アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

メッセージ、とどく

2021-07-21 | 世情もろもろ
 メッセージがとどいた、大切な人から….

 一年以上前からの新型コロナウイルスを相手の日々、負け続き。
 たくさんの大事な日常を失った、そんな日々を、もう一年半―。
 終わる気配は全く無く、この四月以降、知り合い、知人の訃報が届く。コロナで逝った人もいた。
 時々は心が折れそうになった。
 ふいと、自分のやることを見失いそうな日々もある。いや、見失うのではなく、そこから目をそらしたのか….
 そんな中での、この年の春からここまで、
「メッセージ…なのか」
と、自分の思考に問いかける。
「メッセージなのか」
と、その人に問いかける。
 いや、確かにメッセージだと確信してきた。
「俺もやる、お前もやれ」
と、メッセージがとどく。
 春からのそんな『思ったこと』を、友人Yに話した。
「俺もやる、お前もやれ」 
と、そんなメッセージがとどいているのだ―と、彼女に語る。
「お前もお前のやることをやれ」
と、メッセージが語っているのだ―と。
「きっと、そういうことなのだ、俺もやる、お前もやれ…と」
そうやって話した私の言葉の後に、Yは、
「終わるときは一緒だ」
と、つづけたので、
「おいおい」
と、幾分あわてて、
「終わるとき…一緒か」
と、問い返し、
「マァ、それでも、いいか」
と、思い至る。

 コロナ禍はまだ、つづく。為政者たちが見当外れなことばかりしているから、余計に、収まる気配は無い。
 その『見当外れ』の最たるものが、まもなく始まる。
 平常時なら、どれほどか心躍る日々がそこに在るはずだったのだが….
 海外のメディアからも、「一大感染イベント」などと揶揄されて、まもなく、始まる。
 不安、恐怖、そして、分断が、今、この国に広がっている。
 けれど、下は向くまい。
 下を向いて、「気持ちが折れる」などと言っている時間は、本当は、もう無いのだった。
「俺はやる、お前もやれ」
と、大切な人のメッセージ。
終わるときは一緒…かどうかはわからないけれど、私は、自分のやることから、もう、目を逸(そ)らすまい。


(追記)なぁんて、エラそうに言っていても、「疲れた~、コロナめ! 心が折れる」とか、泣き言を言うのだ、私は(笑)。
 でも、心の底は、メッセージを忘れないから、大丈夫だろう(「大丈夫と言い切れ」と、言われそうだ(笑)


あの言葉はどこへ行ってしまったのか

2021-07-12 | 世情もろもろ
 同じことがずっと繰り返されて、何も解決せずに、むしろ、状況はさらに悪化。
 そんな中での五輪開催。
 主権者の国民が、かなりの割合で反対する中での開催。
 コロナウイルスはどんどん変異して、以前、都知事が唱えた「with コロナ」ではなく、もう、「on the コロナ」という日常になってしまった。
 我々は、選ぶこともできずに、コロナの上で生活している、生きている。
 コロナとの戦い…残念ながら、ここまでは、負け続きだ。
 そんな中での五輪開催。来週には開会式だ。

 私はずっと、思い続けてきた。
「あの言葉はどこへ行ってしまったのか?」
と。
 もっとも、自分の言葉に責任を持たない為政者たちだから、
「責任は私にある」
「任命責任は私にある」
などなど、そんな言葉を前政権でもよく耳にした。
 しかし、そう言いながら、彼らが責任を取ったことは一度もない。
「責任は私にある」
 そう言葉にすれば、それで、責任をとった気になっているのかもしれない―もう長いこと、そんな言葉とその後の対処、身の振り方(何も変わらない)をみていると、きっと、そうなのだろう。

 けれど、そんな政府が、コロナ蔓延の状況下で、東京五輪開催へまっしぐら。
 変節ばかりの政府にしては、これだけは、国民の願いに見向きもせず、言葉を聞きもしないで、暴走状態。誰一人としてブレーキを踏まない。
 自民、公明の与党議員たち全員が、暴走を許しているのか、
「心のある与党議員は一人もいないのか」
と、疑問が沸く。
 が、
「そうか、反対したら、選挙の時に公認が、もらえいからね~」
と、あきれて、思い至る。
「総選挙で仕返ししてやる」
と思う。たった一票だけど、ね。
「ここまでの事を忘れないで総選挙で仕返ししましょう、皆さん」―という70歳女性の新聞投稿があった。

 それで、タイトルの「あの言葉」の話。
「総理、あの言葉はどこへ逝ってしまったのか?」
これが、正しい(?)タイトル。
「国民の命と健康を守るのが私の責務で、大前提です。その大前提が崩れたら、(五輪は)やめます」
 今や、言った本人も与党議員も忘れてしまっているだろう、この言葉。
 総理は国会でも、その後の党首討論でも、これを言った。
「この状況下で五輪を開催する理由は何ですか」
と、何度も問う野党党首の質問に、1964年の東京五輪の「思い出話」で時間を稼いだ。
そして、その時も、食い下がる野党党首の質問には答えずに、
「開催の理由なんかないから、答えられないよなぁ」
と、思いながら見ていた私の耳に、また、出た!
「国民の命と健康を守るのが私の責務で、大前提です。その大前提が崩れたら、やめると言っているでしょう!」

「その大前提は崩れているのです、総理」
「あの言葉はどこへ行ってしまっただろうか」
などなどの言葉が、私の頭をグルグル巡りながら、五輪の開会式がまもなくだ。
 あまりに楽観的な為政者たちの下で。
 リーダーは、常に最悪の状況を考えて置かなければならないという当然の事をすっかり忘れて、いや、最初から、その思考は無いのかもしれない前政権も現政権も…その下で、海外では、『一大感染イベント』などと揶揄された五輪が、始まる。
 とても怖くなる。
 九月をどのように迎えることになるのか、ふと思い巡らすと、本当に、怖くなる。