池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

誕生日

2024-08-24 17:42:41 | つぶやき
いつだったか、ヒイちゃんが言った。
「年は取るもんじゃない。もらうもんぞい!」
一年間、一生懸命生きたご褒美に、年はもらうものだ、とヒイちゃんが教えてくれた。
今年も、一生懸命頑張った。
なので、本日、一つ年を頂いた。
67歳。
先祖から続いた命、産んでくれた母、育ててくれた家族、助けてくれた人たち、一緒に生きてくれる仲間、、、
何が欠けてもできなかった今という時間の姿。

どんなに忙しい時も毎日必ず、朝一番に読む新聞のコーナーは、「今日の占い」
本日の8月の運勢。
「小事にこだわらず、コウ然の気を養うべし」
こうぜんのきとは、、、で調べてみた。

天地に満ちている、万物の生命力や活力の源となる、この上なく大きくて強い気のこと。
これが人の心にやどると、広く豊かで大らかな気持ちとなり、公明正大で何物にも屈しない道徳心となる。
孟子が重要視する精神。
転じて、何事にも屈しない道徳的な勇気。
また、わずらわしいことから逃れて、のんびりとした心持ちになることもさす。
「浩然」は、水がゆったりと流れる様子。

誕生日の朝一番で、この占いを目にして、新しい一年をどう過ごすか、示してもらったような気がして、心が躍るような気がした。
少しづつ年を重ね、しわやシミや不自由な部分も増えてきた。
でも、だからこそ、年を重ねるからこそ、見えてくるものや感じることができるものも、増えてくる。
荒々しく憤ることも減って、ちょっと間を置くこともできるようになった。
年をとると、感情が平たんになるのかと思っていたが、そうではなく、自分の立ち位置が自分の感情とちょっと離れたところにあって、俯瞰して物事を考えられるようになった気がしている。

「浩然の気」
今日頂いたこの言葉を胸に、新しい一年を生きてみたいと思う。
また来年、立派に年を頂けるよう、浩然の気を養いながら、
さらに大きな自分になれるように、
しっかりと・ゆっくりと・水が流れるようにゆるやかに・豊かに・生きてゆきたいと思う。

ということですので、皆様どうかよろしくお願いいたしますね。
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夏の日

2024-08-12 16:04:00 | つぶやき
立秋を過ぎた。
暑い暑いと毎日文句ばっかり言ってる間にも、季節は少しずつ変わり始めているような気がしないでもない今日この頃。
ほんの少し、夜明けが遅くなったし、ほんの少し、日の入りも早く感じる。
風も時折心地よく感じることもある。
でも、まだ、ほんの少しだけ。
あまりの暑さに、草木も野菜も、秋に収穫する里芋さえ、枯れ始めている。
・・・
「池さんの季節行事について」
池さんは創立以来、イベントとしての派手なクリスマス会やひな祭りや夏祭りなんかは行っていない。職員が頑張って練習したり、みんながやらされてる感が強いイベントや、年寄りがお客さんになる催しは、まあいいかな、、、という感じがする。

そのかわり、地域に伝わる季節の行事はできるだけ大切にしたいと思っている。
麦刈りの頃には蛍かごを編む。
梅の季節には丁寧に梅仕事をする。
石鎚のお山開きには感謝を込めてお参りする。
七夕は月遅れで。
8月には特攻隊の関さんの記念館を訪れる。
秋祭りには氏神様にお祈りする。
昔からばあちゃんたちが日々の暮らしの中で伝え続けてきたこうしたいろんなことを、その意味や心を、みんなで話しながらずっと伝えてゆきたいと思っている。

例えば、この地方には、「たのもさん」という行事がある。地域限定の行事らしく、愛媛県でも東予地方だけらしい。(ちなみに私は倉敷出身なのでこの行事は自分は経験がない。この土地で暮らし始めて地域の子ども会の行事に参加して初めて知った。)

「たのもさん」とか「おたのもさん」と呼ばれ、八朔(旧暦8月1日)に豊作を願い、米粉を蒸し色をつけた団子を使って、神様や動物やお人形や花を作る行事のことをいう。

この行事を伝えるときに、まず、8月1日をなぜ八朔というか、、、というところから説明がいる。八朔は果物のことではなく、旧暦八月朔日(ついたち)だから縮めて八朔というそうだ。現在では九月上旬ごろにあたるので、稲が実る頃になる。

たのもさんという言葉は、「田の実」のという言葉が変化したものらしい。
田の実は稲を指す。稲の実りが豊かであるよう願いをこめたのが田の実の節句。
稲の豊作を祈願するために、米粉で小さな人形などを作って床の間に飾り、翌日これを焼いて食べると暑気あたりの薬になるという言い伝えもある。

で、8月1日、池さんの「たのもさん」の日はこんな感じ。

朝からこんな会話。
今日から八月やね~、日が経つのは早いねえ~、と話が弾む。
そういえば、昔は8月1日は八朔言うんよ。
八朔って果物の?(違うような気がする~)
八朔食べる日?(夏は八朔はないよね~)
そうだ!八朔買いに行こう!(ちょっと違う~)
じゃあ、なんで?(さあね~)

8月1日は、「たのもさん作って過ごしたよ~」「そうそう、作った作った!」とばあさんたちの話が広がり、やっと、たのもさんの話になる。
でも、新しい職員はたのもさんを知らないから、まずたのもさんという行事のいわれや歴史を調べたり、その説明から始まる。
で、興味津々で、作ろう~作ろう~ということになり、さっそく何人かで米粉を買いに行く。

(正確には米粉をこねて蒸して作るけど、蒸す時間や手間が時間かかるから、こねて色粉を混ぜるだけにする。)
もっと柔らかいほうが、、、とか、柔らかすぎたら形ができん、、、とか、ばあちゃんたちに言われながら、それでもめげずにこねこね。こねこね。
赤・黄は、色粉で色を付け、白はそのまま、3色の団子をこしらえて、ばあちゃんたちの前に置く。

あっという間に、あちこちからばあちゃんたちが集まってくる。
どうするん?とか聞くこともなく、「懐かしいね~」「こうやって昔作ったよね~」とか言いながら、あっという間に3~4㎝ほどの小さな神様がいっぱい誕生。
神様の人形の座布団を作ったり、着物を着せてあげたり、、、花や動物つくる人もいて、90歳超えのばあちゃんたちの記憶力と経験値に、みんな感動しきり。

並べて飾って、みんなでお祈りして、たのもさんコーナーまで出来上がって、しばらくの間、この話題で盛り上がる。

ばあちゃんたちが生きてきた歴史やその歩みに想いを馳せ、大切にしてきたものを聴き、感じてきたものを知ろうとすること。
ばあちゃんたちの昔の話を聞きながら一緒に過ごすこの時間こそが、大切にすべき時間なのだと、それこそが、池さんの季節の行事の意味だと、新しい職員に語っていく。

こんな時間が大好きだ。
ばあちゃんたちの話の中には、かつての「日本人が大切にしてきた心」が映し出される。謙虚に自然に向かい合い、農作業に精を出し、質素に生きてきた人たち。戦争に翻弄され、厳しい毎日を過ごし、我慢や辛抱だけの時代を生きてきた人たち。今の時代に生きる私たちには想像すらできない過酷な時代を生きた年寄りたちと同じ時間を過ごせることが嬉しい。

すべてのものに神が宿る。
かつて、人々は、自然のすべてに神を感じて、手を合わせ、祈り生きてきた。
すべてに神を感じるからこそ、大切に思い、奢ることなく、謙虚に生きてきた。
ただ一つの神ではなく、どこにも、そこにも、ここにも、神様が宿っていると信じるからこそ、自然を大切に想い、大切に生きることができるのだと思う。そうやってかつての日本の人たちは生きてきた。
季節を大切にし、自然に敬意を払いながら、生きてきた。
その人たちの心や想いを、大切に感じながら生きていきたいと思う池さん。


こうして自然に祈りを捧げながら、謙虚な心で生きてゆけば、
争いや報復もなく、優しくて寛容な世界になるんじゃないかと思うけれど・・・。
映像の中の、崩壊した灰色の塊の空間しか目にしない子どもたちの未来を想うとき、胸が押しつぶされそうな気持になる。

平和な社会の、平和の祭典は・・・終わった。








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8月の月に

2024-08-04 17:00:13 | デイサービス池さん
気が付けば~~~今年も残り5か月。
何という速さだろうとつくづく思う。
地球の回転速度が変わったのだろうか。
いや、そんなはずはないだろうから、きっとそう感じるだけだろう。
毎日が充実しているからだろうか、はたまた、忙しいからだろうか。
などとつまらないことを考えている間も、時間はどんどん過ぎていく。

せみがないている。
温度が高すぎるせいか、昼間はあまり鳴いてない。
朝と夕方、鳴いている。
羽化する時間もずれている。
いつもせみの抜け殻だらけになる桜の木。
でも今年はベランダや手すり、外のテーブル、いす、いろんな所で羽化していて、陶器の傘立てに抜け殻を見つけたりもする。

キュウリもスイカも、かぼちゃも、なすも、ゴーヤさえ不作。
いつもお野菜を届けてくれる方が、「どれもこれも暑さでやられる」と嘆いている。
スーパーの野菜は高値過ぎて手が出ない。
暑さの影響が、直接食卓に影響を及ぼしている。

隣の犬もヘロヘロとあえぎ、本店近くの野良猫は日陰に隠れる。

予想を超える気温の上昇に、これから先の暮らしはどうなるのだろうか不安になる。
孫たちが大人になる頃、人間はどうなっているのだろう。
争いはやまず、ますます混乱を極めていく世界の中で、人間はどうなっていくのだろう。
花や草木や、食べ物も、生き物も、この先、地球では生き残れないのではないかと思ったりする。

人々も社会も地球も、成長しすぎている。
便利で豊かで、でもさらにもっともっとと成長を追い求めている。
一方でその犠牲になる人や社会もある。
より成長することを目指すバーチャル社会ではなく、
大地に根を下ろすような、足元を見つめなおすような、成熟する社会を取り戻すことはできないだろうか。
平和で人々が安心して生きることができる、未来に希望を持つことができる心豊かな社会を取り戻すことはできないだろうか。

8月。
終戦の月に思うこと。
世界が再び誤った道に進まないようにと、
この異常な暑さが、大きな災害が、
私たちにその危機を示しているようで、
のど元に突き付けられた刃のようで、
季節を楽しみ、愛でることのできないほどの、
優しさのない激しい夏の日差しを、
今日も、感じている。



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「願え」

2024-07-27 16:41:20 | つぶやき
最近読んだ本の中にこんな文章を見つけた。

・・・・・
命令文でしか表現できない意思のようなものがある。
「急げ悲しみ 翼に変われ 急げ傷跡 羅針盤になれ」とは、中島みゆき『銀の龍の背に乗って』の一節である。傷跡そのものが羅針盤になるのであり、悲しみや傷跡が消えることを望んだ言葉ではないだろう。曲中には、人間の皮膚が傷つきやすい柔らかなものでしかないのは、「人が人の痛みを聴くためだ」ともしている。
非力な自分にはどうしたって消えない悲しみや弱さが、むしろ進むべき一つの方角を示さんことを切に命じているのである。
龍のようにはまだ飛翔できない雛だけど、しかし一歩飛び立とうとする、祈りにも似た悲痛な決意と言えそうである。

高校バレーを描いた漫画『ハイキュー』の中には、コマの要所要所に、応援席に掲げられた横断幕が描き込まれている。
「飛べ」は、主人公が属する鳥野高校の横断幕に記された言葉である。「飛べ」とは、確かに他者からの呼びかけである。選手からすれば、「飛ぼう」「飛んで見せる」という意気込みになるかもしれないが、選手にしても「飛べ」という形でしか表せないものがあるのではないだろうか。
極限まで飛んで飛んだ先にある、飛ぶしかない、という状況下において、自分に対しても「飛べ」と叫びたくなる心境はあり得るだろう。
・・・・・

人間は弱い。
だれも、弱い。
強くありたいといつも願うけれど、何か大きな壁にぶつかるたびに、弱った自身の心を見せつけられて、悩み苦しみ続ける。
悩みも悲しみも消えることはない。
だれもが、悩みや苦しさの中にあって、それでも、一日、一日を生きていくしかない。
祈りながら、願いながら、一歩ずつ歩いてゆくしかないのだと、かつて湯波のじいちゃんが教えてくれた。

戦禍の中で、世界の祭典が開かれている。
各国の選手たちの人生も、幸せな時ばかりではなく、おそらく悲しみや苦しみの中にあったのではないだろうかと、想いを馳せる。「飛べ」と自己を鼓舞しながら過ごした時間の先の華々しい舞台なのだと気づかされる。

そして。
同じテレビの画面に、同じ時間に、戦禍に傷つく人たちの映像も流れてくる。
子どもたちの命が奪われ、苦しみの中で生きていくしかない状況が映し出される。永遠に続くかのような破壊活動が止まらない。

「願う」という感覚をはるかに超えた戦禍の状況に、「願え」と自己を鼓舞しするしかない、非力な自分自身への悲しみでしかないような、そんな気がする。羅針盤を手にできるかどうか、自分は進んでいけるかどうか、大きな不安に打ちのめされそうになる。

どの人も、健やかな時間を生きることができるよう、願い続けたい。
どんなに非力でも、願うことをやめないでいたいと思う。

命令文でしか表現できない意志を、貫きたいと思う。

改めてこの歌の歌詞を調べてみたら、その言葉の深さに改めて感動したので、一部を書いておきたい。
中島みゆき 銀の龍の背に乗って

あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる
まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている

急げ悲しみ 翼に変われ
急げ傷跡 羅針盤になれ
まだ飛べない雛たちみたいに 
僕はこの非力を嘆いている

夢が迎えに来てくれるまで 震えて待っているだけだった昨日
明日僕は龍の足元へ崖を登り呼ぶよ「さあ、行こうぜ」

銀の龍の背に乗って届けに行こう命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って運んで行こう雨雲の渦を

失うものさえ失ってなお 人は誰かの指にすがる
柔らかな皮膚しかない理由は 人が人の痛みを聴くためだ

わたホコリみたいな翼でも 木の芽みたいに頼りない爪でも
明日僕は龍の足元へ崖を登り呼ぶよ「さあ、行こうぜ」



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記憶

2024-07-06 18:23:29 | デイサービス池さん

まだ梅雨の最中・・・のはず。

空は快晴。

風は熱風。

気温は、40度近く。

梅雨が変わった。

石鎚の山が、くっきりと見えている。

 

怒涛のような6月を終えた。

まごの手も、池さん印のお弁当も、6月リニューアルオープンと同時にハイペースで進んでいる。

大汗かきながら、毎日沢山の献立を作っていく。

のぼり旗も、室内も、お弁当箱も、メニューも、味付けも、こだわりの産物。

意見の集約にも並々ならない時間を費やした。

お陰様で、リピーターも方が増え「美味しかったから、また来ました。」と笑顔でやってきてくれる。

毎日来てくれる方もいて、いつも一人分は予約席にスタンバイしている。

少しずつ、変化したりしながら、池さんらしく心のこもったお弁当を届けたいと思っている。

 

デイの方も多くの変化があった。

6月は2人の人を見送った。

長い間一緒に過ごしたのだから、喪失感につぶされそうになる。

寂しさを抱えながら、いつものように皆笑顔で生きている。

寂しさや辛さを抱えながら、毎日元気に働いている。

 

ずっと前、同じ時間を過ごした美代ちゃんを見送った時、心の中の空洞を長い間埋めることができなかった。

毎日時間は過ぎていくけれど、夜になりいつもの空間にその人がいないことを感じると、無性に寂しさがこみ上げてきて、長い間、その感情が消えることはなかった。

時間が解決するのでもなく、だんだん記憶が薄らぐわけでもなく、

日に日に、いろんな想い出や肌の感覚が蘇ってきた。

そして気づいた。

この世界での形はなくなるけれど、その人が生きた証は、自分の身体の中に刻まれてゆくのだと。

決して消えることのない記憶(感覚)として、身体の中にはっきりと刻まれるのだと。

だから時間がたっても、忘れたりしないのだと思った。

亡くなっても忘れたりすることはないのだと気づいた。

今でも、はっきりと思い出せるほどに、その感覚は、私の中に確かに残っている。

ここで生きた沢山の人たちが生きた証である「その人の感覚」が、はっきりと残っている。

息遣いや、匂いまで、ふとした瞬間に蘇ることがある。

そして、その頃のいろんな想い出が心に満ちてきて、私は暖かい気持ちになれるのだ。

死にゆく人が納得してその命を終えることができた時、

その場所にいた人もまた、「その人の生きていた感覚」を、確かなものとして納得して身体の中にしまうことができる、そんな気がしている。

見送った人たちの記憶は、いろんな瞬間に鮮やかに蘇り、その人の物語を語らせてくれる。

大切に想う人の記憶を、大切な人の物語を、これからも丁寧にしっかりと紡いでゆける池さんでありたいと心から思っている。

 

 

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