在宅生活をあきらめ、施設へと移動することを決めた家族と老人がいた。
どの人にもボケがあった。
施設へと移動しなければならないことを、老人に伝えてはいない。
ボケのある老人には、住みかが変わることを納得することもできないだろうし、なぜ変わらなければならないかを理解することはできないだろう。
それでも不思議なことに、頭では理解できなくても、老人たちは身体で感じることができる。
デイ利用最後の日。
ある老人は、何も知らないのにこう言った。
「私はもう死んでしまいました。」
またある老人は、
デイの人たちに、丁寧に優しく穏やかにお別れの挨拶をした。
そして、もう一人の老人は、
入所までの何日かを、体調を壊してデイを休み結果、家で過ごすことになった。
まるで、入所までの時間を「私は家で過ごしたいのです」と主張するように。
どの人も、入所することを理解してはいない。
それでも、老人たちにはわかっているのだ。
いろんな事情や家族の想いを。
心で感じて、身体で表現しようとしている。
こういう体験を繰り返しても、結局私たちには何もできない。
ただ、迷いながらも大きな決断をした家族の心に寄り添い、
新しい環境で生きてゆかなければならない老人に、想いを馳せるだけ。
どうか元気で過ごすことができるようにと。
デイサービスには限界が存在する。
老人は常に多くの事情を抱える。
家族にとってたとえどういう選択であろうと、それはそれで正しいのだと思う。
最後の利用日。
ボケた老人たちは知る由のない別れを感じ、
身体中で表現する。
どの人も。
不思議なことに。