アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

「新しい戦前」という言葉

2023-12-31 | 世情もろもろ
 2023年の大みそかだというのに、嫌なタイトル。
 2022年にはあまり目にすることは無かった言葉だから、2023年に顔を見せたかと思ううちに、あっという間に、そんな状況になったのだろう。「どこが?」って、この国が、我らの住む日本という国が…。
 凄惨なふたつの戦争が、停まることなく、この年が暮れる。
 愚かすぎる為政者や権力者が、本来は知恵と言葉を用いて、争いを回避すべき「義務」を放棄し、武力を行使する、いとも簡単に…。
「日本国の憲法9条が世界の全ての国に在ったら、戦争は起こらない」
などと、私は、いつも、もう現在では詮無い事を、切望する。
 当の日本国の為政者たちが、それらを忘れているどころか、この国の主権者である国民の同意を得ることなく、勝手に(!)、憲法の解釈を曲げて、この国を、「戦争のできる国」に向かわせている。安倍政権による安保法制制定―国会議事堂を囲んだものすごい数の国民の声は、やっぱり(!)一強政府与党には届かず、今は、岸田政権の大軍拡―米国の同盟国の日本は、同盟国であって、「家来」ではないのだけれど、これは、もう前から、「言いなり」の時の政権、しかし、現在は、これまでに輪をかけて、言いなり状態、軍事力強化、知らない間に武器は輸出しているは、防衛予算は底知れず膨らむは、いつの間にか、米国のお古の武器やらの輸入は増えているは…逆に緊急事態を引き寄せているじゃないか!
 という状況下で、「新しい戦前」という言葉は、2023年に定着した。
 この言葉は、「ユーキャン新語・流行語大賞」や「現代用語の基礎知識2023」(懐かしい~、かつては毎年、この分厚い本を買っていた)にもノミネートされた。
 先日のコラムに、
『「新しい戦前」は、漠然とした新たな危機ではなく、戦争を起こし壊滅した悪しき「昭和の戦前」回帰の危機ではないか』
と記されていた。

 昭和はよい時代だった。私もそう思う、そこで、私たちは伸びやかに、のんびりと、現在(いま)ほど物はなかったが、日々を安んじておくることが出来た。大人は大変だったろうけど、昭和の子供は、幸せな子供時代をおくった…と、その一人であった私は勝手に思っている。
 昭和は戦いの時代だった―と言われる。昭和の3分の1はそうだ。
 その終わりの戦い、第二次世界大戦、多くの犠牲を強いた、その反省の下に、世界は、二度と戦争をしないために、言葉と知恵で戦いを回避すべく国連の下に結集したはずなのだけど…人間は、とても愚かだ。

 大みそかだというのに、暗い!
昭和への回帰といえば、良い話もある。
「おばあちゃんの原宿」と言われてきた巣鴨(とげぬき地蔵)に、最近、若者の姿が目立ってきた―という話題を、数か月前のニュースが伝えていた。
 昭和の雰囲気の在る店や建物(木造。コンクリートのビルではない)、道、それらが、
「あたたかくて好き」
と、本当に現代風ファッションの女の子たちが(男の子も)、インタビューに答えていた。
 さらに、昭和の「純喫茶」―現在は、カフェが多いけれど、昭和にあった喫茶店、椅子(ソファー)もテーブルも昭和、インテリアも昭和、出される飲み物の器も、パフェなども昭和―そこに集まっているのは、若者男女。
 昭和回帰―戦後以降の昭和への回帰。やっぱり、皆、温かなものを求めているのでは…と、ふいと思う。
 昭和の良い時代への回帰は、「それはいいね、温かいね」と微笑みながら受け入れて、昭和の悪い時代への回帰は、「愚かなことをするな!馬鹿者め!」と、怒りは忘れずに…かな。そうしないと、「新しい戦前」の次に「新しい戦中」(ある意味では、もう、こちらかも)がそばに居て、そして、「新しい戦後」はもう来ない。
結局、話は暗くなってしまった。

2023年は、外はそんな憂い事が沢山だったけれど、胸の内は、温かいものを抱えて終わることが出来そうだ。
 舟木一夫の今年の最終公演、12/20~12/21、concert2023 サンクスコンサート in 浅草公会堂。12/20に観た。
 その日の午前中、昨年と一昨年のconcert tourの構成はどんな歌だったかな―と、書き残してあるフォルダを見た。そんなこと(!)をすれば、
「この歌、聴きたい」「これもいい」という渇望の羽目に陥ることは分かっていて、大体は、なかなか聴けそうもない歌を聴きたがってしまう。
 しかし、この日、ふいと思った私の渇望は、いや、願いは、あるイントロが流れた時、叶った(笑)。その日、
「〞立ち話〞聴きたいなぁ、無理…か」
などと呟いて、訪日客でいっぱいの浅草に出かけて、そして、始まったステージの・・・この公演の構成に入っていた!
 まさに狂喜乱舞!山ほど嬉しかった。
 そして、『浮世まかせ』の温かさに送られて、今年の舟木一夫のステージが、私の中で終わり。しかし、この1年も矢のように過ぎ去った時間の速さだから、すぐに、concert tour2024が始まる。2/2、どんな歌たちが、2024年の、ある意味では、もっと厳しくなる日々の中で、ホッと灯りをともしてくれるか、舟木一夫を信じる。

                            (2023/12/31)

【追記】動物の事を書こうと思ったけど、もう紙幅が無い。
浅草公会堂ステージのtalkで、舟木一夫が、犬のお母さんに育てられた子猫の話をした。猫は、ニャーと泣かずに、ワンと、犬のように鳴くようになった。これが逆で、猫に育てられたブルドックがニャーと鳴いても…マ、可愛くないだろうなぁー等々。
 ニャーニャーと鳴く犬が我が家に居た。その犬が我が家に来て、初めて鳴いた時、母は、「この子は猫の中で育ったにちがいない」と言った。私は、その子(?)の成長過程で、「ワンだよ、ワンて鳴いてごらん」と教えた。甲斐があったのか、すこし、ワンと鳴くようになった。が、全面的なワンではない。「ミャワン、ミャーワン」だった。
 ブルドッグではなく、ポメラニアン(2頭目のロッキー君)だったから、皆が「可愛い」と言ってくれた(笑)
           
 

『動物のはなし』と、舟木一夫の四年

2023-12-15 | 世情もろもろ
 12月10日(日曜日)、BS260東急松竹チャンネルで、2019年12月22日~25日、於・浅草公会堂『舟木一夫コンサート』の放映があったので、「4年前の舟木一夫コンサート!」と、その公演もリアルタイムで観ていたのだが、いくらか、ワクワク心(?)で、こちらも放送時間のリアルタイムで見た。
 2019年から2023年、ひと口に「4年」と言っても、ここの4年間は、本当に大変な時間だった。予想もしていなかった、未経験の事象が世の中に蔓延、生活の基盤そのものが否定されるような状況となった。新型コロナによる、ありとあらゆる規制、パニックによる同調圧力(日本人は特にこの傾向が強い)で個人を追い詰め、自死に至るまで追い詰めた、そんな痛ましい出来事も多くあった。
 勿論、コンサート、芝居、ライブ…等々、全て、中止になった。舟木一夫コンサートについても同様で、前述の浅草公演のあとは、翌年2月(2/7~2/9)の京都南座に於けるtheater concertまで…。友人Tと冬の京都に赴いて、現在では考えられない静かな、人の少ない京の町だった。静かで京都らしい風情、その点は嬉しかった。風が吹くと、曇った空から雪が舞うのも綺麗だった。
 そして、その後、現在に至るまでの4年―。
 舟木一夫はその間にデビュー60周年を終えて、現在、61年。変わらず、奇跡の航海を続けている。いや、変わらず…というのは少し違う。本人も今後を綴っていたように、そして、私も、ここのブログに綴った。その地点に到着するまでの残り時間の少なさと、その道の険しさ―。ここまでの4年とは全く違うこの先の4年、5年、いや、81までの手前までがとりあえずの目標地点だから、2年…か。世情も何があるかわからないこの先―。
 しかし、それを憂えても詮無い事である。4年前と現在の舟木一夫の歌に想いを移そう。
 最近の自身の歌への思い、変化…等々を綴った舟木一夫の一文は先月読んだ。
 そこに書かれていたことがしっかりと証明されたような、2019年12月浅草公演のステージだった。勿論、リアルタイムで観ていた時は、その後の4年間が思い浮かぶはずもないから、〞証明〞もなにもない。
 ここは音楽素人(!)が勝手に思ったこと、感じた事を書いてしまうと、
「4年前は歌を歌っていた、現在(いま)は、歌そのものが、この人の胸の底から湧き出てきている」
 4年前のステージを現在(いま)見ることによって、舟木一夫が綴っていた歌について、そのことが理解できた気がする。よく分かった。
 勿論、4年前も歌の中の思いや心は、こちらの耳に届いていた。現在(いま)、4年前より爽やかな声で、歌たちが、私の耳元を訪れてくる。声のキィが高くなった(高くした!声帯に負荷をかけた?!)爽やかで耳に心地よい声が、想いをのせて、届く。
 これは、ひとつの奇跡?年齢と共に声が爽やかになるなどと、あまり、あり得ない事。でも、あり得ない事をあり得ることにしてきた人だから、「ある…か」と、無責任に呟く。
 2019年を最後として、翌年2020年から、現在に至るまで、私たちが歩いてきた長い道程の中にはなかった日常が、新型コロナウイルスという見えない敵(!)の蔓延の中で、変わらざるを得なかった習慣(日常)、その中で、舟木一夫の4年は、あまりにも稀有で素晴らしいものを舟木一夫に齎したのだ―と、またも、私は勝手に確信している。
 そして、コロナ禍でたくさんの嫌な事、つらい事象などはあったけれど、舟木一夫のその4年を見つめることが出来た私も、振り返れば、それは、「宝」のような時間であったのかもしれない―と今、思う。

 さて、タイトルの『動物のはなし』―。
 2~3日前に読ませてもらった舟木一夫の一文。ありとあらゆる動物のYouTubeをみるのが、就寝前の日課になっているような様子。笑い事ではない。これは私も同様だ。私の場合、ベッドに入ってから、スマートフォンで見るので、途中で、額あたりに、スマホがゴンと当たることがある。ずっと見ていて、やはり、胸熱くなってホロリ、時に号泣(笑)、時につい笑う、そのうち、居眠り、額や顔にスマホがゴン!
 その舟木一夫の一文、一度、読んで、何だか、胸が熱くなってしまった。次に読んで、涙が出た。さらに読んで、動物という「友」が与えてくれた、思い出させてくれた事に、「嬉しかった」と綴った舟木一夫の想いに、「よかったね、本当に、よかったね」と、涙がいくつもこぼれた。
 その話をしたところ、
「それは、あなたが、動物が好きだからだ」と、友人の一人は答えて、自分は動物は嫌いだから、そんな思いには至らなかったーとのこと、そういうものなのかな。
 京都南座に一緒に行った前述の友人Tと決めることがあったので電話で話し、要件は直ぐに済み、その後は、動物の話で盛り上がり、仕事仲間で犬が嫌いな人がいて、彼女には寄ってくる犬がその人には決して寄ってこない―とか、彼女は庭にくる小鳥にご飯を上げていたら、いつの間にか、それをネズミが食べているのを目撃した―とか。
私はカラスの子を助けたことがあり、その様子を見ていた親の夫婦カラスは、それが分かっているから、攻撃はしてこない。何とか親がいかれるところに子カラスを戻したら、親カラスは子カラスを真ん中にして、3羽、歩いて行った―と、「歩いて行った」―これにTは大笑い。「まだろくに飛べないのに、巣立ちをさせようとした親カラスが悪い。私も笑いながら、3羽の後ろ姿を見ていた」と話した。
 カラスの親子の話は、誰に話しても、ラストの「歩いていった」のところで大笑い。その時はこちらは必死だったが(笑)。
 その他に、ハワイの動物園で出会った(?)ライオンの話やら、ソフトバンクのCMに出てくるお父さん犬にそっくりだった我が家の賢く頼りになった犬(単純に名前は「シロ」)の話やら、やっぱり、とても賢かったポメラニアン(「ムック」という)と次の、ちょっとボーっとしていたポメラニアン(「ロッキー」という、アニメの「山ねずみロッキーチャック」から名前拝借)のこと、猫たちのこと、今はもう、猫だけ1匹になったが、子供のころ、祭りでヒヨコを買って、どこの家でも、育たずに死んでしまうことが多かったが、我が家は、親が育て方を知っていたようで、立派なニワトリになり、学校に行くときは付いてきて、恥ずかしかったーとか、アヒルも育って、家の池で泳いでいた―とか、大笑いで話していた。
「思い返すと、いつも、なにかしらの動物や鳥がいた中で、私ら姉妹は育ってきた」
 そう、いつも、動物の目を見ていた。
 舟木一夫の一文に書かれていた動物の目に湛えられたいろんな情を受け止めてきた。
 いろんなものを知らないうちに貰って来た。
 
 そんなで、私も、それらを綴ったら、本一冊出来上がり、いや、それでは足りないか(笑)

                            (2023/12/15)

【追記】『動物のはなし』とタイトルしたのに、紙幅がなくなった、後日にしよう、しかし、続くか、どうか(相変わらず、いい加減な私)
 2023年もあっという間に終わった。今年は、12月20日に、舟木一夫の『浅草公会堂 サンクス コンサート』を見て、終わり…ではなかった。その後が、結構、用事があったのだった。あと、ひと頑張り??

                            (2023/12/15)