アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

想い、彼方へ…、〞舟木一夫〞―『少年いろの空』

2022-03-21 | 世情もろもろ
 2月9日の東京葛飾区に於けるステージをみて以来のひと月余の3月14日、舟木一夫concert tour 2022練馬区文化センターホール(東京)の公演―。
 冬からいきなり初夏になったような気温の上昇、暑かった。また、練馬区は東京23区で毎夏、最高気温を打ち出す(!)場所である。
 このひと月余の時間の中で、状況が、周りが、大きく変わり、信じられないような事象が、理不尽な事態が大手を振ってまかり通っている―そういう現況が、突然の嵐のように目の前に在った。
 人間はそこまでもの残虐なことができるものなのか!と、憤怒がこみあげる。3年目に入ったコロナ禍、そこへ、憤怒や怒りといったマイナスの感情がプラスだ。
「ウイルスや自然災害は止めることはできない、けれど、争いや戦争は人間が起こすものだ。人間に止められるはずだ」
 という論理など、吹き飛んだ、膨大な暴力の果て、飛び交うミサイルの爆音の中、人間の声は届かない。
 ふいと元気を失くしてしまいそうになる時間の中で、上げた視線の先に、きれいな、綺麗な光が交差した。
 緞帳が上がる。
 懐かしい歌の数々。
 つつがなく、つつがなく、ステージがすすむ。何があろうと、この空間だけは、希望がある、ふわりと心を休ませる大気がある。
 つつがなく、つつがなく、流れた時間の中、
♪青春に未来あり♪
 と、『青春の鐘』を歌い終わって、
「その未来の成れの果てがこれ」
と、〞舟木一夫〞が自らを指して、笑顔でtalk。
 とても、幸福な「成れの果て」だ。
 自分を顧みても「倖せな成れの果て」であると、少し自信を持って言えそうだ。
 それらの歌を聴いていた青春のその「成れの果て」が現在(いま)の幸福に繋がった。
 
 そして、ラストの『少年いろの空』へ―。
 この空間の時間(とき)が、『青春の鐘』の季節(とき)より少し前へ…と。
♪その眼はむかし空だった♪
という言葉(!)が耳に届けば、うす水色の空が目の前に広がる。
 なぜだか、うす水色の空―である。
 『青春の鐘』は、「水色の空」という言葉で始まるのに、聴いているうちに、その空の青が濃くなってくる。青の濃い、抜けるように高い空が、浮かぶ。青春の、青年の力強さゆえ??か、どうかはわからない(書いておいて無責任な私)。
 昔、夏から秋への時期に、大きな悲しみと苦しみの中にいたことがある。涙ばかりの日々を過ごして、ある時、ふと見上げた空は、青の濃い、つき抜けるような秋の空になっていた。
「空が高くなった」
 ひとつの季節の終わり。
 青春前期から青春へ…。
『青春の鐘』を聴くと、その空を思い出す。

 そうして、ステージでは、少年いろの空を頭上に見て、少年の時代(とき)が過ぎていく。なつかしい、ただ懐かしい、愛おしい―そんな時間(とき)、そんな季節―。
『少年いろの空』を歌った人(!)は、歌い終わり、ゆっくりと右手を上げる。掲げる。
 手を振るのではなく、掲げる。空に向けて…。
 掲げる人の想い、空へ、彼方へ、盟友(とも)へ…と。
 私の想いも、はるかに、辿る、彼方へ…。
 そうして、緞帳が降りてゆく。
                         (2022/3/18)



【追記】…と書いてきて、気づけば、この日は、concert tourの習志野(千葉県)の公演だった。私は行かれなかったが、真冬に逆戻りの寒い寒い一日になった。
 今年は、「舟木一夫」デビュー60周年の年だから、公演回数はものすごく多い。その全部に行くことは無理だが、友人や仲間が出かけ、一人、仕事をしている時は、「いいなぁ」などと、子供のようにつぶやく(笑)。「そう羨ましがるな、京都公演もみるのだろう、お前は」と、自分を諫めて(笑)そして、さらに、わがまま自分に「それでも、次は四月半ばの八王子で観ることができるではないか、私、頑張れ!」と、忙しい3月、4月の只中で、自分に言い聞かせる(笑)。しかし、ここで、朗報(いや、そういっては、申し訳ないけど)、いかれなくなった仲間の代わりに、4月6日だったか、越ケ谷の公演に代わりに行けそう…と、急に私の機嫌という虫が笑顔に!(笑)。げんきんな私。