アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

「舟木一夫コンサート 2021」~遠い景色に想い馳せ~

2021-08-27 | 世情もろもろ
2021―と書いたが、もう八月も終わりに近い。
昨年から続くコロナ禍は終わりがまったく見えない…どころか、コロナの奴(!)はますます力を強めて拡大の一途―。
「舟木一夫コンサート2021」は前年と同様、一部は「日本の名曲たち」と題しての二部構成。
 とは、いっても、その前年、2020年はコロナ禍でほとんどの公演が延期や中止が続き、二月の京都南座に於けるtheater concertのあと、再開ができたのは、11月だった。
 そして、今年のコンサートも3月の東京新橋演舞場のtheater concertが終わって、4月からのスタートとなり、例年より遅かった。
 今年の二部構成、第一部「日本の名曲たち」は、何と!「漫画・まんが・マンガ」。
 名曲たち―まんがの主題歌(現在はアニメソングといったりする)。
 名曲?…とちょっと、首をかしげる、聴く前までは…。
「アニメソングで、今年一年間通してのconcert tourは、きつくないかなぁ」
 と、しろうとの私は、迂闊にもそんな風にちょっと思った。 
 しかし、始まってみたら(聴いてみたら)、これが、かなり楽しい。
 四月最初のそのステージは、バンドメンバーはちょっと大変そうだったけど(笑)、何しろ、テンポが速い。
 
「赤胴鈴之助」「行け行け飛雄馬」「サザエさん」「おどるポンポコリン」「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」「月光仮面は誰でしょう」「ウルトラマンの歌」「宇宙戦艦ヤマト」
 以上。

 景色が脳裏に浮かんだ。
 その景色は、当初は歌に合わせて、例えば、「サザエさん」なら、テレビ放映していた時のエンディング、サザエさん一家が並んでこちらに向かって元気に歩いてくる画面が浮かんできた。
 そして、何回か聴いているうちに、浮かぶ景色は、自身の体験したあの頃の風景や世情に置き換わっていた。
 数年前から、「日本の名曲たち」「昭和の名曲たち」と題して、名曲を集めて構成したステージだった。その中で、脳裏が辿る自身の景色は、今年に限っては、〞青春〞ではなかった。もっと遠くである。
 その頃は東京にも在った露地裏の遊び場。いや、道路を遊び場にすることができた時代。
 そこに居るのは、〞青春只中〞〞青春前期〞(ともに私の造語)の自分ではなく、まだ、十分に〞子供〞の自分だ。
 道路で遊んでいた。蝋石で道に絵や石けりの輪を書いたりしていた。
 東京中野区で育ったが、そこにも原っぱはまだ、在った。
 今年のコンサート2021は、そんなにも遠い過去の風景を呼び起こしてきた。そして、とにかく、楽しい。
 この〈歌たち〉でなくては、今年はダメだった…という結論めいたものが顔を出した。昨年からの異常な状況の中で、やりきれなさが溢れた現在(いま)、
「そうだ、この〈歌たち〉がよい」
 私は、勝手に確信する。
 先の見えないやりきれなさ、重苦しさの世情では、楽しいばかりの時間を届けてくれる、これらの歌、それは、まさに「正解!」だった。そして、その〈歌たち〉もまた、「名曲たち」だった。
 青春よりももっと前の景色、そこには、〞近所のみっちゃん〞もいた。みっちゃんの苗字は覚えていない。当初から知らなかったのかもしれない。それほどに、子供のころだった。
 二度と戻りはしない、いや、思い出すことさえなかっただろう、青春よりももっと向こうの過去の景色、それらにあと数回は、会うことができそうだ。
 当初の予定になかった公演日にも行くことになった。それは、このコロナ禍で行くのを見合わせた仲間の代わりなどを含めて…と。
 コロナは怖い、本当に、侮れない〞敵〞だ。けれど、もう絶対に会うことのできない景色が脳裏を訪れてくれる、遠い景色に思い馳せることができる、その時間を失くしてしまうことの方が、私は、怖いのである。


…とはいえ、本当に先の見えない状況である。
 この一年八か月以上の時間を、無能な政府は、専門家、科学者、医師たちの助言、提言をきくことなく、すご~く、楽天的に物事を考えて、科学の頭脳を持たないリーダーたちは、ここまでの感染爆発を招いた。
 数年前の選挙の演説だったかで、前首相の安倍晋三は、ヤジをとばした聴衆に対して、
「こんな人たちのために、私は負けられない」
と、言った。〞こんな人たち〞は、国民である。一国の総理の言葉ではなかった。その総理こそ、国会でも野党議員の質問などに、ヤジをとばしてニヤニヤしていた、本当に、一国の首相の振舞ではない。
 その言葉を、私は、彼ら、暢気すぎる一団に、そっくりそのまま返す。
「こんな人たちのために、私は、やめるわけには行かない」
と。
 私は、私のやることを、やっぱり、どうしたって、やめるわけにはいかない。
 数年前、あと二作、書き終えたら、それで、私はいい―と思っていた。
 そのひとつは、三年前に出版され、書籍となった。
 あとひとつ―、筆を折るわけにはいかない。