アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

Alain Delonを想う 

2018-09-24 | 世情もろもろ
Alain Delon―アラン・ドロン、フランス俳優。昨年、俳優の引退を発表した。
映画を1本、舞台をひとつやってから、引退する―と、言った。
1935年11月生まれ。11月になれば83才。
一昨日、『アラン・ドロン―ラストメッセージ』と題して、NHK‐BSプレミアムが一時間の放送をした。
Alainは、タキシードを着崩した格好でインタビューの場所に現れた。
82才。年齢だけを見たら、もうとっくに「おじいさん」である。勿論、昔の破滅的(と、私は思っていた)―破滅的な哀愁を帯びた美貌はない。
顔立ちは同じ、年をとったというだけで、「アラン・ドロンである」という顔をしていた。
「おじいさん」なのに、「タキシードを着崩した格好で」―現れたAlain。そこに、やはり、この人は人間ではないなぁ―などと、ふいと思った。
 タキシードを着崩した格好も、計算しつくされているのだ。それが、彼の美なのだ。
 パーティで呑み過ぎたその帰り道、着ていたタキシードが着崩れたというのとは違う。
 そして、人間ではないArainが語りだした時、「?!」―人間が顔を出した。
 タイトルに『俳優アラン・ドロン″ラストメッセージ″ 映画・人生 そして孤独』とあったが、その最後の「孤独」の意味がわかった気がした。
 番組の終わりの方に流れた『アラン・ドロンは何でも出来た。幸福になること以外は…』―という評に、私は大きく頷いた。
 私が、アラン・ドロンという俳優を知ったきっかけは、勿論、映画『太陽がいっぱい』であったが、そのロードショーは、それより何年も前。私は地方の小さな映画館で、『太陽がいっぱい』のリバイバル上映を見たのだ。まだ中学生なのに、心が震えた。中学生だから、その内容よりも、アラン・ドロンという人の美貌に、驚いたのだ。
 それ以来、彼の映画をみな観てきたが、アラン・ドロンは、人間ではなかった。美貌も、映画の中の芝居も―「人」ではなかった。
 だから、遠い。
 けれど、一昨日のロングインタビューを見て、ひどく近くなった。
 自分の人生を生きてきた一人の人間が、居た。
 すでに逝った人々を語る時、ふっと、涙が浮かんだようであり、言葉も詰まった。
 人が生きて、人生という長い旅をしてきて、人は人間になる―などと、妙な思いをあらためて思ったりした。
 心が震えた。
 アラン・ドロンという、遠い所にいる俳優の言葉に、人生に、心が震えることなど有るはずがなかったのに、心が、共鳴して、震えて、涙が浮かんだ。
 そして、そうやって生きて、自らの「終り」も用意して、
「東京オリンピックの時、日本に行かなければならない。友達が柔道に出る。彼が金メダルを取るための応援をしにいく。日本には悪いが、金メダルは渡さない」
と、「普通の世界」に立って、そう言って笑った。
 現在、たった一人で生きて、「幸福になること以外」はできた人間がそこに居た。
「私は何をしているのだ」
 と、どこかで自分を叱咤する。
 去る五月、西城秀樹さんが逝ってしまった。
 彼の『ブルースカイブルー』という歌が、私のこれまでの旅路の最も困難で苦しい時期、凄まじい時を、乗り越える手助けをしてくれた。
「この歌にどれだけ助けられたか」
 聴けば、今でも、涙が溢れる。
「あの男は一本貫いた男だった」
と、そんな事は言いそうもない、七十代の半分近くなる知り合いが言っていた。その人は、様々な興業やら、いろんな仕事をしてきた、表街道ばかりを歩いて来たのではないだろうと思われる人生をおくってきたようだが、その人が、西城秀樹という人間をそのように評価していた。

 あまりに突飛だけれど、Alain Delonの語るのを聞き、また、数ヶ月前に逝ってしまった西城さんの歌や生きてきた道を想いやり、
 「私は、何をしているのだ!」
 と、また、自らを叱咤した。
 人は、みずからの場に寄って立っている、地に足をつけて…と、当然のことを、こんなに遠くまで歩いてきたくせに、思い入る。
 石川啄木の「友がみなわれより偉く見える日」という歌を思い出しながら…。
「私は、何をしているのだ」―と。



「追記」
 Alainは、自分が死んだ時、フランスの新聞はどのように書くか、記者たちに聞いたと言った。
『サムライが死んだ』
 彼らはそのように書くと答え、Alain自身も、そのように書いてもらえるだろう―と、どこか嬉しそうな表情をした。「サムライ」に寄り添った人生でもあったなぁ―と、私は、単なる「日本贔屓」では片付けられないアラン・ドロンという人の生き方を思いやった。



 


災害列島

2018-09-09 | 世情もろもろ
 8月は一度も書き込むことなく、すでに9月も3分の1が過ぎる。
 8月に、書きたい事が無かったわけではない。
他の原稿にはその数カ月のまとめのような事、心震えた事、涙を禁じえなかった事…等々、書き綴り、ここにも、書こう―とは思っていたが、8月が終わり、9月に、灼熱の夏を振り返って、まとめようと思い直した。
 しかし、矢継ぎ早やに起こる災害に、「脳が」追いついていかない。
 関西空港が水没した!?…などと驚いたのも、束の間、二日後には、北海道に大きな地震、美しい緑に覆われていた山が崩れ、茶色が覆っていた。木々は土砂と一緒になってなぎ倒されて、亡くなった方々が沢山に・・。午前3時という真夜中の地震であったことが、犠牲を大きくしたのかもしれない。
「日本は、災害列島になってしまった」
 胸ふさぐような出来事を前にして、悲しい呟きを吐いた。

「違約金を払ってでもオリンピックは中止にしたほうがよい」―と、文芸評論家の斎藤美奈子氏がコラムで書いていたが、同感だ。彼女は元々、オリンピックの招致に反対だったという。
 オリンピックどころではない―と、これは、他の著名な人も話していた。
 正直に明かせば、私も彼女と同じ。東日本大震災の復興がなっていない。福島原発は汚染水を流し続けていた。それを「福島は完全にシャットできている」と、「嘘」を言って招致した。良いことはない。
また、このオリンピックは、石原元都知事が、「オリンピックは、儲かる」と言って、招致に乗り出した―本来は神聖であるべきスポーツの祭典、その開催地の招致のきっかけが「オリンピックは儲かる」―これは、無い。断じて、あってはならないだろう。たとえ、そうであったとしても、言葉にするものではない。そういう当然の道理や常識がわからない人物、為政者たちが、行っている諸々の出来事だ。
「災害列島」―私たちの祖国だ。世界中に、祖国に寄って立つことが出来ない人々がいる。祖国を捨てざるを得ない人々、難民となってしまった人々が、どれほど居ることか。この星に生まれた、本来は、平等な生命のはずなのに…。そして、いつ、私たちも、祖国を喪失してしまうかもしれない、この災害列島になってしまった祖国を見れば―と、思い及び、ふいと俯いてしまう。
 そして、今朝、本当に最もだ!―と、何度も頷いたコラムが載っていた。これを声高に叫ぶ人がなぜ、いないのか。いや、居ても、それを発表する事をためらっているのか、メディアは…。政権に対して腰が引けているマスコミを思うと、それも、ありえると思う。
 以下、そのコラムをここに転載―。
 タイトルは、『災害列島の安全保障』(法政大学教授 山口次郎)―。

《 猛烈な台風が関西を襲った直後、北海道では大地震が起きた。
日本中どこにいても大規模な自然災害に襲われる可能性があるという自明の事実を改めて教えられる。この危険な列島に住む我々にとっての安全保障とは何か、本気で考えなければならない。
 人命救助や復旧のために奮闘する現場の人々には頭が下がる。現場の献身的頑張りに依存するシステムはすぐに破綻ずる。政治家の宣伝のために復旧を急げと指図だけするのを見ると、腹が立つ。政治家の仕事は、復旧に必要な人手と予算を十分確保することである。
 これからこの種の災害が頻発することを前提に、予算の使い方を見直すことも政治の課題である。 
民営化されたJRでは、災害で線路が破壊されると、それを奇貨として復旧をサボり、赤字路線を廃止に追い込むという事例が何件も起こっている。北海道の農村部で災害が起こると、政府がこれをまねて、復旧のコストがかかるからと地域社会自体を見捨てることだって起こりかねない。
 安倍首相は北朝鮮のミサイルに対しては過剰に反応し、国民を守ると豪語した。しかし、ミサイルよりもはるかに高い確率で、災害によって人命は奪われる。国民の命を守るために金を使うことを優先するなら、米国の軍需産業をもうけさせるために高価な武器を買うなどもってのほかである。》(東京新聞 2018/9/9 本音のコラム)

至極もっともなことだ。
政権は、米国に従順すぎる。
この間、トランプ米大統領と安倍首相との会談で、
「真珠湾を忘れない」
と、トランプ大統領が発言した。
安倍首相は、反論せず。そう言われたら、
「ヒロシマ、ナガサキを忘れない」
と、言い返せなかったのかなぁ。私は言うなぁ。確かに、真珠湾の奇襲は日本は卑怯だったけどー。
が、安倍首相の頭には、広島、長崎のことは、原爆忌の時以外は無いから、出てこなかったのかもしれないなーと、納得してしまった。


 南の海上で、また、台風が発生した。台風22号。現在のところ、進路はフィリピンの方角らしいが、自然の行うことは予測が出来ないから、また、私たちは、備えなければならない。そいう自然界にしてしまったのも、私たち人類ではある。
 もう遅いかもしれないけれど、猛省をしなければ、日本国どころか、この星・地球を失いかねない。