池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

2人のばあさんのおはなし

2016-02-29 22:55:51 | デイサービス池さん

今夜の登場人物は、2人のばあさん。

まずは説明から。

Aばあさんは、どちらかというと無口な人。

もちろんそれなりに相手に合わせて話をすることはできるけど、自分から進んでいろいろな話をするわけではない。しかも、声が小さい。大きな声が出ないわけではないが、よほど気が乗った時でないと大きな声を出さない。おとなしいイメージのばあさん。

Bばあさんは、利用開始からまだ日が浅い。従って、遠慮がちにいつも話をする。大きな声を出したこともなく、やっとデイに慣れてきたところ。声は小さい。

ちなみに、2人のばあさんは離れた椅子に座っています。

 

B: 昔、おまわりさんに許可をとって、ハクビシンを飼いよったんよ。

A: この前、ハクビシンが後ろをついてきよった。

B: 飼いよったハクビシンは、「お手」をしよったんよ。扉を開けたら出て行って、夜になったら帰ってきよったんよ。

A:・・・

A: 昔、ブタを250匹飼いよったんよ。子どもも産ませよったんよ。

B: 私はハチを400匹飼いよった。蜂蜜をとりよったんよ。私が蜂蜜を絞る役やったけん、ハチには刺されたことはなかったよ。

A:・・・

B: 昔、ガマガエルも飼いよったんよ。ゲロゲロ鳴いてかわいいんよ。自分で土に寝床を掘って寝るんよ。カイコを餌にしよったんよ。

A:・・・

A: モモ(おうちで飼っている大型犬)に引きずられて、手と足が折れたんよ。

B: 私はあばら骨が折れたことがある。

A:・・・

 

2人のばあさん。

離れた席で、同じ会話を楽しむばあさんたち。

決して自慢しているわけではなくて、作話ではなくて、苛立っているわけでもなくて、ただ淡々と自分の話を続けるばあさんたち。

でもちゃんと会話になってる2人のばあさんの話。

ちゃんと聞いてないと、何でもない話。

2人のばあさんの話。

 

こんな楽しい瞬間に出会える仕事をしているんだと思うと、ワタクシは嬉しくてニヤニヤと顔がふやけてしまうのです。

こんな瞬間を大切に思える本当にあった介護の現場の話です。

 

 

 

 

 

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居酒屋池さんのご案内

2016-02-24 21:53:21 | デイサービス池さん

え~、ただ今諸事情により、夜勤変則しています。いつも、ワタクシ夜勤の日にブログを見てくださっている方、大変申し訳ありませんですが、予測を裏切ることお許しくださいませね。

今月の居酒屋池さん、27日今週土曜日、午後7時開店です。

顔見知りの方も、初めての方も、本店でお待ちしています。

 

『2月の居酒屋池さんのメニュー』

メイン料理はお好み串揚げ(鳥肉・エビ・ホタテや野菜など)です。アツアツをどうぞ。

その他、鯛飯・鯛の潮汁・白菜の酢の物・大根サラダ・牡蠣のグラタン・おでんなどを用意する予定です。(何しろこんなワタクシですので、どうなることやら・・・)

料金:お車の方、お料理のみの方はワンドリンク付きで2000円
    飲みたい方は飲み放題で4000円(日本酒・焼酎・生ビール)

ぜひお誘い合わせのうえ、お越しくださいませ。いろんなお話ができたらいいです。

 

 

 


 

 

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取材

2016-02-20 21:12:13 | デイサービス池さん

愛媛県の東予地方中心に発行されている雑誌「インタビュー」という月刊誌3月号に池さんが掲載されました。

もちろん、ワタクシも大ちゃんと一緒に、今回写真に収まった次第。

ばあちゃんたちと一緒の写真や4つの事業所の写真など、いろんな写真と共に結構ながながとインタビューされた内容が書いてあるわけ。

で、今回この雑誌に載ったことが嬉しいことは嬉しいのだけれど、それより何より、インタビューアーの方との出会いが、超超嬉しい出来事になったわけで。

ひと目見て「この人、好き」と思えたほど。

だから、ワタクシと大ちゃんのおしゃべりも半端なかったと思うわけで。

言っておくけど、ワタクシたち2人とも、いつもおしゃべりなわけではなく、(超感覚派の親子なので)気が向かない時は本当に無口になってしまうのですわ。話してもわかってもらえんだろうなと思ってしまったら、もう話さなくなってしまったりすることも多いんですがね。

でも今回のインタビューアーの人は、「池さんの生き方」をおそらくきちんと理解してくれる方だということを感じてしまったために、もう止まらんくらい2人ともしゃべり続けた内容を、よくこれだけの文章にまとめてくれたものだと、感謝と尊敬の気持ちを抱かずにいられないわけです。

こうしてまた一人、「もう一度ゆっくり話をしたい」と思える方に出会うことができたことを感謝しています。

 

本当にありがとう。宮内さん。

取材に来てくれてありがとう。

本当はもっともっと話したかったです。

時間を気にせずに、ゆっくり話したいです。

約束通り、きっと、お泊まりセット持って遊びに来てくださいね。

ワタクシ達家族は、そういう訪問大歓迎の家族なんです。

人と人がどこかで細い糸でつながっていて、そのつながった糸をはっきりと手にできた時に得られる喜びを、またこうして感じることができました。

やっぱり出会いって素晴らしいです。

人と出会えることって、すごいことです。

今回の出会いに感謝です。

池さんから伸びた沢山の糸を、大切に紡いでゆきたいと思っています。

 

ちなみに雑誌の中でも、池さんものがたりのこと紹介されてま~す。ぜひ介護の現場にいる方に、読んで欲しいものです。

雑誌は書店で購入できますので、よろしくね。

 

 

 

 

 

 

 

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仕事あります?

2016-02-16 22:09:01 | デイサービス池さん

本日の送迎風景。

おばあさんを迎えに行くと、いつもの場所でおばあさんは車を待っていた。

「おはよう」と元気よく声をかける。

「あ~あんたさん。どこかにええ仕事あるかね?」とおばあさん。

それまで一緒に車を待っていたお嫁さんと、どんな話をしていたのかわからないけれど、いきなりこう言われたワタクシ。

「仕事あるある!なんぼでもあるある!」と、とりあえずワタクシ。

「あ~よかった。これで安心した。よかったよかった!」とおばあさん。

「車に乗るよ」と言うと、「仕事に行けるんじゃね」とおばあさん。

車に乗ったおばあさんは、なぜだかウルウルと涙を流しながら、よかったよかったを繰り返す。

さっぱり訳はわからんものの、とりあえず車は次のおばあさんを拾うため出発する。

後ろの座席で、おばあさんは「ありがとう。ありがとう。これで食べ物を心配せんでもええ。ちょっとでもお銭が入れば、食べていくのに不自由せんでええ。ありがとう、ありがとう。」とワタクシを拝みながら、車の後ろで涙ぐむ。

「仕事が見つかってよかった、本当によかった、これでご飯が食べれます。ありがとう、ありがとう。あんたに今日会えてよかった、よかった、ありがとう、ありがとう。」

涙を拭き拭き、おばあさんは喋り続ける。

手をパンパンと打ち鳴らして神様を拝むように、後ろの席からワタクシを拝んでくれるおばあさん。

「ありがとう、ありがとう」は、2人目のおばあさんの家に着くまで続き、おばあさんはだんだん感情移入が酷くなり、ワタクシを拝みながらオイオイ泣き始める。

そうこうするうちに車は次のおばあさんの家に到着。

ワタクシ、家まで迎えに入り、2人目のおばあさんを連れ出して車に乗せる。

「おはよう」と2人目のおばあさんが声をかけた。

「あらっ、おはよう」と職探しのおばあさん。

「今日もええ天気じゃ。どこか遊びに行きましょや!」と、今まで泣いていたおばあさん。

「そうじゃねえ。天気がええけん、どこかへ連れて行ってもらわんと、私らだけじゃ、どこへも行けん!」と2人目のおばあさん。

「ほんと!ほんと!歩いてやかどこにも行けん!車で連れて行って貰わんと!」と職探していたおばあさん。

「あ~あんたさん、どこかへ遊びに連れて行ってくださいよ!」と職探しをしていたはずのおばあさん。

 

「おんな心と秋の空」 と昔の人は言ったけれど、

「おばあさんと冬の空」 ってか!

とりあえず、な~んにもせん介護でスタートした一日。

こういうことって・・・真剣になってみても、説得を試みてみても、間違い探しをしてみても、どうにもならなくて、かえってそのルーティーンに追い込んでしまうことが多いわけで。

ほっとけば何かのきっかけで、自然に気分が変わることが多いということをどうかご記憶に入れていただけたらよいかと思うわけです。

もし、気分が変わるきっかけが近くになければ、そのきっかけを作ってあげるのが、周囲の人の役目かと。

でなければ、おばあさんは一日中、仕事探しのおばあさんでいなければならなくなってしまうのです。

おばあさんを助けてあげるためには、おばあさんをルーティーン地獄から救ってあげることが大切なのです。

おばあさんは好んでそこにいるわけではなく、「そこから抜け出せないからそこにいるしかない」と理解してあげてください。

仕事探しのおばあさんと、一緒に仕事を探してはいけませんよ。

よいですか?

本日の講座はこれで・・・お・わ・りです。

 

じゃなくて・・・今夜はお泊まり当番です。

風が吹いてます。

春一番はとっくに過ぎて、もう春四番くらいでしょうか?

今夜も風が吹いてます。

毎日限りなく繰り返す様々な想いと葛藤の中にいて、それでもまた新しい一日を刻めることに感謝しつつ。

ヨッシーの2回目の命日も過ぎました。

もう一度あの声を聞きたいです。

ガハハと笑って、力を与えてほしい気がする夜です。

 

 

 

 

 

 

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飛行機雲

2016-02-12 22:30:59 | デイサービス池さん

昨日仕事が休みで、独り暮らしの母の所へ行きました。

結構寒かったけど、とにかくお天気が良くて、久しぶりの高速ドライブは、すこぶる快適!

何度も通った瀬戸大橋の美しさに今更ながら感動し、海の美しさにもいつも見とれてしまうワタクシ。この橋のおかげで、いつでも思い立った時に海を渡ることができるようになったのです。

美しい海と巨大な橋と、空一面に広がる飛行機雲。

始めてみるまっすぐに伸びた飛行機雲。

風がなかったからか、なぜなのかわからないけれど、あちこちの方向へと、まっすぐにまっすぐに伸びた雲。

まったく広がらず、消えることもなく、空にいく筋もの線を書いた雲。

こんなふうに、飛行機雲がたくさん消えずに残っているのを見たのは、本当に初めてで超感動のワタクシ。

胃の痛くなるような毎日の中で、ふと感じる心の躍るような瞬間。

こんな瞬間を大切に想う気持ちは、例えどんな時も失いたくないものだとしみじみ思った早春の一日。

ま、とんぼ帰りの長距離ドライブでしたが、運転好きのワタクシにとっては、よい気分転換の旅になりました。

さっ!またがんばりまっしょい

 

 

 

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看取ること

2016-02-08 22:35:42 | デイサービス池さん

私たちは、今まで何人もの人を看取ってきた。

初めて看取りをしたのが、井上夫婦のみよちゃんだった。

次第に老いてゆくみよちゃんと共に暮らしながら、いつかきっとその時がくると覚悟をしながら、それでも、諦めていくことが辛くて辛くてたまらなかった。

命の終わりが目の前にあることを、自分自身が認めることが怖くて、逃げ出したいような気がしていた。

いよいよ終わりに近づいた時、はっきりともうダメなのだと理解できた時、それでもどうにかならないかと、もう一度生きようと思ってもらえないものかとジタバタし、それでもどうにもならないのだと自分自身に言い聞かせながら、最期の時を迎えた。

見送った後、涙が溢れて止まらなかった。

寂しくて、悲しくて、身体の一部をもがれたように感じて、立ち直るまでに時間が必要だった。

けれども、不思議とこれでよかったのだと、いつか思えるようになった。時間が経つほどに、心が満たされていくのを感じるようになった。そして、その気持ちはご家族も一緒だった。私たちは命日のたびに逢い、温かい思い出を語り合うようになった。

みよちゃんを看取った後、じいちゃんを看取り、由美子さんを看取り、フミちゃんやヨッシーを看取り・・・タツエさんや敏子さんやまあちゃんを見送った。

多くの人を見送った今、私たちはこうして看取ることの意味をはっきりと知ることができた様な気がしている。大切な人を失う悲しみよりも、もっと大きな意味。

それは、こうして自然に迎える死がもたらしてくれる満ち足りた温かい気持ちとその意味を、知ることができたから。悲しくないはずはないけれど、そうした気持ちよりももっと大きな大事なことがあると知ることができたからだ。

悔いのない温かい穏やかな時間を過ごすことは、旅立ってゆく人に対する記憶を、見送る人たちにとって満足できるものにかえてくれることを知った。

「悔いのない、いい人生を送ったのだろう」と。

負の記憶さえも温かい記憶に変えてくれると。

残された家族は、満ち足りた記憶を支えに、これからの人生を生きてゆくことができるだろう。

看取った私たちと家族は、最後となる大切な同じ時間を生きたことで、これから先も繋がってゆくことができるのだ。

 

 

明日はフミちゃんの命日。

日曜日、離れた町に住むご家族が一年ぶりに池さんに来てくれた。

離れていても、遠くにいても、ご家族は私たちのことを想ってくれている。

私たちも、ご家族のことを想う。

フミちゃんはいなくても、こうして繋がっていくことができる。

この絆こそが、フミちゃんが与えてくれたもの。

フミちゃんの命は、新しい絆を私たちに与えてくれている。

 

みよちゃんやじいちゃんのご家族や・・・すべての家族が、今でもずっとここを支えてくれ、私たちの力になってくれる。

その力こそが、私たちのこれからの道を示してくれている。

この大きな力を糧に、私たちは又前に進むことができるのだ。

 

看取ることは、人生の最期の時(人生の一番大事な時)を、死にゆく人と「一緒に生きること」だと思える。

一緒に生きるからこそ、命を終えた人が教えてくれる大切で大きなメッセージを、はっきりと心に刻むことができるかけがえのない瞬間となる。

その大きなメッセージは、私たち自身がこれから先の人生を生きる指針となりうるのだとはっきりと言える。

 

フミちゃんのご家族から頂いたお手紙は、これから先の私の心の宝物になるに違いない。

胸を張って生きてゆくために、大切な宝物になると思っている。

与えてもらった道しるべを、生きる糧にできる私自身でありたいと素直に思える今宵。

冷えた空気の中で輝く夜空に浮かぶ小さな星のように、迷える時の指針になってくれるだろう。

 

おっと・・・

夜空の星が多すぎて、余計に道に迷うのではないか・・・という突っ込みは、この際却下します(笑)

あしからず

 

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介護保険のありか

2016-02-03 22:56:48 | デイサービス池さん

またまた介護保険の改正が近づく。

改正のたびに増え続ける書類の数々。

更に介護予防に力を入れていく国の政策は、ほどほど元気な老人を集めて、一生懸命体操やリハビリを提供する。

あちこちにできた小さなデイに対しては単価が下げられ、倒産が相次いでいる。通常規模や中規模のデイに集約させるつもりなのだろうか。

大きなデイに行くことができない、もしくは大きなデイから断られた老人は、一体どこへ行けばよいというのだろう。

団体介護が難しい困難なケースだとレッテルを貼られた老人は、施設から施設を渡り歩き、家族には心休まる時などない。

どこへ行くのか介護保険。

介護離職者をゼロになどと綺麗事を並べても、賃上げ要求の旗を振る世の中の一般企業や公務員と同等の賃金など、介護職には夢の夢。

嫁も貰えない低賃金で働く介護職の現実は、あまりにも厳しすぎる。

何を目指そうというのだろう。

老人の置かれた状況と、そこで想いを込めて一生懸命働く介護職と、あまりにも現実とかけ離れすぎた介護施策のあり方に、疑問は募り、現場は疲弊してゆく。

 

生活保護を受けながら生きる老いた母と障害のある息子の介護生活には、

昼間の明かりや暖房器具さえなく、

暗い部屋で、古びたジャンバーをまとい、

ほとんど調理器具もない台所に、うすい布団をひいて寝る、

ひっそりと人目をはばかるような日常しか与えられていないのだ。

 

この国の福祉政策と介護保険の在り方は、

ただ国の予算を削ることしか、増え続ける支出を減らすことしか、

見えていないような、

そんな気がして、

絶望感に襲われる。

 

せめて、せめて、私たちの所へ来ている間だけでも、

温かい食事と、気持ちよいお風呂と、大きな笑い声に包まれて、

生きてほしい。

今までの人生がどんなものだったか、私にはまだ分からないけれど、

ただ、ただ、普通に笑ってほしい。

誰にも遠慮することなく、

大きな声で。

 

あたりまえに、ふつうに、生きることが、それほどまでに、難しいことなのだとしたら、

この国に生きる人たちの未来は、一体どうなるのだろう。

国の政策とは一体なんだろう。

テレビの中の国会の中継が、かすんでぼやけていくような、

現実とかい離していくような、

そんな気がする節分の宵。

 

明日は立春。

桜も芽吹き、梅は蕾を膨らませた。

どうか人の世にも、温かい希望の芽吹きが訪れますように。

春と共に、

移りゆく時代と共に、

全ての人に、

よりよい暮らしと平和が、

訪れますように。

 

 

 

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