アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

猫まみれ、のち、泣! そして、船、進む、力強く。

2024-03-21 | 世情もろもろ
 3月、桜開花が足踏みしそうな、冬の寒さと暴風と表現してもまったく構わない強風が(しかも北からの…)、この数日吹き荒れた、いや、本日も、強風。冷たい風が「これでもか!」と、まるで闘いを挑んできているような荒ぶる風なのだが、これも大自然のひとつの景色―と思えば…とはいっても、早く収まってほしい〞春の嵐〞。
 3月の3分の2が早々に過ぎた。
 心(精神)にいくらか傷を負いながら、3月という、あちこちに、「おい、春が来たぞ」と告げる様を目にしても、傷はいくらか深かったか、癒えるのに時間がかかっている。やはり、年齢と共にメンタルは弱っているか、こんなに遠くまで歩いてきたのだから、「開きなおれ、お前」と自身の声も聞こえてくる。
「傷を負った~!」―と、泣きつくニャンはもういないし、「涙が止まらないよ!」と抱きしめるワン(犬)は、もう随分前からいない。
 犬も猫も、きっと、心に傷を負うことはあるはずだ、それでも、人が悲しみに沈んでいる時は、そばに来て、そっと、体をくっつけて、隣に座る。時に、その丸い手(前足)をそっと、こちらの膝に乗せる。そんな慰め方ができるのは、彼らがとても純粋だからだ。
 3月2日、自治体の会館で開催された『保護猫譲渡会』に行った。
 うちのニャンが遺した沢山のCat Foodをみんなに食べてもらうために…。
 会場は、猫まみれ! どの猫もケージの中で瞳を大きく開いて(興奮?緊張?)覗き込む人間を見つめている。慣れっこの猫は鳴いている。希望する猫がいても、ホイと譲ってくれるわけではない。希望者の年齢制限らしきものもある。猫も(犬も)昔と違い長生きをするから、やがて、遺して逝ってしまうかもしれないので、高齢者のみの家族には譲ってくれないらしい。家族構成、家庭環境など、結構、ハードルは高い。以前、虐待するために、保護猫を引き取っていったホントに蹴り飛ばしたい(!)輩もいたので、その厳しいハードルは下げなくてよいと思う。
 ケージの一つに、1月に逝ったうちのニャン美瑛にそっくりな毛色の猫がいた。壁の方を向いたまま、動かない。「ちょっとビビりなメグちゃん」と書いてあった。名前を呼ぶ、猫声(?)で話しかける、やっと振り向いて、かすかに鳴いた。うちのニャンに似ていた。そして、私は、涙ぽろぽろ…。まさに、「猫まみれ、泣き」―。
 そうやって3月が始まり、時間と共に、負った傷の深さに気が付いて、ふいと下を向いてしまいそうになる時、『舟木号』の力強い航海を知る。
 3月6日、川崎公演―。友人Nが観た。そのステージの力強さに感動したーと彼女の感想をその夜聞いた。2時間弱の中で、力強さはずっと、同じ強さで続いた、最初から最後まで、パワーあふれるステージで、それが途切れることはなかったーと。
『舟木号』の航海は、今年は、助走に少し、時間がかかったけれど、ここからは、「これこそが舟木号だ」という走りをする、ここで仕切り直し、よし、行くぞ、荒波などに負けてなるか―というパワーだったのかな…と容易に想像ができた。舟木一夫のその笑顔さえも…。
 そう、希望の船だから―と、こんなにも遠くまで来たのだから、どんな形になろうとも、どれほどに傷を負おうとも、その船は希望(のぞみ)へと繋がる船である。舟木一夫の目に、航海の先に瞬くひとつの光が見えている、私にもその光はやがて見えてくるはずだ、この船の行きつく先に在る光が…。
 
 人は、その胸底に、大切なものを持っている。決して、譲れない、失くすことなどできないものを…。そのためなら、どれほどに泥にまみれても、どれほどに悔しく、ものすごく情けないところに至っても、耐えることができるものなのだ。他者から、「それでは、なんとも、情けないではないか」などと言われようと、思われようと、耐える、それが、できる。
 そんな思いに至ることは誰にでも起こりうる。私も、ここまでの道で、嚙み切れるほどに唇を噛んだ悔しさも、それを言葉にできない、してはいけない理不尽な出来事にも遭遇してきた。しかし、そんな事(!)は自分の胸内にある大切な想いを失うことに比べたら、「些細なことだ」と自分を宥(なだ)め、そして、自身で納得してきた。自分の中にある大切なものを守るためなら、それこそ、土下座だってしてもよいのだ、その時は、下げた頭の陰で舌を出しているだろう―そのくらい開き直って、いや、心を強くしなければ、守り切れない。こんな悪意ばかりが勝利するみたいな世の中で…。
 そのくらいの開き直りを思い起こせば、このところの突然の出来事に負っていた傷は癒えていくはずだ。28・9年という長い時間の間の信頼はなんであったのであろう、私は、それが、憤るほどの真実であっても、偽情報を選ぶよりは、辛(つら)い真実(まこと)を知っていたい。そして、そんな些細なこと(!)で、長い時間に積み重ねたたくさんの事が崩壊していくほど、人の絆は弱いものだったか、いや、そんなものは最初(はな)から無かったのかもしれない―と、マァ、そのくらいに軽いものだったと自身に言い聞かせて、そこに立ち止まっている時間はもう無い。
 結局、ニャンもワンもいないから、自分の傷は自分で治す(!)

 この先も、船の外や世情には悪意の波打ち寄せ、憂いや戸惑いも見え隠れする、あるいは、最後の港に着いた時、満身創痍の状態かもしれないが、それでも、たったひとつ、〞希望〞というものは、その船底に、ずっと座していた。
 己(おのれ)の大切なものは失わなかった―と、その時に、高らかに言おう。越えてきた波間に向けて…。
 そんな風に思う。
 進め、舟木号、希みはいつも棄てなかった―と、やがて、言葉にできる。
                       
                                  (2024/3/21)

【追記】間もなく桜花爛漫の季節。4月京都へ!一緒に行く仲間の友人TとY、千穐楽はどうするのか、長野で決めようと話していたが、決まらず、発売日の9:50(発売は10:00から)までに決めるという離れ業のようになってしまった。結局、3公演見ることになった。Tは千穐楽は希望して2階席選び、Yと私は、奇跡のようにたった二席残っていた1階席の10~11列をgetできた。オペラグラスを持っていく―とYは言い、近視ではなかったYも年齢とともに…と悲しい事実(?)を呟いた。3~4年前まではコンタクトレンズを入れたら、20列ほどになってもよく見えた私の目も年齢とともに…である。結局、あちらこちらに支障がでてくる。初日は前方だから、オペラグラスは出番なし…か。そうやって、オペラグラスに限らず、旅の荷物はだんだん増える。
 昔々、若い日の旅は、着た切りスズメ状態。ジーンズに、服はTシャツ数枚と上着だけ、いつも、荷物少ないねーと言われていたのに、本当は、いろんな荷物を捨て去る時期にきているというのに、なぜだか、荷物が多い。

                                 (2024/3/21)


                                                                            
                                 

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