週末、日帰りで夫の姉2人が住む兵庫に行ってきた。
姉や連れ合いの体調が思わしくないし、夫も現在透析をしている身体で、最近歩行もおぼつかなくなってきたので、少しでも元気なうちにと、思い切ってお見舞い目的の訪問となった。
2人の姉たちとは20年近く会っていない。
なかなか会うことができなかった夫の姉家族。
懐かしさと共に、不安な気持ちを抱えながら久々の夫婦での遠出。
上の姉の家は、長い長い坂道の上にあった。
沢山の家が立ち並ぶ住宅地の中。
窓からタクシーが止まったのを見て、玄関のドアを開けてくれた義兄は、長い間会わないうちにすっかり老いていた。
姉は、歩けなくなってからずっとベット生活。
買い物も料理もヘルパーさんだけが頼りの夫婦だけの暮らし。
子どもたちは遠くてすぐには来られない。
ひっそりと静かな空間で、姉は義兄と2人だけの生活を続けていた。
義兄は若い頃は大きな会社の重要な役など歴任した紳士で、私にとっては穏やかで優しい印象の人だった。
姉は活動的で、多彩な趣味やボランティアなどに熱心な人だった。
ヘルパーさんのおかげで、部屋の中はきちんと整えられ掃除も行き届いていたが、そのせいか殺風景な印象を受けた。
手芸の得意だった姉が元気だった頃は、小物も飾ってあって、写真などもおそらく綺麗に壁に飾られていたのだろうけれど、今は介護に必要なものだけですっかり片付けられており、ヘルパーさんの予定表や書類だけがテーブルに置かれていた。
姉はパワーのある強い人だったが、今では介護を受けるだけの日々。
歯がゆさや苦しさもあるだろう。
現実は私の想像を超えて、はるかに厳しいに違いない。
老いた義兄と弱々しい姉の姿は、私と夫の心を重くした。
年をとるということは、こういうことなのかもしれない。
その後、下の姉の所へ1時間半かけてタクシーで移動。
下の姉と夫は5歳違い。
幼い頃からとても仲良しだったらしい。
渋滞に巻き込まれなかったので、思ったより早く移動できたため、伝えていた到着時間よりだいぶ早く家に着いた。
少し雨が降り始めていた。
玄関前の庭には洗濯物を干すための低い物干しがあって、雨に濡れていた。
インターホンを鳴らしても応答がない。
カギは開けてあったので、声をかけて夫と一緒に中に入る。
しばらくして暗い奥の台所からゆっくりと歩いて下の姉が出てきた。
壁を伝いながらやっと歩いている姉。
下の姉も、老いていた。
買い物も不自由で、生活も不自由で、ヘルパーさんの来てくれる時間だけが頼りの生活を送っているらしい。
昔話などしながら時間を過ごし、義兄の入院先の病院へお見舞いに行く。
兄はもともと体格の良い人だったが長い病院生活で、見間違うほどに小さくなっていた。
病気はかなり重度で、おそらく残された時間は少ないように思えた。
最近食事ができなくなり、意識もはっきりせず、ほとんど眠った状態が続いているから、会っても話ができるかどうかわからないと聞いていたが、夫が声をかけると「お~」と夫の愛称を呼び、兄は大きな声で泣いた。
ひっきりなしに口からあふれ出す痰を手でこそげとりながら、兄は何度も泣いた。
意識がこんなにはっきりしたのは久しぶりだと、姉が言うほど、しっかり話ができた。
上の姉の所にもお見舞いに行ってきたよと言って写真を見せると、はっきりと名前を呼んで、「そうかそうか」と頷いた。
兄は夫の頭を撫でて嬉しそうに笑っていたが、点滴や多くの機械に囲まれ、コルセットやサポーターを身体に巻かれ、治療という名前の下で病院生活を続けるしかない兄の様子に涙がこぼれた。
今まで面会もままならなかったが、面会ができるようになったことを心から感謝するしかない。
しばらく話をして、義兄に別れを告げ面会を終えて廊下に出た私たちを、看護士が呼び止めた。
「延命治療に関する書類を早く提出してくださいね。間に合わないと呼吸器をつけることになりますよ。食べれなくなったら、早いですよ。」と強い口調で姉に伝える看護士の無神経さに、溢れる涙は腹立たしさに変わってゆく。
命の終わりが近づいていることを、こんな荒々しい言葉でしか患者の家族に伝えることができない病院の関係者に、無性に腹が立ち姉の心を想うと余計に辛くなる。
腹立たしさを抱えながら、古い病院を後にする。
おそらくこれが最後になるだろう。
痩せた兄の姿、いつも感じる医療の正義という大きな壁と現実。
腹立たしさと矛盾と、どうにもならない現実を突きつけられて、上の姉の所で感じた心の重さに加えて、更に重くなった心を抱えて、私と夫は帰路に着いた。
「年をとる」ということを漠然と考えていた。
年をとるということは、当たり前のことだし、だれもが年をとるし、だからこそ、笑って生きられるように、老いてもなお生きることに絶望しないでほしいと思ってきた。
年をとっても、苦しみだけではない、辛いだけでもない、悲しいだけでもない、もっと違う気持ちを持つことができるはず、そう思ってきた。
年をとっても、笑って過ごし、歩けなくなっても遊びに出かける人たちを、毎日見ている。
残りの時間が少なくなっても、尊厳をもって生きている人たちを、毎日見ている。
最後まで人として対等に向かい合っている人たちを、私は毎日見ている。
ここで。
池さんで。
老いや病でどうなったとしても悔いのない時間を過ごすことができるのだということを、私は毎日見ている。
ここで。
だからこそ、余計に切なくなってくる。
現実の厳しさに、どうにもしてあげることができない苦しさを感じてしまう。
老いは誰もがゆく道。
当たり前に存在するもの。
だからこそ老いを恐れることなく、託せる場所や信頼できる人を見つける努力をしてほしい。
元気な時にこそ、家族と一緒に話してほしい。
どう老いるか、どう生きるか、どう死ぬか、病になったらどうするかを、考えておいてほしいと思う。
家族がいても、子どもがいたとしても、現実は厳しくなるだろう。
治療生活や療養生活が長引けば、生活は変化してゆくに違いない。
老いてゆけば、生活は変わってゆく。
変わることは当たり前のことだし、変化するであろう未来を見通して考えておくということが必要となるだろう。
老いの変化を心に描いていたかどうか、変化してゆくことを抗わずに受け入れられるかどうか、最期の時を想像できるかどうか・・・
逃げずに考えておいてほしい。
だれにも訪れる老いこそが、だれもが経験する壁の中で最大の壁かもしれない。
死という人生の結末に向かう中での、最大の試練なのかもしれないと思ったりする。
かりに不自由なことが多くあったとしても、絶望ではない時間を生きることができますように。
老いてゆくことが、悲しみだけでないように。
人生の最終章が、心穏やかな時間となりますように。