2023年6月12日、シビックホール(東京都文京区)で開催。
前回の一文には、84回目の…という事に、「!」をいくつかつけた。
そして、実際に観た後の「!」は、その回数もさることながら、〞中身〞に、「!」を山ほどつけたかった。
『ふれんどコンサート』と、例年秋に開催される『風アダルトに』コンサートには、普段、あまり、聴くことができない歌が並ぶ。それ故に、「貴重なコンサートだ」と、私はずっと思ってきた。毎回、楽しみにしていた。
そして、聴く機会の少ない歌たちは、ステージ側も、歌う機会が少ない、演奏することが少ない歌―という事になる。
「舟木一夫とそのチームは大変だ」という事にもなる。
歌詞を覚える(思い出す)だけでも、大変だ。
バンドは楽譜を見て演奏するから、歌う人よりは、少し、「大変さ」が減るかな、それでも、減るのは、その部分だけ。
その大変の後に、出来上がったものを、私は、私たち観客は、観るだけ―あまり、大変さは無いような(笑)、何だか、無責任~(笑)
4月25日の『さようなら 中野サンプラザ 舟木一夫コンサート』の第一部、「輝さんのおもかげ」と題して、西郷輝彦さんの歌10曲をフルコーラスで、歌い切って,観るこちらは、胸熱く涙がこみあげた。その後、新聞のインタビューで、舟木一夫は
「ひと月くらい前から、猛練習した」
と、答えていた。
その時、「そんなに猛練習したことは初めてでは? 自分の歌よりも練習したかも」―などと、失礼なことをちょっと呟いてしまった(舟木さん、ゴメン!)。でも、呟いたあとから、盟友へのこの人の想いに、ふわりと心が温かくなった。
そして、今回の『ふれんどコンサート』―ステージ上に、歌詞カード無し。Concert tourや各劇場でのtheater concertと同じ。
歌うことが少ない歌たちを、22曲(だったと思う、相変わらずいい加減な私(笑)、「歌った」というより、歌い切った!
「耳さわりの良い声で、歌ってくれた」「耳も、心も、喜ぶ爽やかな声がとどいた」―と、〞音楽素人〞の相変わらずの無責任な感想。しかし、思ったまま、感じたままの感想(自己弁護は忘れない私(笑)。
頭の中の引き出しの数は無限大なのか、この人は…!
数少ない引き出しであっても、年齢を経ると、引き出しの中身の確認さえできない(思い出せない)というのに、やっぱり、miracle singer だ。とは、言っても、miracle(奇跡)は自身の努力や心の在りどころが創るものだ。長い旅路の中で、この人が掴んだものだ。
歌への思いを語ったことがあった。歌うことが好きだと気付いた―と。
そう、歌が好きで好きでたまらない人なのだ。だから、歌っている時の笑顔、ステージに立っているときの表情は、とても幸福そうだ。
そういう人が、「まだやりたい事がある」―という。その『やりたい事』のその端っこが、少~し見えた気がする、いや、見えたように感じた、このステージだった。
が、「やりたい事」の本当の中身は、本人の無限大の引き出しの中だ。どのように形を成してくるか。やはり、見つめているしかない、以前ほどは長くはないだろうけど、まだ、つづくこの旅の向こうを…。
途中(一部、二部の間?)、バンドの演奏があり、(インストゥルメンタル instrumental)それも、素晴らしかった。
全てに、素晴らしいステージだった。ステージすべてを通して、もはや、これは、「芸術」だ―と思った。
エンターテイメントというより芸術だ―と。
エンターテイメントで収まり切れない何か、すごいものがそこに在(あ)る、居る気がした。
この先に何が在るのか、やはり、それは、先に書いた「まだやりたい事」に繋がるのだろう。
舟木一夫、いや、上田成幸氏(本名)の創る空間を、せめて私は、心根を高く持って見つめていこうか。
様々な出来事は、幾つになっても、いつになっても、次々と姿を現してくるものだが、そのレベルに自分を落とすこともない。心を高く、目を高く、想いを高みに、まだ、歩いていこうか、きっと、素晴らしいものに出会えるに違いない。
(2023/6/16)
【追記】このふれんどコンサートの会場に収録のカメラが何台か入っていた。いずれ、DVDになる。これは楽しみだ。このステージは、残すべきステージだった。(おっ!エラそうに)
梅雨、早く終わらないかなぁ―と、その次にくる灼熱地獄を忘れて、つい思う。雨の降り方が尋常ではない、叩きつけるような降り方をするから、ものすごくたくさんの実を付けてくれた我が家の富有柿も、例年以上に、実が落ちる。2~3センチの大きさになってからはあまり落ちないはずだったのに…。もう落ちるなよ~。
(2023/6/16)
前回の一文には、84回目の…という事に、「!」をいくつかつけた。
そして、実際に観た後の「!」は、その回数もさることながら、〞中身〞に、「!」を山ほどつけたかった。
『ふれんどコンサート』と、例年秋に開催される『風アダルトに』コンサートには、普段、あまり、聴くことができない歌が並ぶ。それ故に、「貴重なコンサートだ」と、私はずっと思ってきた。毎回、楽しみにしていた。
そして、聴く機会の少ない歌たちは、ステージ側も、歌う機会が少ない、演奏することが少ない歌―という事になる。
「舟木一夫とそのチームは大変だ」という事にもなる。
歌詞を覚える(思い出す)だけでも、大変だ。
バンドは楽譜を見て演奏するから、歌う人よりは、少し、「大変さ」が減るかな、それでも、減るのは、その部分だけ。
その大変の後に、出来上がったものを、私は、私たち観客は、観るだけ―あまり、大変さは無いような(笑)、何だか、無責任~(笑)
4月25日の『さようなら 中野サンプラザ 舟木一夫コンサート』の第一部、「輝さんのおもかげ」と題して、西郷輝彦さんの歌10曲をフルコーラスで、歌い切って,観るこちらは、胸熱く涙がこみあげた。その後、新聞のインタビューで、舟木一夫は
「ひと月くらい前から、猛練習した」
と、答えていた。
その時、「そんなに猛練習したことは初めてでは? 自分の歌よりも練習したかも」―などと、失礼なことをちょっと呟いてしまった(舟木さん、ゴメン!)。でも、呟いたあとから、盟友へのこの人の想いに、ふわりと心が温かくなった。
そして、今回の『ふれんどコンサート』―ステージ上に、歌詞カード無し。Concert tourや各劇場でのtheater concertと同じ。
歌うことが少ない歌たちを、22曲(だったと思う、相変わらずいい加減な私(笑)、「歌った」というより、歌い切った!
「耳さわりの良い声で、歌ってくれた」「耳も、心も、喜ぶ爽やかな声がとどいた」―と、〞音楽素人〞の相変わらずの無責任な感想。しかし、思ったまま、感じたままの感想(自己弁護は忘れない私(笑)。
頭の中の引き出しの数は無限大なのか、この人は…!
数少ない引き出しであっても、年齢を経ると、引き出しの中身の確認さえできない(思い出せない)というのに、やっぱり、miracle singer だ。とは、言っても、miracle(奇跡)は自身の努力や心の在りどころが創るものだ。長い旅路の中で、この人が掴んだものだ。
歌への思いを語ったことがあった。歌うことが好きだと気付いた―と。
そう、歌が好きで好きでたまらない人なのだ。だから、歌っている時の笑顔、ステージに立っているときの表情は、とても幸福そうだ。
そういう人が、「まだやりたい事がある」―という。その『やりたい事』のその端っこが、少~し見えた気がする、いや、見えたように感じた、このステージだった。
が、「やりたい事」の本当の中身は、本人の無限大の引き出しの中だ。どのように形を成してくるか。やはり、見つめているしかない、以前ほどは長くはないだろうけど、まだ、つづくこの旅の向こうを…。
途中(一部、二部の間?)、バンドの演奏があり、(インストゥルメンタル instrumental)それも、素晴らしかった。
全てに、素晴らしいステージだった。ステージすべてを通して、もはや、これは、「芸術」だ―と思った。
エンターテイメントというより芸術だ―と。
エンターテイメントで収まり切れない何か、すごいものがそこに在(あ)る、居る気がした。
この先に何が在るのか、やはり、それは、先に書いた「まだやりたい事」に繋がるのだろう。
舟木一夫、いや、上田成幸氏(本名)の創る空間を、せめて私は、心根を高く持って見つめていこうか。
様々な出来事は、幾つになっても、いつになっても、次々と姿を現してくるものだが、そのレベルに自分を落とすこともない。心を高く、目を高く、想いを高みに、まだ、歩いていこうか、きっと、素晴らしいものに出会えるに違いない。
(2023/6/16)
【追記】このふれんどコンサートの会場に収録のカメラが何台か入っていた。いずれ、DVDになる。これは楽しみだ。このステージは、残すべきステージだった。(おっ!エラそうに)
梅雨、早く終わらないかなぁ―と、その次にくる灼熱地獄を忘れて、つい思う。雨の降り方が尋常ではない、叩きつけるような降り方をするから、ものすごくたくさんの実を付けてくれた我が家の富有柿も、例年以上に、実が落ちる。2~3センチの大きさになってからはあまり落ちないはずだったのに…。もう落ちるなよ~。
(2023/6/16)