アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

2024― 錨をあげて、『舟木号』出航

2024-01-31 | 世情もろもろ
 1月が終わる。12分の1終わり。2月が終わると、12分の2終わり。
 当然のことなのだけど、そんな風に、表現したら、1年はあっという間に終わる気がする。いや、「気がする」だけでなく、1年という時間は、この数年は特に、早く過ぎていく。気のせい―といえば、それまでのこと。1年365日(4年に一度366日)、これは変わっていないのだから、確かに気のせいなのだ。
 それは、多分、こんなに遠くまで来たので、そこで、ふいと振り向いて、遠く去った己れの過去を眺めるからなのかもしれない。その道程での出来事は、現在(いま)も、つい、そこにあった出来事のような気がするのに、それは、本当は、遠い、遥かに遠い事象で、そのことに、いくらか哀しみを込めて気がつく。そして、時の過ぎる速さに頷いて、少し悲しく納得する。
 マ、それだけ、歳をとった―いや、年齢を経た…と、ここに及んで、まだ、意地を張る(笑)。
 意地を張って、自分や周りの仲間を「おじいさん」「おばあさん」とは言わない。「じぃさん」「ばぁさん」と言う方が幾分若い気がする(笑)。つまり、自分たちを「高齢者」とは思っていない(笑)。
 昨年、10月の終わりに、舟木一夫『風アダルトに』コンサートを観るために、北海道から友人が上京した。話している中で、彼女が、「じいさん」「ばぁさん」ではなく、「おじいさん」(おばあさん)という表現をした。その時、なんだか、一気に年をとった気がした(笑)。
…というわけで(どういうわけ?)、きっと、あっという間に過ぎる2024年だろうけど、まだ、航海は続くのだ。
 明後日(2月2日)出港だ。2024年の、昨年以上の荒波の中に…。
 荒波を鎮める手は無い。政府などは、まったくあてにならない、それどころか、足手まといのあいつら(キャ~、言葉が悪い、今更?)。足手まといなのに、権力は持っているから、余計に始末が悪い。ここまで言ったから、言ってしまうが、頭が悪い輩(やから)が権力を持つとろくなことが無い―これは世界各国、どこも同じ。ここで言う「頭が悪い」ということは、普通の事―普通の人々(国民)の願いや想い、それを託されて選ばれて、議員職についているはずなのだけど、その肝心な事を忘れている。だから、税金は国民から預かった金銭なのに、自分のものと勘違いする。故に、国民の審議を経ないで、たとえば、料亭の酒席で、「それはいいね、菅ちゃん(当時の菅官房長官)、ちょっと、面倒みてやってよ」―と、これで、現況では、不要な万博が決まった。こんな理不尽なことが、いくつも、簡単に決まる。国会の場ではなく、料亭で…。
 腹が立ってくるから、2024年の航路への想いに話を戻す。
でも、「腹がたつ」「怒る」ということは、エネルギーの要ることだから、本当は、そう悪い事でもないらしい(笑)

2024年も荒波か、いや、もう、荒波でない航海などはないのかもしれない。しかし、そんな事(!)に関わっている時間は無い。そう、私たちには、残り時間はさほど無いから、年毎に、覚悟が大きくなる船出だ。
頑張れ!キャプテン舟木! 私たちも頑張る…こちらの声、小さいぞ!
 錨をあげる、出発、舟木号―2024旅の始まり―。

                                 (2024/1/31)


【追記】2024年は悲しい始まりの年になってしまった。災害列島の日本。そして、災害はいつも、普通に、穏やかに暮らしている人々のそこを直撃する。貪欲ではない人々の暮らしを奪う。いつも、不公平だ。
 能登地方は大好きな場所だった。18~19歳の頃の、そこから、21くらいまでの旅。綴る物語に何度も、北陸の(特に能登、金沢)風景やそこに集う人々を書いた。中学校からの友人Nと能登半島を旅して、半島の先端・狼煙(のろし)にたどり着き、晴れていれば佐渡が見えると土地の人に話を聞いた。その頃は宿もなかったそこから、バスは昼過ぎには終わっていて、「珠洲まで行けばバスがある」と聞き、冬枯れて、風花の舞う畑道を歩いた、3月―18・9だから、歩けたなぁ…と、あの懐かしい風景に想いを馳せたら、
「すべては、そのままではいられないのだ」
と、現実を突きつけられる。
 つい昨日までそこにあった日常、大切な人々、家族―、一瞬で奪われた。胸が詰まる。ひと月が経っても、届けられるその様に、胸が痛い。どんなに時間が経っても、胸痛む。
 自分に出来る事を…と、思う。

【追記 その2】ニャンが逝って、ひと月近く、何とか復活してきた私だけれど、今でも帰宅の時には覚悟が必要だ。
「ニャ~ン!!」といって飛び出してくる姿も声も無い。
「無いのだぞ」
と、まず、ちょっと、自分に言い聞かせてから、門扉を開ける。
 時間と共に、そういう小さな覚悟もしなくてもよくなってくるのだろうけれど、つくづく、動物というものの存在の大きさを今更知る。
                               (2024/1/31)


最後の猫(ニャン)

2024-01-07 | 世情もろもろ
 十二月半ばのブログに動物のことを書いた。その中には、猫(ニャン)のことも含まれ、我が家の猫はもう1匹で…と。そう、『最後の猫』だ。名前は「美瑛(びえい、通称、びーちゃん)。
 いつも何かしらの動物がいた我が家だったけれど、最近は犬も猫も、昔とは違い、かなり長生きをすることを考慮すると、今後は、遺していってしまう可能性も大いにある。だから、人生をこんなにも遠くまで旅してきた人々にとっては、犬であっても猫でも、『最後の犬』『最後の猫』になる。
…と、この数ヶ月は覚悟をしていた(つもりだった)。我が家の『最後の猫(ニャン)』は21歳である。人間に換算すると90歳ほど、それを越しているかも…。
 1月4日、朝9:30、ニャンが逝った。
 その日から、結構、いや、相当に辛い。「覚悟をしていた」も、何も、この状態は本当に、ペットロス。文字を綴れば吹っ切れるか、書くことはいつも私を救ってくれた―と、綴ってみる。
 1月5日と6日、連日で、筋トレに行った。人と話さず、じっとしていると、呼吸が苦しくなる。仲の良い仲間の二人とジムで会った。ニャンのことを話す。
「同じだ」
と、一人が言った。
彼女も11月に愛犬を亡くした、その後、胸が苦しくなる、呼吸ができなくなる、そんな日々が続いたので、あえて、毎日、ジムに来ていたと、言っていた。
 たかが犬、たかが猫―ではない。
 筋肉は筋トレで痛めつけられて、回復に48時間、回復と同時に筋肉がついていくのだから、最短でも1日置きが理想的なのだけど、心、気持ち、喪失感の回復には、毎日行こうか、違う世界で、仲間に会う、話す、気持ちが落ち着く―と、連チャン筋トレをしたけど、一番の解決は、時間なのかもしれない。
 出かけて、帰宅して、いつも、「ニャー」と迎えに出てくる姿が無い。
「あゝ、もう居ないんだ」
と、思い知らされる。
 ニャンは12月初旬に鼻炎になった。猫は匂いを嗅いでから食べるので、鼻が詰まると一気に食べなくなる。しかし、食いしん坊のニャンだったので、食べようとはする。結局、病院へ。薬を出してもらい、5日ほどで、復活。モリモリ食べる。フワフワの毛並みが戻ってきた。
 21歳とはとても思えないほど若く、フワフワ体毛のニャンだったけど、病気になったら、一気に「おばあさん猫」になった。これは、人も動物も同じだ―と、我が身を顧みて思う。
 しかし、復活。けれど、油断はしない。21歳半だから…。
 暮れのあたりから、よく食べる日、その翌日はほんの少ししか食べない―その繰り返しになった。こちらはいろんな物を買ってきて与える。自分の食料品よりも、ニャンの食べ物の合計金額の方がいつも上だった(笑)
1/2頃から食べる量が減った。1/3はあらゆる猫の好物の猫ちゅーるもペロリとひとなめだけ。1/4、寝床から起きてこない。いつもは私より先に起きて、「ニャー、ニャー(ごはん~!)」。しかし、ここ1週間くらいは、起こさないと出てこないから、無理に起こすのはやめていた。自分の朝食を済ませて、ヒョイと見たら、寝床からはでて、寝転んでいるというよりは、倒れている…ような姿。「死んだ?!」(猫はこうして突然死んだりする)。耳は半年くらい前から聞こえないから、呼ぶときはどこか叩いて音をだす。あるいは歩み寄るこちらの足音の振動で気が付く。気が付いて、大きな声で、「ニャー!」と力強く鳴いた。抱き上げると、前足をちょっとバタバタさせて、しっかりとしがみついてきた。その時、こちらの目をしっかりと見た。強い視線だった。こちらもしっかりと見つめる。動物は逝く時、飼い主の目をしっかりと強い眼差しで一瞬見つめる―何回か経験してきた。
それが、終わりだった。布団に寝かせて、耳は聞こえないから、ずっと、撫でていた。こちらは滂沱の涙。明るいのに、ニャンの眼の瞳孔が大きく丸くなっていて細くならない。もう逝くのがわかる。ちょっと苦しそうに前足をばたつかせた。「治して!」などとはもう、願えない。「あまり苦しませないで」と祈るしかない。呼吸が止まった。強い視線を交わしてから20分ほどだった。
 ジム仲間の愛犬はまだ、10歳で、2時間半も苦しんだと言っていた、それは、飼い主はより忘れられないだろう。
「親や身内が逝ったときよりも泣いた」
という彼女の言葉に同感。私もそうだ。その夜、入浴が出来なかった。呼吸が苦しい、ドキドキが止まらない、涙が自然にあふれ出て、わぁと声を上げて泣いてしまいそうになる。
 3日が経ったけれど、こうして2階の仕事部屋でパソコンに向かったりしている時は、まだ、少しは大丈夫そうだが、1階に降りていくと、ドキドキが始まる、胸が詰まる。
 宅配便や郵便配達のお兄さんたちと仲が良くて、すぐに出ていく。「猫ちゃん」「ニャー」「お母さんは?」(私のことである)「ニャー」と話を(?)している。
 昨日、ゆうパックが届いた。出ていき、サインをしている時、ゆうパックのお兄さんは庭の方をあちこちみたりしている。ニャンを探しているのだろう。聞かれたら、また、涙が出そうで、「聞くな~」と思っていた。
 逝った日、動物霊園からの迎えが来て、その車を、隣の奥さん(可愛がってくれていた)と合掌して見送ったあと、振り向いて、西の空を見た。1/3はどんより曇った寒い日だったが、この日は朝から、雲一つない濃い水色の空が広がっていた。その西空に、雲が3つ。
「真ん中の雲、猫が走っている姿に似ている」、彼女も空を見て頷き、私は「空に駆け上って行ったのかもしれない。親も兄弟も空の上だから」と続けた。雲はすぐに消えた。
 そうだ、空に駆け上って行ったのだ―と自分を納得させ、このペットロスの症状を早く克服しなくては…とは思いつつ、まだ、当分、ダメそうだが…。
 結局、猫でも犬でも、飼い主は、自分が世話をして育てているから、自分がいなくては「この子は生きていけない」とか、思っていても、心を支え、癒しを与えてくれているのはそばにいる動物の方なのだ。〞心の世話〞をかけている、そんな小さなものたちに。


                                   (2024/1/7) 

*昨年11/25に偶然撮影されたニャン。庭の花の写真をスマホ撮影している私についてきて、あちこちウロウロ。スマホが撮影モードになっていたので、指が触れたのか、シャッターが切られて、彼女(ニャン)が写った。そんな経緯の写真なので、被写体になったニャンは中央に居ない。これが、最後の写真になってしまった。