池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

変わらない日常に

2017-11-24 23:39:28 | デイサービス池さん

リンちゃんが叫んでいます。

「ふんじゃが~ほんじゃが~」

今日も変わらず元気に夜を過ごしています。

お迎えに行った時、山が雪で真っ白よと言った私に向かってばあさんが言いました。

「はぁ~~」「ほぉ~~」

ばあさん、本当はな~んも聞いてません。

ご飯の時、おじゃらけるずっちゃんに呆れ顔でおばあさんが言いました。

「あれっ、ど~よ!」

帰る前、一生懸命風船バレーをするスタッフに足の痛いおばあさんが風船を必死で足で蹴っていました。

「・・・・・」スタッフは笑うしかありませんでした。

平太が遊ぶと、ばあさんたちが笑います。

何もしなくても、ただ笑顔がそこにあります。

今日もへとへとで一日終わりました。

いつもと同じ日常があります。

何も変わらない時間があります。

安心できる空間があります。

幸せな笑いと心地よい空気があります。

池さんで過ごす時間は、いつも同じはずですが、

私はいつもその時間を愛おしく感じています。

同じ時間のようで違う時間が、毎日過ぎてゆきます。

違う時間のようで、実は同じ時間なのかもしれないと思いつつ、

でもその時間をかけがえのない時間に思える自分が、

いつもここにいるのです。

池さんという場所に。

 

 

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生きめやも

2017-11-22 23:35:31 | デイサービス池さん

1週間が過ぎた。

初めに戻り、初心に帰り、一から出直すための、1週間。

今の私には、それ以外に想うことができない。

ただ、ただ、

無心で一生懸命に想い、行う。

目の前の人たちのために、

自分自身のために、

ただただ、

願い、無心に、

行う。

自らを省み、自らの道を探しつつ、

ただただ、

光の指す方向へと、

歩み続けていく。

 

風立ちぬ いざ 生きめやも

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ヒカリノ ミチヲ フム

2017-11-17 23:16:29 | デイサービス池さん

様々な想いがこみ上げてくる。

 

11月15日。

 

12周年の日。

私の干支の「酉」が廻った。

12年という時間を、心の中に大切にしまって生きてゆきたいと思う毎日。

多くの人に支えられ、いろいろな所で助けを受けながらここまで頑張って来れたことにただただ感謝。

そしていつもの池さんでの暮らしは、周年とは関係なく刻まれてゆく。

かずえさんの手作りのオードブルを食べつくす勢いで手を伸ばすばあさんたちや、毎日紅葉のチェックに行く人たちを見ていると「元気やな~」と感心する。

リンちゃんは相変わらず今夜も「うんなが~ふんなが~・・・」と叫んでいる。

ばあちゃんたちが来てくれるおかげで、こうして池さんが12年間続いてきた。

皆が笑ってくれるおかげで、ここまで頑張ってこれた。

スタッフたちが気持ちよく仕事をしてくれるおかげで、こうして池さんが成り立っている。

「池さんという柱」をしっかり考えながら仕事をしている姿を見て、感謝する。

ばあさんたちと出会いが必然だと思えるように、スタッフとの出会いも必然だと思うのだ。

「ここで一緒に生きてゆきたい」と思ってくれるスタッフに囲まれて、ありがたいな~幸せだなと心から思う。

毎日毎日スライディングパズルを解くようにカチャカチャと席とりゲームをしている気分の池さんだけど、でもそれでも皆がそこにいてくれるだけで、なんだか幸せな気分になるのだから不思議な気がする。

計り知れないパワーと予測不可能な出来事に振り回されながら、時間を紡ぐことができた。

これから先の道のりも決して平坦ではないと思うけど、どうか暖かく見守ってもらえたら嬉しい。

感謝を込めて。

ありがとうございました。

 

そして、この日、11月15日。

「としおさん」の葬儀。

まだ暗闇の中に、皆は生きています。

だれも、誰一人、思いもしなかった、考えもしなかった現実を、まだ、私たちは受け止めることはできませんが、

どうしてこの日なのか、なぜ今だったのか、何を伝えようとしてくれたのか、受け止めようとしても考えようとしても、思考回路はまだ停止状態のままです。

何一つ整理などできず、何一つ整理さえできないままで、今私たちは生きています。

それでも前を向かなければならないのが「生きる」ということだとしたら、やはり「生きてゆくこと」は苦しいことなのかもしれないと思います。

苦しみの中に希望を見つけることこそが、明日を生きるために私たちに与えられた試練であり、それこそが「生きる意味」なのかもしれません。

今までここで一緒に生きてくれて、ありがとう。

私たちと共にいてくれてありがとう。

心から感謝です。

 

宮澤賢治「精神歌」より(四)

日ハ君臨シ カガヤキノ 太陽系ハ マヒルナリ ケワシキタビノ ナカニシテ ワレラヒカリノ ミチヲ フム

 

「光」に向かって、道を踏み(歩き)続けてゆかなければと思う12周年です。

「池さん」という私たちの願いを込めた大切な「場所」は、今日も明日も明後日も、ずっとずっとこれからも、きっと誰かの、そして自分自身のための「場所」であり続けたいものだと、「願いを込めた場所」であり続けたいものだと思います。

 

 

12周年の日に。

つねに必然の中にあると思う「時」の、成せる現実はあまりにも唐突であるけれど、それらをわが身の糧としてくれるのもまた「時」であるということを知る。

命を愛おしみ、命を想い、生きることに謙虚に向かい合い、わが身を振り返りつつ、

同じ「時」を生きることができる全ての人に、

感謝。

何もかも全てを包み込んでくれる人たちと生きることができることに

感謝。

深い意味を示す大いなる自然の時に、

感謝。

 

 

 

 

 

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本の中に

2017-11-13 22:51:22 | デイサービス池さん

「池さんものがたり」の本を開く。

10年の月日が脳裏によみがえる。

本の中にはいつも、沢山の笑顔がある。

長い時間の中で、多くの人を見送ってきたが、

みんなが、本の中で笑っている。

春には桜の下で、夏には海辺で、秋は色づいたイチョウの木の下で、冬は雪景色の中で、

皆が笑っている。

どの写真も、思い出せる。

その日がどんな一日だったのか、今もはっきりと思い出せる。

どの思い出も、池さんという場で生きようと決めた私たちにとって、忘れることなどできるはずもない。

記憶の中にある数多くの出来事や笑顔や喜びを、

葛藤や悲しみさえも心に留め、

間もなく12年。

ここで生きたすべての人たちが私たちに示してくれた「道しるべ」を、

大切にして、12周年を迎えたいと思っている。

 

 

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事件です!

2017-11-12 17:11:23 | デイサービス池さん

事件です!

事件です!

現在、池さんのHPが閲覧できなくなっています。

大変な事件です!

っていうか・・・

どうやら無料利用の期限切れらしいそうで・・・

いつも池さんは、せこく生きておりますゆえに・・・

無料のHPを使っておりまして・・・

なので、

今までのHPは使用が終了しておりまして、

このブログのブックマークから、

新しいHPアドレスはhttps://ike3.amebaownd.com/または、

「池さん的日記」で検索くださいますよう、

よろしくお願い申し上げます。

お気に入りへのご登録の方も嫌でなければ、よろしくお願い申し上げます。

なお、今回のHPもみかちゃんの汗と涙とストレスの塊でして、

超シンプルなつくりとなっておりますので、

その点ご了承いただきますようお願い申し上げます。

ま、池さんらしいっちゃ、らしいのですがね。

今後のHPの成長をご期待くださいませ。

 

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立冬と時間

2017-11-07 22:44:12 | デイサービス池さん

はや立冬です。

いやはや早すぎでしょと思わずぼやきたくなる今日この頃。

1年を24に分けた24節気の19番目が立冬で、冬の始まりを感じる日で季節の区切りの日。

そう思って考えてみると立春から始まり立夏、立秋、立冬と今年も季節は移り変わり、移り行く季節の中で、確かに皆生きてきたんだなと感慨深く思うわけです。

家の事情でまたまたお泊りに来てる山のばあちゃんは101歳の年を生き、98歳を生きるばあさんから59歳の時を生きる人まで、池さんという場で繋がる人たちは、それぞれが様々な時を生きているんだと思ったら「時間」に対して愛おしい想いを抱いてしまったりするワタクシがおります。

その人を取り巻く環境は、同じようで人それぞれ。

それぞれがそれぞれの家族に囲まれて、あるいは一人で、それぞれそれなりに生きているんだなと思うと、同じ時間でも同じではなく、反対に違う時間を生きているようで、実は同じ時間だったりするわけで。

「時間」という言葉の響きに、なんだかわからないけど魅力を感じてしまうワタクシであります。

 

立冬の日の夜を、センチメンタルに過ごそうかなどと思っていると、さてさて・・・リンちゃんの寝言が聞こえてきます。ちょっと実況中継。(リンちゃんは現在大きな疾患を抱えておりまして、身体レベルの低下と共に、全身的にいろんな面での変化が大きくて危機的な時もありまして、なのでこのブログへの登場も久々です。)

なんじゃか・ふんじゃか・なんじゃか・ふんじゃか・・・

私:低く籠った声で一定のリズムを刻んでいます。

なんじゃ~ふんじゃ~なんじゃ~ふんじゃ~・・・

私:・・・まるでお経のように静かで変化のない音です。

なんじゃか・ふんじゃか・りんちゃんかわいいなんじゃかふんじゃか・・・

私:あっ、自分のことですかぁ~?

なんで~こんなに~なんじゃか・はんじゃか・ふんじゃか・ほんじゃか・・・

私:え~と、複雑ですね~変則になったのですね。

はんじゃか~~~ほんじゃか~~~ふんじゃか・・・

私:語尾が伸びた!

りんちゃんはどこですか・りんちゃ~ん・りんちゃ~ん・りんちゃ~ん・ふんにゃ~はんにゃ~・・・

私:あなたっ、リンちゃんじゃなかったんですか?

ふんじゃ~はんじゃ~さむいんじゃ~・・・

私:寒かったんですかっ?

なんじゃ~ほんじゃ~おなかがすいて寝られません・なんじゃ~かんじゃ~・りんちゃんおなかがすきました・・・

私:おなかもすきましたか?

ほんにゃ~~ほんにゃ~かんにゃ~ほんにゃ~かんにゃ~

とリンちゃんと私の(心の声)会話はしばらく続いておりましたが、だんだん静かになってゆきまして、りんちゃんとうとう夢の中。

静かに夜は更けてまいりました。

 

リンちゃんの生きる「時間」も、リンちゃんにしかない時間。

元気だった頃しっかり強い「時間」を生きたリンちゃんも、身体に訪れる大きな変化を受け入れてそれなりに変化を続けて生きているのですから、リンちゃんにとってただ一つの「時間」です。

そう思うとやっぱり愛おしくなります。

例え夜通し続こうと、お経のように耳につこうと、まあそれはそれでいいのだと思います。(あんまり単調な繰り返しが続きすぎて、イライラすることも時々しょっちゅうありますのでね。)

「時間」という区切りの存在する社会の中で、生きてゆかなければならないのが人間だとしたら、

自分にとっての自分にしかない「時間」を、大切に生きていかんとなと改めて思いながら、立冬の日は1年という時間の区切りの中で残りの日の少ないことを思い起こさせてくれました。

立冬の日の夜更け、寝言の止んだリンちゃんとばあちゃんの寝息、時々聞こえる雄たけびのような激しい声。

どれ一つたりとも同じものはなく、同じ時間はなく、もう一度やり直せる時間はなく、前に進む時間しか私たちには与えられていないのだと心に刻みたくなる立冬の夜です。

 

「時は命なり」です。時の流れは命の流れです。   高田好胤

私たちの存在は現在世のものだけではありません。無窮の時間の流れの中に私たちはたった一つの命を頂いて立っているのです。私どもの目の前のこの時は、瞬間もとどまることなく流れに流れているのです。かけがえのない「いま現在」という時間を無駄にすることは時間を殺すことであります。時間を殺すのも殺生です。

 

今年最後の時間まで、ゆっくりと一生懸命、前を向いて生きてゆきましょう。

他者に対してではなく、自分の心に問いかけながら、自分自身と向き合いながら。

ここで出会った人たちと、一緒に。

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寄り添うことの難しさ

2017-11-04 22:08:46 | デイサービス池さん

言葉で言うのは簡単だけど、実際に人に「寄り添う」ということはかなり難しいと思う。

元気がないからと派手なアクションで励まそうとしたり、落ち込んでいるのだろうと賑やかな話題でテンションを上げようとしたり、寄り添ったつもりで声をかけても、実は自己満足の独りよがりだったり、頓珍漢だったりする。

まして言葉を失った人や、失ってゆく記憶と現実の境目に生きている人を前にした時、その心に寄り添うということを間違えて行ってしまうと不信感や焦燥感を抱かせてしまい、より深い絶望の淵へ追いやってしまうことになるに違いない。

なので、

悩むしかない。

心を砕くしかない。

どうすればいいのだろうと夢に見るほど考え込んで、考え込んで、こうやってみよう、次はこうやってみようと心を砕く。

こうしたほうがよかっただろうか、いやあの方がよかったのだろうか、と悩みに悩んで眠れない日を過ごす。

それでいいのだと思う。

いや、私たちにはそれしかできないのかもしれない。

悩んでいるのはその人。

零れ落ちる記憶をたどり、かすかにつながった細い糸を手繰り寄せながら暮らしているのは、まぎれもなくその人。

絶望に近い苦しみの中にあるその人の心に寄り添うことなど本当にできるのだろうか、と常に思っているのだ。

なので、

作為などいらない。

ただ一緒に座って同じ時間を過ごす。

一生懸命に考え抜いた先にあるものは、

ただ同じ人として寄り添っていたい、という想いだけ。

その想いを受け止めてくれたら、

絶望の深い淵から少し浅い瀬に浮き出て来れるかもしれない。

おそらく苦しみは長い間続くに違いない。

否、苦しみから解放される時は、その人が記憶のスイッチを失う時なのだろう。

だとしたら余計に、その人の絶望に寄り添いたいと思う。

 

私たち自身も介護者としての無力感や絶望感を胸に押し込めて、

深く悩みつつ、

今日も、記憶の海の中を漂う人に寄り添っていたいと心から思う。

私と同じ年のその人に。

 

 

 

 

 

 

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11月がやってきた!

2017-11-01 23:58:40 | デイサービス池さん

皆様お久しぶりでございます。

いかがお過ごしでしょうか。

台風が過ぎて扇風機の後、間髪入れずに暖房器具。

半袖の次が毛糸・・・みたいな今日この頃です。

 

本日十三夜。

中秋の名月の次に美しい月だとか。

ちなみに十五夜は中国から伝わってきたそうですが、十三夜は日本固有の風習で秋の収穫祭だとか。そういえば稲刈りのコンバインの音があちこちで聞こえています。

 

今年もあとわずか、いよいよ11月が始まりました。

池さんの周年の月です。

言わばけじめの月とでも申しましょうか、初心に帰る月とでも申しましょうか、ワタクシにとっては大きな区切りの月です。

まあ、いつものことではありますが、分かっていたけど気が付かないことにしていた書類や、知っていたけど知らんふりしていた案件や、返事をしなければならないのに忘れていた用件やなんかが山のようにありまして、どうにも身動きが取れない上に急な泊りだの、なんだかかんだかで、四苦八苦しているワタクシたちであります。

近況などお知らせしたいのは山々で、いろんな出来事もあるのですが時間がないという状況に只今追い込まれておりまして、睡眠不足で肌はカサカサ、目は更にカスミ、耳鳴りはキンキンし、手がズキズキして、頭もキリキリと痛みつつばあさんたちに振り回されて笑うしかない自分がいたりして。

なので・・・この際視点を変えてみて、

雑踏のような部屋の中で、今日もばあさんたちが「生きとるな~」と思いながら仕事をすることが幸せだと、周年の月の11月、もう一度初心に帰ろうと思います。

頭痛のする頭を掻き掻き、追い詰められた毎日の中にあってもスタッフの成長ぶりを見て頼もしく思える瞬間を感じたり、ハードでも気持ちよく仕事ができて、ちょっとした幸せな気分を味わえたりすると、今日は良い日だったと感謝してゆきたいなと。

良い日と思うか思わないかは、自分の心次第。

まあ、そんなこんな11月初日。

 

11月の1日だから、毎年恒例の1が並んだ時計をカメラで撮ってよ~とスタッフに頼んでいたら、時計の前でどのアングルがいいかいろいろ試しているうちに、時間が過ぎてしまって笑うしかなかったり・・・

丹原の山へばあちゃん迎えに行ってくるからと出かけようとしたスタッフがふと玄関を見ると、ドライブに行きたいばあさんが4人、「私も行く!」と列を作って待っている。

これじゃあ、丹原でばあさん乗せたら誰かを降ろすしかないし。

迎えじゃなくて、それって交換じゃん?

仕方がないので全員乗れるセレナが出動するしかなかったり・・・

 

1人が動けばみな動く。

1人がしゃべればみなしゃべる。

私も負けじとみなしゃべる。

自分勝手にみなしゃべる。

そんなこんな今日の一日。

朝晩冷え込みますので、皆さま風邪など召しませぬように。

 

 

 

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