アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

希望の船―舟木一夫 『浮世まかせ』の風に…

2022-04-17 | 世情もろもろ
「進め、舟木号!」
そんな風に言葉にしたくなる2022年のステージ。
 昨年春―2021年4月、習志野(千葉県)からスタートしたconcert tour2021。その出発に際して、私は他の原稿に、
「航路の先の見えない船出だ」
と、記した。
 世の中はコロナ禍。目に見えない災禍が世界中に蔓延していた。その前年、2020年の公演は舟木一夫公演ももちろんだが、あらゆる演劇やライヴ、イベント、そして、スポーツも中止となった。
 ある高校の野球部、監督が2020年甲子園の高校野球大会の中止を部員に伝えた。高校三年生の部員はその年が最後だ。球児たちは泣いていた。そんな事象があちこちで見られ、目に見えない敵(!ウイルス)との闘いは古代の昔から人類の歴史にはあったとはいえ、私たちは経験したことのない災禍だった。
 そんな風に、人々から大切なものを奪った。そういう年だった2020年が過ぎて、2021年はコロナ禍とともに動き出した。
 そんな渦中からの船出だったから、航海の先は闇夜―か。
「それでも、希望はある」―と、私は、その原稿に書いた。その船の船長(キャプテン)が、〞舟木一夫〞だから…。
「何かやりそうだから、ね。この人は…。奇跡があるかも…」
と、胸底で、呟いた。
 そして、2022年、『60周年』という想いとともに、船は航海を続ける。
「進め、舟木号!」
と、つい力強く言葉にしてしまいたいような、今度は明確な目標が見える。航路の先は闇夜ではない。

 ウイルス禍、頻繁に起こる自然災害、そして、大国が起こす理不尽な戦争―世界に不安材料が溢れた2022年の春だ。そんな不安定な時代(時期)が、私たちの生ある時間の中に、この地球上にくるとは予想もしていなかった。
 が、未来は、予想もしていない所に向かっていくことは多々あるものだ。
 そして、私は、予想もしていなかったよい未来、幸福な未来へと辿り着いた―と、『舟木号』の乗員(乗組員?)になっているその時間の中で、確信している。
 希望はある。光はある。
 現在(いま)、世界は大きな時代の境目に立ってしまったようだが、それでも、希望(のぞみ)はある。この船は希望の船だ。
 一年前には、闇夜の航海に出航したかに思えたが、一年後の現在、光をみている。
 何があっても、この船は進む、航海をつづけるのだ!―と、外(!)の暗い世界に知らしめる!……などと、その時ばかりは、威勢よく心が叫ぶ。
 4月12日、東京八王子の大きなホール、そこから、また、航海がつづく。『浮世まかせ』という大きな温もりある歌と、同じくらいの温かい舟木一夫の歌と想いを出航の合図にして、次へと進む。珠玉の二時間半に幸福ばかりを残して、次の港へと錨をあげる。
―進め、希望の船―
 ステージの終わり、〞舟木一夫〞は、「同じ飛行船に乗ってここまで来た」…云々と語ったが、その飛行船は、今、希望の船になった―と、私は、勝手に思いめぐらせた。
『浮世まかせ』の歌におくられて、全ての人にここまで歩いてきた人生という道程がある、それらの道のすべてを、♪いいさ、そうだよ♪と、全肯定して、船が出ていく。次へ…と。
「きっと、また会おう」
 そういっているかのように、両手を大きく振った。とびきりの笑顔とキラキラ瞳が再会の約束だ。
「そう、きっと、また会おう」
 私も同じ言葉を返して、両の手を大きく振った。
                        2022/4/14


【追記】この4月は首都圏の公演が多い。が、私の手元にあるチケットは5月の川口市の公演―まだまだ先だ~! (いつも「日の経つのが早いね」などといっているくせに(笑)と、つい気落ちしていたら、そこへ、友人から連絡。「相模大野に行かれなくなった~」と。実は、「行かれなくなったりしたら、とりあえずは連絡して」と友人たちに言っておいてよかった!と、顔がほころんでしまった(笑)。いや、いかれなくなった友人の無念を噛みしめて、相模大野(4/27だった?)に行かなければ(と、義務のような口調と裏腹の心のウキウキは何?)
 その幸運に背中を押されて、サァ!仕事しよう。

【追記】その2
ちょっと、『浮世まかせ』の歌に触れたくて、追記のその2―。
 この歌については、以前も綴り、幾年か前にもほかの原稿にも書いている。
 この歌は、どれほど語っても語りつくせないほど、大きな歌になった。作詞作曲の上田成幸氏(舟木一夫)は、この歌を書いた当初は、さして時間もかけずにパッと書き上げたと、言っていたが、その後、大きく成長した歌だ。
 正直に明かすと、その頃は、その深さも温もりもよくわからなかった。現在(いま)、この歌のひとつひとつの詩が、言葉が、メロディとともに、胸の奥深くに染み込んでくる。本当に、良い歌になった(エラそうに、生意気に語る私)。