池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

同じ方向を向いて

2014-08-31 20:53:23 | デイサービス池さん

どの家族も、ひたすら毎日を生きている。

憎んだり愛したりを繰り返しながら、日々を生きている。

愛しい日々を、送っている。

 

私たちは、年寄りを真ん中にして家族と繋がる努力を繰り返す。

介護する家族に向けて、私たちの想いや考えを機会あるごとに伝えていく。

 

家族と繋がることの大切さを、私たちは身を持って感じてきた。

そして・・・年寄りを見送った後も、家族はここを応援してくれる大切な人たちになってゆくのだ。

 

その努力を決して惜しんではならない。

もちろん簡単に、繋がることなどできるものではないことは承知の上。

 

繋がるために私たちは努力する。

一生懸命伝えてゆく。

 

そして・・・家族から信頼された時、

また、新しい道が開けてゆく。

同じ気持ちで同じ方向を向いて考えることができる新しい道が、

開けることになる。

 

今夜の大頭は、三日月が綺麗に見える夜。

コオロギの声がして、涼しい風が入っています。

 

 

 

 

 

 

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一日を

2014-08-27 20:17:51 | デイサービス池さん

どの人にとっても一日は大きな時間。

でも一日はたった24時間で、宇宙の営みからすればとるに足りないほどちっぽけな時間。

それでも、みんな一生懸命に生きているわけで。

 

日曜日、ワタクシ無事にお誕生日を迎えることができました。

ヒイちゃんが「年はとるもんじゃない。もらうもんぞい!」とかつて教えてくれたように、また新しい年を神様に頂いたありがたい気分です。

愚痴や不足をいつも心に抱えた小さな存在ながらも、こうして新しくまた一年を送ることができることを感謝したい気分です。

 

一つ覚えたら一つ忘れ、何か手に持つとそれをどこに置いたか忘れ、乱視がひどくなり眼鏡の調子は悪く、ドアで自分の手を挟み、振り返れば柱にぶつかり・・・まあ、そんな日常ではありますが、それでもばあちゃんたちと生きてゆくことに喜びを見出し、じいさんたちの態度に一喜一憂し、ビール片手に夜を過ごす・・・大切で愛おしい時間を生きています。

 

自分らしく生きていくことがどういうことなのか、自分が自分であるとはどういうことなのか、そもそも自分は何者なのか・・・年を重ねるほどに迷路に入りつつ、それでもこうして生きていることを素直に感謝して、出会った人たちに心を馳せながら、これからも生きてゆきたいと思っています。

ここで出会った人たちとの縁は、ワタクシにとって大きな財産。

瀬戸内の海を渡って嫁に来て、この土地で生きようと心に決めて、この土地の人に支えられて、いろんな経験を重ねて、そうして今があるのです。

確かに自分が選んだ道ではありますが、自分一人で歩んできた道ではありません。

 

そして思うのです。道は目の前にあるわけでなく、一生懸命生きた後振り返った時に後ろに伸びているものだと。

迷いながら悩みながらひたすら一日一日を大切に生きた後、過去を振り返った時にまっすぐに道が伸びているように・・・芯を持って凛と胸を張っていさぎよく生きていたいと思っています。

 

孫が帰って静かになった日。ボサボサだった髪を半年ぶりにショートカットにして、気分新たに新しく頂いた歳を生きてゆきたいと思いました。

煩悩だらけのこんな小さなワタクシですが、縁に導かれた方たち、どうぞこれからもよろしくお願いします。

 

 

 

 

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カマ子のお話

2014-08-24 21:55:10 | デイサービス池さん

1ヵ月に及ぶ愛媛での滞在を終えて、孫のひよりちゃんが今日福岡へ帰りました。

海・川・プール・プラネタリュウム・バーベキュー・花火・夏祭り・虫取り・泥遊び・そして何より池さんという場の複雑さ・・・ここで初めて経験したいろんなことを宝物にして、心の豊かな子に育ってほしいと願っています。

お世話になった皆様、本当にありがとうございました。

 

さて、今日はカマキリのお話です。

 

「カマキリのカマ子」

夏の初めに庭で見つけたカマキリを、私たちはカマ子と名付けて飼っていました。

その頃、クサガメの亀吉を拾ったばかりで、池さんでは小動物を飼うのがちょっとしたブームになっていました。

亀吉・カマ子・でん子にカブトムシやメダカ・オタマジャクシ、いろんな生き物を飼っていました。

カマ子は大きなカマキリでした。

小さなカマキリを同じケースに入れたら、あっという間にカマ子に食べられてしまうほど、元気で強いカマキリでした。

食べ物はクモやハエなど。いつも私たちは虫取り網を持って、カマ子のえさ取りをし、生きた餌しか食べないカマ子は、大きなクモもあっというまに平らげてしまいました。

しばらくしてカマ子は脱皮してもっと大きなカマキリに変身し、身体の色はケースの土の色に合わせて茶色になりました。

その後カマ子は2回目の脱皮をし元気に暮らしていましたが、水曜日の朝、3回目の脱皮に失敗して手と足に皮を巻き付けて横たわったカマ子を私たちは見つけたのです。

手も足も曲がったままです。羽と首も変形して動かなくなってしまいました。皮を脱ぎ切れずに、このまま命を落とすかのようでした。

でもカマ子は生きていました。

その日、一日かかってカマ子は暴れながら一生懸命手や足に絡みついている皮を食べ続けて、夕方脱いだ皮を全部食べてしまった時には、カマ子の命は尽きる寸前でした。

水を与えてみました。

ティッシュを水で湿らしてカマ子の口に運ぶと、カマ子が水を飲んだのです。急いでクモを採ってきて与えると、一生懸命食べ始めました。

カマ子は手も足も羽も首も頭の触覚も全てが変形してしまっていましたが、辛うじて口の両側にある小さな触覚のような器官だけが動きましたので、口の前に餌を持って行くと食べることができたのです。

おそらく目も見えていないのでしょう。身体を起こすこともできず、まったく自分では餌を口に運ぶ動作ができませんでしたので、私たちは餌をとってはカマ子の口に運ぶことを繰り返しました。

それから5日。

カマ子は、奇跡的に生きています。

生きた餌しか食べなかったカマ子が、お箸で挟んだクモを食べています。

チョウチョやトンボも捕りました。今日はバッタも与えました。そして、赤い口を出して水をぺろぺろ舐めるのです。

自然の状態では決して生きることはできないでしょうが、人の手が入ることで生きながらえることができています。

いつまで生きれるわからないけど、私たちは餌を捕り続けています。

 

私は、なんとも言えない想いにとらわれています。

この想いが何なのかはっきりとわかりませんが、でも心を大きく揺さぶられるような想いです。心の奥底を揺さぶるような、心の深い所に響くような、そんな想いに囚われています。

ただの虫です。しかもカマキリ。おそらく心を通わすことなどできないでしょうが、でもカマ子は手から水を飲むのです。生きるために。

私はクモは嫌いですし、チョウチョもトンボも殺したくはありません。でもカマ子が食べるから捕るわけです。

飼っているカマキリだから大事とか、気持ち悪いクモだから食べられていいとか、綺麗なチョウチョだから殺すのはかわいそうと思う、そんな考えの全てが自分勝手な一方的な考えでしかないのだと感じています。

どんな生き物も、生きてゆくためには、常に命を食さなければならないのだと、今更ながら感じています。

穀物も野菜も魚も牛や豚や鳥も、そのすべてに命があります。

肉はいやとか魚はかわいそうとか、野菜ならいいとか大豆ならいいとかそういうことではなく、生きているもの全てが、なにがしら他の命を採りこまなければ生きてゆけない存在なのだということです。

稲も野菜も本来は、誰かに食べられるために種の子孫を残すわけではないのですから。

ただ、自分自身もそういう存在であるということを意識することが大切なことなのでしょう。

 

カマ子を目の前にして、ものすごく大きな命題を突きつけられた感じです。

カマキリが好きなわけではなく、クモやバッタを憎いわけでもなく、チョウチョを殺すのが好きなわけでもないけれど、こうして生きてゆくしかない命が目の前にあったとしたら、やっぱり一生懸命クモを捕まえるしかないのかもしれないと。

親鸞の言った「罪業深重の凡夫」。罪深い存在としての自分の心の闇を正面から見据えること。自分の心の闇から逃げずに自分を見つめること。

生きているもの全てが抱える大きな命題のような気がします。

心の闇から解放されるために、はっきりと見つめることが必要な命題。

 

カマ子は、ただの虫だけど、なんだか宇宙の存在を感じる存在です。なんだか哲学的な気がします。

カマ子は決して「生きたい」と考えて、頑張って食べているわけではなく、「ただ生きている」のです。

カマ子を見て、一人のばあちゃんが言いました。「生きんがために食べよる」と。カマ子は決して「もっと生きたいと考えて頑張って」食べているわけではなく、「ただ生きる」ために食べているのでしょう。

「生きる」ということが、どういうことなのか。

「ただ生きること」を手助けするということが、どういうことなのか・・・。

 

池さんのカマキリ「カマ子のお話」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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種子

2014-08-20 21:29:31 | デイサービス池さん

まるで何かが怒り狂っているような災害続きの毎日。

皆様の所、大丈夫でしょうか?

ピンポイントでの豪雨災害に、いつ雨の標的になるのか、どこが標的になるのか心配ではありますが、とにかく五感を働かせて命を守ることを考えていたいと思います。

 

さて、一番新しい池さんのDVDのバックに流れる歌の話です。

 

ヨッシーが亡くなって、息子さん夫婦が「おもちつきしましょ!」とやってきておもちをついてくれた日。

いろんな縁が繋がりあってヨッシーという人と出会えたこと、ヨッシーはもういないけれど、こうして家族とより深い関係をもつことができたこと、ヨッシーが作ってくれた縁の大きさと深さをしみじみと感じることができた日。

ヨッシーがいなくなって乱れていた私たちの心を、また落ち着かせてくれた一日。

出会った人への感謝と、出合わせてくれたヨッシーへの感謝と、死をもって私たちに教えてくれた大切なことを、忘れないために。

みかちゃんが作ったDVDのバックには、こんな歌が流れています。

 

「愛は花、君はその種子」

 

やさしさを 押し流す 愛 それは川

魂を 切り裂く 愛 それはナイフ

とめどない 渇きが 愛だと いうけれど

愛は花 生命の花 きみは その種子

 

挫けるのを 恐れて 躍らない きみのこころ

醒めるのを 恐れて チャンス逃す きみの夢

奪われるのが 嫌さに 与えない こころ

死ぬのを 恐れて 生きることが できない

 

長い夜 ただひとり 遠い道 ただひとり

愛なんて 来やしない そう おもうときには

思いだしてごらん 冬 雪に 埋もれていても

種子は春 おひさまの 愛で 花ひらく

 

皆がもって生まれた大切な種子。

こころの中にある種子が、綺麗な花を咲かせることができるように・・・願っています。

 

 

 

 

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子どもたち

2014-08-18 22:41:43 | デイサービス池さん

世の中、お盆休みだったのでしょうが、あいにくこういう仕事をしていると、年中無休の毎日で・・・

が、しか~し、今回ワタクシ2日間の連休を頂きまして・・・いや、本当に感謝です。お留守番してくれた皆、どうもありがとうございました

どうしても実家へ行く用事があったもので。それに合わせて福岡のえみちゃんとも合流することもできました。

というわけで、ただ今池さんは池内家の孫たち4人が大集合しております。(絃太は保育園があるので毎日というわけにはいきませんが、到着した昨日は皆でにぎやかに遊んでおりました。)

子どもたちの成長と孫たちの成長、ワタクシと夫も、じいじとばあばの役目に忙しい毎日です。

 

月日はあっという間に過ぎてゆきます。

楽しみや喜びだけでなく、いろんな悩みや想いを抱えながらワタクシたちが生きてきたように、子どもや孫たちにも生きて欲しいと思います。

お友達や先生やこれから経験する様々な事や、思い通りにいかない社会や想いの届かない人や、いろんなことをいっぱいたくさん経験してほしいと思います。

思い通りにならない出来事をたくさん経験することこそが、きっといろんな方法を考える力になると思います。

どの子どもにも、豊かな人生を送って欲しいと心から願っています。

大切だと思えるたくさんの人に囲まれて、たくさんの夢をかなえることができたら嬉しいです。

健やかに生きてほしいと。

 

子どもたちを見ている池さんのばあさんたちは、優しい顔をしています。

皆が笑っています。

賑やかな子どもたちの声が響き渡って、池さんは久しぶりに池さんらしい一日でした。

笑顔の溢れる一日でした。

 

 

 

 

 

 

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宿業と現在と未来と

2014-08-12 21:48:04 | デイサービス池さん

自分はどこへいくのか。

いま、この時、自分がかかえている心の闇をどうするか、と問いかけます。

自分自身はどうなのか。

私は限りない煩悩をかかえた存在である、と彼ははっきりとそのことを認めます。

煩悩とは、悩み、欲望、苦しみ、悲哀や不安にいろどられた心です。

彼は過酷なまでに厳しく自己の内面をさぐります。

その時、重い矛盾を背負いながら生きる姿がありありと見えてくるのです。

それが罪業深重の凡夫の発見であり、確認でした。

 

彼とは親鸞。

 

自分の弱さやもろさを認めることは、勇気のいることかもしれません。

自分に正面から向き合うことをせず、殻をかぶって何事もなかったかのように淡々と生きることの方が楽なのかもしれません。

生きてゆく上で訪れる様々なできごと。

その日々の出来事や心の揺れに、向き合うことのしんどさや辛さは、誰もが経験するものです。

日々の出来事を、どう受け止めて自分の心を整えてゆくのか。

どの方向へ向かうのか。

それを考えることこそが、大切なことなのですよ。

 

「宿業」という言葉があります。

私たちは「宿業」を負わされている存在であるだけでなく、現在を生き未来へと向かう存在でもあるのです。

過去を背負い生きることは、未来へと向かうために必要なことです。

けれども、過去に縛られて生きることはただ、時間と人生を無駄に過ごすことに他なりません。

未来を生きるために、過去があると考えてください。

未来は変えることができるということを、忘れないでください。

 

謙虚に。

素直に。

自分の心と真摯に向き合う努力をしてください。

そしてもうひとつ。

池さんという場所を信じてください。

この場の力を信じてほしいのです。

新しい未来をつくることができる場所なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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カエルびより

2014-08-07 20:41:14 | デイサービス池さん

「カエルびより」

ワタクシ的に命名したお天気を現わす表現です!

まるでカエルの肌のように、なんだかべっとりと汗がからみついた感じの日。

う~ん。ただ暑いのではありませんよ。

涼しく感じても、湿度が高いというか・・・べとつく感じです。

濡れている感じじゃなくてぺタッとした感じ。

カエルの表皮の感じ。

触ると・・・ぺタッ!

ベタベタじゃなくて、あくまでもペッタッ!

わかるかな~?

・・・

ってゆうか、なんでこんなことを詳しく説明しているんだろうかわからないけど。

とにもかくにも、ワタクシが苦手な日・・・カエルびより

カエルさんには悪いけど、何度も言うけど、ワタクシこんな日が苦手です。

 

こんな日でも元気なのは、100歳まじかのばあさんたちと子どもたち。

本日も、蝉取りや泥遊びやボール遊びに励む子どもと、エビの皮むきに皿拭きに広報紙の発送作業の手伝いと勤労奉仕に精を出すばあさんたちの天下でした!

 

働き盛りのワタクシのはずが、カエルびよりにやられてしまっておりますわ

まだまだ夏は続きます。

ネコのさかなが遊びに出かけた大頭の夜は、とても静かです。

 

 

 

 

 

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イエイ!

2014-08-03 20:17:00 | デイサービス池さん

午後、ちょっと退屈そうだったみさちゃん、さっちゃんと一緒に西条市内へ出かける。

あいにく台風の影響で、雨ふり。

歌が好きなみさちゃんを車に乗せる時、私はいつも携帯の中に保存している音楽をかけることにしている。

この日も私はマイミュージックの音楽をかけ、運転し始めた。

いつもは鼻歌程度にフンフン~フン~てな感じで、みさちゃんが歌うのだけど、この日はみさちゃん大音量で歌い始めた。

みさちゃんは限られた単語しか話さないのだけど、歌に合わせて歌い始めた。

○△※~~~♨%&”#~~ウウ~~~ワ=&$」

でっかい声で、歌う。

あんまり楽しいので、私は運転しながら、イエイ~~と歌に合わせて右手を上げて盛り上がる。

後ろの座席に座っていたさっちゃんも、最初は「もうみさこ、うるさい」と言ってたけど、そのうち一緒に歌い始めた。

小さな軽自動車の中は、ガンガン歌声が響き続ける。

携帯の中に入っている音楽は、オーちゃんから届いた栄光への架け橋・オリンピックの時の今咲き誇る花たちよ・PROGRESS・その先へなど、ちょっと私的に元気になる好きな歌ばかり。

だから歌うのにはもってこい!

BOOMの歌が始まった時には、車内は最高潮!!

のどがカラカラになるくらい、皆で歌った!

 

いや~、雨の日は車に乗るにかぎりますな。

車の中で歌うにかぎりますな。

カラオケなんかじゃなくて、人の歌を聞くんじゃなくて、皆で歌うにかぎりますな。

歌詞を知らなくても、歌を覚えていなくても、とにかく大声を張り上げるにかぎりますな。

これ、同じ方向を向いた小さな空間だからできることなのですな。

絶対に、向かい合うと恥ずかしくてできませんな。

 

退屈な雨降りの日は・・・

こんな楽しみもありますがな。

おためしあれ

 

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