池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

ネコがうつになりました。

2021-05-16 21:17:29 | デイサービス池さん

ネコ!

皆様、ネコがうつ病になるということをご存知でしたか?

実は、家のネコのナウちゃんのことなんですがね。

かれこれ3週間になるでしょうか、現在リハビリ中のネコのナウのお話です。

 

もともと他のネコに対しても人に対してもフレンドリーな性格ではなく、我が家の孫たちにも懐かない小心者の弱虫のネコ。

春先になんか、近所のオスネコと出会ったりしたら、怖くてビビりまくりで逃げ帰るネコ。

そんな特性を持った可愛い可愛いネコのナウちゃん。

 

で、そのナウが、オスネコに襲われたわけ。

ある日、凶暴などこかのオスネコに襲われたようで、隣の家の車庫の中にうずくまっているナウを見つけた。

ナウと呼んでも知らん顔で放心状態だけど、とりあえず大きなケガはなさそうに見えた。

「何があった?」と聞いても何にも言わんし(そりゃそうじゃ)、とりあえず連れて帰ろうと思って抱こうとする私に、ナウは怯えて、生まれて初めて噛みついた。(びっくり)

家に連れて帰ったけど、ナウはネコみたいに(ネコには違いない)シャ~シャ~と私を威嚇するだけ。

(注.ネコは怒るとシャ~って歯を剥くのね)

なのでしばらく様子を見ることにしたら、ナウは2階の部屋の使っていない机の下の誰にも気づかれないような隅っこに隠れたまま、出て来なくなった。

部屋の隅の机の下と、自分で開けることができる押し入れの中を行ったり来たりしながら2日ほど。

全く食事もしないし、トイレにも行かない。

歩くときは背中を丸めて周囲を見回し、歯を剥いて威嚇しながら、そ~っと歩く。

「何それ? あんた、どう見ても変!」と言っても(ネコだから)黙ってる。

なので、一応心理学勉強したことのある私は分析してみた。

たぶんオスネコに襲われて凄く怖い目にあったから、「急性ストレス障害」ね。

これは一過性の障害だから、原因となる体験から数時間で発症しほぼ3日めくらいから改善する症状。

で、3日ほどしたら本当に暗いところから出てきて、水を飲んでおしっこをした。

だからやっぱり一過性なんだろうなと思ったけど、家族には、一過性でもやはりストレスは大きいだろうから、声をかけたり触ったりせず、しばらく距離を置くようにと頼んだ。

水を飲んだナウは、暗いところには行かないで、夫の布団の上で寝ているけれど、触ろうとするとやっぱりシャ~って威嚇する。

水は飲み始めたけど、ご飯は食べない。

ネコはグルーミングといって毛づくろいをするのだけれど、その時のナウは全くしない。

ただ、眠るだけ。

で、誰かが近づくとすぐに目を覚まして、シャ~って威嚇する。

ナウが寝ている所が少し汚れていたから、何かなと思っていたら、どうやら尻尾の付け根をひどく嚙まれていて何か所か歯の痕が見える。

もちろんまだ触らせないので、どれほどの傷なのか確認はできない。

この時点で病院へ行けば無理にでも傷の手当てができるだろうけど、大きなストレスを受けている人嫌いのナウを病院に連れて行くのは、かえって心を傷つけるだろうと思いそっとしておくことにした。

そして5日くらいすると、ナウは2階から降りていつもの場所で、ご飯を食べるようになった。

ご飯は食べたけど不安症状は消えず、外が見える窓の近くには近寄らず、まさに引きこもり状態。

2階の布団で寝るのと、ご飯を食べるだけ。

それ以外の時間をほとんど、グルーミングに費やすようになった。

つまりずっとずっと、尻尾の傷をなめ続けている状態。

これは常同障害と言われるもので強くストレスを感じた時に表れる行動、単なる毛づくろいを超えた脅迫的なグルーミング。

狂ったように尻尾を舐める。

で、ナウの尻尾の付け根の毛はなくなった(泣)

家族に対してシャ~って威嚇することはなくなったけれど、毛もなくなった(泣)

それから一時、後追い分離不安も見られた。

ずっと探して部屋の前で待ってる。

プラス過食。

誰かの顔見たらご飯をねだる。

ずっと食べてる。

ちょっと外へ出られるようになったけど、すぐにキョロキョロとあたりを見回して怖がって帰ってくる。

恐る恐る敷地内の見回りをする。

窓の近くで寝ていても、何か大きな音がするとビビる。

先日から、攻撃行動も出現。

急に廊下を走り回ったり、何もないのに耳を立てて、怒りの表情をする。

突然、トカゲを捕獲してきた。

うつ状態が続いていたけど、不安からくる承認欲求も強い。

なので、一緒にトカゲを見つけた美香ちゃんと「すごいね~」と拍手して承認してあげた。

で今朝、今度はネズミ捕ってきた(泣)いつもは、こんなことするネコじゃないのに(泣)

しかも、私のスリッパの上に置いてくれた(泣)

 

一過性のストレス障害を通り越して、長期化したナウの心は現在、完全にPTSD。

心的外傷後ストレス障害。

急に逃げ回ったり、恐怖が蘇ったりフラッシュバックと言われる再体験症状、関連することを避ける回避症状、うつ状態などの麻痺症状、敏感になったり怒りの感情が現れたりする過覚醒症状。

どのチェック項目にもチェックが入るうちのナウ。

PTSDの治療方法は、行動療法(認知行動療法とも言われ、心理療法の一種でストレスを感じないようにしていくのだけど、ネコにはちょっとねぇ)、環境改善(でも家の環境は変えられない)、投薬(これは抗不安薬の投薬になるから個人的にあまり・・・)というわけで、いつものように見守ることにした。

 

今日も私の後追いして、過食で、外が見える場所で寝ているけど音に敏感で、抱かさないで、尻尾を舐めてる。

新聞読んでると新聞の上にゴロンとして、私の手に頭を置いて寝たふりしてる。

尻尾の傷は治る暇もないほど、舐めすぎのせいで皮膚がめくれてる。

 

ネコのストレス障害。

いつになったら治るやら。

うつになったネコの話。

人間みたいな、可愛い可愛いうちのネコの話。

 

人もネコもおんなじ。

感情のある生き物には常に、喜びや楽しさだけでなく、常に苦しみや悲しみも存在する。

いつも穏やかで安らかな日々を生きていれば幸せかと言うと、それも疑問。

いろんな感情の渦の中で毎日生きているからこそ、幸せの瞬間がより輝くのだろうなと改めて思う。

ナウの心を推し量りながら、私自身の心をも静かに思い返す夜。

1週間も早い梅雨入りと、相変わらずのウイルスと、大掃除をし終えた家の中の空気。

もう5月も半ば。

また新しい1週間が始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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5月5日

2021-05-05 19:01:36 | デイサービス池さん

連休最後の日は、雨です。

相変わらず自粛続きの毎日。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

人ごみを避けて、消毒液と共にひっそりと暮らす時間の真っただ中で、それでも人々の生活は粛々と続いています。

 

昨年末から7人とお別れしました。

そのうち5人の看取り。

次々と訪れる大切な人との別れは、気持ちを萎えさせ、立て直す時間もなく次の別れがやってくるという過酷な数か月でした。

小さな事業所で一緒に生きるからこそ存在する暖かさや、結びつきや、信頼関係は、視点を変えれば家族のような存在になるということ。

時間をかけてかけがえのない存在となり、想いを込めて、強い覚悟を持って、一緒に生きてゆくということ。

それゆえ、残された時間が少ないと感じた瞬間から、すべてのスタッフが時間と想いを注ぎ込み、悔いを残さないように考え抜く日々。

そんな4ヶ月でした。

 

101歳まで生きたおじいちゃんの人生。

おそらく生き切ったのだろうと、悔いなく逝っただろうと思い巡らせてみるけれど、おじいちゃんのいた空間は、今まで逝った人たちの時と同様、どうにも寂しく思えてしまう。

部屋も食器もソファーも、ベットも・・・。

今までそこにいた人が、もはやいない空間。

「空虚は空虚として、確かに存在する」という言葉を読んだことがあるけれど、

その感覚こそが、その人がいた証に違いないのだろうと思います。

 

おじいちゃんを見送った後、101年間を見事に生き切ったおじいちゃんの人生に敬意を払いつつ、大正の人たちが次々に逝く中で感じる時代の移り変わり。

何とも言えない寂しさに囚われて時間が過ぎて、

そして気がつけば、早や5月。

 

母の病気、私の骨折、あれから2年。

母は医師たちの予想をはるかに超えて、自宅・池さん・大頭のすべての庭の手入れに夢中です。

大頭の庭も色とりどりの花が溢れています。

「毎日自分にできること、好きなことがある。」ということが人をいかに活性化させるか、健康にさせるかという見事なお手本となっています。

 

「歳々年々 人不同」 (さいさい ねんねん ひと おなじからず)

時々刻々と、人は変化していく

連休中に読んだ禅の本の中に見つけた言葉です。

時間が刻々と過ぎてゆくのと同様に人の世は移り変わり、自然は変わらずとも世間は移り、人の命も、はかないものだという意味ですが、ちょっと違う解釈を見つけました。

 

人の身体は約60兆個ほどの細胞でできていて、この細胞たちは5,6年ですべて新しいものと入れ替わってしまうらしい。

つまり「私」と呼んでいるこの個体は、個体としての私は、5年前の私とはまったく違う私。

人はしばしば、自分は変化せず、周囲だけが変わっていると感じることがある。

周囲の変化から影響を受け、やむを得ず自分が変わることがあると、感じている。

でも実際はそうではなく、自分も変化を続けているのだ。

例えば誰かに何か自分の欠点を指摘されても、どうしても認められないことがある。今を変えることが難しいというよりも、「今までの自分」を否定することができないから。今までの自分を否定されたような気になって苦しくて、自分を変えることなどできないと思ってしまう。

人は、「今までの自分」「過去の自分」と心理的に強い絆で縛られているけれど、過去や歴史を形成してきた「細胞」は、もはや今は一個たりとも存在せず、全てが新しい細胞に入れ替わっていると考えてみたら、自分が変わってゆくことに抵抗や拒否感を感じずに生きて行けるかもしれない。

過去の細胞が存在しえないのと同様、過去の自分に自分自身がとらわれる必要もないはずなのだ。

人は、時々刻々と変化してゆく存在であるのだから、変化を恐れる必要などない、という話。

ちょっとだけ視点を変えると、また違う見方ができて、「言葉」って、本当に素晴らしいなと思います。

 

そんな5月のはじめ。

仕事から少し離れ、家中を拭き掃除し、しっかりと自分の心に問いかけながら過ごした時間。

空虚に支配されそうになり混乱していた頭と、脱力しかけた身体が、少しだけスッキリとし始めたように思います。

ラストビジョンを心に描きつつ。

 

今日は節句で立夏。

夏が始まる日。

そして、一日雨。

明日からの仕事の準備をしてくれるスタッフの働きに感謝しつつ、

これからの新しいビジョンを心に描きつつ、

また一歩を踏み出したいと思います。

新しいステージへ。

 

さあ、いよいよ5月の毎日が、始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

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