アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

素晴らしき哉、Thanks concert! 舟木一夫 in 新橋演舞場 最終日 

2022-12-24 | 世情もろもろ
 12月21日、タイトル通りのThanks concert で、舟木一夫の60周年のfinal―。
 1月の国際フォーラムAホール、60周年記念公演のスタートから、ほぼ一年間、ただの一度も欠けることなく、予定通りに公演を開催し、奇跡と言ってよい事象を残した。
 そして、この12月、新橋演舞場、ロングコンサート。
 21日、帰宅してから、
「素晴らしき哉、Thanks concert!」
 という言葉がずっと、頭を巡っていた。それをそのまま、タイトルとした。
「すばらしき哉、人生という映画があったなぁ」―などと、ちょっと、思って、そして、翌朝、新聞を読んでいたら、番組欄に、映画「すばらしき哉、人生」のタイトル名が…。あまりの偶然に、少し、ドキリとした。ドキリとして、録画予約を入れてしまった(笑)

 60周年記念公演のfinalに相応しいロングコンサートと冠した公演だった。
 舟木一夫は、10ステージ、各2時間以上、一人でステージに立ち続けた。320~330曲を歌った。
 A~Ⅾの4つのversionを、三日ごとに開催、Ⅾは『Thanks concert』の形で…という無謀な(!)企画―果たして、どうなるか…という心配が、私に全く無かったわけではない。だから、こちらも、「よし!」と、心、構えて、臨んだ部分も少しある。
 しかし、〞心配〞はサッサと溶解していき、いつの間にやら、消えた。〞無謀な企画〞という部分は全部消えたわけではないけれど、舟木一夫が、この公演の初日前日の各取材で、話していた。「自分に負荷をかけて」と。
「そうか!!」
 と、目の覚める思い。その通りだ。こんなに遠くまできた現在(いま)、自分に負荷をかけないと、先へは行かれない。それは、とても納得―。わかったけれど、
「それでも、無謀な企画だよね」
という弱気な心が私にはまだあって、「ごめんなさい!」…である。
 しかし、私の弱気な心などは蹴り飛ばして(笑)、ステージは、ひどく安らかな心持ちになれるものに変わった。舟木一夫が変えてしまった。
「この人は、やはり、〞心の天才〞だ」―。
 心を尽くして、心に想いをのせて、その大きな空間の大気を丸ごと変えてしまう。いろんなことが危うくなってしまった日常、世情に身を置く人々(ほかにどこへ行けというのか、為政者諸君(怒)、―その憂いを消し去って、その時間は、この空間にいる限り、安んじていられる。舟木一夫は、そういう魔法(?)を使う。
 最終日のⅮ versionは、バイオリニストの向島ゆり子さんが組曲の部分で演奏に入った。
 舟木一夫は、黒い服、黒い色合いの服装が多い彼女を「魔法使い」という。確かに、魔法使い風の可愛い人である。
そして、そういう舟木一夫も、実は、魔法使いだった。〞心の天才〞は魔法使いだった―突拍子もないことを思って、一人、ちょっと笑った。外(世情、世界)に出たら、うすら寒い事象が山ほどの昨今だから、この温い空間に居る間は、そんなメルヘンも有り…で、よい。
 
 4日に1度の公演休演日ごとにだけ、雨が降り、天気が崩れ、公演日は、真っ青な空―と、天気にも恵まれて、11日間が過ぎ、12月21日、最終日、Ⅾ version『Thanks concert』。
 60周年記念公演のfinalのさらに、その大final(?)のThanks concertは、もっとも、それに相応しい構成で、この1年の記念の年の締めにぴったりだった。
 本当に、素晴らしいステージだった。感動に満ちて、終盤は、涙、涙の私―。「感動したら、まだ、涙が出るね、私」と、照れ隠しをちょっと、自分に言う(笑)

 Thanks concertの幕が開く。
 前半は、自作の歌―。随分と前に作った歌たち。
 その頃、レコード制作会社が持ち寄る企画のどれもが、自分の心にピタリとこなかった―と語る。それで、自分で書いた歌の数々。
思いっきり自分の思いをぶつけている歌ばかり、だが、「これも自分の足跡」と、語った。
その歌たちを、『WHITE』というアルバム(Ⅰ~Ⅲ)にまとめた。よい歌がぎっしりである。私は、『WHITE』がとても好きだ。まだ、音源になっていない自作の歌たちで、『WHITE Ⅳ』を作成してほしいくらいに…。
 前半の10曲目くらいだったか、「End・Fin・Fine(ラストシーン)」という歌の際、中央階段の途中に腰を下ろした。
「あの音楽が来る!」
 直感。そして、流れた仏映画の有名な曲。ピアノ奏者の腕にすべてかかっていく。
 しばらく、そのメロディに浸る。海が見え、青春の輝きやら、悔いやらが、波間に見え隠れ、あの映画の中のラストのシーンでトム・リプレー(リプリー)の胸には何が去来していたのだろう―などと、映画の中へ、現在のこの場所へ、会場全体を包む音の流れ、それらが行ったり来たり…素晴らしい数分間だった。ピアノも舟木一夫の歌も…。
 急にあの映画を観たくなった。DVDはもちろん、持っている。けれど、ここで観るための2時間がとれるか、「暇じゃなかった」と、諦める。
 組曲「日本の四季」を経て、後編へ―。
『高校三年生』から発表順に歌を並べて歌ったことが無い、ここは、それをやってみようかと―話し、60年前、私たちが耳にした順番に、懐かしい歌たちが流れる。
 これは、思いがけずに、胸を熱くした。懐かしく、楽しい歌たちのはずだが、あの頃がそっくり脳裏を訪れた。「高校三年生」のレコードは確か500円ほどだった、親から貰うお小遣いがひと月500円だったから、初めてレコードを買ったその月は、残高0で何も買えなくなった…とか、家には小さいポータブル蓄音機(!)があって、それで、聴いていたなぁ…とか、他愛もないことが遠い、遠すぎる記憶の中から起き上がってきた。
 順番に並べて歌う―この構成はちょっと胸熱くなり、とてもよかった。
 歌は進み、『君たちがいて僕がいた』で、終わった。幕が降りていく。
 そして、アンコール―。

 60周年記念のfinal公演のその最終日のステージの終わりに、盟友(とも)の歌を置いた。歌った。イントロで会場に風が吹いた。
♪いつでも いつでも 君だけを♪その声が届くのと同時に、涙が溢れた。舟木一夫の心が、友への想いが、伝える言葉が、はっきりと、こちらの胸にも届き、涙が止まらない。いろんな想いが、思い出すことが、胸底からこみあげてくる。
 自らの60周年記念公演のその最終のステージのその終わりに、盟友(とも)の歌を置いて、終わらせる―舟木一夫のいろんな気持ちが「わかる」などと、そんな安易な言葉で表現しては、あまりに無責任で勝手か、「気持ちを感じることができる」というくらいの表現しか許されないか、それでも、「よかったね、よい友がいてくれた、ね」と、そんな言葉を、私は、涙の中から、そっと、呟いた。
 そして、いろんな意味のある歌『湖愁』(こしゅう)へ。
『君だけを』から『湖愁』へ、来年への歩みのはじまりを、盟友に伝えて、幕が降りる。
 この1年の様々を心に刻んで、緞帳が降りる。

 お疲れさまでした。
バンドメンバーもコーラスも、スタッフも、この一年、ステージに関わったすべての人々にも、大きな「ありがとう!」を伝えて、
「また、会おう!きっと、また、会おう」

                           (2022/12/22 & 12/24)
                                   



 





 


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1 コメント

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Unknown (ハル)
2022-12-25 18:54:10
初めまして ハルと言います
最終日に行かれたのですね 自分はCプロでした
偶然このブログに出会い一気読みをしました
コンサートの臨場感が伝わり、ホールに居て舟木さんの歌を聴いているようです
文章がお上手で、舟木さんに対する熱い想いに溢れていますね
「君だけを」を選曲した舟木さんの想いが、「友を送る唄」として西郷さんに届いたと思います
長くなってしまいましたが、舟木さんが歌い続ける限り共に応援をして行きましょう

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