池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

そしてまた・・・

2013-11-27 20:44:24 | デイサービス池さん

日曜日、さよさんが逝きました。

わずか11カ月のお付き合いでした。

施設から来たさよさん。

私たちが新しい一歩を踏み出すきっかけを作ってくれた尊い出会いでした。

 

さよさんの死をよしこさんに告げた時、よしこさんが言いました。

「よかった!」と。涙を流して言いました。「よかった、よかった」と。

こうして、皆の真ん中で最後まで過ごせたことを心から理解してくれて、こうして自然に最後を迎えることができたことを、「よかった」という言葉で表現してくれました。

よしこさんの深さに、よしこさんの大きさに、圧倒された私たちでした。

 

家族と共に、

最後の息を穏やかな気持ちで看取れたことを、感謝しています。

死に慣れたからではありません。

多くの葛藤を経て、それでも逝くのだと覚悟を決めて、

ならばできる限りのことをしたいと努力し、

そして、静かにその時を待つことができたのは、

さよさんの見事な最後のおかげです。

本当にろうそくの灯が消えるように、

静かに、穏やかに、暖かく、

私たちは家族と共に、さよさんを見送ることができました。

 

本当にありがとうございました。

さよさんとの出会いは、いろんな人に必ず繋がっていく出会いです。

感謝しています。

心から尊敬の想いを込めて、

さよさん ありがとう!

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静かな時

2013-11-20 21:45:53 | デイサービス池さん

静かに時が流れる。

動かない空間。

でも時間は流れる。

穏やかに。

それで、いいと思う。

こだわっていた時を忘れたかのように、大頭の時間は静かに過ぎる。

私たちも静かに、いる。

ただ、そこに、いる。

何をするでもなく、何を話すでもなく、一緒に座って、同じ風景を見る。

ただ、そこに、いる。

そんな空間。

煮物の香りが漂い、お風呂の匂いが部屋を包み、テレビから声が流れる。

ネコがあくびをして、まあちゃんが叫ぶ。

心地よい、空間。

穏やかで、暖かい、空間。

大頭の池さん。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8周年に

2013-11-17 21:06:17 | デイサービス池さん

11月15日。

無事に8年が過ぎました。

この日まで、私たちを支えてくださった全ての人に感謝します。

長かったような気もするし、あっという間だったような気もします。

 

池さんを作ってから、ただただ一生懸命生きてきました。

 

利用者も増え、スタッフも増えて、今では池さんファミリーは大きな家族になりました。

人数が増えても、ここを選んでくれた人たちと共に生きてゆくことに変わりはありません。

 

9月に宅老所「池さんの家」がオープンしました。

命の最後の火をともす人と一緒に、毎日を過ごしています。

10月に「通所介護事業所 大頭の池さん」が始まりました。

8年目の日々は、この2つの場所を始めるための月日でした。

 

決して池さんは大きくなったのではありません。

事業を拡大したわけでもありません。

ただ縁あって出会った人と、命の時間を大切に生きるために、必要な場所を用意したにすぎません。

 

命は巡ります。決してなくなりません。

めぐりめぐる時間を感じながら、豊かな人生を皆で生きてゆきたいと願っています。

 

大頭の池さんの部屋と宅老所の台所を、雨が降っても行き来できるように、渡り廊下でつなぎました。

みよちゃんとじいちゃんが暮らした部屋から新しい家に、皆の「道」ができたのです。

出来上がった廊下を見た時、心が震えました。

2人が生きた場所から繋がった、新しい道。

2人が残してくれたいろんな想いが、私たちを新たな道へと導いてくれたような気がします。

 

デイサービス池さんのキャッチコピーは、「毎日笑て、毎日食べて、ちゃんと動いて、おしゃべりして、大きいうんちして、また笑って」・・・年をとっても社会の中で、人間らしく生きて欲しいと願いを込めています。

通所介護事業所 大頭の池さんのキャッチコピーは、「深く濃く、あたたかく、しなやかに、時を紡ぐ」・・・老いの葛藤を超えた人たちが、最後まで人として生きる静かな場所です。

宅老所 池さんの家は、「あるがままで老いを生き、人として逝く」・・・最後まで、あるがままの姿で生き切るための家、人として自然な形で死を迎えるための終の棲家です。

 

 

だれもが老いてゆきます。

命は巡ります。

8周年を迎え、私たちは新しい物語をスタートしました。

池さん物語第3章は、「めぐる命の物語」

出会った人たちと、大切な命を丁寧に紡いでゆきたいと思っています。

深く・濃く生きて、最後の瞬間まで社会と繋がる「人の命」を生きる物語。

 

第3章・池さん物語を、皆さんと一緒に作ってゆけたらと願っています。

どうか、たくさんの人との出会いが得られますように。

そして、大切な人たちと豊かな時間を過ごすことができますように。

深い人生を生きることができますように。

 

「愛媛の小さな町の小さなおうちで本当にあった物語」は、まだまだ続きますよ~!

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子猫

2013-11-13 20:49:56 | デイサービス池さん

大頭の池さんのアイドルの子猫。

名前は、「さかなちゃん」という。

池さんに住みついたネコ家族の春生まれの子猫。

夜は池さんの家で皆と一緒に眠り、朝になると皆と一緒にデイに出勤する。

 

リンさんは「リリーちゃん」と呼び、ささよさんは「トラ」と呼ぶ。

一日中、誰か彼かが抱っこしていて、昼ごろお腹がすくと「ギ~」とないてご飯をもらう。

お腹が一杯になると、また皆と一緒に昼寝をして、夕方になるとまた「ギ~」とないて、夕飯を食べる。

お風呂は、れいこさんが介助。

大頭の食事は純和食でさかな料理が多いし、頂きものの鯛やハマチや、時には石垣鯛の刺身など豪華な日もあるけれど、ときおり誰かが食べさせるおはぎやヤクルトやせんべいで、お腹をこわして下痢をする。

 

池さんの家の住人、子猫の「さかな」

時々、ばあさんたちにしっぽを引っ張られながら、元気に育ってます

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「生きる」

2013-11-10 21:45:35 | デイサービス池さん

その人は、言う。

「やっと生きとるんやから」

そうね。あなたは今、やっと生きている状態だから。

 

その人は、言う。

「生きるのは、しんどいんよ」

そう。確かにしんどいのだろうと思う。

「しんどいね~」

その人は頷く。

そして、うつらうつらと彷徨う中で「お客さんがたくさん来たから、お茶をお願いします」と目を開ける。

「わかった。入れておくね」

 

その人は、言う。

「もう、よう生きた」

そう、きっとあなたはもう十分、生きたと思う。

 

その人は、言う。

「生きたい。生きさせて。」

急いでご飯を持って行く。好きな魚の汁をかけたご飯。でもほとんど飲み込むことができない。甘酒とラコール(経腸栄養剤)を持って行く。ゴクゴクとのどを鳴らせてその人は、水分を身体に取り入れる。

 

その人は、命の終わりに向けて今、全力で準備をしている。身体中の肉をそぎ落とし、身体に溜まった便を出し・・・今その人が取り入れるのは「飲み物」だけ。

 

見事に枯れてゆく。

 

私たちは気持ちを整えながら、その人の命の終わりに向き合う。

 

立派に命を終えようとしているその人に尊敬の念を抱きながら、「その日」までの大切な日々を、ただただ「一緒に大切に生きる」。

 

 「生きる」

 

生きることができる最後の一瞬までを、残された時間を、

 

「生きる」

 

愛おしい時間を、かけがえのない時を、

 

「生きる」

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の顔

2013-11-06 21:02:50 | デイサービス池さん

毎日のように、当たり前に家族が池さんを訪れてくれる。

いろんな差し入れを持って、遊びに来てくれる家族。

もちろんばあちゃんの顔を見に来るわけだけど、でも「今、お昼寝しとるよ。起こそうか?」と言えば、「起こさんでもええ。」と私たちとおしゃべりして帰る人もいるし、ただ「これ貰ったから」とお土産だけを置いて帰る人もいるし、一緒にお茶を飲んで帰る人もいる。

これは池さん自慢の光景。

面会に来たという感じの施設的なものではなく、ただ知り合いの家に遊びに来たという感覚の来訪。

そして・・・遊びに来てくれる家族には、一様に同じような雰囲気がある。

「暖かくて・優しくて・おだやかで・笑顔」

本当にいつも感じることだけど、その人たちが持っている空気が、とても柔らかいのだ。

きっと・・・しっかりと家庭をつくってきた人たちなのだろう。どの人も、しなやかな空気を漂わせている。

そして、その家族の真ん中にいるのが、ここにいるばあちゃんたち。

ばあちゃんたちがしっかり家庭をつくってきたからこそ、老いた時にこうして暖かい気持ちで会いに来てくれるのだろう。

家族の表情を見たら、ばあちゃんたちの生きてきた歴史を、ほんの少しだけ見ることができるような気がする。

今日大頭を訪れてくれた家族も、皆とっても暖かくて優しい人たちだった。

きっとずっとばあちゃんは、皆の中で大切にされてきたのだと思えるような・・・

それは、ばあちゃんが皆を大切にしてきたからこそ。

 

家族の顔は、ばあちゃんの「顔」を映し出す。

 

優しく手を握る家族に、いろんな想いを巡らせた今日の日。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人工物

2013-11-03 21:28:44 | デイサービス池さん

「長生き」したい人へ。

 

年をとると、当たり前にいろんな所が変化する。

頭は白髪になるし、目は見えにくくなるし、耳は聞こえにくくなるし、足は弱るし、手も上がりにくくなるし、歯は抜ける。

年をとるということは、そうした変化を自然に受け入れるようになるということだとつくづく思う今日この頃。

それまで毎月行っていた美容院に行くことが難しくなって、白髪染めをやめる。目は老眼鏡をかけ、耳は補聴器を利用するようになり、「どっこいしょ」と言いながら傷む足をかばうようにゆっくりと動くようになる。背中が痒ければ、「孫の手」の登場。歯が抜ければ入れ歯を作るだろう。

そしてそのうち、新聞も読まなくなって老眼鏡は置き忘れられ、補聴器も面倒になり都合の悪いことは聞かなければすむようになって、動く範囲も限られてくるに違いない。

入れ歯をつくっても、段々歯茎がやせてくるからそのうち合わなくなって、入れ歯もどこかへ置き去られるようになる。

ここで・・・若い頃にインプラントの歯を作った人がいるとする。

入れ歯なら合わなくなれば、はずすことができるけれど、しっかりした人工の歯は老いても決して外れない。

顔自体がだんだん変化するのに、歯が変化しないのだからやっかいになる。シワが増えて唇は薄くなっても、歯だけは以前のままなのだから、口から歯がはみだしてとにかく歯が渇いてしまう。

寝ている間にもたびたび歯をしめらせないと、歯に唇がひっかかって口が閉じないのだから!

ちょっと余計なことを考えてみると、例えば整形手術をして美人になった人が年をとった時、一体どんな顔になるのだろう?

人工物で高くした鼻はそのままで、周囲の皮膚はシワシワになるだろうしな~。二重まぶたもそのままで、目の周りの皮膚はたるんでくるだろうしな~。

 

まあともあれ、人間の身体は本来自然の摂理にしたがってうまく作られているわけだから、人工的で変化のないものを身体に取り込むと、「老い」の妨げになるような・・・そんな気がするわけで。

 

つまり年齢と共に、老いと共に、自然に変化する「余地」を人の身体は本来持っているということを言いたいのだ。加齢に対応できる自然のしくみ(身体の仕組み)こそが、人が長く生きたとしても命を全うし、更には死にゆく過程にムリのないように作られたものではないかと思うから。

 

入れ歯が合わなくなれば、歯茎で十分タコの刺身も食べれるということは池さんで実証済み!

 

それより、年をとった口には人工の歯の方がやっかいだという話。

歯が渇きすぎて唇が閉じない夜の方が、きっと辛いに違いないのだから・・・

 

あくまで、「それだけ長生きしたら」というお話。

あしからず。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする