「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がある。
全力を尽くしたから、あとは天の意思にお任せするというある意味運命論的な意味合いを含んだことわざで、一般的によく言われていると思う。
ここまで頑張ったから、あとは「運命」にお任せするしかない。
でも、ここまで頑張ったから、きっとよい結果を得られるだろうという期待を含んでいて、天命は、「結果」を天に任せるという神頼み的な印象を受ける。
運命として天に結果をゆだねるというということは、よい結果が出れば自分の頑張りを誉め、思うような結果が出なければ、運命のせいだと責任を転嫁しかねない。
「天命を安んじて、人事を尽くす」という言葉を見つけた。
大谷大学の初代学長で明治を代表する哲学者「清沢満之」の言葉。
人は、天命にしたがって生きるしかないのだから、そのありのままの自分を受け入れて、そして最善を尽くしなさいという意味。
なるようにしかならない。けれど、おのずと必ずなるようになるのだから(天命)安心して全力で生きなさいという言葉だ。
天によって与えられた命を生きる私たちは、そのことを感謝し、心配せず、ただ一生懸命に生きていればよいのだといわれているようで、安心できる気がする。
きっと毎日感謝して、頑張って生きていれば、それでよいのだと思っている。
必ず道は与えられている。
だから強く信じて、今、ここを、頑張って生きてゆきたいと思う夏の暑い日。
連休の時間は、「池さんものがたり」の再読に。
迷ったとき、困ったとき、いつも開くいろんなページ。
読み込んで、読み込んで、今ある池さんを想いながら、読み込んだ時間。
20年の間にあったいろんな出来事を想いながら、本当は何一つ変わっていないことを感じながら、時代の流れを感じながら、読み込み続ける。
かつて一緒に生きた人たちに、もう一度会える気がして、もう一度あの時の感情を思い返しながら、
私は、今を生きるために、この本を開く。
あっという間に7月で、明日から夏休み。
いろんなイベントや児童クラブのお弁当など、季節的な注文が入っていて、本店部門も大忙しの毎日。
この夏の暑さに耐えられるかと、毎年のように心配が募るけど、どうにかこうにか頑張って生きてゆきたいと思う今日この頃。
桜や梅にも毛虫さえつかず、セミもいつもの年より少なくて、犬や猫も日陰を探してヘロヘロになっている。
地球の未来に、不安が募る。
天は私たちを、いずこへ向かわせているのだろうか?