都会に住む方々、彼岸花の咲いた道を見たことがありますか?
ここらあたりでは、曼殊沙華(彼岸花)は、田んぼのあぜ道に咲いているのがほとんどです。
実りの時期を前にした田んぼのあぜ道に、まるで真っ赤な道ができたように彼岸花が続いていて、遠目には赤い線で囲まれた黄色の田んぼ、そんな風景がここらあたりのお彼岸頃の景色です。
今朝も大頭からの移動の車の中で、じいちゃんが笑っていました。
「ようけ、咲いとるの~、綺麗なねぇ!」
先日の愛媛新聞の地軸に彼岸花のことが書いてありました。(本文一部そのまま)
「・・・花を大切に野に置くのは、球根がかつて飢饉に備える食料だったからだとも言われる。毒を取り去るために煮つぶし、何日も水にさらしてでんぷんを採り、餅や団子にした。コメのとれない四国山地の集落では、昭和に入っても常食。戦時中にはひもじさを埋める非常食に。元をたどれば縄文時代、中国大陸から伝わった。中国の曼殊沙華には種で繁殖する種類もあるが、種をつけず、球根にたっぷり栄養をためられる種類だけが、日本に持ち込まれたとか。種が飛ばないため、広めるには植えた球根を手から手へ、村から村へ分けて植えるしかない。当たり前のように見つめてきた秋の景色も、遠い祖先がそうやって手間をかけ、丁寧に育てたものかもしれないと思うと、いっそう愛おしい。花は悠久の時を経て、人々の暮らしを見守ってきた。仏教で、めでたい兆しとして天から降ると伝えられる曼殊沙華。いま、季節の彩を楽しめる幸せをかみしめている。」
この記事を見て、ヒイちゃんのことを思い出しました。ヒイちゃんを池さんで看てほしいと息子さんから言われた時、息子さんが言った言葉を思い出しました。
「手術後に安定させるために使う薬や、その後のことを考えると、私たちは池さんでの暮らしを優先したい。この人は彼岸花の根を食べて生きてきたような強い人です。年に不足はありません。いつどうなろうと覚悟はできています。」
その言葉を聞いた時、私たちはヒイちゃんを最後まで看る覚悟を決めたわけだけど、でもあとで考えて、毒を持つ花の球根をどうやって食べていたのだろうと思った記憶があって、この記事を見て「なるほど」と納得。
そして・・・四国山地の集落で昭和の時代に常食していたというのは、まさにヒイちゃんのことじゃあ~りませんか。
なんだかドキドキと、心が湧きたつような気がしながら記事を読みました。
ヒイちゃんが近くにいるような気がします。
チクノウの鼻をフガフガさせて、お茶目な顔で、笑っているような気がします。
すぐそこで。
なんだかあったかい気がしてきます。