池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

悲劇

2018-05-28 22:48:36 | デイサービス池さん

5月21日先週の月曜日、無事にツバメの雛たちが孵化しました。

朝、2つの小さな卵のかけらが池さんの玄関前に落ちていて、「やった~!」と私たちは皆で喜び、親ツバメたちは忙しそうに餌を運び始めました。

まだ生まれたてなので、親たちは念入りにかみ砕いた餌を、念入りに時間をかけて2羽のヒナに与えていました。

24日、木曜日の夕方、玄関の巣のふちに産毛の小さな小さな頭が一つ見え始めました。

親ツバメが帰ってくるたびに、薄い茶色のふわふわの毛が巣からちらほらと見えて、なんて可愛いことでしょう!

フワフワ産毛と小さな黄色いくちばしの小さなツバメの赤ちゃんは、早や池さんのマスコットとして堂々たる姿!

たぶん遅れて孵化した子どもたちも、そのうちフワフワの頭を見せてくれることでしょう。

25日の金曜日も、朝から皆でツバメに首ったけ。

来た来たと親ツバメを見ながら、出た出たと子ツバメの産毛頭を見つけては大喜びの1日。

そして、、、

悲劇は突然にやってきました!

金曜日の夕方、ずっとツバメを見ていた私は、玄関に入ろうと何気なく巣の近くの雨といを見上げた瞬間、凍り付きました。

ヘビ

ツバメの巣の近くのといの中から首だけ出して、例のペロペロと赤い舌を出したヘビが!

思わず「大ちゃん、ヘビがおる!!!!!」

大ちゃんが急いでモリを手にして玄関に飛んで来てくれ、脚立を持ってきてヘビを探しましたが見つからず。

その後、ずっちゃんも探してくれましたが、ヘビは見つからず。

でも、確かにいたのです。

赤いベロベロしたやつが・・・

確かに巣の方を見ていたのです。

赤い舌をベロベロさせながら。

フワフワの産毛の可愛い頭を、あの赤いベロベロが狙っていたのです。

でも、探しても見つからない限り、とりあえず諦めるしかありません。

その夜仕事が終わってから、ヘビからツバメを守る方法を調べてみると、木酢液が効果があるということで「よし!木酢液なら夫が畑の害虫駆除用に作ってくれたものがあるから、明日朝一番で撒いてもらおう。夜は親ツバメもいるから安心」と思い眠りにつきました。

26日、土曜日の朝一番でフワフワ頭を見ようと思った私が目にしたのは悲劇の後でした。

妙ににぎやかにツバメが鳴いていると思ったのは、子どもを探す親ツバメの声。

たぶん早朝、あのベロベロヘビがやってきて、孵化した子どもたちと卵を食べてしまったに違いありません。

土曜日は1日中、親ツバメは何度も巣を見ては飛び立ち、池さんの家の中まで入ってきて雛を探していましたが、

日曜日、ツバメは姿を見せなくなりました。

 

弱肉強食の動物の世界。

ヘビがツバメやスズメのヒナを狙うことは、ごくごく当たり前の日常なのかもしれません。

どの生き物も何かを食さなければ生きてはゆけないわけですから。

でも、わかっていてもやっぱり悔しいです。

せっかく池さんを選んでくれたツバメのペアに、安心できる安全な場所を提供できなくて申し訳なかったと後悔しています。

あ~木酢液を夜のうちに撒いていたら・・・と夫は悔やんでいます。

 

あのとき、あ~していたらという「後悔」は、反実仮想の実体験そのもの。
「反実仮想が推論に有効でありうるのは直後の出来事に対してである」という点を鑑みて、「ヘビを見た時点で対策を考えて木酢液を撒いていたとしたら、ヘビはツバメの巣に近寄らなかった」・・・かもしれないが、あくまでこれは推論でしかないという不確実さを残してしまうのです。

つまり、どっちにしても、ヘビに食べられたかもしれないという話。

ただ、ツバメが「池さん」という場を選んでくれて2年目の春。

子育てをする場として池さんを選んでくれた今年のツバメ。

どんな時も、どんなに悩んでも、全ての試練にはいつも何かの意味があると思って生きてきました。

考えることで成長し、克服することで大きくなれる気がするのです。

思いもしない運命ではあるけれど、この運命さえも決して無駄にはしたくない。

ツバメたちは、「私たちにいったい何を告げたかったのだろうか」そんな想いが満ちてくる大頭の夜です。

大頭のツバメたちはまだ、卵を大事に温めています。

 

 

 

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ほうかね~~ぇ

2018-05-23 22:29:51 | デイサービス池さん

「ふんふんほうかね~ぇ」のおばあさん。

白内障のせいで視力はあまり残っていないが、高齢のせいで手術などする気はない。

なので、ほとんどあまり目が見えていない。

耳は聞こえるけれど、年寄りによくあるパターンで都合のいい時はよく聞こえるが、聞く気がない時は聞こえない。

会話はできコミュニケーションはとれるけれど、耳と一緒で聞く気がない時は人の話には興味がない。

でも、自分がしゃべりたい時は同じ話を繰り返す。

なので、おばあさんの体調を確認するために、私たちは時々おばあさんの鉄板ネタと鉄板のキーワードをおばあさんに話してみる。

この話に食いついてくるときは、たいがいおばあさんの調子が良い時で、覚醒しているので目も見えるし耳も聞こえている。

でも鉄板ネタに食いつかず、鉄板キーワードを目の前にぶら下げても全く食いついてこない時は、おばあさんの体調はいまいちというわけで、目は開いてるけれど見えてなくて、耳も聞く気がないのでふさがったまま。

でも、でも、

おばあさんの辛うじて残っているおばあさんなりの社会性のせいか、おかげか、分からんけれど、おばあさんは人がしゃべり始めると、そうしなければならないように、必ずピントのボケたタイミングで相槌を打ってくれる。

「ふんふん、ほうかね~~ぇ」

おばあさんの相槌は絶妙のタイミングで、話しかけた人がおばあさんの返事がないので他の話題に移ろうとしていたりするタイミングぴったりに、おばあさんは返事をする。

「ふんふん、ほうかね~~ぇ」

決して話を聞いているわけでなくて、相槌を打つのが礼儀だとでも言うようにおばあさんは返事をする。

「ふんふん、ほうかね~~ぇ」

そして、笑う。

「はっはっは」

何で笑っているのか、何がほうなんか、全くわからないけれど、おばあさんは「ほうかね~」と共感し、「はっはっは」と笑ってくれる。

おばあさんのタイミングの外れた返事にいつもズコッとなりながら、笑っている私たちがいる。

「はっはっは」と笑ってごまかすおばあさんに、イラつく心を和ませてもらっている私がいる。

めんどくさいおばあさんが、だんだん歳をとり、もっとめんどくさいおばあさんになっていても、ときどきこんな面白いことがあると、その瞬間、なんか心が穏やかになる私がいる。

おばあさんが今よりも、もっともっとめんどいおばあさんになっても、きっとおばあさんはずっとこうしてわけのわからん相槌を打ち、何がなんだかわからん笑い声を響かしているのだろう。

暴れたり、怒ったりしていた時期が懐かしく思い出されるほどに、おばあさんは歳をとったということかもしれない。

 

 

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皐月の空に

2018-05-20 23:19:26 | デイサービス池さん

本日五月晴れ。

風がとても強い一日だったけど、周辺の麦畑では刈り取りに忙しい一日でした。

裸麦の生産量では日本一を誇る愛媛県です。

裏作にほとんどの農家が麦を作り、この麦刈りが終わると畑を焼いて耕し田植えの支度をするのが5月の風物詩。

なので麦の刈り入れ前の5月は、山々の新緑と黄金色の麦畑の景色のコントラストがホントに美しいのです。

ただし麦にアレルギーがあると結構しんどくて、ワタクシは麦の穂が色づき始めると身体が重くなり鼻水で始めるのですがね。

 

かつてヨッシーが話してくれました。

「いろんな農作業の中で、麦を刈るのが一番辛かった!」

「どうして?」

「稲刈りは秋でそれほどでもなかったけど、麦刈りは暑くなる頃で、汗をかいたところへ刈った麦が引っ付いてチクチク痛いんよ、もう本当に好かんかった!麦刈りが一番嫌いじゃった!」

機械じゃなくてすべて手作業の時代だったので、どれもこれも大変だったに違いないでしょうが、なにしろ農業音痴のワタクシなので実際どれほどしんどかったかはわかりませんが、絶対に不足や文句を言わなかったあのヨッシーが「好かん」なんていうことがあるんかと、違う意味で感動したりした記憶が今でもはっきりと思い出されます。

皐月の終わる頃、麦刈りが始まると思い出すヨッシーのこと。

いろんなことに向き合うたびに、誰かの、何かの、記憶と出会えることは、誰かの、何かと、いつも一緒に過ごしているような気がして、嬉しくなるような気分になります。

 

「運命」というテーマで考えてみた書物からの一文紹介です。

・人間というのは、自分の運命は自分で作ってゆけるのだということをなかなか悟れない。ベルクソン(哲学者・心理学者)

言い換えると、「習い性となる」というニュアンスですが、もともと備えている生まれつきのものよりも、成長してゆく過程において作られる習慣の産物が人であるということ。

このことについて日野原重明氏は著書の中でこう言っています。
「人間というのは、歳を重ねる中で、どのような場に、あるいはどういう環境の中にいるかということが、その人に一番大きい影響を与えるものと思う。つまり自分が環境を作っている。1人ひとりが自分を作り上げるのです。」

運命は常に大きな流れとなって私たちに向かってくるかもしれないけれど、その流れの中でどう生きるかはまさに自分自身が決めるもので、決してどうにもならないものでも、どうしようもないものでもないはずだと、気づかされます。

どこでどう生きるか、誰と出会うか、何を選ぶか・・・日常の暮らしの中でさまざまな小さな事さえも、自分を作り上げるか、そうでないかは、結局のところ自分の心次第なのかもしれません。

(余談ですが、大学の卒論のテーマが「環境が人の性格に及ぼす影響に関しての考察」というしろものでした。恥ずかしながらその当時の心理学的関心と私の池さん生活の今は、完全につながっていたのだと最近気がついた次第です。)

 

記憶の中に生きるたくさんの人。

たくさんの人たちが語ってくれた言葉たちは、何かがあるたびに思い出す大切な言葉たち。

まさに私自身をつくり、糧となり、育ててくれているに違いないたくさんの言葉たち。

心が満たされ、自分自身が変わり、育ててもらっている私の選んだ環境は、紛れもなく私自身が生きる環境。

ヨッシーの言葉のように、季節が巡るたびに心によみがえる言葉の数々は、沢山のヨッシーの記憶と共に、今も私を形作ってくれているに違いありません。

 

すがすがしくいさぎよく、執着心のない、たおやかなヨッシーのように、今年もまた、皐月の残りの日々を大切に過ごしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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おばあさんの入れ歯

2018-05-16 23:13:32 | デイサービス池さん

ある朝、いつものように池さんに来ていたおばあさん。

なんだか違うな~と思いつつ、何が違うんかな~とか思っていたら、下の入れ歯がないじゃぁありませんか!

おばあさんの顔の骨格はもともと下の顎が出ているものですから、下の入れ歯がなくてもほとんど目立ちません。

おばあさんは下の入れ歯を忘れたことをちっとも気にせず、いつもと同じようにお菓子を食べ、いつもと同じようにスパゲッティーを食べ、いつもと同じようにウインナー入りのポトフを食べて帰りました。

帰ってから家族に入れ歯を忘れたことを伝えたら、家族の人も入れ歯がないことにやっと気がついたほどでした。

次の日、おばあさんは入れ歯を入れてやってきました。

「入れ歯を外したことなど一度もなかったのにどうしたんでしょう?」とご家族は言いました。

たぶん年を重ねたせいで入れ歯が合わなくなり、気になるのかもしれません。

入れ歯があってもなくても、おばあさんの見かけにも食事にもほとんど変化はないのですが、ただ、せめて寝る前は入れ歯を外して洗ってもらいたいな~と弱弱しく思ったワタクシでした。

ご飯を食べた後(今日はヒジキがメニューにあったので)ニカッと笑ったおばあさんの入れ歯がヒジキだらけだったのを見た時、思わずお箸を置いてしまったワタクシです。

あ~おばあさんが病気知らずで元気な理由がわかったような、そんな気がする今日でした。

知覚過敏になった歯を治療中のワタクシです。

歯医者さんから帰って来て急いで昼ご飯の支度をしようとお味噌汁の味見をしたとたんに、治療したばかりの歯茎に目が飛び出るほどの痛みを感じて、お腹は空いたけれど昼ご飯を食べるのもためらっていた時におばあさんの「ヒジキ入れ歯」を目撃した衝撃を、どう説明すればよいのでしょう。

長寿万歳!
ヒジキ入れ歯万歳!

ってな気持ちですが、歯医者の待ち時間で久しぶりに読んだ吉本隆明の親鸞。

「人間が行いうる善や悪や力は、小さく不完全な規模でしかない」という解釈。

大いなる流れの中にあっては、常に小さな存在のワタクシたち。

ちっぽけなプライドや情けない意地もヒジキだらけの入れ歯も、

すべては我が計らいにあらず。

阿弥陀如来は色も形もない「無」、知恵の「光」なり。

さてさて、毎日いろんな出来事がある中で自分の様子を客観的に観察してゆくと、

実は「無」ではなく煩悩の塊だったりすることにふと気づいた時のかっこ悪さや、

時間の流れにごまかされたふりをして実は自分の気持ちをごまかしていたりするちっぽけさや、

光りを探しつつ、光を見まいと目を閉じている弱さや、

心の中に内在するあまたの自己欺瞞に誠実に向き合えと言われた気がする久しぶりの吉本隆明。

 

ツバメたちは今日も卵を大事に温めています。

 

 

 

 

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ネコのナウ

2018-05-12 23:28:05 | デイサービス池さん

本日は我が家のネコのお話です。

生まれは7年前。夏の台風の日、親ネコが池さんの庭の隅に置いてきぼりにした子ネコ。

美人でプライド高くて、超気まぐれ。

ネコらしいネコの名前はナウ。

家ネコではなく気まぐれで外へも自由に遊びに出かけていたナウですが、最近家の周辺を黒のオスネコがうろつき、ナウを見かけると(自分の家じゃないのに)追いかけるようになりました。

ナウを見ると飛び掛かって噛みつくし、もの凄い勢いで追いかけまわす荒々しいネコで、ちっとも可愛くありません。

池さんは生ごみを庭に埋めているのですが、夫がカラスよけに張り巡らしているテグスでさえ引きちぎり、我が物顔でゴミを荒らしにやってくる図々しいやつです。

ちっとも可愛くないので、ワタクシはデカクロと名前を付けました。

デカクロは、敷地内に堂々とマーキングをしたりするので私たちも困っていたのですが、自分の家を他のネコの縄張りにされてしまったナウは、(プライドがズタズタになって)怯えてしまい、人が(ネコが)変わったように怖がりになってしまいました。

外へ出てもキョロキョロ落ち着かず、出て行っても怖くてすぐに帰ってくる始末。ちなみに池さん本店に住み着いていた可愛くて大人しいクロちゃんというナウの妹ネコも、このデカクロに追い出され現在行方不明になっています。

先日、外へ出て行ったナウが帰って来た時の顔は尋常ではありませんでした。

完全に怯え、顔色も悪く(あっ、これはワタクシの印象ね)少しびっこを引いている様子、デカクロにいじめられたに違いありません。

追いかけられて高い所から落ちたのでしょうか、右の前足に触ると珍しく「う”~~~」と嫌がります。

出血はなかったので、骨折か捻挫か打撲かでしょうが、何しろ肩を落として帰ってきましたので(猫背だからではありません)心配です。

リビングの片隅にずっと置いてあるだけでちっとも興味を示さなかったネコハウス(小さな三角の家で冬用のモフモフ素材のもの)に入って、座った姿勢のままで上目遣いに「う”~~~」と唸りながら寝たナウ。

2日目に心配になったワタクシは夫と「骨折でもしていたら心配だから、病院へ連れて行こうか」と相談しましたが、「もともと動物は本能で、怪我がどうすれば癒えるのかをちゃんと知っているはずだから、このまま様子を見よう」と決めました。

その日、モフモフネコハウスから出てきたナウは、座椅子の上に横向きになって眠りました。足に触ると「う”~~~」とやっぱり怒ります。

2日目も3日目も、ご飯も食べず水も食まず、おしっこも出ません。

4日目、ナウは少し日の当たるソファーに移動していました。

ソファーに上がれたから少し良くなったかなと思い、ちょっと奮発して釜揚げちりめんをお皿に入れてやってみると食べません。

でも手の平に乗せてやると、なんと!2口だけ食べましたがな。

水は飲みません。

5日目、やっと台所まで歩けたので嬉しくなったワタクシは、2割引きのさわらのお刺身を買って来たりして甘やかしてしまいました。

水はいつものように蛇口のから直接飲もうと流しに飛び上がりかけて落ちてしまいましたので、夫が抱き上げたら流しに上がって水を飲みました。

6日目、2階の私の所までやって来れるようになったので、嬉しくて高級なイリコをやってしまいました。

そして1週間が経ち、びっこを引いていた右の前足も治ったようで家の中をあちこち移動できるようになりました。

少しの時間なら怖がりながらも外へ行けるほど回復しました。

相変わらずデカクロは我が物顔で敷地の中をうろつき、この一件があってからスタッフにはデカクロを見つけたら追い払うよう頼んであるのですが、そんなことはお構いないで近所をうろついています。

 

それにしても動物の本能は凄いです。

ずっと前も車にはねられて腰を骨折して歩けなくなったことがありますが、やっぱりじっとして寝て過ごし回復したことがありました。

今回骨折だったか捻挫だったか、ナウのケガがどの程度だったか結局わかりませんでしたが、やっぱり具合が悪い時は暗い所へ閉じこもり、回復するための場所と時間を確保するのだなあと改めて思ったわけで。

熱があるからと心配しなくても、食事をしないからと心配しなくても、自分の身体が自分の力で回復するのを見守るほうがいいのだと改めて思ったわけで。

自然に治癒できるエネルギーさえあれば、本来は人も同じではないかと思ったようなわけで。

 

そんなことを考えていたら、大きな失敗に気づいてしまったワタクシです。

大事にされすぎて高価な食べ物の味を知ってしまったナウは、おそらく、きっと、絶対、今後、高級なイリコか、釜揚げちりめんか、刺身しか食べなくなるのはないかという事実に気がついてしまったワタクシ。

いつだったか、犬のきなこが病気になって何も食べなくなった時、これなら食べるかなと豚肉をやって以来きなこは豚肉しか食べなくなった事実を省みることもなく、今回再びネコのナウに同じ失敗をしてしまったワタクシ。

 

あ”~~やっぱりドライフードたべましぇ~~ん!!!

あ”~~缶詰もたべましぇ~~ん!!

今後、刺身と釜揚げちりめん代、どうすりゃええの~~~!!

という、我が家ネタでどうもすみません

 

 

 

 

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ツバメに

2018-05-08 21:59:44 | デイサービス池さん

家を建ててからはや30年。

家を建ててすぐにこの家はツバメの目に留まり、ツバメのペアは巣を作り始めましたが、たまたま隣家が火事になり、危険を感じたツバメは巣作り途中でどこかへ去って行ってしまいました。

13年前同じ敷地にある母屋を建て替えた時、再び偶然にもツバメの目に留まりツバメのペアが巣を作り始めましたが、丸い外灯の上はあまりにも不安定に見えましたので、ワタクシは夫に頼んで安全に巣を作れるよう(余計なお節介)台を作ってしまいました。

人の匂いがして危険を感じたのか、(やっぱり)ツバメは巣作りをやめてしまいそれきり姿を見せることはありませんでした。

その後ツバメに見放されたの如く、(寂しいことに)我が家にはツバメが巣を作ることはありませんでした。

ネコがいるからかなとかカラスが近くを飛ぶからかなとか、いろいろ理由を考えてみても原因は(もちろん)わからずじまい。

日当たりもいいし周りは田んぼだから餌もいっぱいだし、人の出入りではここら辺で一番だから安全だし。

なのになぜ来ない?

やっぱりうるさすぎるか?

人の出入りも多すぎるか?

車も半端なく出入り多いしな~?

毎年ツバメが飛ぶ頃になると「うちに来て~~~!」と叫びたくなるような感じです。

なぜツバメなのか、なぜツバメに我が家に来てほしいのか、ワタクシ自身でさえわからないほどまったく不可解な心境ではあるのですが、とにかく「ツバメさ~~~ん、来てくださ~い!」てな感じの春を過ごしておりましたところ・・・

 

昨年「初めて」ツバメが池さんに巣を作りました。

あまりの嬉しさに、その時作った池さんグッズの手拭いにもツバメのイラストを入れたほどです。

毎日ワタクシたちを楽しませてくれたペアのツバメは子育てを終え、無事に6月末6羽の子ツバメたちが元気に巣立ってゆきました。

ツバメはどうやら同じ巣を使うようで、今年も来てくれるかな~と首を長くして待っておりましたところ、来ました来ました!

去年の巣は少し傾いて半分は欠けてしまっていましたが、4月に帰ってきたツバメのペアが修理し始めたではありませんか。

またまた余りの嬉しさに我を忘れそうになるほどでしたが・・・

今年は、なんとなんと大頭の宅老所にもペアのツバメが巣作りを始め、しかもテラスのライトの上なものでまたまた余計なお節介をしないように、でもこんな急な角度の上に上手く作れるのだろうかと心配しておりましたが、このたび2か所のツバメの巣は無事に完成と相成りました。

そして、この連休から2箇所とも巣ごもりを始めております。

どうか無事に雛たちが生まれ出ることができますように。

今後のツバメたちの様子は、随時報告してゆきたいと思っていますのでお楽しみに。

 

きっと・・・たぶん・・・ツバメはきっと・・・見守ってくれる・・・ワタクシたちを・・・かならず・・・

 

 

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5年前の出来事

2018-05-05 23:57:45 | デイサービス池さん

5年前の手帳を開いてみる。

3月のスケジュールと変化の多さにびっくりする。

今年の3月、こんなにしんどい年はなかったはずと思ったけれど、5年前の3月からの日々も思い返してみると本当にいろんなことがあって今更ながら心が締め付けられる。

そして・・・この5年前の出来事は、間違いなく今という時に繋がっているわけで、改めて感慨深い想いがこみ上げてくる。

 

5年前の3月、私たちは青野夫婦と出会った。

難聴の健一さんと認知症のリンさん夫婦。

子どものいない夫婦は2人で仲良く暮らしていたけれど、リンさんの認知症がすすむにつれて家事などに援助がいるようになり、2人は近くのケアハウスへ入居することになった。

しばらくの間夫婦は仲良くケアハウスで暮らしていたけれど、すぐに忘れてしまうリンさんだけでなく健一さんにも混乱やいろんなことがあって、2人は施設から退去を求められた。

家はあるけれど、2人だけで暮らすのは無理だった。

ケアマネから「子どももなく2人だけで、とにかく仲が良い夫婦だしなのでばらばらにしたくない。なんとか2人一緒に池さんで看てもらえないか?」という依頼があったのが3月11日。

その時点で宅老所の部屋はいっぱい。更に4月から、さよさんという人を宅老所で受け入れることになっていた私たちは迷った。

池さんで受け入れなければ、2人はばらばらに施設へ行くしかないという現実は、あまりにも辛い選択だった。

受け入れるための部屋がないという課題に直面し、夫婦を受け入れるためには宅老所の増築か建て替えか、はたまた新築か・・・という岐路に立たされる。

しかも、ケアハウスからの退去期限まで日にちはわずかしかない。

どうすればいいのか迷っていた頃の手帳には、住宅会社や銀行やケアマネ、いろんな方との面談の文字がいっぱい。しかも由美子さんの看取りの時期と重なって、更に社長の入院もあったり・・・。

結局悩んだ末に、私たちは宅老所の新築を決めた。

なぜ再び大きな借金を背負う決心ができたのか今もよくわからないけれど、2人の老人の抱える現実と介護現場の現実に怒りを覚えたような気もするし、それが運命だったのかもしれないと今思う。

銀行からの借り入れのめどがたち、知り合いの住宅会社が最短で9月に完成できるという建築の見通しもたち、4月17日新しい宅老所の建築工事が始まったが、するべきことは山のようにあって私たちは忙しい日々を過ごしていた。

ケアハウスには工事完了次第の退去ということで了解してもらい、2人は家が建つまで週3回デイを利用するようになった。

いつか井上夫婦が自分の家のように引っ越しを楽しみにしてくれたと同じく、健一さん夫婦もまた自らが家を建てるかのように工事の期間を楽しんでくれた。

「すごい!すごい!」と喜んでくれた。

4月27日が地鎮祭、6月4日が上棟式、皆で心ばかりのお料理でお祝いをし、「夫婦部屋は南向きで庭も近いし、今までのベットが使えるよ。」という私たちに健一さんは最高の笑顔で答えてくれた。

それから20日後、健一さんはケアハウスで夜間転倒。

顔に大きな怪我をしてデイに来た健一さんは、どこか不安定な印象だった。

おそらく脳の血管にでも軽微な損傷があったのではないだろうか。

1週間後に再び夜間転倒。

更に5日後に再度夜間転倒。

それから3日後の7月9日、健一さんは亡くなった。

あれほど楽しみにしてくれていた新しい家の完成を見ることもなく、用意していた畑道具や自転車も池さんに置き去りのまま。

夫を亡くし、しばらくの間うつ状態になっていたリンさんは、やがて「こうして家もできたから、元気でケンちゃんの分も長生きします。」というようになり9月1日、予定通りケアハウスから新しい宅老所「池さんの家」に引っ越しを終えた。

リンちゃんが1人になっても、ちゃんと安心して生きて行ける場所を探すことがおそらく健一さんの役目だったと今も思っている。

健一さんはここへ住むことを楽しみにしてくれていた。

健一さんは住めなかったけれど、リンさんはこの家で5年の時間を生きた。

リンさん、3月11日から体調を壊し、そして逝った。

健一さんとリンちゃんと出会わなかったら、きっとこの家が建つことはなかっただろう。

あえて介護保険に乗らず自由な家として存在する宅老所は、リンさんにとってまさに自分の家だったに違いない。

自分の家で、自分のベットで、リンさんは命を全うした。

大正12年生まれ。見事に96年の時間を生きた。

悪くなってからは寝言もあまり聞けなかったけれど、リンさんの寝言は天下一品だった。

ある日の夜中「そこへ座れ!」と大きな声で急に怒鳴り始め、何を怒っているのかと思っていると「何べん言うたらわかるんじゃ!へたくそ!ちゃんと覚えんかい!」とバンバン布団を叩いて言うリンさん。どうやらお裁縫を教えていた頃の夢を見たらしいけれど、まるでそこに人がいるように上手に寝言を言う。

そんなリンさんのエピソードは数限りなく存在する。

泣いたり笑ったり怒ったり、一緒に時間を過ごす中で私たちはこの家にも慣れていったけれど、リンさんも確実に年を重ねていたのだ。

同じ時間を一緒に過ごした人たちは、もうみんないなくなった。

ヒイちゃんもフミちゃんも、さよさんもまあちゃんも・・・

1つの時代が終わったような、1つの節目を迎えたような、そんな気がしてくる。

池さんの家が、今までと同様に心地よい風が吹き抜ける家であってほしいと願いつつ、新しい風がどうか吹きますようにと願いつつ、今夜も夜は更けてゆく。

リンさんの部屋のドアについている鈴の小さな音がチリチリと聞こえ、「りんちゃんですよ~~~りんちゃん、おし~こですよ~~~」と賑やかに顔を出していたリンさんの夜更けの声が聞こえてきそうな気がする夜。

リンさんたちがいたから、この家がある。

ありがとう、リンさん。

そして健一さん。

感謝しています。

気持ちの良い風の吹く家に、今年初めてツバメが巣を作りました。

ツバメが卵を抱く日ももうすぐです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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