もうすぐ鏡開き。お年賀が遅くなりました。
皆さま、明けましておめでとうございます。
年々短くなるように感じる1年という時間。
かけがえのない時間を大切に生きてゆきたいと心に誓いながら、区切りの日に、新しいカレンダーをめくりました。
平成最後の年となる今年、そして新しい年が皆様にとって良きものとなりますようお祈りいたしております。
ブログも更新しないままで、ご心配のお便りやメールを頂いておりますが、12月中旬から私仕事をサボらせて頂いております。
4年に一度の大病経験が今回はちょっと重症なようで、ほとんど動けず2週間、現在少しずつ体調を戻すべく自己リハビリトレーニング中という感じの今日この頃です。
イメージとしては、ウルトラマンが侵略者と戦う時の胸についたカラータイマーみたいな感じ。
少し無理すると、プラズマエネルギーが底をつきカラータイマーがピコピコと音を立て始め、M78星雲へ「シュワッチ」と帰るウルトラマンのように、ピコピコ頭がなりだしたら「休め」のサイン。私も隣の自宅へ「シュワッチ」と帰っております。
それでも何とかかんとか、おかげさまでゆっくりと薄皮を剥ぐように、少しづつですが回復はしております。
気がつけば還暦を過ぎ、時間にゆとりができるどころかますます忙しくなっていて、夫の病気のことや自分自身の年齢のこと、今後のこと、池さんの抱える現実や経営の問題、職員や家族や借金・・・考えれば考えるほど入り組んでゆく問題の多さに、自分自身コントロールが効かなくなってしまいました。
なにより日中は現場の仕事に追われて、経理や事務が夜中になってしまうという時間のなさへのストレスが更に睡眠不足を招くという悪循環のスパイラル。問題の多さを自分でわかっていても、集中力を保つのが精いっぱいという状態で何一つ解決への道が見えない状態が長く続くと、やはり自分の身体は痛んでしまいます。ダメージはクリアできるはずと思っていたけど、ここまでにならないといろいろなことへの「覚悟」ができないのが、私という人間の大きな欠点でもあるのでしょう。
とりあえず大ちゃんはじめスタッフの全員に、年末年始もおんぶにだっこしてもらって今日の日を迎えています。
本当に皆に助けられました。
そしてこのスタッフたちがいれば、今の状況も何とかなると思えるようになりました。
年末年始皆お疲れさまでした。
本当に感謝しています。
身体の動かない間、池さんを始めてからのことを振り返りつつ過ごしていました。
13年前、これからの人生をどう生きるか悩んでいた時、助けてもらったのが旧知だった小林先生という社労士の方でした。「力になりますよ」と言われ、その言葉だけを頼りに経営のイロハも右も左もわからないのに、家族でつくった「池さん」という場所。
私と大ちゃんの頭の中にだけあるイメージを、どう形にしてゆけばいいのか散々迷いながら走り続けた日々。
最初に出会ったのが「としおさん」。まさに池さんのイメージを作ってくれた人との出会いでした。いろんな所へ遊びに出かけました。釣りに行ったり温泉に行ったり・・・。楽しいことばかりではなく、ストイックに考えることの大切さも教えてもらいました。
湯波のじいちゃんも会社の設立からずっと応援してくれて、「3年は辛抱するんぞ」と影になり日向になって力を貸してくれました。まるで自分の家のように、私たちはいつも山へと遊びに出かけました。池さんという場が人との出会いや縁に繋がることを教えてくれた人でした。
社長と仕事仲間だった重さんも、池さんをずっと支えてくれました。野菜や果物をいつも届けてくれて、人懐っこい笑顔でばあちゃんたちとも仲良しでした。本当のボランティアという活動の在り方を教えてくれました。
井上夫婦と出会ったおかげで、池さんは変化することになります。「泊り」をつくり「住む」をつくるきっかけを作ってくれた人たちです。井上夫婦が当たり前の普通の暮らしを続けていくために私たちは考え続け、そして池さんは育ちました。みよちゃんという人を最初に看取ったからこそ、池さんはそのあとも看取りを含めた「命の最後の瞬間まで」責任を負い続けることができたのだと思います。
フミちゃんという在宅にこだわった人がいました。フミちゃんが1人暮らしを続けるために、池さんのパーソナル事業は成長しました。在宅生活の大切さを教えてもらい、高齢の1人暮らしの生活に必要な部分を、私たちははっきりと見極めることができたように思います。
リンちゃんとケンイチさんという夫婦と出会いました。2人がいたから宅老所を作る決心をすることができました。
今まで本当にたくさんの人たちが「池さん」に出会ってくれました。そしてその人たちみんなが、池さんを育ててくれました。
ここに集った多くの人たちによって「池さん」という場が作られ、これまで成長し続けることができたのだと改めて思いました。
そして・・・13周年を迎えた今、私たちを助けてくれた人たちは皆亡くなってしまいました。
平成29年11月15日の12周年という日が「としおさん」のお葬式の日だった時、何のメッセージなのか何を伝えたかったのか、どうすればいいのか、わからないまま不思議な縁に心が乱されてしまいました。
平成30年5月にリンちゃんを見送った時、1つの時代が終わったような、皆亡くなってしまった寂しさと空虚さに打ちのめされてしまった心。誰かがいる限り続けていくしかないと・・・そんな脅迫的な気持ちと共に、「心、萎えたり」の感覚を封印したままの自分が存在しました。
介護保険は崩壊状態。「介護の意味」とは全く無縁の度重なる法改正、報酬は引き下げられて加算でしか利益は得られず、現実の経営状態はますます緊迫の度を増し続けて、矛盾をはらんだ介護保険への意地だけが年々大きくなってゆき、更に自分を追い詰めてゆくのです。
がむしゃらに走り続けて生きた時間と、ここを必要としてくれる人たちのために頑張るしかないという感情と、身体の衰えと・・・一体どうすればいいのか。一体どこへ向かうのが正しいのか。訳が分からなくなってしまった自分がいました。
病院で時間を過ごす中で、私は眠り続けました。すれ違いだった家族との時間を過ごすこともできました。ゆっくりした時間を過ごすことができました。
皆のおかげで、今安心して休ませてもらっています。
ジタバタせずに綺麗に年をとっていくためには、生活や生き方をその都度、その生活リズムに合わせて柔軟に変化させていくことが必要なのでしょう。必死になってパワーリハビリをするつもりもないし、目指せ100歳なんて脳トレをするつもりもないけれど、ただ生きるための時間を少しゆっくりしたサイクルに変えていきたいなと思っています。
定年までもうちょっと、もうしばらくの間ばあちゃんのソファーの横にでも座らせてもらえたらありがたいけど、ばあちゃんと間違えて風呂へ運ばれたらイヤなので、ソファーには座らず台所あたりでもウロつくことにします。
しばらくの間、「池さんの大ちゃんママ的働き方改革」に取り組んでいくつもりです。具体的にどう働くのか、プレゼンするにはまだまだ計画途中ですが、なんとか皆の力を借りて高齢者目線で大ちゃんママチックに取り組んでいきたいと思っています。
休んでいる間に思いました。
いろんな人が作ってくれた「池さん」だからこそ、皆が育ててくれた「池さん」だからこそ、これからも皆に支えられていくのだと、だからこそ「池さん」なのだと、誰のものでもない「池さん」という場はみんなが作っていくものだと、だから今というこの「時」に、こんな素晴らしい人たちが周囲にいてくれるのだと。
感謝。
新年の新聞にこんな俳句がありました。
「真の闇 あればこそなる 初明かり」
明るい中では明るさは目立たないけれど、闇があるからこそ明るさは際立つわけで。悲しみや葛藤を抱えない人などいなくて、その苦しみがあるからこそ喜びも幸せもより強く感じることができるはずで、だからこそ人は生きてゆけるのかもしれない。
闇の中で迷い続けずにすんだのは、明るい光がきっと導いてくれるという曖昧だけど確信のある感覚。迷いから少しづつ歩き始めているけれど、まだやっぱりピコピコとなってしまうカラータイマーに恐れおののきながら、ゆっくりと養生したいと思っています。
なので・・・もうしばらく、おんぶにだっこお願いしますね。(体重減ってるからたぶん軽いと思いますけど)恥ずかしながらすぐにダウンするので少しづつ書いた自己反省文の超長いブログ、読んでくれてどうもありがとう。
というわけで、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます