、この緊急事態条項に対する危機意識は、国民のあいだにほとんど共有されていない。
一方で、与党やおおきか維新の会、日本のこころを大切にする党(次世代の党から改名)などいわゆる「改憲勢力」は、改憲発議に必要な3分の2の議席数を、衆議院では与党だけですでにクリアし、参議院では残すところ10議席程度だ。
野党の政治家や市民団体は、近い将来の9条改正阻止だけでなく、目の前に迫る危機である緊急事態条項に対しても徹底的に警鐘を鳴らし、改憲勢力による3分の2阻止を掲げて、来る選挙戦に臨むべきである。 (岩上安身(ジャーナリスト)》
と、このメッセージは結んであった。
『この緊急事態条項に対する危機意識は、国民のあいだにほとんど共有されていない。』―このことが緊急事態だ。
本当に、今年は大変な年なのである。
国民にとっての、緊急の一年なのである。
そうして、2017年以降も、私たちの緊急事態は続くだろう。
さらに、国は、我々から搾取はするが、我々を救いはしない。弱者と貧困層を救おうという思いや計画は、今もないが、ますます、無くなっていく。軍事費がどんどん拡大していくから、貧困層に回す分は無い。
為政者の犠牲になる、そういう来年以降を望むのか―やはり、今年は昨年以上に目をしっかりあけて、為政者たちを監視し、行動しなければいけない一年になる。
実に、大事な大事な一年となる。
曲がってしまった曲がり角をまた、Uターンして、平和国家に戻らなくては…。
などと呟いて、しかし、その足もとが定まらないうちに、まだ居て欲しかった人々を亡くして、2016年に放り込まれた。
そんな風に明けた私の新年だった。→→
と先日書いた(風のいたずら林檎)が、そうやって放り込まれた今年は、やっぱり、「相当な覚悟」が要るということが、2016年になって、ひと月しか(ひと月も)経たないうちに、ジワジワと、身に迫ってきていることに気がついた。
そう、わが身の、いや、為政者たちを除く、この国の全ての人々の緊急事態である。
でも、「免罪符」を手にしている財界人やお金に物いわす富裕層は、緊急事態から免れるから、「全ての人々」ではないか。
庶民である。我々である。緊急事態に直面しているのは…。
今年夏、参議院選挙がある。十八才以上から選挙権を有するようになったから、中には、現役高校生も居る。
安倍政権は改憲を公約に掲げることを表明した。
ただ、私たち国民が権力者から自らを守るための日本国憲法のどの条文・条項を変えるのか、明確に答えない。修飾語をいっぱい盛り込んでの得意のゴマカシを駆使する。
都合の悪いことは明確に答えないのは安倍首相の得意技であるが、憲法9条を変えられてはたまらない―と、護憲派の人々も、私たちも、当然、思っている。しかし、9条だけに目を奪われていては、それこそ、我等にとっての「緊急事態」が迫っている事を見落とす。
そう、国会答弁の中でも、政権側がしばしば、口にする「緊急事態条項」―北朝鮮が水爆実験を行ったとか、中国が東シナ海を…云々とか、それらを、まるで、「口実」のように使用して、
「国民の命と安全を守るために…」
と続ける。
確かに、この国を取り巻く、(いや、世界中が)状況は、以前のように、穏やかな時間が流れる―というわけにはいかなくなっている。
世界中が力(武力)によって、違う意見を抑え込もうとしている。だから、国交断絶、戦争―等々。人類は「言葉」と言う宝を手にしているのに、幼稚で劣化した指導者たち、為政者たちは言葉を使うことを忘れて、武力を使うようになった。
それは、「平和国家」として国際的にも認識されてきたこの日本においても、同じだ。
昨年、曲がり角を大きく曲がって、Uターンしたから、この国はもはや「平和国家」ではない。
そして、その「平和国家」ではなくなった日本の現政権は、憲法改憲の前に、目論んでいることがある。
憲法9条の改憲には抵抗する人々が多いから、その前に、
「作ってしまおう」
と企んでいるのが、「緊急事態条項」―。
これが、新設されたら、それこそ、私たちには、緊急事態である。
Photo 雑誌「DAYS JAPAN 2月号」は「2016年をどう生きるか」というメッセージ特集を組んでいた。
そこに、自民党が改憲で新設しようとしている「緊急事態条項」についてのメッセージがあった。
それで、私たちの緊急事態が身に迫っていることに、あらためて気がついたのだ。
緊急事態条項―他国(外部)からの武力攻撃・内乱、自然災害が起きた時、総理が「緊急事態宣言」を発動できるようにするもの。
これは、よその国でも、よく見かける(?)状況だ。
そのあとが、問題。
●内閣は国会の承認なしに法律と同等の効力を有する政令を制定できるようになる→内閣が立法権を手中にする。
●すべての国民は「国、その他公の機関の指示に従わなければならない」と条項には明記されている→国家権力に国民が徹底的な服従を強いられることが、憲法に定められる。
●緊急事態が宣言→国民の各基本権停止。公権力が制限なく全権を振るう。国会は完全に形骸化。言論報道機関も統制。行政府が立法府を兼ね、法律と同じ効力を持つ政令を国会にはかることなく乱発でき、予算措置も取れ、期間の延長もできる、事実上無制限の権力行使が可能となる。
「本当に、それこそ、我々にとっての緊急事態だ!」
と思った。
この国は、70年前、民主国家への道を歩み始めたのではなかったのか。
世界中の人々に迷惑(!)をかけて、多くの若い命を犠牲にして、ようやく、手に入れた民主主義、平和憲法ではなかったのか―と、憤りが胸を苦しくさせる。
「なんて、愚かな馬鹿な奴らが政権を握っているものだ」―と、怒り、次に
「なんて、愚かな国民たちだ」―と、それでも、内閣の支持率が下がらないことに怒り…である。
マァ、この支持率というヤツも、当てにはならない。ランダムに電話をかけて(うちにもかかってきたことがある)、そのうちの半数ほどか、それ以下の回答を得た―というが、そもそも、電話がかかった件数も5000件を上回ることはない。この国の有権者の数を考えれば、何とも少数過ぎる数で、その答で「支持率が」―云々の判断は本当は正しくない。
『DAYS JAPAN』では、この条項を「万能の切り札」とあった。(以下)
《 自民党の改憲草案における緊急事態条項は、いわばジョーカーのような万能の切り札である。
安倍政権は、これさえ手に入れてしまえば憲法9条の改正すら必要ない。
護憲派は、9条改正という「本丸」にばかり目が行き、「隠れ本丸」である、この緊急事態条項への警戒を怠っている。
メディアも知識人も、事の重大性に気づいていないし、周知しようともしていない。油断のうちにこの改憲発議を通してしまっては、取り返しがつかないことになる。》
本当に、私たちの緊急事態なのである。
《 現状、この緊急事態条項に対する危機意識は、国民のあいだにほとんど共有されていない。
一方で、与党やおおきか維新の会、日本のこころを大切にする党(次世代の党から改名)などいわゆる「改憲勢力」は、改憲発議に必要な3分の2の議席数を、衆議院では与党だけですでにクリアし、参議院では残すところ10議席程度だ。
野党の政治家や市民団体は、近い将来の9条改正阻止だけでなく、目の前に迫る危機である緊急事態条項に対しても徹底的に警鐘を鳴らし、改憲勢力による3分の2阻止を掲げて、来る選挙戦に臨むべきである。 (岩上安身(ジャーナリスト)》
と、このメッセージは結んであった。
『この緊急事態条項に対する危機意識は、国民のあいだにほとんど共有されていない。』―このことが緊急事態だ。
本当に、今年は大変な年なのである。
国民にとっての、緊急の一年なのである。
そうして、2017年以降も、私たちの緊急事態は続くだろう。
さらに、国は、我々から搾取はするが、我々を救いはしない。弱者と貧困層を救おうという思いや計画は、今もないが、ますます、無くなっていく。軍事費がどんどん拡大していくから、貧困層に回す分は無い。
為政者の犠牲になる、そういう来年以降を望むのか―やはり、今年は昨年以上に目をしっかりあけて、為政者たちを監視し、行動しなければいけない一年になる。
実に、大事な大事な一年となる。
曲がってしまった曲がり角をまた、Uターンして、平和国家に戻らなくては…。