5月、私たちはTさんと出会った。
比較的元気な人が多い大きなデイの利用者だったけれど、(たぶんこれから先のことを考えて)池さんを利用することになった人。
最初、娘さんと共に見学に来られたTさんは、ゆっくりゆっくりと納得いくまで聞き続ける人で、そのたび娘さんは少し硬い表情で、でも決して怒らずに根気よくきちんと説明を繰り返す・・・これだとお互い毎日が大変だろうなと思ってしまう印象の人だった。
4月末、私たちはデイ利用の契約のために初回の訪問に出かけた。
Tさんは、こだわりがとても強く納得できないことは頑として受け入れない。しかも、忘れたり勘違いを繰り返すから、一つのことを理解するためにとても時間がかかってしまう。家族はそれを納得させ説得しようとするものだから、時間をかければかけるほど、余計に混乱が大きくなってしまう。結局この日、私たちは契約書も渡せず、利用の説明すらできず、ただTさんと家族のやり取りを聞くだけに終わってしまった。
どんな人も初回の利用は、スタッフ全員が緊張感を持って迎える。どんな人なのか・どう関わればいいのか・話し方・座る位置・食べ方・入浴の誘い方・時間の過ごし方・・・タイミングや表情を読み取りながら手探りで関わるポイントをつかんでゆく。笑顔になる瞬間・落ち着かなくなる瞬間・・・いろんな時を見極めてゆく。
Tさんもそうだった。私たちは、緊張のうちに一日を終えた。
そして送りの時、Tさんは笑顔で帰っていった。家族の人が「父のこんな笑顔を見たのは、本当に久しぶりです。」と言って笑って喜んでくれたが、その時私には、おそらくこの家族また、介護生活の中で、笑顔で会話をすることも長い間なかったのではないか、と思えたのだ。
Tさんと出会ってしばらくして、私たちはTさんを誘ってドライブに出かけたり釣りにも出かけることができるようになっていた。
何かに囚われることもほとんどなくなり、スタッフの名前を一生懸命覚えようとするTさんのために、胸に名前を大きく書いてスタッフは仕事をした。他の利用者とも話しこむ場面もあり、特にバスの運転手をしていた頃の話は、本当に面白かったし、カブトガニを皆で見に出かけた後は、何度も「エビ・エビ」と言って、皆で大笑いした。
Tさんは認知症治療薬を使っていた。
この新しいタイプの治療薬は、服用するのではなく貼るタイプ。
もちろんこの薬を使っていても、Tさんの様々な障害(見当識や記憶障害など)が好転するわけではなかったので、おそらく良くならないことを理由に薬の量が増えてしまったのだ。
利用し始めて2ヵ月になる頃、薬の量が増えた頃から、Tさんは大きな変化を見せ始めた。食欲不振になり急激に痩せはじめ、足元がふらついて転倒をするようになった。何度もベットから落ちたり、ボーっとして焦点の合わない感じの表情をすることが増えてきた。発熱もあり、嚥下も悪くなり、そして診察の結果、「薬の副作用かもしれないから、一度薬をやめて見ましょう」ということで、この認知症治療薬をやめることになった。
それからあっという間の日々だった。あっという間にTさんは亡くなった。
最後のデイの日。
一段と痩せた身体。言葉もはっきりしない。表情も硬い。いつもとまったく違うTさんがいた。
それでも横に座ると「ママさん」と言っていつものように、Tさんは丁寧に挨拶をしてくれた。目線が合うと、声にならない声で「ありがとうございました」と、いつものようにお礼を言ってくれた。
ほとんど自力で歩くのが困難な状態だったけど、それでも後方から支えてゆっくり部屋を歩くTさんの姿が目に焼き付いている。
たった3ヵ月だった。
出会った時、主たる介護者の娘さんは、自身の身内にも重病の方を抱えながらも、離れた場所に住む父親の介護を続けていた。
後で聞いたところによると、「ずっと長い間、父をあまり好きではなかった」そうだ。その娘さんが、「池さんに出会えて、父を好きになれた。」と言ってくれた。「だんだんわからなくなっていく父に、どう接したらいいかずっとわからなかったけれど、ボケていくことをしかたないことだと思った時、全てを受け入れることができた時、父を心からかわいい(愛おしい)と思うことができた」と。「池さんに出会って、私自身が変わることができた」と。
今考えると、Tさんとの3ヵ月はまさにターミナルの日々だったように思う。死を前にして、Tさんが心地よく最後の時を過ごすために、家族が家族として心から愛おしんでTさんを見送るために、家族の中の確執をすべて消し去るために、Tさんが選んでここへ来てくれたのではないか、そんな気がしてくる。
入院中、「退院したら、大頭を(宅老所)利用させてもらえないか」とケアマネから打診があった。「ご家族の希望があれば、退院が決まったら相談に応じたい」という返事のまま、私たちは葬儀に出席することになってしまったのだ。
Tさん。
もし最後の時をゆっくり穏やかに楽しむために、あなたが池さんを選んでくれたのだとしたら・・・もう一度、笑顔を取り戻すために選んでくれたのだとしたら・・・
私たちは、3ヵ月の日々を、あなたは確かに喜んでくれたと思っている。
なぜなら、長いTさんの人生の思い出の中で、ご家族が最後の葬儀のビデオに選んでくれたのは、出会ってたった3ヵ月の池さんの写真の数々。毎日ノートに貼っていた「池さん日記」の写真だったのだから。
笑顔のTさんがそこにいたことを、ご家族が大切に思っていてくれたことこそが、Tさんがここへきてくれた意味だと、私たちは考えている。
長い人生の中で、きっといろんなことがあったと思う。
本当は、もっともっと深く濃くTさんという人を知りたかった。
わずかな時間しか共に過ごせなかったけれど・・・わずか3ヵ月だったけれど、やはり大きなことをTさんという人に、教えてもらったように思う。
「決して明日があると思うことなく、今日という一日を一生懸命向き合うことの大切さ」
私たちのデイの在り方を、改めて考える機会を与えてくれ、命を託してくれる人たちの心の支えになれるように想いを込めて過ごすことを教えてくれた。
Tさんの最後が教えてくれたことを、決して無駄にしない様に・・・