池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

必然の中で

2019-12-27 22:25:08 | デイサービス池さん

8年前の12月23日、朝。

私たちがみよちゃんを見送った日。

池さんが最初の看取りを経験した日。

人を見送ることの大きさに出会った日。

人の命のありかについて考え始めた日。

 

その日から今まで、私たちは、いろんな人たちと出会い、同じ時間を生き、最期の時を共に過ごしてきた。

 

8年後の、今年の12月23日、朝。

同じ日の同じ朝。

私たちは、やよえさんを見送った。

出会いからわずか1年半。

最後の時までやよえさんは、やよえさんらしく自分の命のありかを決めて生き、そして逝った。

 

みよちゃんと、やよえさん。

2人の死に向かう姿と家族のありようは、私たちに多くのことを教えてくれた。

かつてみよちゃんの生き様と死にざまを、心に刻んだように、今私たちはやよえさんの生き様と死にゆく姿を心に刻みたいと思う。

8年前と同じ日に、偶然にも訪れた大きな経験は、おそらくこれから先の池さんと、ここで生きる皆の指針になるに違いない。

 

 

今月に入って調子が良くなくて、食事や水分も不足していたし、持病の発作さえも起きなくなって、ひょっとしてこのまま下降していくかなと思っていたし、数日前にお風呂の介助をした大ちゃんが、「あ~たぶん死ぬんやな。と確かに感じた」と話してた。だから先週の月曜日に、大ちゃんが髪を切ってあげた。21日には呼吸が安定しなくなったけれど、それでも22日に姉弟が来てくれた時には、しっかり目を開け顔を見て、無言の会話をかわしていたやよえさん。

翌23日朝、一番大事にしていた孫が東京から到着するのを待って、はっきりと目を合わせ、一番近い家族だけに囲まれて、呼吸が変わってからわずか10分ほどであっさりと旅立っていった。

執着心のないやよえさんらしく、でも可愛い孫にきちんと別れを告げて、娘たちに囲まれて、あっという間に逝ってしまった。

老いた故ではなく、かといって病によるというわけでもなく(もちろん持病はあったものの)ただ、自然に自分の人生に幕を引いたという感じの死を前に、あまりの潔さに心が震えた。

娘二人と、可愛がってきた孫に看取られるように、逝くまでの時間を、自らが整えたに違いないと思った時、身体が震えた。

メメントモリ

人は、これほどまでに、見事に潔く、自らの死を選べるものなのかと、ただただ感動した。

 

私との最後の会話。

土曜日、ほぼ酸素も入らず、呼吸も浅くて昏睡に近い状態だったけれど、

「水飲む?」と聞いた私に、やよえさんは明らかにはっきりと小さく首を、2回、横に振った。

「いらんの?」と重ねて確認した私に、やよえさんは頷いた。

翌日、一番会いたかった孫の到着を待ち、きちんとお別れを伝えて最後の息を終えるというやよえさんに、「見事でした」と言うほかない私がいる。

 

大切な人がたくさんいる。

大切な人たちの後ろには、たくさんの家族の人たちがいる。

人と人の出会いは、必然だと思っているものの、だからと言って誰とでもずっと繋がっていけるというわけではないと分かっていて、現実には切れてしまう糸もたくさんあって、寂しくなることもたくさん経験してきた。

出会ったのだからずっと繋がっていないといけないと思っているわけではなくて、ただ気持ちの中で、残された家族を前に、私たちは、本当に共に生きたのかと自問自答することがあるのだ。

おそらく介護施設という枠組みに留まらない「宅老所」という曖昧な場所だからこそ、「一緒に生きている」という特有の感覚の上にこそ成り立っている日常を生きているからかもしれない。

一人よがりではなく、深い所で繋がれていたのだろうかと。

 

大切な人が亡くなっても、ずっと今でも、池さんに足を運んでくれて、いろんな意味で池さんを支えてくれる家族がいる。

14年という歳月を続けてこれたのは、支え続けてくれる家族の想いがあるからこそだと思う。

ここで出会って、いつもここを想ってくれる人たちとの出会いの必然に、感謝という薄っぺらな言葉しか思いつかないけれど、この必然があったからこそ、私たちはここを続けていくことができた。

私たちの想いや、池さんの理想や生き方や、命のとらえ方や、その意味や、命の姿やありかや、死のありようを、私たちと同じように理解してくれる人たちと出会えたことに、その出会いを与えてくれたやよえさんという人の生き様に、その死に様に、改めて感謝。

 

令和元年という記憶に残る時間の中で、8年前のみよちゃんから繋がっていた糸を見つけた気がして嬉しくなるような不思議な感覚は、決して辛いとか悲しいだけの感情ではなく、暖かくて穏やかな気がする、そんな12月最後の出来事。

令和元年も、もうすぐ終わり。

雨が続いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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塗装工事終了

2019-12-16 23:22:13 | デイサービス池さん

お天気にも恵まれて、池さんの屋根と外壁の塗装工事が終了しました。

池さん15年目の始まりで、一つの区切りにと思って取り掛かった塗装工事。

同時に台所の外の屋根のスレートなんかも張り替えることにしたので、工事はまだしばらくかかりますが、屋根と外壁、トイやテラスもしっかりと塗装をし直してもらったために、一見まっさらの家!のようになりました。

新しい屋根を見上げると、真っ青な空に、綺麗な真っ白の雲。

陽の当たるテラスに敷物を広げて、さっそくばあさんたちの虫干し(おっとまちがい)日向ぼっこ。

さくちゃんが遊び、100歳のおばあさんも陽に当たり、本当に気持ちのよい一日でした。

 

この家(池さん)を建てて32年。

この家が建った時、美香ちゃんが小学校2年生、大ちゃんが保育園の年長さん、えみちゃんが2歳。

3人の子どもたちはこの家で大きく成長しました。

子どもたちが巣立ち、義父母を看取った後、大ちゃんがそのうち住むかな~とか思って、家に手を入れたのがもう15年以上前。

その時は、こんな風に池さんを始めるとは思いもしなかったけれど、この家があったおかげで、こうして池さんという場を作ることができたことを改めて感慨深く思い返しています。

この家があったから始めることができた池さんというデイサービス。

そして、この家で「池さん」を始めて、14年が過ぎました。

いろんなことがあったな~、いろんな人たちと出会って来たな~、いっぱい涙も流したな~、いっぱい笑ったな~と想い出は尽きません。

 

塗装工事の間、職人さんたちの見事なチームワークとその技術と丁寧な仕事ぶりに魅せられ、「やっぱりすごいわ!」と何度も感動した私たちです。

信頼と責任に裏打ちされた職人の仕事は、業種は違えども学ぶべきところがたくさんありました。

職人さんたちに感謝です。

 

平日は出入りが多いため、最後に残った玄関周りの塗装は日曜日におこなってくれて、やっと昨日完成。

そして今日は、新しくなった玄関から「おはよう」の声。

綺麗になったね~と言いながら早速記念写真です。

師走も半ば。

さてさて、室内も少しずつ片付けていきましょうか。

気持ちも新たに、新しい年を迎えたいと思います。

 

 

 

 

 

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100歳のおばあさんの話

2019-12-09 21:56:31 | デイサービス池さん

9月中旬に体調を崩して、25日についに意識がなくなって、「もうダメかもね~」とブラックジャックに言われたおばあさん。

家族はとても忙しい家業を営んでいましたが、「今までずっと、デイに毎日行っていたから、最期は家で看てあげたい」とお嫁さんが言いましたので、おばあさんは家で最後の時間を過ごすことになりました。

危篤状態になってから10日。おばあさんは自分の家の自分のベットで、ずっと眠ったままで過ごしていました。

毎日様子を見に行きましたが、おばあさんはほとんど眠ったままで、もう長くは生きられないだろうと思いました。

水分も栄養も足りてはいませんでしたし、何よりお風呂に入っていなかったので、髪もボサボサとして綺麗ではありませんでした。

私たちは家族と相談して、お風呂に入れてあげることにしました。

お誕生日は11月1日。

満100歳の誕生日はもうすぐです。

今から回復することはほぼないだろう、だとしたら、せめて綺麗にしてあげたいと思ったのです。

私たちはおばあさんを、もう一度、池さんに連れて来ることにしました。

でも体力もありませんし、ずっと寝ていたので起き上がるだけでも身体への負担も大きいし、いろいろ考えて大ちゃんがお姫様だっこでおばあさんを車に乗せることにしました。

首もふにゃふにゃと頼りないので、首を私が支えるようにして、2人送迎で池さんに通うことになりました。

10月半ば。

おばあさんは、久しぶりに身体を起こし、久しぶりにお風呂に入って、久しぶりに水分も摂って、久しぶりにおかゆを食べて、久しぶりに人の賑やかな声を聞いて、家に帰っていきました。

10月17日。お祭りの日。

まさか、ここまで来れると思わなかったけれど、おばあさんは、皆と一緒に神様のお神酒を頂いて、皆と一緒に時間を過ごして家に帰って行きました。

おばあさんは時々熱を出ます。

熱が続くと眠ってしまうので、水分もとれずに心配ですが、でもなんとかおばあさんの命は続いています。

今までと同じように、日曜日だけをお休みして、あとは毎日おばあさんは池さんに通ってきます。

私たちは全力でおばあさんの体調を管理します。

細心の注意と、とことん考え抜いたケアで、管理し続けました。

最初はおかゆを食べるのに時間がかかっていましたが、だんだん飲み込む機能が回復してきているように思いました。

そして、ついに、おばあさんの誕生日。

11月1日。

おばあさん、満100歳の誕生日。

だれもが希望して達成することができなかった100歳という壁。

ついに、おばあさんが初の100歳達成です。

家族が楽しみにしていた100歳のお祝い。

おばあさんは、孫やひ孫たち30人の大家族に囲まれて、皆と一緒に写真に納まりました。

「なんとかこの日まで」というご家族の強い想いが伝わって、おばあさんは何とかやっと、この日を迎えたのだと思いました。

11月1日までは、皆のために。

この日を迎えることを楽しみに待っていた家族のために、おばあさんは生き続けようと思っていたようでしたが、

この日から、おばあさんは自分のために生きているのでしょうか、更に安定した状態に入っていきました。

おばあさん自身の、生きようとするエネルギーが感じられるようになりました。

12月になりました。

おかゆも、お味噌汁も食べることができます。

柔らかくしたおかずも、あっという間に飲み込んでしまいます。

出来立ての干し柿も食べます。

そして、お風呂に入ってベットで休みます。

帰る時は皆に、「さようなら」とご挨拶をしてくれます。

「また来るんよ。明日も会おうな。」と言って手を握ってくれるばあちゃんには、「ハイハイ」と笑って返事をしてくれます。

家に送って、ベットに横にすると、「ありがとうございました」と丁寧にお礼を言ってくれます。

100歳のおばあさんは、まるで、3か月前に死にかけたことさえも忘れたかのようです。

ほとんど生きていなかったことさえ、忘れてしまっているのでしょう。

更にもっと先を目指して生きているのでしょうか。

何がどうなって、これほどの安定につながっているのかさえもわからないのですが、とりあえず、おばあさんは毎日池さんに来ています。

100歳という壁を完全に越えたように見えるおばあさんは、今日もぺろりとおかゆや煮物を食べて、「ありがとうございました。」とお礼を言って、お姫様だっこで帰って行きました。

 

「人の命」を、その不思議を、とことん考える年の瀬です。

決して理屈ではない、誰もが予想さえしていない、そんな命の不思議を、毎日全身で感じています。

望むのか、望まないのか、生きるのか、生きないのか、食べるのか、食べないのか・・・

命を繋いでいくことは、何と難しいのかと思います。

おばあさんのように100歳になっても、偶然に死の淵からよみがえることもあります。

けれど、若くして病に向き合わなければならない人生を生きる人もいます。

だれもが、人として生きたいと願いながら、誰もがより良い人生を生きたいと願いながら、人それぞれの、運命の違いを思い知ります。

人として生きることとは、何だろう。

改めて考え続ける14年目の冬の夜です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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