アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

数多(あまた)の美しさ満ちて ~舟木一夫 in 浅草

2022-07-17 | 世情もろもろ
 東京浅草に於ける舟木一夫60周年記念concert(7/13~7/15)が数時間前に終わった。これを綴っているのは7/15の夜。熟考しないで、書き飛ばし(!)。これもたまにはいいか…と、最初から自分を庇って(笑)
 三日間とも『満員御礼』の札が掲げられていた。
 お世辞でも贔屓目でも全くなく、素晴らしいステージだった。〞いろいろなもの〞が美しいステージ。たくさんの美に満ちたステージだった。
 
 私は一日目(初日)と三日目(千穐楽)を観た。
 一日目は1階席前方から、三日目は二階席6~7列―ということで、先日に続いて、ちょっとオペラグラスの助けを借りた(笑)
 オペラグラスの中の表情、〞爽やか〞は、今更言うまでもないが、生命(いのち)そのものの灯(あかり)が輝いているようだった。ここに〞美しさ〞、ひとつ。生命(いのち)の灯(あかり)の美―。
 そして、オペラグラスの助けを借りてはみることのできない美しいもの、それが、照明。とにかく、ただただ、美しい! 
「きれい~」というよりも、美しい!
〞瞬間の芸術の美〞―この芸術の作成者(中川さんとか、書いてあったような)に大きな敬意を!…と、大袈裟ではなく思った。
 さらに、歌う人(もちろん、舟木一夫)と演奏する人々(バンド、about9という)との一体感が、心地よい美―。真正面から音と歌声が響く、届く、その小気味よい美しさ…である。

 二部構成。曲名は、きっと、ファンの方々が自身のブログなどで上げてくださるだろうから、ここでは割愛…というか、歌は全部知っていても、それを順番に正確な曲名で列挙できる自信がない(笑)
 60周年、60年ということについて、舟木一夫は
「あっという間だったような気もする、また、あまりに多くのことがありすぎた気もする」
と、語った。私、頷く。そのあとで、言葉をつなぐ。
「そして、現在(いま)、激動の時代になった」―と。
 60年、こんなに遠くまで来て、さらに歩いていくのに、外界(そと)は激動の時間に入っていた。大波だ。いつ収まるとも予測不可能な大きなうねり。しかし、それは、人間の知恵で沈めることができる激流なのだが、身勝手な論理を掲げる為政者たちばかりだから、混沌は収まる様をみせない。
「それでも船は進むぞ」
舟木船長(キャプテン)の意志(こころ)。
 昨年春、コロナ禍から出航して、さらに荒波になった世情(せかい)を、ふっと心を沈ませてしまうような良くない出来事、良くないものが次々と押し寄せてくる、そんな中を、それらはまるで、「無い!」みたいに、船は進む。行く手阻む事情が周りにあっても進みつづける。その船長(キャプテン)の意志の美しさ。進みゆく船の姿、その美―。
 出航時よりも航路は力強い。ステージの輝きが増した。
 2022年1月、国際フォーラムから始まった今年のステージ、そこから思い返す、
「勢いが増している」
 航海の疲れが増すのではなく、力強くなっている。奇跡をみている気がする。
 ステージから届く温かい心、想いが、船を進ませている。
「まだ行くか。まだ、先へと行くのか」
心で問う。
「行かれるところまで?」
と、尋ねる。
「この先はどのくらいあるのか、やれるところまでやる」
と、舟木一夫のtalk。
「こんな〇〇周年というステージが他にあるだろうか!」
と、私は心底感動している。
 昨日(7/14)、昔々の舟木一夫映画『北国の街』を少し見た。その映画を映画館で見た頃の自分も一緒に帰ってくる。
「この少年が、やがて、こうなる、今のこの人」
つい呟いてしまった。何しろ、その少年(まだ青年ではない)をみたのが、一日前(7/14)なので…。その少年の未来にこんな奇跡が待っていたのか―と想い巡らせて、
「奇跡のようなこの人の歩みは、やはり、書き記しておかないといけないな」―と。
 ずっと歴史を綴ってきたから、本人の意向など無視して(ゴメン!)、そんな風に思う。
 どこかで、歳さん(新選組副長土方歳三!)や信長さん(織田信長)その他、私が勝手に書いてきた面々が、「お~っ!また、犠牲者が~」と言い合っているかも(笑)

 浅草公演の三日間は終わった。
 けれど、来週の山梨公演を最初にまた、concert tour2022は続く。
 そして、嬉しいのが、10月6日の石川県金沢市の公演。
「北陸など日本海側で公演があったら必ず行く」
と、友人に言っていた私は狂喜乱舞(!!)。さらに、
「一年に一度、10月6日は、私の誕生日」―と、「毎年12月12日は誕生日で」と言う舟木方式をちょっと真似て、言ってみた(笑)。
 そう毎年10月6日は誕生日―でも、もう、誕生日は二年に一度でよいなぁ。二年に一度、年齢が進む―と、馬鹿なことを考える。しかし、ここまできたら、とりあえずはここまで生きてこれたことに感謝する―そういう日になっている。
 そして、今年は、その日に、しかも、行きたかった北陸で舟木一夫concert、今年は、何よりのプレゼントを貰うことになる。子どもの頃、青春前期の頃、プレゼントは、舟木一夫レコードとか、『近代映画』とかいう本だったりしたが、今年は、本物(?)のステージだ。

 船はまだまだ航海の途中。波がどれほど高くても、進む、進んでいく。舟木キャプテンの温かな心と強い想いと共に…。以前も書いたが、
「進め、舟木号!」

 浅草公演が終わって、帰宅して、そのまま綴った。まったく熟考することなく、熟考どころか、少しも深く考えることなく…。たまには、こういうのもよいか―と、自己弁護、連続自己弁護。しかし、パソコンでwordに打ち込む時に、自分が2Bの鉛筆で殴り書き(!?)したその文字の汚さに閉口した、「読めないぞ~!なんて汚い字だ~!」と、叫びつつ(笑)。

 浅草公演の数多の美と素晴らしい三日間に、もう一度拍手!!

                         (2022/7/15)


【追記】いつも、ほしいと思うもの、それは、私の汚い文字をものともせずに、ダーッとwordに起こしてくれる人、腕!
 10年ほど前、バイトした、その時は、話す相手の話をそのままパソコンで打っていけるくらいの速さを持っていたのに、衰えた~!
 タイピング練習というのがネットではいくつもある。練習しろ!と、自分に言う。その時はやろうと思う、しかし、すぐにその決心(?)は潰(つい)える(笑)―笑い事ではないぞ!私。

                         (2022/7/17)

自分という作品

2022-07-07 | 世情もろもろ
 新聞のコラムの最初の一行に、ハッと胸を衝かれた。6月中旬(6/12かな)の朝刊だった。
「自分という作品を作っているつもりで生きなさい」
 劇作家の井上ひさし氏が娘の井上麻矢さんに教えた言葉だそうだ。
 麻矢さんは幼い頃から父親に教えられたその言葉のおかげで、「曲がらずに生きてこれた」という。
『自分という作品を正しく、美しく仕上げたいと誰もが願うはず、不正やずるという醜い絵の具で作品を台無しにしたくない』(コラムより)
 そんな風にコラムには書かれていた。
 確かにその通りでは、ある。
 けれど、人の生、いろいろ有り、失敗もある。思いがけずに人を傷つけてしまうこともあり、また、自らが大きな傷を負ったりもする。必ずしも、美しくは仕上がらないのも、また、人の生…かなとも思う。
 しかし、『自分という作品』という言葉をふと、頭に巡らせてみたら、それら数多(あまた)の出来事も、自分という作品を作っていくための糧(かて)になっているような気がした。
 思いがけずに、こんなに遠くまで歩いてきて、
「私たちの生あるうちに、生命が何処から来たのか判明することなどは無いと思っていた。そうか、宇宙からきたのか!」
と、はやぶさ2の齎した結果に、感動、感激しながら、ふいと、周りを見回す。
 見つめる眼差しの先に、自分という作品を作ってきた人が佇む。いや、自身ではそうとは意識せずに、作り続け、今なお、作る、そんな人が佇む。
さらに視線を巡らせば、ここまでの何十年にも及んだ付き合いの女友達Uが、自分という作品を作っている。様々な出来事があっても、そうやって歩む、道は棄てない。それが、彼女にとって、自分という作品を作ることだから…。良い友を持ったと、今にして思う。
 ほかにも目を遣る。
 昨年から今年、俳優生活50周年…で、ハードな芝居を上演した男友達Jも、長い俳優生活の中から、この数年は、自身にとっての『核心』を掴んだか、それにより決めたのか、確かな足取りを見る。それもまた、自分という作品を作る、その人である。
翻(ひるがえ)って、自分に目を遣る…ということは、怖いからしないでおこうか(笑)。私は、自分という作品を作っているか―と、そっと、胸の内に問いかけてみようか。「否!」という激しい答えは返ってこなかったことに、少しホッとする。
「作ってきたのかな」
いや、意識したことは無い。
 けれど、今、周りを見回してみたら、自分という作品を作っている人が幾人もいた。そんな人を見つけると、鏡のように、自分を肯定できる。生を放り投げて生きてきていたら、そういう人たちは、周りにはいてくれなかったろうと思うから…。
 そういえば、ここ数年会っていない者もいる。その彼は、今年十二月二十六日(だったと思う)、40歳になるが、結婚前の少年から、一気に大人になって、まさに自分という作品を作っているかのようだ。少々、理屈っぽく語り(これは昔から…か)、思考し、他でみる40歳よりは、思考の中身は老成していないか―と、時々思うほどに、大人になった。
「まだ四十前、昔みたいに、もう少しヤンチャな部分があっても許されるよ」
と、ちょっと言いたい気もする、小栗旬―。
 大河ドラマの撮影に入る前に、「終わったら、舞台に戻る」と言っていた言葉が心に残る。
 そこで、また、自分という作品を作っていくか―。
 若い世代に目を向けてみると、自分という作品を作っている者たち、どうにも、「男の子」が多い。「お~い、女子、頑張れ~」と、ちょっと願ってしまった。

                           (2022/6/28)


【追記】「早く七月にならないかなぁ」と願って、遂に七月になった。なったから、どうということはないけれど(笑)
 Concert tourとか、劇場で行うtheater concertとは違う、『舟木一夫ふれんどconcert』を、7月4日に、みた。20列ほどだったので、遂に(?)、時々、オペラグラスの力を借りた(笑)。爽やかな表情―。
『北国にひとり』『29小節の挽歌』『序曲だけのコンサート』…etc普段はあまり聴くことができない大好きな歌たちがちりばめられていて、「嬉しい」の気分が、ムシムシ天気に奪われた気力を取り戻してくれた。

                          (2022/7/7)