春が来ると、じっとしていられない家族、池内家。
週末は天気さえ良ければ、山へと足を運び、山菜とりに情熱を燃やし、春の食材をゲットしてくる。(これは、池さんの献立の助けにもなるので、一石二鳥!)
今週も、遅い春が来た湯波へと出かけた。
土曜日利用のヒイちゃんに、湯波のじいちゃんが会いたがっていたから。ちなみに池さんで会った時にわかったことだけど、ヒイちゃんとじいちゃんは、遠い親戚になるらしい。(ここら辺の経緯は、以前のブログに書いてます)
で、ヒイちゃんのお母さんは、湯波の出身。
この前じいちゃんの所へ行った時、じいちゃんが「ヒイ姉の母親の出里を思い出したけん、また、来てみてや!」と言ってたから、皆でまたまたヨモギ団子を持って山へ出かけることになった。
本日のメンバーは、ヒイちゃん、大ちゃんと大ママ、ふうちゃんとみかちゃんと幹太。
車2台に分乗して、いざ! 湯波へ
ちなみに、ヒイちゃんは、「じいちゃんが会いたがっとるから、湯波行こう」と言った時、「今日は足が痛いけん、膝も痛いけん、行かん!」と言い張ったけど、「背負うたげるけん、一緒に行こうや!」と言って車に乗せた。
湯波につくと、いつものようにじいちゃんは、山に入って働いとった。
ヒイちゃんを見て、「お~お~ヒイ姉、来たんか?」と、喜んでくれた。
ヒイちゃんも、とびきりの笑顔で、「ヨリさん、元気やったんか?」痛いと言っていた足も膝も、ど~もない。トコトコ走って山を歩く。
いろいろ、積る話をした後、「行ってみるか?」とじいちゃんが言って、いざ山奥へと車を走らせる。(正確に言えば、走るというより、でこぼこ道を揺られるという感じ!)
湯波のじいちゃんの家から山道を更に奥へと5分くらい進んだ場所で、じいちゃんが言った。
「ここじゃ!」
でも、そこは確かに杉林!
車に迫るように生い茂る杉の山。車一台がやっと通れるほどの狭い道を挟んで、じいちゃんが示す所は、川のほとりの杉林。
「今はもうこんなになっとるけど、昔は、ここには畑があって、この奥に家が一軒だけあったんぞ。そこがヒイ姉のおかあの里じゃ!」
説明してくれるじいちゃんの横で、ヒイちゃんは、見覚えのある土地とは明らかに異なってしまった山の状況に、母の里というイメージがわかないような顔で、きょとんとした感じ。
本当に、山深い場所。植林されたであろう杉の林は、おそらく何十年もの年月を経て、山の様子を変えてしまっているようだ。
「すごいところやね。こんなところに人が住んどったんよね~」私の言葉に、じいちゃんが、言った。「この道を進んで行ったら、大保木に行くんぞ!」「大保木?」「昔、わしの親父は、大保木からわらじをはいての、この道を通って、湯波へ働きに来よったんぞ!」「どのくらいかかるん?」「そうよな、こ1時間よの~」
私の頭の中で、大保木は遙かに離れた場所。その大保木が、山伝いにこの湯波と繋がっていて、しかも、昔は山道を通って、日常仕事に通う土地だった!!!
なんということ!
昔の山の人の偉大さに、心から敬意を払いたいと思う。
不便な山に住み、自然と共に生き、不自由な暮らしを憂うどころか、少しでも働ける場所を求めて、更に移動して生計を立ててきた人々。
不便な湯波の、更にこの奥地で、私たちは、背筋の震えるような感動を覚えた。
母親の里ということは、今一ピンと来なかったヒイちゃんだが、帰る車の中で、こういった。「やっぱり、山はええなあ~。ここへ住もうかいな?」「ヨリさんの嫁になるかい?」「もう90じゃけんの。嫁はもういかんわい!」「ほやけど、だ~れもおらんけん、さみしいぞい。」「養子でももらおうか?」「養子?これかい?」私が大ちゃんを見ていうと、「うん!ほうじゃな」
大ちゃん~~~! 山で暮らすんかい???
じいちゃんの家の近くまで帰ってから、ヒイちゃんが言った。
「お母はんも、山へ行ってみたい言いよるけん、一回連れて来てやりたいんよ。」ヒイちゃんが91歳だから、もちろんお母さんはもういない。「ヒイちゃん、お母はんは、何歳?」と聞くと、「そうよな、90くらいじゃ!」「ほんなら、ヒイちゃんより年下かい?」「・・・」
しばらくすると、またヒイちゃんが言う。「ここは日当たりがええの。お母はんを連れてきたいの~。」
去年の夏、私達は、伊藤さんの家のある大保木へ、探検に繰り出した。その大保木とこの湯波が、こんなに近くだった。
じいちゃんが、「大保木から流れて来た」と言って家にくれた竜の形の木の根は、今日確かに「本当だ」と確信が持てるような、そんな気がした。
ヒイちゃんのお母さんが生まれ育ち、ヒイちゃんもかつて幼い頃に訪れたであろうこの湯波。
山に広がる杉の林。「林道湯波線終点」という文字が、やけに重みをもって心に響いた。
過酷な自然と共に生きた人々の暮らしを、少しだけ感じて、今日、ますます山の虜になってしまった私たち。
じいちゃんは、腰の曲がった体で今日も、山を切り開いて作ったわずかな土地で「しきび」や「シイタケ」を育てる。
・・・
ところで・・・山の人たちの暮らしに大いに感動した私たちだったが、もちろん、帰りにはいつものように、しっかりツクシやらカンゾウやらヨモギやら、山の幸をゲットして帰った池内家
本日の池内家の献立:ツクシの卵とじ・カンゾウの胡麻和え・天ぷら(ヨモギ・じいちゃんちの原木のシイタケ・小鰯・重さんとこの春キャベツと生姜の和えもの・プラス湯豆腐
まさに、春満喫の食卓・・・というよりも、なんちゅうか~お金のかからん食卓。(本日購入したのは、3割引の小鰯と豆腐1丁だけ!)
ま、何はともあれ・・・貧しい私たちは、毎日こうして食費を浮かしてま~す
週末は天気さえ良ければ、山へと足を運び、山菜とりに情熱を燃やし、春の食材をゲットしてくる。(これは、池さんの献立の助けにもなるので、一石二鳥!)
今週も、遅い春が来た湯波へと出かけた。
土曜日利用のヒイちゃんに、湯波のじいちゃんが会いたがっていたから。ちなみに池さんで会った時にわかったことだけど、ヒイちゃんとじいちゃんは、遠い親戚になるらしい。(ここら辺の経緯は、以前のブログに書いてます)
で、ヒイちゃんのお母さんは、湯波の出身。
この前じいちゃんの所へ行った時、じいちゃんが「ヒイ姉の母親の出里を思い出したけん、また、来てみてや!」と言ってたから、皆でまたまたヨモギ団子を持って山へ出かけることになった。
本日のメンバーは、ヒイちゃん、大ちゃんと大ママ、ふうちゃんとみかちゃんと幹太。
車2台に分乗して、いざ! 湯波へ
ちなみに、ヒイちゃんは、「じいちゃんが会いたがっとるから、湯波行こう」と言った時、「今日は足が痛いけん、膝も痛いけん、行かん!」と言い張ったけど、「背負うたげるけん、一緒に行こうや!」と言って車に乗せた。
湯波につくと、いつものようにじいちゃんは、山に入って働いとった。
ヒイちゃんを見て、「お~お~ヒイ姉、来たんか?」と、喜んでくれた。
ヒイちゃんも、とびきりの笑顔で、「ヨリさん、元気やったんか?」痛いと言っていた足も膝も、ど~もない。トコトコ走って山を歩く。
いろいろ、積る話をした後、「行ってみるか?」とじいちゃんが言って、いざ山奥へと車を走らせる。(正確に言えば、走るというより、でこぼこ道を揺られるという感じ!)
湯波のじいちゃんの家から山道を更に奥へと5分くらい進んだ場所で、じいちゃんが言った。
「ここじゃ!」
でも、そこは確かに杉林!
車に迫るように生い茂る杉の山。車一台がやっと通れるほどの狭い道を挟んで、じいちゃんが示す所は、川のほとりの杉林。
「今はもうこんなになっとるけど、昔は、ここには畑があって、この奥に家が一軒だけあったんぞ。そこがヒイ姉のおかあの里じゃ!」
説明してくれるじいちゃんの横で、ヒイちゃんは、見覚えのある土地とは明らかに異なってしまった山の状況に、母の里というイメージがわかないような顔で、きょとんとした感じ。
本当に、山深い場所。植林されたであろう杉の林は、おそらく何十年もの年月を経て、山の様子を変えてしまっているようだ。
「すごいところやね。こんなところに人が住んどったんよね~」私の言葉に、じいちゃんが、言った。「この道を進んで行ったら、大保木に行くんぞ!」「大保木?」「昔、わしの親父は、大保木からわらじをはいての、この道を通って、湯波へ働きに来よったんぞ!」「どのくらいかかるん?」「そうよな、こ1時間よの~」
私の頭の中で、大保木は遙かに離れた場所。その大保木が、山伝いにこの湯波と繋がっていて、しかも、昔は山道を通って、日常仕事に通う土地だった!!!
なんということ!
昔の山の人の偉大さに、心から敬意を払いたいと思う。
不便な山に住み、自然と共に生き、不自由な暮らしを憂うどころか、少しでも働ける場所を求めて、更に移動して生計を立ててきた人々。
不便な湯波の、更にこの奥地で、私たちは、背筋の震えるような感動を覚えた。
母親の里ということは、今一ピンと来なかったヒイちゃんだが、帰る車の中で、こういった。「やっぱり、山はええなあ~。ここへ住もうかいな?」「ヨリさんの嫁になるかい?」「もう90じゃけんの。嫁はもういかんわい!」「ほやけど、だ~れもおらんけん、さみしいぞい。」「養子でももらおうか?」「養子?これかい?」私が大ちゃんを見ていうと、「うん!ほうじゃな」
大ちゃん~~~! 山で暮らすんかい???
じいちゃんの家の近くまで帰ってから、ヒイちゃんが言った。
「お母はんも、山へ行ってみたい言いよるけん、一回連れて来てやりたいんよ。」ヒイちゃんが91歳だから、もちろんお母さんはもういない。「ヒイちゃん、お母はんは、何歳?」と聞くと、「そうよな、90くらいじゃ!」「ほんなら、ヒイちゃんより年下かい?」「・・・」
しばらくすると、またヒイちゃんが言う。「ここは日当たりがええの。お母はんを連れてきたいの~。」
去年の夏、私達は、伊藤さんの家のある大保木へ、探検に繰り出した。その大保木とこの湯波が、こんなに近くだった。
じいちゃんが、「大保木から流れて来た」と言って家にくれた竜の形の木の根は、今日確かに「本当だ」と確信が持てるような、そんな気がした。
ヒイちゃんのお母さんが生まれ育ち、ヒイちゃんもかつて幼い頃に訪れたであろうこの湯波。
山に広がる杉の林。「林道湯波線終点」という文字が、やけに重みをもって心に響いた。
過酷な自然と共に生きた人々の暮らしを、少しだけ感じて、今日、ますます山の虜になってしまった私たち。
じいちゃんは、腰の曲がった体で今日も、山を切り開いて作ったわずかな土地で「しきび」や「シイタケ」を育てる。
・・・
ところで・・・山の人たちの暮らしに大いに感動した私たちだったが、もちろん、帰りにはいつものように、しっかりツクシやらカンゾウやらヨモギやら、山の幸をゲットして帰った池内家
本日の池内家の献立:ツクシの卵とじ・カンゾウの胡麻和え・天ぷら(ヨモギ・じいちゃんちの原木のシイタケ・小鰯・重さんとこの春キャベツと生姜の和えもの・プラス湯豆腐
まさに、春満喫の食卓・・・というよりも、なんちゅうか~お金のかからん食卓。(本日購入したのは、3割引の小鰯と豆腐1丁だけ!)
ま、何はともあれ・・・貧しい私たちは、毎日こうして食費を浮かしてま~す