池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

風邪ひきの続き

2018-11-26 23:59:07 | デイサービス池さん

皆様いかがお過ごしでしょうか。

ワタクシ、風邪がまだよくなりません。

手作りの黒にんにくありがとうね。

早速食べてみました。

ホクホクしていて結構大丈夫でした。

良くなってくれるといいのですが。

大体、私が体調を崩すのは4年に一度のオリンピック程度。

なので池さん始めてから3回目のダウン。

普段は超がつくほど健康体なのですが、今回は春から続くいろんなことのおかげで免疫力低下中!

なので今夜のお泊りも早めに休もうと思っていたけど・・・ね。

 

いろんな家族がいます。

いろんな人がいます。

いろんな人生がある中で、いろんな場所がある中で、

なぜこの人が池さんを選んでくれたのか、

なぜ、私たちがこの人と出会ったのか、

考えることがあります。

きっと理由があるはずだと思うけれど、

それは簡単には見つかったりしないものであって、

ずっとずっと生きてゆく先にこそあるはずのものだと、

ここで生きた13年の間になぜだかわからない確信のようなものを身に着けたから、

だからずっと考えてゆくのです。

 

科学や技術や情報や政治や利害や・・・

そんなものと関係ない本能の人たちと生きてゆく中で、

なんだか、心地よい空間の中で息を吸い込んでみた時、

今まで考えてきたことがなんだかちっぽけだったり、独りよがりだったりすることに気がついて、

ふと涙がこぼれそうになって、思わず、

暖かいシワだらけの手を握ってしまう自分がいて、

わざとちょっと熱めのお茶など入れてあげて、「あちっ!」という声を聞いて、

ふと笑みがこぼれる自分に、なんだか、余計に涙が出てしまう。

 

客観的に考えれば考えるほど、

体調悪くて、今の自分はうつ傾向です。

その点、どうぞよろしく。

4年に1度だからお守りしてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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風邪ひき

2018-11-22 21:57:01 | デイサービス池さん

雨が降ると寒いです。

皆様、風邪は大丈夫ですか?

昨日から鼻水たらたらで困っていた私は、本日薬を買いに知り合いの薬局に行きました。

「それはアレルギーよ」と言われてそうなんだと納得したけど、病状を細かく聞かれて咳が出ると言うと、「それは風邪よ」と言われて、一体どっちと聞くと「わからん」と友人。2人で相談して、とりあえず風邪だと思って薬を飲んだらええかもという結論になったので、よく効く薬を頂戴ねとお願いしたら、大きな錠剤の薬を食後に3錠飲むようにと言われてしまって、そんなでっかい錠剤はよう飲まんと言ってみたら、違うカプセルタイプの薬を用意してくれた親切な友人です。

とにかく私は病院と薬が嫌いな人間。

早く薬を飲んで少し眠りたいと思うのですが、そんな簡単に希望が叶うのもどうかと思うので、まあちょっとだけ仕事をしてから早めの就寝にしたいとは思います。

が、なかなかです。

仕事の量が多いです。

ネコのナウが布団に入ってくるようになったので、気温は確かに下がったようです。

明日は満月。

今日の月もとっても綺麗です。

鼻水をすすりながらにはなりますが、雲の間から見える月に心を寄せたいと思います。

 

 

 

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13周年に

2018-11-17 23:53:20 | デイサービス池さん

11月15日、おかげさまで13周年を迎えることができました。

ここまで来ることができたのは、来てくれるじいちゃん・ばあちゃんのおかげ。

ここを選んでくれたご家族のおかげ。

応援してくれる人たちのおかげ。

働いてくれるスタッフのおかげ。

いつも支えてくれる家族のおかげ。

ありがとうございます。

いろいろとお気づきのこともあるとは思いますが呆れることなく、どうぞこれからも「池さん」をよろしくお願いします。

 

毎年迎える周年の日は、その日に来てくれている人たちとささやかにお祝いをします。

言い訳すれば「気持ち」メインでということですが、正直に言うと「お金がない」ということで・・・

でも、かずえさんのちらし寿司、タイのお吸い物、いろいろ頂き物満載の手作りオードブル、柿やミカンやまんじゅうまで大皿に盛りつけたら気分は上々・・・ 

「周年のお祝いだよ~~~」ということで、ノンアルで乾杯。

デイサービスだから、もちろん意味が分かる人ばっかりでなく、ほとんどわかってない人の方が多いわけ。

13周年がなんだかわかるはずはないと諦めていても、「へえ~ほ~」の人や、「ニヤニヤさん」に憑りつかれて訳わからん人や、超自己中でわかってるのに知らんぷりの人や、とりあえずご飯だけ食べたい人や、まったく関係のないところで生きている人なんかでいっぱい。

でも、その人たちみんなが不思議と「カンパ~イ」と一斉にグラスを持ち上げて、訳はわからなくても、何だか楽しい何だか嬉しい感覚が伝わっていくのはとても嬉しい。

「もうこれ以上飲んだら酔っぱらうが~」(いえ、ノンアルですから)と言いながら、嬉しそうに笑顔で飲み干すじいさんに、「まあまあ、そう言わんと。祝いじゃけん飲んでよ~」とおかわりを注ぐと、嬉しそうに「もう一杯だけぞ」とニヤッと笑う。

「おめでとう」も言わず不機嫌そうに周囲に関係なくひたすら食べてる人を見ると、「まあこうやって生きてきたんだろうな」とそれはそれで何だか感慨深かったりする。

 

そして、私自身は長い一年だったなあと改めて思う。

もうダメかと何度思ったか。

数えきれないほどの多くの出来事が13年目も押し寄せて、大きなダメージを受けた。

つくづく弱いな~と思うけれど、これもこれで仕方がない。

本当はいつも笑って暮らせたらいいのだけれど、理想と現実には大きな溝もあるし、やっぱり年をとるということは気力も体力も弱って行くわけだから、そう考えるとこれもこれで仕方がない。

なにもかも、どれもこれも、与えられた時間と場所と、人と縁。

他力を信じて、14年目を生きるとしましょうか。

13年を見守ってくれた大きな力に、身体中を委ねて生きる14年目にしたいと思います。

「光」に導かれたいと思うのです。

見るべき足元は、ただひたすら自らの足元にほかならないのです。

「光」の指す方角へ進みたいと思います。

ここで一緒に生きる人たちの人生や時間を胸に刻み、看取った人たちの人生や時間を命の糧に、

新たな物語が生まれることを願って・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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現場を想う

2018-11-13 23:40:28 | デイサービス池さん

毎日毎日、違うようで同じ、同じようで全く違う現場が存在している。

曜日ごとに同じメンバーなのに全く異なる一日になる。

お天気や気圧、食事の状態や便のことなど、ありとあらゆる要因が影響しあっていろんな人たちの一日が作られてゆく。

楽しい時だけでない。

上手くいかない時や、不測の事態に陥ってしまう時、予測していても噛み合わない時や後手に回ってしまってドタバタしてしまう時もある。

そのたびに、「あ~今日はどうだとか、こうだとか」「どうしてだろうかとか、なぜこうなんだろうか」と私たちは考え続けてへとへとになってしまうのだ。

だれもが一日を生きている。

年寄りだけでなく、私たち自身も。

皆が同じ時間を生きている。

同じ時間を生きながら、いろんな出来事がある中で、それでも皆が安定するように、少しでも穏やかに過ごせるように、笑顔が見えるように、全力で向かい合う。

向かい合いながら、悩み続ける。

「どうだったのだろう」「これでよかったのだろうか」と。

決して思い込みではなく、思い上がりでもなく、独りよがりでもなく、

ただ一心に心を込めて自らの胸に問いかける。

繰り返し、繰り返し、問いかけ続ける。

自分の問いかけに果たして答えがあるのだろうかと時折不安に駆られながら、

それでも常に問いかけ続ける。

もし・・・

もしその問いかけに答えがあるとするならば、

それはただ・・・

年寄りたちが見せてくれる「笑顔」でしかない。

家族が寄せてくれる「信頼」でしかない。

科学や医療のようにエビデンスは明らかではないかもしれないけれど、

形の見えない「生活」という曖昧な分野において、

人が人でいるために、「生きる」ことを諦めず、最後まで「自分」のままでいるために、

その「笑顔」と「信頼」に答えるために、毎日謙虚に必死に頑張り続ける私たちでいたいと思う。

考えることを諦めずに生きてゆきたいと思う。

その先にきっとある皆の笑顔を見るために。

年寄りだけでなく、

私たち自身の生きる先にも・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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季節

2018-11-08 23:51:32 | デイサービス池さん

本日もお芋をふかしました。

毎日お芋をメニューに使ってますが、忘れんぼのばあさんたちが「いよいよ、これは初物じゃ」などと言って美味しそうにお芋を食べてくれる顔を見ていたらこちらまで幸せな気持ちになってしまって、明日はもっと手の込んだメニューにしようと思っていたのに「まあ、やっぱりお芋でいいか!お通じにもいいしね。」などと自分で言い訳しながら罪悪感もなく毎日お芋をふかしているワタクシです。

冬の大根や間引き菜・水菜・小松菜・青梗菜・春菊・マンバ(高菜)などの葉物が届くようになりました。サツマイモ・ブロッコリー・・・(決して買うのではないです。皆さんに頂くのです!)

ミカンや柿を頂いたり、本日は秋田から「あきたこまち」が届きました。泰雄さん毎年、ありがとうございます。

お土産で頂いた「ほうじ茶の大福」「坊ちゃん団子」本当においしかったです。ごちそうさまでした。

いろんな方にいつもいつも支えてもらっています。ありがとうございます。

頂き物から季節が感じられることも楽しみの一つですが、夏の間食卓に上らなかった緑の葉物が増え、冬が近いことを教えてくれているようです。大根も少し太くなって、煮物にしたら柔らかい冬の大根です。

サツマイモは煮物やサラダ・天ぷらで、昨日はサツマイモチップにしたら「ちょっと固いよ」と言っているのに話を聞かず「こんな固いものは食べれん!」という人や歯がないのに「美味しい美味しい」という人がいて、一体真実はどっちだと大声を出したくなるのですが、まあ美味しく食べていたらどっちでもいいので食べたい人にだけに差し上げることにしています。

桜の木は葉を落とし始め、イチョウの木も綺麗に色づいています。

今からは風が吹くたびに木は葉を落とし、冬の支度を始めるでしょう。

年を重ねるごとに時間が早く流れてゆくようですが人の気持ちや都合とは関係なく、自然の移り変わりは人間社会とは関係なく自然のままになんら変わることなく巡っていることに感動を覚えるのです。

 

 

そしてもうすぐ、池さんも周年の記念の日を迎えます。

どんな生き方やどんな生き様であっても、生きたように老いて死ぬのが人間だとしたら、やっぱり悔いのない時間を生きておきたいと思います。

どんなに制度が変わろうと、どんなに機械化が優先されようと、どんなにコスパが叫ばれようと、どんなに介護保険の軸が加算に移行しても、変わらずに続けてきた時間を大切に思いたいのです。

13年前の気持ちと同じように、会社として営利を目指すのではなく、家族として生きて行ける池さんであり続けたいと思っています。

家族の人の想いのこもったお野菜を有難く頂きながら、皆で笑って暮らしたいと年々想いを強くするワタクシです。

経営者としては確かに失格だと思いますが、かけがえのない多くのものに出会えた幸せを感じられる方がワタクシたちには合っているのかもしれません。

理想と現実は決して同じではなくて、いつも迷いつつだけど、小さな喜びを感じられる今の池さんがワタクシは大好きです。

素直に考えながら悩み続けているスタッフたちもワタクシは大好きです。

明日はもう金曜日。本当に時間が早く過ぎてゆきます。

 

 

 

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琴線に触れる

2018-11-05 23:34:46 | デイサービス池さん

さてさて、連休明けの月曜日です。

まったくもって、本日もまたまたヘロヘロの一日。

一体全体なんでこんなに自由気ままなのかわからないけど、とにかくここの人たちは元気です。

もちろん1人では歩けなかったり、手が不自由だったり、車いすに乗ってたり、耳が聞こえなかったりするから世間でいう「元気」とは意味が少し違うけど、自分の気持ちに忠実で人のことはお構いなし、勝手に自己主張して生きている人たちなので超元気印間違いなし。

 

「琴線に触れる」(きんせんにふれる)

この意味は「人の心の奥にある感じやすい心情に触れて感動・共鳴すること」なのですが、今回は「共鳴する」という点からちょっとした話です。

いつも無表情で声にも抑揚がなく、一体何を考えているのか、今不機嫌なのか喜んでいるのかも分からないような人がいるとします。

気を遣って色々話してもなかなか会話に乗ってきてくれなくて、何を話せばいいのか、何を聞いたらいいのか、まったくわからないような人です。

でもよく観察してみると、その人は決して笑わないわけではなくて、何かの拍子に「うふっ」という感じで口角を上げて、目をぱちぱちさせて一瞬だけどにやけたような表情を見せる時があるのです。

他の人みたいに声を出して笑うわけではなく、おそらくその人なりに笑っている、そんな感じです。

笑うことに1人で照れているような、きっと笑うことが苦手な人なのでしょうね。

で、いつ笑うのかというと、たぶんその人の琴線に触れた時。

その人なりの世界の中で、その人の心の中の動きに注視していると見えてくるものがあって、その人の心の中の何かにピタッと共鳴する感覚になった時、あるいは、その人の心の中の何かを共有する感覚になった時、たぶんその人は笑っている気がします。

例えばこんなことがあります。外を見て聞こえないほどの小さな声で「いい天気」とボソッと言った言葉を聞き逃さずに「お天気ええねえ。どこか遊びに行こか?」と先に言ってあげたら笑顔が見えるかもしれません。

食事を出して、なんかお箸で食べにくいな~という感じを察して、黙ってスプーンを横に置いてあげたら、ニヤッとしてくれるかもしれません。

腰が痛むみたいだな・椅子の座り心地が悪そうだなと気がついて「一緒にこっちへ座ろう」とソファーに移動させてあげたら、ありがとうに繋がるかもしれません。

誰でも、心の中にある「何か」に気づいて貰うことができたら、きっと嬉しいに違いありません。

体調が悪いことに気づいてくれる、話をしたい時に話を聞いてくれる、1人でできないことを黙って手伝ってくれる、誰もが必要とするときに必要な声掛けや手助けをして貰えることは嬉しいことに違いありません。

ちょっとしたことに気づき、ちょっとしたことを当たり前に重ねていくことは、必ず誰かの心の琴線に触れると思っています。

笑わない人も言葉を忘れた人も自分勝手な人も、あまのじゃくの人でさえ、心の琴線に触れることができれば、必ず良い関係を作り上げることができるはず。

よい関係を作るためには、やはりその人がどんな人なのか知ることから。

いつも言うように、「人を知る」ことが一番大事で、一番難しいことだから、まずそこから始めてみるといいかもしれません。

人に対する信頼感も場所に対する安心感も、きっと心の琴線と関係があるような気がするという今日の話でした。

 

ブログが1100回を超えました。

いつまで続くかわからないけど、このブログは池さんで生きた私自身の記録でもあるから頑張っていきたいと思いますが、なにせ年ですのでちょっと心配です。

体力仕事は無理ですし、頭のいる仕事も自信がありません。料理は好きですからゆっくり作りたいのですが、最近面倒に感じる時もあり、お芋ばかりふかしています。ごめんなさいね。でも皆、昨日食べたことを忘れてくれるので助かってます。ありがとう。皆に感謝です。

気温差が激しい一日ですが、風邪など引かないよう気を付けて下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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