本日7月1日は、石鎚山のお山開きの日。
ご神体を背負った信者たちが、お山へと登っていきます。
山という自然の尊い働きと恵みによって私たちの衣・食・住が支えられている、山は空気を作り、生きる命を支える水を作る、いにしえの時から脈々と続いてきた山の働きに感謝の祈りをささげるという大切な日です。
緑溢れる霊気に命がよみがえる日、美しく身を清めて生まれ変わる「命の更新の時」と悟る日。
古くからこの国の人は万物に神が宿ると信じ、あらゆるものに感謝して祈り続けてきました。
自然の中で生かされている命に感謝し、手を合わせて祈り続けてきたのです。
池さんのばあちゃんたちも、山へと向かうご神体を前に祈ります。
感謝の祈りをささげるのです。
かつてヒイちゃんも祈りました。
ヒイちゃんの子守歌で育った民江さんが、今年はヒイちゃんの代わりに大頭で祈ります。
石鎚の山に守られているこの土地の人々にとって、7月1日という一日は特別な意味を持つ日なのです。
そして池さんにとって7月1日は、やはり大きな日。
大頭の宅老所が開所した日です。
井上夫婦が暮らすためにつくった大頭の家も、もう8年めです。
今ではその宅老所は「大頭の池さん」として、ゆっくりした時間の流れる通所施設に使っていますが、やはり私たちにとってこの場所は大きな転機を与えてくれた大切な場所なのです。
介護保険に縛られない自由な空間、井上夫婦が家と同じように過ごせる場所として考え抜いて育ててきた場所。
今でも様々なシーンが、はっきりと脳裏に焼き付いています。
2人が話した言葉が、耳に焼き付いています。
見送った時の心の震えが、よみがえってきます。
じいちゃんらしく、みよちゃんらしく、大切な命を2人があるがままに生き切った大切な家。
その家ができた日。
だから7月1日は、ずっとこれからも大切にしてゆきたい大切な日なのです。
そして今年の7月1日はもう一つ。
池さん再生・再出発の一日となりました。
11年間、ずっと腐心し続けてきた出来事から離れ新しい旅立ちを迎えた日。
土曜日だったので部屋を整え、夏に向けての準備をしました。
新品のタオルを洗い、扇風機やエアコンをつけ、ゴミも片付け、(お休みだったスタッフが来てくれて)花を植えました。
きっと新しい風が、心地よい風が吹きこんでくることでしょう。
本店も本日は窓を開け放し、梅雨の晴れ間というには蒸し暑いほどの風を通しました。
まだまだ雨続きの後のじめじめした空気ではあるけれど、それでも窓は来る人のために、いつも開けておきたいと思っています。(もう少ししたら、窓は開けずにエアコン効かして冷やしておきますけどね。)
池さんに良い風が吹きますようにという祈りを込めた、これまた大切な一日。
大頭の夜。
オレンジ色に輝く雲に囲まれた上弦の月が奇麗です。
7月1日のいろいろな意味を優しく包み込んで、輝く星たちと共に美しく夜空を飾っています。
夜になってやっと気温が下がり始め、今は気持ちの良い風が大頭にも吹いています。
池さんに吹く風がこれからも滞ることのないよう、しっかり歩んでゆきたいと思っています。
ありがたいことに、私の中で記念すべき7月1日にお泊り当番です。
「頑張って」とみよちゃんたちが背中を押してくれているような、あるいは「今日はゆっくり大頭で考えなさい」と言うことなのかも・・・だからきっとお泊りなのだと勝手に思っています。
幸いなことに、持ってきた山のような書類はネット環境が悪いせいで、さっぱりはかどりません。
ブログにはアクセスできるのに、仕事の方はページの表示ができない・・・ということは、仕事をやめて考えろというサインかも・・・と勝手に言い訳しているメンタル弱い還暦目前のワタクシです。
どうでもいいおまけの話
先日松山へ行くことがあって、いつも怠けているお化粧などをしようと思い、久しぶりにマスカラでもと考えてビューラーで「まつげ」を挟もうとしたら、まつげではなく年齢と共にたるんできた「上瞼」を思いっきりビューラーで挟んでしまい、まあ痛かったこと!
目から火が出るとはこのことかと思うほどの痛みに、お化粧もそこそこに田舎者丸出しで華やかな会に出る羽目に。
そして悟ったことは、年を取ったらビューラーはやめたほうがいい、ということ。
上瞼のリフトアップやしわ取りをしてからでないと、危険が大きいという結論に達した次第。
まあ、そんなに今更取り繕っても仕方がないと、心底思ったわけで。
なのでそれ以来、お化粧もほとんどしなくなりました。
してもしなくても、たいして変わらんと。
そんなこんなどうでもいい話。
気温の変化に、どうか皆様くれぐれもお気をつけてお過ごしくださいませね。