熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

映画「源氏物語 千年の謎」

2012年01月14日 | 映画
   久しぶりに、ワーナーマイカルで映画「源氏物語 千年の謎」を見た。
   元々、平家物語と源氏物語は、私の学生時代からの愛読書で、京都を中心に、これらの物語の故地を巡って歩きながら、物語の色々なシーンを反芻し続けていたので、関係映画も結構見ている。
   前回の天海祐希が光源氏を演じた映画も面白かった。

   今回の映画は、源氏物語の殆ど冒頭の部分が中心で、光源氏(生田斗真)を巡る女性たちも、藤壺(真木よう子)、葵上(多部未華子)、六条御息所(田中麗奈)、夕顔(芦名星)に限られていて、当然、登場すべき紫上などは、出て来ないので、サブタイトルが「千年の謎」と言うように、何故、紫式部が源氏物語を書いたのかと言う謎解きに焦点を当てたと言うことであろうか。
   
   何故、紫式部が「源氏物語」を書いたかと言うことだが、冒頭、石山寺と思しき境内で、道長(東山紀之)が紫式部(中谷美紀)を追いつめて情を通じるシーンから始まる。そこで、道長が、自分の娘彰子(蓮佛美沙子)を一条天皇(東儀秀樹)の中宮として入内させているので、懐妊して自分の血を王家に残すために、一条天皇を彰子に惹きつけて置けるような面白い物語を書けと命じる。
   勿論、それに従って式部は源氏物語を書き始める。
   ところで、この映画の重要な点なのだが、式部が密かに道長を恋い慕っていると言う伏線があって、その道長への募る恋の思いと満たされない現実とが錯綜して、源氏物語が、少しずつ妖気を帯びて複雑な展開を始める。
   したがって、この映画は、実際には、現実と物語の中に入り込んで、両方を行き来するのは、陰陽師安倍清明(窪塚洋介)だけなのだが、(尤も、最後に、式部と源氏の対話が挿入されてはいるが)、現実の世界と物語の世界とが錯綜して同時進行して行くので、妖しい恋の平安絵巻が展開されていて面白い。

   この映画で、意外だったのは、前回の天海源氏の映画でも、渡辺謙の道長が、吉永小百合の紫式部にモーションをかけるのだがきっぱりと拒絶されていたし、二人の関係はぼかされているケースが普通なのだが、今回は、明確に二人は関係を結んでいて、最後のシーンでは、式部が娘の住む田舎へ旅立ち分かれて行くとしているものの、これから源氏物語が最盛期に入るので、何となく、二人の愛人関係が続くと言う暗示を与えている。
   もう一つの意外な点は、源氏が、義母でありながら亡き母桐壺更衣(真木よう子)に生き写しの藤壺に、激しく恋をして後の天皇を身籠らせるのだが、これは、あくまで、源氏の一方的なアプローチ故なのだが、今回は、激しく迫るが最後には諦めて去るのは源氏の方で、去ろうとする源氏に、愛しい人を地獄に送る訳には行かないと言って、藤壺の方から身を任せると言う意外な展開になっている。
   
   この源氏物語の冒頭の部分では、やはり、一番印象的なのは、源氏の藤壺に対する為さぬ恋だと思うのだが、若い源氏は、一途に藤壺を我が物にすべく後先を考えずに突き進むが、藤壺の方は、たった一回の過ちを悔いに悔いて最後には出家して源氏の前から消えてしまうのだが、寿美花代の演じた藤壺の素晴らしさが、今でも脳裏に残っていて懐かしい。
   この映画では、誘惑して罪を犯すのは藤壺の方であるから、不義の子とも知らずに光源氏に良く似た美しい子だと喜ぶ天皇を前にしても、真木藤壺は動揺する気配さえ見せないのだが、原作通りに出家して剃髪するシーンだけはフォローしているものの、後先のストーリー性が欠けるので、白々しいし、出家を止めようとして必死に駆け込む源氏の門前払いにも、全く悲劇性はなく、蛇足に終わってしまっている。

   さて、この物語で、情の熱さが災いして嫉妬に狂う年増の六条御息所が、源氏の愛人夕顔を呪い殺し、源氏の子を出産した葵上まで生霊となって殺してしまうので、災いを断つために、斎宮となった娘と共に伊勢へ下ると言う形で退場するのだが、式部が田舎へ旅立つと言うラスト・シーンは、これと呼応した形式を取っている。
   あまりにも、源氏物語が激しすぎるので、按じた安倍清明が、道長に、式部に源氏物語を止めさせるよう進言するのだが、式部の業を知りたいと拒絶する。
   式部の道長への思いの高ぶりが、御息所の鬼気迫る生霊としての表現の激しさを増幅するので、清明は、物語の中に入り込んで、御息所を調伏すべく対決するのだが、式部と御息所を重ねながら、恋の激しさを描こうとしている(?)のが面白い。

   ところが、その道長が、式部に、彰子に皇子が生まれたので当初の目的が成就したのに、何故、源氏物語を書き続けるのかと聞くのだが、分かっているくせにといなされる。
   道長は、あくまで、式部は語り部であって、最初は口から出まかせで式部を強引にものにしたが、気がないことを式部は知っているので、満たされぬ心の思いがつのって行き、益々、源氏物語の表現が凄まじく激しさを増して行く。(一度、道長が、狐の面をつけて式部に迫るが、式部は軽くあしらうシーンはあるのだが)

   ところで、六条御息所だが、大臣の娘で元は東宮妃であり、美しくて上品な知性教養の高さは申し分のない素晴らしい女性で、恐らく、恋の手ほどきや愛の交歓の素晴らしさなど男への道の殆どは彼女から教えられた筈なのだが、何しろ、子供の源氏にしてみれば、矜持と気位の高い何でも上の姉様愛人の御息所が、だんだん、鬱陶しくなってきて、若くて美しくて新鮮な女性に興味を持ち始める。
   この映画では、この御息所の生霊と呪いの激しさを、特殊撮影やCG手法をふんだんに取り入れて、効果的にストーリーを展開していて、それに、陰陽師を絡ませて、あの世の世界や異界の現象を効果音を巧みに使って表現していて、そのスペクタクル・シーンも非常に見ごたえがある。
   御息所を演じる田中麗奈だが、私は、ゲゲゲの喜太郎の猫娘しか知らないが、妖艶かつ鬼気迫る生霊を実に巧みに演じており、また、高貴ながらも妖しく崩れた女の魅力を醸し出していて魅力的である。

   面白いのは、葵上の扱いだが、東宮妃に予定されていた年上女房で、気位が高くて打ち解けなかった筈だが、この映画では、子供っぽく見える多部未華子の印象か、非常に可愛く、それに、子供夕霧が生まれる前後に非常に源氏との夫婦仲が円満になっていたのが、新鮮であった。
   恐らく、源氏物語の中でも、夕顔が、最も人気の高い女性の一人だと思うのだが、源氏が近づく以前に、既に、葵上の兄である頭の中将(尾上松也)と愛人関係にあり、一女玉鬘を生んでおり、この淑やかで従順な薄命の女性の娘の数奇な話も面白い。芦名星が、中々、雰囲気のある夕顔を演じていて素晴らしい。

   さて、桐壺と藤壺を演じた真木よう子だが、私には、龍馬伝でのお龍の印象が強烈であったので、それに、これまで演じた女優が、大半、もう少し、成熟した女性の魅力を匂わせた人々だったので、若くて、どちらかと言うとモダンで淡泊な真木の演技には、多少の違和感と、逆に、新鮮さを感じたのだが、良く考えてみれば、これは私の思い込みであって、実際には、二人とも、もっと若くて初々しかった筈なのである。
   先に書いた藤壺の人物描写には、疑問があるけれど、新しい桐壺更衣と藤壺女御像を楽しませて貰った。

   生田斗真の優雅で溌剌とした光源氏、東山紀之の風格と貫録のある道長は、文句なく適役で好演していた。
   安倍清明の窪塚洋介と甲本雅裕の藤原行成の個性的な演技、榎木孝明の桐壺帝と東儀秀樹の一条天皇の風格、尾上松也の頭の中将の爽やかさ。生田と尾上の舞「青海波」は素晴らしかった。

   さて、最後になってしまったが、最も素晴らしいと思ったのは、紫式部を演じた中谷美紀で、あの色々な思いや心の襞を微妙な顔の表情に凝縮した演技が、私には非常に魅力的で、大変な学識と教養をそなえながら、激しくも、時には、狂おしい恋の思いを綴り続ける才女紫式部を髣髴とさせる女の魅力満開であった。
   NHKの「白洲次郎」の白洲正子役の素晴らしさを思い出しながら、映画を見ていた。

(追記)写真は、映画・comから借用
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