アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

『芸術』 ―舟木一夫 ふれんどコンサート №84

2023-06-16 | 世情もろもろ
 2023年6月12日、シビックホール(東京都文京区)で開催。
 前回の一文には、84回目の…という事に、「!」をいくつかつけた。
 そして、実際に観た後の「!」は、その回数もさることながら、〞中身〞に、「!」を山ほどつけたかった。
 『ふれんどコンサート』と、例年秋に開催される『風アダルトに』コンサートには、普段、あまり、聴くことができない歌が並ぶ。それ故に、「貴重なコンサートだ」と、私はずっと思ってきた。毎回、楽しみにしていた。
 そして、聴く機会の少ない歌たちは、ステージ側も、歌う機会が少ない、演奏することが少ない歌―という事になる。
「舟木一夫とそのチームは大変だ」という事にもなる。
 歌詞を覚える(思い出す)だけでも、大変だ。
 バンドは楽譜を見て演奏するから、歌う人よりは、少し、「大変さ」が減るかな、それでも、減るのは、その部分だけ。
 その大変の後に、出来上がったものを、私は、私たち観客は、観るだけ―あまり、大変さは無いような(笑)、何だか、無責任~(笑)
 4月25日の『さようなら 中野サンプラザ 舟木一夫コンサート』の第一部、「輝さんのおもかげ」と題して、西郷輝彦さんの歌10曲をフルコーラスで、歌い切って,観るこちらは、胸熱く涙がこみあげた。その後、新聞のインタビューで、舟木一夫は
「ひと月くらい前から、猛練習した」
と、答えていた。
 その時、「そんなに猛練習したことは初めてでは? 自分の歌よりも練習したかも」―などと、失礼なことをちょっと呟いてしまった(舟木さん、ゴメン!)。でも、呟いたあとから、盟友へのこの人の想いに、ふわりと心が温かくなった。
 そして、今回の『ふれんどコンサート』―ステージ上に、歌詞カード無し。Concert tourや各劇場でのtheater concertと同じ。
 歌うことが少ない歌たちを、22曲(だったと思う、相変わらずいい加減な私(笑)、「歌った」というより、歌い切った! 
「耳さわりの良い声で、歌ってくれた」「耳も、心も、喜ぶ爽やかな声がとどいた」―と、〞音楽素人〞の相変わらずの無責任な感想。しかし、思ったまま、感じたままの感想(自己弁護は忘れない私(笑)。
 頭の中の引き出しの数は無限大なのか、この人は…!
 数少ない引き出しであっても、年齢を経ると、引き出しの中身の確認さえできない(思い出せない)というのに、やっぱり、miracle singer だ。とは、言っても、miracle(奇跡)は自身の努力や心の在りどころが創るものだ。長い旅路の中で、この人が掴んだものだ。
 歌への思いを語ったことがあった。歌うことが好きだと気付いた―と。
そう、歌が好きで好きでたまらない人なのだ。だから、歌っている時の笑顔、ステージに立っているときの表情は、とても幸福そうだ。
 そういう人が、「まだやりたい事がある」―という。その『やりたい事』のその端っこが、少~し見えた気がする、いや、見えたように感じた、このステージだった。
 が、「やりたい事」の本当の中身は、本人の無限大の引き出しの中だ。どのように形を成してくるか。やはり、見つめているしかない、以前ほどは長くはないだろうけど、まだ、つづくこの旅の向こうを…。

 途中(一部、二部の間?)、バンドの演奏があり、(インストゥルメンタル instrumental)それも、素晴らしかった。
全てに、素晴らしいステージだった。ステージすべてを通して、もはや、これは、「芸術」だ―と思った。
エンターテイメントというより芸術だ―と。
エンターテイメントで収まり切れない何か、すごいものがそこに在(あ)る、居る気がした。
この先に何が在るのか、やはり、それは、先に書いた「まだやりたい事」に繋がるのだろう。
舟木一夫、いや、上田成幸氏(本名)の創る空間を、せめて私は、心根を高く持って見つめていこうか。
様々な出来事は、幾つになっても、いつになっても、次々と姿を現してくるものだが、そのレベルに自分を落とすこともない。心を高く、目を高く、想いを高みに、まだ、歩いていこうか、きっと、素晴らしいものに出会えるに違いない。

                                  (2023/6/16)


【追記】このふれんどコンサートの会場に収録のカメラが何台か入っていた。いずれ、DVDになる。これは楽しみだ。このステージは、残すべきステージだった。(おっ!エラそうに)

 梅雨、早く終わらないかなぁ―と、その次にくる灼熱地獄を忘れて、つい思う。雨の降り方が尋常ではない、叩きつけるような降り方をするから、ものすごくたくさんの実を付けてくれた我が家の富有柿も、例年以上に、実が落ちる。2~3センチの大きさになってからはあまり落ちないはずだったのに…。もう落ちるなよ~。
                                  (2023/6/16)





 


 


まだやりたいことが…、舟木一夫 in 京都南座。そして、諸々、追記…。

2023-06-11 | 世情もろもろ
 タイトルの南座theater concert(5/26~5/28)から、あっという間に二週間以上が過ぎた。その二週間の間に、舟木一夫のステージはタイプの違う『ふれんどコンサート』(大阪)と、久しぶりのconcert tour 2023のステージ(名古屋)が開催されたが、私は観ていないので、頭の中は、再度のブルースの占領が、京都以来続いている。
 やはり、ブルースは強い。いや、ブルースがずっと、脳内に残っているのは、それが「良い歌」だからだ。そして、そう思うことができるくらい、年齢を経た。若い年代だったら、舟木一夫が歌の合間のtalkで言ったように、
「ボーっと聴いていてください。ボーっと聴いて、ぐっすりお休みください」(笑)
の言葉に素直に(笑)従って、ぐっすり??(そんな失礼な事?!)。
 3月の新橋演舞場のtheater concert以来、ブルースが頭の中に、舟木一夫の声でず~っと流れていたことを書いた。その後のステージで、それは、薄まった(?)けど、また、色濃く復活!
 京都から戻ると、行く前に置いていった問題はそのまま待っていて、それらプラス1や2、3やらで、多忙に過ごして、ふと、気が付けば、『ふれんどコンサート No・84』(東京)が、明日に迫っている! この自主的なステージ、84回目! すごい! 
そして、それ以上に驚愕したのは、南座の千穐楽のステージ、そのtalkの中のひと言。
「まだ、やりたいことがあるので」
と言った。その、ひと言。聞いた瞬間、私は、
「やった!よ~し、私も頑張るぞ!」
と、胸内で拳を突き上げた…のではなく、
「エエ~っ!」
と、驚きが先。こちらが先だったことは、年をとった証拠か?!(なさけない~)
 まだ、やりたい事がある、それを私は楽しみにして…云々より先に、
「私などは、新たな挑戦をするパワーはもう無いよ。大きい問題が起きた時の受け止め方が、以前とは変わった。メンタル面のパワーは無くなった」
―云々、ブツブツ自分に文句言い…である(笑)しかし、
「私も、まだやりたいことは、あるのだった」―と思い出した大切な事がある(まだ、非公開??)
「まだやりたいことがある」―これは(この思いは)ものすごく大切な事だ。こんなに遠くまで歩いて来た、それでも、この思いがある。
 思いは、希(のぞみ)、思いは力(エネルギー)―この先の道を歩いていくための源になる。
「やっぱりこの人は凄い人だ。怪物のような人だ(笑)」
と、怪物呼ばわりして、いや、「miracle singerだ」と訂正した。
「miracle singer」「he is genius」挙句は、「japanese superstar」と、南座の出口で、この建物を珍し気に見上げていた欧米人観光客の少し高齢夫婦に、一生懸命、説明、いや、Mr.Kazuo Funakiの宣伝をしたことを思い出して、一人、大笑い。
 彼らは中に入って、ステージを観たいといったけど、「sold out」もう一人も入れない、「full house」―?
「search him on google」(ネット、グーグルなどで彼を検索してみてください)
帰国してから、「日本に素晴らしいsingerがいたよ」とか、言ってくれたらいいな―と、ちょっと楽しい夢をみて、「Thank you it was fun」(ありがとう、楽しかった)と。
『Mr.Kazuo Funaki is miracle singer and genius(天才)and japanese superstar』と記憶して、国に帰ってくださいね~みたいな冗談のような、でも、半分は本気(!)の気持ち。
 なぜなら、本当に、これは、miracle(奇跡)だから。
 そのmiracleは、まだ、続く。「まだやりたいことがある」から…。
 それならば、それを、まだ、見つめていよう―と、我が身を顧みずに思う。(顧みたら、体力、もしかしたら、知力も?それらの低下にがっくりくる(笑)

 そして、明日は先に書いたように、『ふれんどコンサート』、大活躍のオペラグラスを持って、しっかり、歌を聴いて、脳内のブルースが薄まるか(笑)。



【追記】日本には自由はあるが、民主主義は無い。香港には自由は無いが民主主義はある―という一文を目にした。香港人は民主主義を理解しているが、自由は無い。これは、中国の弾圧(まさに弾圧)をみればわかる。翻って、日本には自由はあるが、民主主義を理解している国民はいかほどだろうか―と疑問が沸く。
 世界の民主国家は年々減っている。じつは、独裁国家の方が民主国家より多いのが現状だ。
強い独裁者の下で、全部任せて暮らすのは楽かもしれない、が、それは、そのリーダーが、真のリーダーたる資質を持っている場合だけで、残念ながら、独裁国家にも民主国家にも、現在、真のリーダーは、誰ひとりとしていない。だから、世界がこんなになっている。
 民主主義はものすごく壊れやすい。日本では、もう、相当、壊れている。それは、現政治の様々な案件に対してのやり方を見れば一目瞭然。
 『自由があると民主主義が守られているように思えるが、投票率が下がり、政治には期待できないという諦めが大きくなれば、民主主義は簡単に崩壊し自由もなくなるだろう』
と一文にもある。
 現首相が爆発物を投げつけられた。一斉に、与党に限らず、野党議員それぞれも、マスコミも「民主主義に対する力による攻撃は決して許されるものではない」と、口をそろえる。その時、私は、つい、思った。
「その言葉をそっくり、そのまま、政府と与党の皆さんにお返ししたい。国会の審議を経ずに大事な案件を、閣議だけで、国民の見えないところで、さっさと決めていくこの行為は、民主主義をないがしろにしていることではないのか」
と。でも、また、翻って、
「それを許している国民にも大きな責めはある」
ふっと、気が付いた時、この国に再び、戦争が起こっていたりしないように、祈るのみ。
 戦争の時、他国に赴任して、万年筆が折れるほどビザを何千と発行した杉原千畝氏の行為は「命のビザ」と呼ばれ、世界から賞賛された。政府が先日決めた入管法の改正は、「死のビザ」の発行の国と、世界から、言われるだろう(今も、言われているけど)。冷酷な政府である。

 暗い追記になった。
 明日は楽しい思いで、出かけるぞ!!

                                 (2023/6/11)