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池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

人事を尽くす・・・

2025-07-21 17:36:56 | つぶやき
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。

全力を尽くしたから、あとは天の意思にお任せするというある意味運命論的な意味合いを含んだことわざで、一般的によく言われていると思う。
ここまで頑張ったから、あとは「運命」にお任せするしかない。
でも、ここまで頑張ったから、きっとよい結果を得られるだろうという期待を含んでいて、天命は、「結果」を天に任せるという神頼み的な印象を受ける。
運命として天に結果をゆだねるというということは、よい結果が出れば自分の頑張りを誉め、思うような結果が出なければ、運命のせいだと責任を転嫁しかねない。

「天命を安んじて、人事を尽くす」という言葉を見つけた。

大谷大学の初代学長で明治を代表する哲学者「清沢満之」の言葉。
人は、天命にしたがって生きるしかないのだから、そのありのままの自分を受け入れて、そして最善を尽くしなさいという意味。
なるようにしかならない。けれど、おのずと必ずなるようになるのだから(天命)安心して全力で生きなさいという言葉だ。

天によって与えられた命を生きる私たちは、そのことを感謝し、心配せず、ただ一生懸命に生きていればよいのだといわれているようで、安心できる気がする。

きっと毎日感謝して、頑張って生きていれば、それでよいのだと思っている。

必ず道は与えられている。
だから強く信じて、今、ここを、頑張って生きてゆきたいと思う夏の暑い日。

連休の時間は、「池さんものがたり」の再読に。
迷ったとき、困ったとき、いつも開くいろんなページ。
読み込んで、読み込んで、今ある池さんを想いながら、読み込んだ時間。
20年の間にあったいろんな出来事を想いながら、本当は何一つ変わっていないことを感じながら、時代の流れを感じながら、読み込み続ける。
かつて一緒に生きた人たちに、もう一度会える気がして、もう一度あの時の感情を思い返しながら、
私は、今を生きるために、この本を開く。

あっという間に7月で、明日から夏休み。
いろんなイベントや児童クラブのお弁当など、季節的な注文が入っていて、本店部門も大忙しの毎日。
この夏の暑さに耐えられるかと、毎年のように心配が募るけど、どうにかこうにか頑張って生きてゆきたいと思う今日この頃。

桜や梅にも毛虫さえつかず、セミもいつもの年より少なくて、犬や猫も日陰を探してヘロヘロになっている。

地球の未来に、不安が募る。
天は私たちを、いずこへ向かわせているのだろうか?


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地球の未来と手仕事

2025-06-22 16:50:44 | つぶやき
昨年は梅の不作、値段が高かったせいで、池さんの恒例の梅干し作りがあまりできなかったのだけれど、高価だったから少ししか漬けれなかった梅は本当にふっくらとおいしくて、1年中、食卓を楽しませてくれた。

ご飯を食べた後、梅を潰してお茶の入ったコップに入れて、ちょっと酸っぱいけれど、「あ~さっぱりする!」と満足そうに言うばあちゃんたちを見ていると、やっぱり、手仕事っていいなあ~と思ったりする。

おかげさまで、今年はみんなが、結構いい小梅を早くから手ごろな値段で仕入れてきて、今は塩漬けの保存瓶が池さんの部屋に並んでいる。
もう少しして赤シソが出回り始めるのが待ち遠しい。

手間暇かけて仕上げるいろんな保存食は、一年中、池さんの食卓を楽しませてくれる。
冬の間は大根のゆず漬けや簡単にできるたくあんなどがほとんどだけど、今年は大根が高価だったので、自家製のお漬物もなかなか作れなかった。
暑くなって夏野菜が出回り始め、本店のお弁当にも、やっと自家製のキュウリの辛子漬けが入り始めた。

知り合いから真竹のタケノコを頂いたので、久しぶりに明日のお弁当にはタケノコの煮物が入る予定になっている。柔らかくて、この時期にタケノコ、ありがたい。

野菜があまりなかった時期は、出汁をとった昆布とシイタケで佃煮を作ったり、保存している大根の皮をきんぴらにしてみたり、いろいろ工夫をするのもまあそれはそれで楽しい仕事。

手仕事は、心のゆとりに直結する。

生活が不自由だった時代にも関わらず、昔の人たちはいろんな手仕事を大切にしてきた。
決して暇な時間があったからというわけではなく、日々忙しく働きながらも、それでも手仕事を大切に暮らしてきた。
それは、ただ季節の食品を保存するという意味においてだけでなく、自然から与えられた食べ物を愛おしみ、大切に扱い、長い間おいしく頂けるよう工夫して編み出した知恵と言える。

塩漬けにしたり、乾燥させたり、発酵させたり、、、いろんな知恵を使って暮らしを紡いできた。
自分たちの生活の基盤である小さな生活圏で、身近な範囲で、暮らしを続けてきたのだろう。

つつましやかな小さな暮らしに想いを馳せている頃、地球のどこかの国では戦いを始める。
ニュースに移る映像は、どれもこれも荒々しい。
苦しみと絶望と、死と。
温暖化対策などどこにもなかったかのように、破壊と殺戮が繰り返される。

6月なのに、40度に迫る気温の上昇は、地球の未来を示しているよう。

夏至通過。
本来、太陽のエネルギーは、本当は人や地球に大切で優しいはず。
怒らせてしまったのは、人間たち。

何もかもを焼けつくすような、激しい太陽の熱ではなく、
穏やかで優しい暖かい太陽の光が、、、欲しい。

夏が怖い。





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季節が変わり

2025-06-07 19:52:16 | デイサービス池さん
あっという間に6月。
5月の心地よい風が吹く季節が終わった。
サクランボの季節も終わり。

毎朝みんなで収穫し、みんなで種飛ばし大会をして大笑いし、お世話になっている人たちに池さん印のイラストを貼って届け、ジャムを作ってパンにつけておやつに食べ、そして、木に残ったサクランボは鳥たちの食料になって、毎年恒例の春の平和で楽しい時間が過ぎた。

庭の花は色とりどりに咲き、木々の葉は元気よくのびている。
春の訪れを待ち望んだ日から、早くも汗ばむような季節に変化しつつある今日この頃。

早場米の田んぼには、小さな苗がきれいに植え付けられている。植えた苗がまだ小さいので、田に太陽の光が反射して美しい景色になるため「早苗田」と呼ぶのだそう。
「玉苗」というきれいな呼び名もあるようで、「植田」と呼ばれる時期をもう少しすぎると「青田」とよぶらしい。
日本という国が、同じ「田」というものに関して、こんなに豊かにたくさんの言葉で表現する人たちであったということに、いまさらながら感動する。
あちこちで、田植えが始まっている。

世界中が揺れ動き、簡単にSNSで政治が進む時代。
本当は熟考し、話し合い、あれだこれだと煮詰めながら、折り合わなければならないはずが、アッという間に、世界中に拡散し、事実となってしまう危うさは脅威でしかない。
これから先の世界は、一体どうなってゆくのだろう。
人は、過去の辛い歴史から学ぼうとしていない。
歴史学者が言った。「歴史は繰り返さないが韻を踏む」
同じ状況ではないが、同じ間違いを犯し続けるのが、人間かもしれないと思ったり。

世界中の人たちが、憎しみにかられたり、愚かな歴史を繰り返さないでほしいと日々願う。
争いに巻き込まれ、飢えに苦しむのは子どもたち。
どうか、安全で安心な世の中が訪れますように。
私は何もできないが、心の中で祈り続けたい。

翻って考えてみると、豊かな言葉と、豊かな感性で、日常を表現してきたこの国で生きていることをある面で感謝しつつ、この国の自然に対する感受性や敬意の気持ちを大切にしたいと改めて思う。
何もかもに、どこにでも、神が宿るという感覚。
自然への感謝と脅威を忘れなければ、人は争うことなく生きて行けるような気がするから。

そして、池さんも変化を続けている。
日々同じようで同じではなく、毎年、同じようで違う日々を過ごしている。
これから先の池さんを楽しみに、私も日々淡々と、生きてゆきたいと思う6月の夜。
蛍が舞い始め、夏の訪れを感じる夜。
網戸からはまだ涼しい風が吹き込んでいる。



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今年のサクランボ

2025-05-05 10:15:06 | つぶやき
気が付けば、はや5月。
今年の連休はお天気にも恵まれて、ニュースを見ているとどこも人でいっぱいの様子。

もちろん池さんの宅老所は年中無休につき、連休も頑張ってくれている職員もいるけど、ワタクシは久しぶりの休日。

通常の毎日は、翌日の仕込みがあるのでほぼ完全な休みとはならず、子どもたちの休日試合用のお弁当を始めてからは、ほとんどお休みもなく仕事ばかりの毎日だったので、本当にしばらくぶりの連休をゆっくりと過ごさせてもらっている。

日常業務の煩雑さや仕事の多さに、正直ちょっと疲れ気味だったけれど、五月晴れの暖かい日差しを受けて、カラッと乾いた大量の冬の洗濯物、ふっくらと膨らんだお布団に満足しながら、穏やかで静かな時を感じつつ、ちょとだけ心の洗濯をしたような気がしている。

景色の変化
ワタクシ自身も高齢者になった。
池さんという場所も、実は40年近く前の私たちが住んでいた家。水回りや床や、、、家も年を重ねてきた。

池さんという場所ができて19年を過ぎた今、最初の頃とは全く違う景色を見ているように思う。

地球が変化し、気候が変化し、社会や世界が変化している。
政治もあいまいで、介護保険は20年前と大きくシフトを変えた。

コロナ禍の時を超えて、社会も人の心も変化したように思う。
家族のありようも変わり、介護に対する気持ちも変化している。
病気や治療に対する感情も、生や死への感情も、老いることへの感情も、すべてが変わっている。

アンチエイジング、いつまでも若く元気でいるために介護保険が使われる。
人が生き・老い・病を得て・死にゆく生き物であるということを認めず、年をとっても標準治療。
入所施設はいっぱいだし、在宅介護を勧めつつ家での生活に欠かせないデイサービスや訪問介護の基礎単価が低くて事業所は継続難しい時代。
加算主義で成り立つ介護保険。
子育てと違い先の見通せない介護には時間が必要で、介護離職も増えている。
なにもかも高くて生活も苦しくて、在宅で介護をというより、空きがあればできれば施設にという時代。
長年過ごした家で、最後まで過ごさせてあげたいと思う家族は少なくなり、もう無理と手放してしまう家族が増えた。
年寄りを取り巻く景色も、年寄りを抱える家族の景色も、変わった。

どうしたら老いを受け入れられるか、どうしたら最後まで家で過ごせるか、一緒に考えたいと思うけれど、その時間の余裕すらなくなっている。
疑問と、矛盾と、ジレンマと、あきらめ。

景色の変化にあたふたとしながら、その変化する景色に振り回されながら20年となる節目の年。

老いも病も死も、時代と共に変わってゆくもので、
人も社会も家族も、時代と共に変わってゆくものだからと、
感慨深い想いを心の底に抱えつつ、
萎れそうになる気持ちも同時に心の中に抱えつつ、
5月を過ごしてゆきたい。

母が倒れてからまる6年が経った。
92歳になった母の信じられないほどの回復ぶりと、まさにアンチエイジングを身をもって体現している姿に、心配頂いた皆様に改めてお礼の気持ちを伝えたい。ありがとう。
母は元気です。

昨年はダメだったサクランボの実。
お日様があたって、キラキラと輝いている。
真っ赤に輝いている。

20年間変わらないサクランボの木。

ずっと変わらずに、
ここにあって、
ここで実をつけ続けてほしい。
これから先も。
時代が変わっても。










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いろんな基準

2025-03-20 12:40:26 | つぶやき
97歳のおばあさんが言った。
「長生きしたいの~~~」
・・・
長生きの基準って?
どこまで生きたら長生き?
これはまあ、幸せな基準。

年を聞かれたおばあさん。
「89です。」
聞いたおばあさんが言った。
「ありゃ、若いの~~~」
・・・
若いの基準って?
どこからが若くてどこから年寄り?
でもこれもまあ、幸せな基準。

長期間の介護に疲れ、なんとかデイ利用をしてほしいと思った家族が、気難しいおじいさんを見学に連れてきた。
おじいさんは、部屋の中の人たちを見て言った。
「こんなところに来るようになったら、おしまいじゃ!」
気難しいおじいさんは、どんなところなら納得できるのだろう?
こんな所でなかったら、どんな所がお望みなのかしら?
年老いたおじいさんの、暮らす場所の基準とは?


常に基準はあいまい。
人によって、様々。
あいまいではあるけれど、
その基準のどれもが、
その人にとっては正しいと思っている基準。
「その人にとっての正義の基準」

世界中のいろんなことも、身近ないろんなことも、
日常のいろんなことも、
その人にとっての判断の基準と、
その判断の正しさと、
客観的に判断するときの基準と、
その判断の正しさと、
それらの間の隙間の大きさに、
ちょっと悩んだり、苦しんだりする毎日。

あいまいさは、時に必要になる。
白か黒かではなく、正義か悪かでもなく、
〇か✕かでもなく、
「ちょっとグレーな部分をどう解釈するか」
ということをできるようになると、
ちょっと大人になったような気がするような、
そんな気がする。

自分なりの正義感を、
前面に出して過ごしていた若い頃には思わなかった曖昧な世界。
グレーな部分があることで、グレーな部分をその時々に解釈することで、
人はゆるやかで、穏やかな関係を維持できていたのかもしれないと、
この年になって思う。

彼岸が過ぎ、春の訪れもあと少し。
穏やかで暖かい太陽の光を、
すべての人が受けることができるよう、
今夜も祈りを続けたい。

サクランボの花が散り始めた。
今年は、きれいに咲きそろい、ミツバチもたくさんやってきた。
風は強かったけれど、なんとか受粉できているといいな。
どうぞ、今年は美しい実がなりますように。
春の楽しみをみんなに与えてくれますように。







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