2022年5月20日~22日、京都南座に於ける三日間の公演が昨日、無事に終わった。『満員御礼』の大盛況のうちに…。つい「無事に」と綴ってしまうのは、世の中がもう三年も、混乱、困惑の状態だから…。
私は、初日と二日目を観た。
『千年王城の地』という京都には、『魔』が棲むというけれど、『魔』は必ずしも悪いものばかりではなく、良い『魔』に援(たす)けられて、良い不思議な出来事に遭遇しての二日間(?)だったかな?
何よりも『恋唄』を聴くことができた。
『恋唄』について、数年前に、「音楽素人(しろうと)」の身で、勝手な想いを書き綴ったことがある。
歌は、想いを連れていく。人それぞれのいろいろな場へ、様々な想い出の中へ…。
『恋唄』の三コーラスの歌詞(上田さん作詞、つまりご本人の作詞)のすべてが、風景を脳裏に運んでくる。
♪想い出つもるふるさとに昔あずけた恋ひとつ♪ ―置いてきた恋のふるさとが、脳裏に訪れる。太平洋側ではなく、日本海側の、北陸か、あるいは、山陰あたりか。金沢は昔も昔なりに都会だから、能登の方…か。そんな風に、私の脳は勝手に想いを飛ばす。
2コーラスの♪あなたがとても好きだった竹の葉末の露のいろ♪と、舟木一夫の歌う声がとどけば、その露の清々とした様も、遠くから届いてくるようだ。
そんな『恋唄』を聴くことができた。それが、とにかく、二日間の山ほど嬉しかった出来事のひとつ…か。
そして、出来事といえば、先に書いた『千年王城の地に棲む魔』―時々、いたずらをする。
私は、四条大橋はほとんど通らない。理由は単に人が多いから、混んでいるから(笑)。
二年前の二月、この時も、南座に於ける舟木一夫theater concert―。二日目の帰りは月がのぼる時刻になっていた。四条大橋より下る団栗(どんぐり)橋を渡りながら、のぼってきた月を見た。まん丸、まっ黄色、大きな月。友人と、「きれいだね~」と、少しだけ眺めて四~五歩歩いて、再度、月を見たら、かなり上まで登っていた。
「!!」
「月、あんなに早い速度でのぼるのだっけ?」
あっという間に真上。
「京は、魔が棲むからね」
と、いい加減なひと言で片付けて、少し、怖くなった気持ちを振り払って、団栗橋を渡ったが、あの時の、きれいな綺麗な、まっ黄色の大きな月は二年たっても忘れられず…。
しかし、『魔』の方からしたら、「人間の方がよほどこわいよ」と、言うかもしれない(笑)
二部構成の今回のtheater concertは、先にさんざん書き立てた(笑)『恋唄』ばかりではなく、全てが素晴らしかった。「素晴らしい」という表現が当たっている。舟木一夫は「素敵だった」けれど、ステージの全部を言葉にするなら、「素晴らしかった!」とその言葉が最初に出てくる。
そして、そのステージの中で、私は、コーラスにも感動してしまった。
モンシェリーというこのコーラスグループ(?)は、いつも、パワー全開で、それは、観ていて気持ちよいくらいに元気いっぱいだ。
ほかの人々のコンサートやライヴでも、コーラスに感動するということはなかった。申し訳ないけど、何となく聴いているといった風だったのだけど、澄んだ歌声が会場に響いた時、「!!」―。顔が見たくなって(コーラスの方々、ごめんなさい)、一日目は前方の席、この二日目は後方の席だったので、持参していたオペラグラスを覗いてしまった。
「歌うのが大好きだ」という表情(かお)だった。
プロに対してこういう言い方をしては、失礼かもしれないが、ひたむきな、一生懸命な心が伝わってきた。何よりも、とても楽しそうで、こちらも楽しい気持ちになってくる。
一緒に観ていた友人も同じように感じて、
「コーラスに感動したのは、初めてだよね~」―と。
歌に対する思いがまっすぐだ。
「歌うのがものすごく好きなんだ」
と、それは、当たり前かもしれないが、何しろ、『音楽素人』の私だから、やっぱり、自分勝手にそうやって思ったりした。
思ったそのことに自分でも感動して、スタンディングの時は、モンシェリーの彼女たちの手の動きを真似して(笑)、手を振り上げてしまった(笑)
三日目を観た友人が、帰宅の道すがら、この日も、素晴らしかったステージの様を電話してきた。
今は、まず、このステージに関わったすべての人に、お疲れさまでした、ありがとう―と、伝えたい。力いっぱいの拍手とともに…。
来年もまた、南座の公演が開催されたら行こう。優しい『魔』たちに、また、良い出来事をもらいに…。
(2022/5/23)
【追記】京都から戻り、何をしたか、ネットで、チケット販売のぴあをみて、5/30のconcert tour2022~群馬県高崎市公演の残チケットをみた(笑)。ぴあでの「販売枚数終了」、がっかり(笑)。
高崎公演を観にいく友人がいる。「行かれなかったらチケット、まわすね」と言っていた彼女は、南座の2日目と千穐楽を観た。そして、今では、「這ってでも行く」と、気持ちが変わっていた。(残念だ!いや、「行かれそうでよかったね」と、いわなければならないだろう(笑)。
七月待ち・・かな。七月は、はじめの方から、楽しみのある月。
6月は、仕事するぞ~!
もう楽しみがないと仕事ができなくなったか?いや、そんなことはないよ―と、自己弁護、言い訳。
(2022/5/24)
私は、初日と二日目を観た。
『千年王城の地』という京都には、『魔』が棲むというけれど、『魔』は必ずしも悪いものばかりではなく、良い『魔』に援(たす)けられて、良い不思議な出来事に遭遇しての二日間(?)だったかな?
何よりも『恋唄』を聴くことができた。
『恋唄』について、数年前に、「音楽素人(しろうと)」の身で、勝手な想いを書き綴ったことがある。
歌は、想いを連れていく。人それぞれのいろいろな場へ、様々な想い出の中へ…。
『恋唄』の三コーラスの歌詞(上田さん作詞、つまりご本人の作詞)のすべてが、風景を脳裏に運んでくる。
♪想い出つもるふるさとに昔あずけた恋ひとつ♪ ―置いてきた恋のふるさとが、脳裏に訪れる。太平洋側ではなく、日本海側の、北陸か、あるいは、山陰あたりか。金沢は昔も昔なりに都会だから、能登の方…か。そんな風に、私の脳は勝手に想いを飛ばす。
2コーラスの♪あなたがとても好きだった竹の葉末の露のいろ♪と、舟木一夫の歌う声がとどけば、その露の清々とした様も、遠くから届いてくるようだ。
そんな『恋唄』を聴くことができた。それが、とにかく、二日間の山ほど嬉しかった出来事のひとつ…か。
そして、出来事といえば、先に書いた『千年王城の地に棲む魔』―時々、いたずらをする。
私は、四条大橋はほとんど通らない。理由は単に人が多いから、混んでいるから(笑)。
二年前の二月、この時も、南座に於ける舟木一夫theater concert―。二日目の帰りは月がのぼる時刻になっていた。四条大橋より下る団栗(どんぐり)橋を渡りながら、のぼってきた月を見た。まん丸、まっ黄色、大きな月。友人と、「きれいだね~」と、少しだけ眺めて四~五歩歩いて、再度、月を見たら、かなり上まで登っていた。
「!!」
「月、あんなに早い速度でのぼるのだっけ?」
あっという間に真上。
「京は、魔が棲むからね」
と、いい加減なひと言で片付けて、少し、怖くなった気持ちを振り払って、団栗橋を渡ったが、あの時の、きれいな綺麗な、まっ黄色の大きな月は二年たっても忘れられず…。
しかし、『魔』の方からしたら、「人間の方がよほどこわいよ」と、言うかもしれない(笑)
二部構成の今回のtheater concertは、先にさんざん書き立てた(笑)『恋唄』ばかりではなく、全てが素晴らしかった。「素晴らしい」という表現が当たっている。舟木一夫は「素敵だった」けれど、ステージの全部を言葉にするなら、「素晴らしかった!」とその言葉が最初に出てくる。
そして、そのステージの中で、私は、コーラスにも感動してしまった。
モンシェリーというこのコーラスグループ(?)は、いつも、パワー全開で、それは、観ていて気持ちよいくらいに元気いっぱいだ。
ほかの人々のコンサートやライヴでも、コーラスに感動するということはなかった。申し訳ないけど、何となく聴いているといった風だったのだけど、澄んだ歌声が会場に響いた時、「!!」―。顔が見たくなって(コーラスの方々、ごめんなさい)、一日目は前方の席、この二日目は後方の席だったので、持参していたオペラグラスを覗いてしまった。
「歌うのが大好きだ」という表情(かお)だった。
プロに対してこういう言い方をしては、失礼かもしれないが、ひたむきな、一生懸命な心が伝わってきた。何よりも、とても楽しそうで、こちらも楽しい気持ちになってくる。
一緒に観ていた友人も同じように感じて、
「コーラスに感動したのは、初めてだよね~」―と。
歌に対する思いがまっすぐだ。
「歌うのがものすごく好きなんだ」
と、それは、当たり前かもしれないが、何しろ、『音楽素人』の私だから、やっぱり、自分勝手にそうやって思ったりした。
思ったそのことに自分でも感動して、スタンディングの時は、モンシェリーの彼女たちの手の動きを真似して(笑)、手を振り上げてしまった(笑)
三日目を観た友人が、帰宅の道すがら、この日も、素晴らしかったステージの様を電話してきた。
今は、まず、このステージに関わったすべての人に、お疲れさまでした、ありがとう―と、伝えたい。力いっぱいの拍手とともに…。
来年もまた、南座の公演が開催されたら行こう。優しい『魔』たちに、また、良い出来事をもらいに…。
(2022/5/23)
【追記】京都から戻り、何をしたか、ネットで、チケット販売のぴあをみて、5/30のconcert tour2022~群馬県高崎市公演の残チケットをみた(笑)。ぴあでの「販売枚数終了」、がっかり(笑)。
高崎公演を観にいく友人がいる。「行かれなかったらチケット、まわすね」と言っていた彼女は、南座の2日目と千穐楽を観た。そして、今では、「這ってでも行く」と、気持ちが変わっていた。(残念だ!いや、「行かれそうでよかったね」と、いわなければならないだろう(笑)。
七月待ち・・かな。七月は、はじめの方から、楽しみのある月。
6月は、仕事するぞ~!
もう楽しみがないと仕事ができなくなったか?いや、そんなことはないよ―と、自己弁護、言い訳。
(2022/5/24)