「つたこさん」と出会ったのは、最後の選挙の時。
選挙カーで回るたび、家の近くを通るたび、必ず私のパンフレットを手に持って道に出て手を振ってくれた。決して「親しい」間柄ではなかったが、そういう応援をしてくれる人は、当時の私にとって本当にありがたかい存在だった。
そして・・・月日がたち、つた子さんと私は再会した。「池さんの経営者」と「利用者」として。
老いてゆくつた子さんに、私は「その当時」の恩返しの気持ちで、向き合ってきた。
つたこさんのボケはますます進み、言葉さえ発することが難しくなってきた。
ただ時折感情は荒々しく爆発する。怒り・戸惑いは、いつも荒々しく目の前の人に向けられる。
気持ちが落ち着いているときには、笑顔が見られるものの、最近では「つたこさんと心が通じている」と感じる時は急激に減ってきた。代わりに、「なぜ?なぜ?こんな行動になるのか?」「何を思っているのか?」と考える場面が増えてきた。
社会というものを捨て、理性というものを捨て、他者と自分を認識できなくなり、もちろん時間も行為の意味も、順序も、手順も・・・全て捨ててしまったつたこさん。最後に捨てたのは、言葉。
今は・・・言葉も・・・捨て去っている。
ただ、感情のままに・・・生きる人。
でも今日、
つた子さんは迎えの車から降りて部屋へ入る時、確かにしゃべった。
「昨日は来れんかって寂しかったよ。ずっと待ってたのに。今日は迎えに来てくれたから、ここへ来れた!とっても嬉しかったんよ!」
・・・と。
その時、
私にはつたこさんの言葉が聞こえた。
心の声が。
その時、確かに聞き取れたのだ。
そして、今日確かにつたこさんは、何度もいろんなことを話していた!
最近は怒ったときにだけ、大きな声でわめくつたこさんが、今日はただ、普通にしゃべっていた。
ひとりごと・・・
もちろん・・・何をしゃべっているのかは、聞き取れはしない。
でも、
何かを一人でしゃべっていた。
つたこさんのおしゃべり。
聞こうとしても聞こえない、
つたこさんのおしゃべり。
ただ、
心にだけ聞こえる、
つたこさんのおしゃべり。