さてさて、連休明けの月曜日です。
まったくもって、本日もまたまたヘロヘロの一日。
一体全体なんでこんなに自由気ままなのかわからないけど、とにかくここの人たちは元気です。
もちろん1人では歩けなかったり、手が不自由だったり、車いすに乗ってたり、耳が聞こえなかったりするから世間でいう「元気」とは意味が少し違うけど、自分の気持ちに忠実で人のことはお構いなし、勝手に自己主張して生きている人たちなので超元気印間違いなし。
「琴線に触れる」(きんせんにふれる)
この意味は「人の心の奥にある感じやすい心情に触れて感動・共鳴すること」なのですが、今回は「共鳴する」という点からちょっとした話です。
いつも無表情で声にも抑揚がなく、一体何を考えているのか、今不機嫌なのか喜んでいるのかも分からないような人がいるとします。
気を遣って色々話してもなかなか会話に乗ってきてくれなくて、何を話せばいいのか、何を聞いたらいいのか、まったくわからないような人です。
でもよく観察してみると、その人は決して笑わないわけではなくて、何かの拍子に「うふっ」という感じで口角を上げて、目をぱちぱちさせて一瞬だけどにやけたような表情を見せる時があるのです。
他の人みたいに声を出して笑うわけではなく、おそらくその人なりに笑っている、そんな感じです。
笑うことに1人で照れているような、きっと笑うことが苦手な人なのでしょうね。
で、いつ笑うのかというと、たぶんその人の琴線に触れた時。
その人なりの世界の中で、その人の心の中の動きに注視していると見えてくるものがあって、その人の心の中の何かにピタッと共鳴する感覚になった時、あるいは、その人の心の中の何かを共有する感覚になった時、たぶんその人は笑っている気がします。
例えばこんなことがあります。外を見て聞こえないほどの小さな声で「いい天気」とボソッと言った言葉を聞き逃さずに「お天気ええねえ。どこか遊びに行こか?」と先に言ってあげたら笑顔が見えるかもしれません。
食事を出して、なんかお箸で食べにくいな~という感じを察して、黙ってスプーンを横に置いてあげたら、ニヤッとしてくれるかもしれません。
腰が痛むみたいだな・椅子の座り心地が悪そうだなと気がついて「一緒にこっちへ座ろう」とソファーに移動させてあげたら、ありがとうに繋がるかもしれません。
誰でも、心の中にある「何か」に気づいて貰うことができたら、きっと嬉しいに違いありません。
体調が悪いことに気づいてくれる、話をしたい時に話を聞いてくれる、1人でできないことを黙って手伝ってくれる、誰もが必要とするときに必要な声掛けや手助けをして貰えることは嬉しいことに違いありません。
ちょっとしたことに気づき、ちょっとしたことを当たり前に重ねていくことは、必ず誰かの心の琴線に触れると思っています。
笑わない人も言葉を忘れた人も自分勝手な人も、あまのじゃくの人でさえ、心の琴線に触れることができれば、必ず良い関係を作り上げることができるはず。
よい関係を作るためには、やはりその人がどんな人なのか知ることから。
いつも言うように、「人を知る」ことが一番大事で、一番難しいことだから、まずそこから始めてみるといいかもしれません。
人に対する信頼感も場所に対する安心感も、きっと心の琴線と関係があるような気がするという今日の話でした。
ブログが1100回を超えました。
いつまで続くかわからないけど、このブログは池さんで生きた私自身の記録でもあるから頑張っていきたいと思いますが、なにせ年ですのでちょっと心配です。
体力仕事は無理ですし、頭のいる仕事も自信がありません。料理は好きですからゆっくり作りたいのですが、最近面倒に感じる時もあり、お芋ばかりふかしています。ごめんなさいね。でも皆、昨日食べたことを忘れてくれるので助かってます。ありがとう。皆に感謝です。
気温差が激しい一日ですが、風邪など引かないよう気を付けて下さいね。