「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

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沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その3

2010-11-19 | 沢村さんの沖縄通信

柳田国男よりも前に沖縄の民俗に注目


 



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         沖縄北部の山原の写真・川の河口部に生えているマングローブの林


 


黒岩氏は、動植物や地質など自然だけでなく、沖縄の社会にも目を向けている。それは、沖縄社会が、中国文化の影響を受けたり、もう本土では失われた古い習慣、風俗、民間信仰が残るなど、本土とは異なるさまざまな特色をもっているからだろう。


 


黒岩氏は、沖縄の民間に伝わることわざを採集し、『東京人類学界雑誌』に、一八九七年(明治三〇年)三月から一九〇〇年(同三三年)三月発行まで四回にわたり報告文を掲載している。


ことわざには、そこに生きる人々の、暮らしのあり様から物の見方、考え方などが反映されている。「琉球俚諺(りげん)第一篇、沖縄島」に掲載されたことわざにはこんなのがある。


「水の夢を見るときは火事あり」「彗星の顕はるゝは戦争の兆なり」「蛇に咬まれたるときこれまでなしたる悪事を自白すれば治す」「豚を永く養ふときは人に化ける」「星は人間の魂なり」。


 


「第二篇、宮古」は言葉が特に難しいので手こずったのか、先に「第三篇、八重山」を発表している。八重山語も「琉球語三大派中の一つに属し随分解し易からざること多く」とし、ことわざの原語を伝えるためローマ字で発音を併記している。


八重山では「急ぐ蟹は穴に入る能はず」「人と思へは鬼と思へ」「多言なる女は鬼となる」といったことわざを採集している。


 


このあと、また「第一篇、沖縄島の続き」として、本島北部の国頭(くにがみ)郡のことわざを採集している。これも、方言の原文と対訳をつけている。


ここでは「乞食の夢を見るときは幸あり」「猫の顔を洗ふは降雨の兆」「高山に登らは母を思ひ深海に入らは父を思へ」など報告している。


最後に「第二篇、宮古」となる。宮古では「針は呑まれす」「親の子は親となる」「土は黄金」「木の曲は直るとも人の曲は直らす」などのことわざを採集している。


 


一八九九年(明治三二年)一月発行の『東京人類学界雑誌』に「琉球土俗調査存稿」という論考を発表している。


沖縄では、民家の塀などによく見かける石敢当(いしかんどう)に注目している。沖縄では、魔物は直進してくる、石敢当は魔物を除ける効力があると信じられ、三叉路には必ず建っている。


黒岩氏は「琉球には極めて多くこれを建つるの目的は全く魔鬼を駆逐」するためであると述べている。挿絵も付いている。これは、現在でも沖縄中のどこを歩いても至る所にみられる光景である。


 


次に「字紙炉」というものを、やはり挿絵つきで紹介している。文字の書かれた紙はとても大切に扱われ、その紙片を集めて焼くための一種の炉があったという。


沖縄では「フンジュル」「イリガンヤチドコロ」と呼ばれたそうだ。これは中国の影響だろう。でも、印刷物があふれている今では、見かけることはない。


黒岩氏は、「文字を敬重するの極??汚溝に投するに忍びす??火葬するなり」「字紙を敬重するの俗は明治維新の頃までは帝国(日本)の中土に於いても著しかりき」と述べている。


かつては日本にもあったけれど、すたれてしまった習俗が沖縄に残っていることに注目している。


 


同年三月発行の同雑誌では、八重山島の神祠及び神殿について調べた論考を発表している。


八重山では「オン」などと呼ばれる「御獄」(うたき、拝所)を沖縄本島と比較して、本島の拝所は、神林はなく、拝殿もほとんどない、鳥居もないが、八重山のそれは、神林を有し、拝殿が発達し、鳥居も有すると述べている。


 


これら一連の著作をみると、沖縄の民俗に大いに興味を持っていたことがうかがわれる。ちなみに、一八九七年(明治三〇年)三月発行の同雑誌によると、「沖縄人類学会」が設立され、その発起人八人の一人として黒岩恒の名前が入っている。


 


沖縄は、民俗学者にとっては「宝庫」のように考えられ、とても注目されて研究の対象になった。


日本民俗学の創始者といわれる柳田国男や折口信夫がたびたび沖縄を訪れて、沖縄の民俗を熱心に研究するようになったのは、一九二一年(大正一〇年)以降である。


黒岩氏の民俗学的な調査は、それより二〇年以上も前である。論考はいずれも短文、小論であり、本格的な研究ではないが、沖縄の民俗についての先駆的な関心と調査であることは間違いない。


 

HN:沢村   月刊誌「高知人からの転載




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