アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

新橋演舞場・舟木一夫ロングコンサート 雑感(いろいろ)

2023-01-08 | 世情もろもろ
 12月21日、新橋演舞場公演の最終日のThanks concertの感動の渦の中に投げ込まれて(!)、C versionについて、何も綴っていないことに、昨年もあと数日で終わるという頃になって(遅い!)、漸く気がついた(鈍感!)。
 19日から最終日の21日まで、以前書いたように、勘違いしていて、慌てて21日のThanks concertとつながる20日のチケットをgetして、三連とした(また、しつこく、競馬ではない(笑)。
 Getできたのはよいが、やはり体力(知力もだ!)は落ちていた。足の負傷で一ヶ月半ほど運動をしていなかったからだ―というのは理由(言い訳)にはならない。単に年齢をとったのだ(!)。
 故に、Thanks concertの感動、観劇、感涙で、頭の中にとっておいたC versionのステージが、歌が、危うく流されそうになったのは、確かだ。
 C versionの二日目だから19日、13~14列ほどの座席で観ていた。その時、翌日の座席を見上げた。照明の光が来ない暗い席だなぁーと思った。
 舞台への距離は近い、二階席両サイドの席。芝居の場合は、舞台の3分の1ほどが見えない見切れの席。翌日20日、座ってみると、やはり暗かった。見切れはあるが、歌のステージだから、関係はない。ただ、とにかく、暗かった。照明の明かりは全く来ない。が、その結果として、普段は気が付かない事が目に入った。
 客席のうす暗い中に、ズラッと、白の四角が一列に並んでいる。その次の列にも、その次にも、白いマスクが並ぶ。白が際立って人影は見えない。
 コロナ禍になり、芝居やconcert、ライブ、講演など、悉く中止となった2020年。そして、2021年、沢山の規制の下で再開された。マスク無しではいずれも見ることができない。客席はマスクの顔が並ぶ。その一員となっているときは気が付かなかったが、再開直後、ステージで歌っている女友達が言った言葉を、この暗い(笑)2階席で、思い出した。
「客席は白いマスクだけがズラリと何重にも並んでいて、怖かった」
 そこに人は当然居るのだが、暗闇に四角い白が延々と…。彼女のその言葉をつい思い出した。その通りの光景だった。これを初めて目にしたら、ちょっと怖いだろうなぁーと、まさにそれを目にしながら、寸の間、思った。
 が、想いはすぐにステージに戻り、C versionの歌が紡ぐ時代の向こうの景色に想い及ぶ。
第一部は、武士の歌―という言い方は、そぐわず、武士を歌った歌。歴史の扉の向こうに、その時代に生きた漢(おとこ)たちの面影が浮かんでくるようだ。…とは、言っても、浮かぶ面影は、舟木一夫が演じた『赤穂浪士』の矢頭右衛門七、『春の坂道』の駿河大納言忠長、『源義経』無冠太夫平敦盛の面差しだったことに、胸内でちょっと笑ってしまった。
 武士(武家)を歌った歌は少ない―と舟木一夫がconcert内のtalkで語る。確かに少ないのが残念、この類(たぐい)の歌、私はとても好きだから。

 北海道在住の友人K子さんは、ロングコンサ―トのⅮに当たる、Thanks concertのみを観た。
 私などは、遠いところをくるのだから、前日のC versionもみたらよいのに―と勧めたが、20日午前は外せない用事があり、午後1:30の飛行機に乗るしかないとのことで、前日3時過ぎに羽田到着。
 彼女には2022年の初めての舟木一夫のステージ。
「これを観なくては、私の2022年は終われない!」と、強く思ったそうだ。
 二階席正面だったので、〞押し寄せてくる〞溢れるほどの素晴らしい照明(あかり)を浴びて(まさに、浴びて!)〞押し寄せる〞感動のステージを観た。
「A、B、Cのversionは観ることができなかったけど、私にとっては、Thanks concertに全部、凝縮されていた。自分の2022年も凝縮されていた気がする。本当によかった、素晴らしかった」
と、言葉を残して、羽田空港に向かった。
 雪で飛行機が飛ばなかったら行かれないと言っていたが、何とか、雪には間に合った。戻った翌日あたりから雪模様になったのではないかと思う。

 私はその方の話を聞いていないが、A~C versionの内のどの日だったか、友人の席がその方の近くで、話をしたという。その方は西郷輝彦さんが大好きで、ずっとファンだったとの事。「舟木さんが歌っていてくれるから、舟木さんの公演を観にきている。この公演は2回観た」と語っていたそうだ。4月の中野サンプラザの舟木一夫公演も見に行くと言っていたという。
 そう、同じ時代を生きてきた誰かが、まだやっていてくれたら、自分もまだ生きていける、頑張れるのではないか―という思いはある。
 もっとも、その〞誰か〞にもよる。長い間、そこを歩いてきたのに、何も得ず、何も学ばす、傲慢な人間になっていたら、そこに、人は寄らない。
 舟木一夫の想いは、心は、伝わる。それは、この人の正直な心だから…。舟木一夫の60年―彼は、とてもよい場所(ところ)に行き着いたのだ。
 だから、舟木一夫の笑みは、とても幸福そうだ。

                            (2023/1/8)