「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

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沢村昭洋さん沖縄通信・・・沖縄の湧水を歩く (その10)

2012-02-07 | 沢村さんの沖縄通信

沢村昭洋さん沖縄通信・・・沖縄の湧水を歩く (その10)



与那原町の親川
かつては沖縄北部から生活物資などを運ぶ「山原(ヤンバル)船」が着く港町として、にぎわった与那原(ヨナバル)町の中心地を歩いた。戦前は軽便鉄道も走っていた。昔からの商店街は、狭い通りで、やたら一方通行が多い。でも、街のあちこちに、古くからの拝所などあり、民俗を知るのには面白い。
 首里に近い与那原は、琉球王朝の時代、国王が聖地・久高島の参詣や王府の神女の最高位だった聞得大君(キコエオオキミ)の即位式である御新下り(オアラオリ)の際、首里を出て通るのが与那原だった。それで由緒ある拝所がある。また与那原は、伝統ある大綱曳きが有名である。大綱曳資料館もある。
                    
資料館のそばに「親川(ウェエガア)」があった。天地開闢(カイビャク)の昔、天降りした天女が出産の産場としたという神話に発して、国王、聞得大君が首里を出て最初の拝所とし、休憩の用水を献じた所と伝えられる。 一見すると井泉には見えない。立派な拝所の建物である。中に何を祀っているのか、のぞいてみると、まさしく水の湧き出る「カー」だった。


川と書いても、大和で言う川ではなく井戸である。住民にとって水は命である。ここは井戸そのものが、もう拝所になっているようだ。井戸にこんな立派な建物があるのは初めてだ。それだけ、由緒があり、人々の篤い信仰の対象なのだろう。聞得大君は、この親川の水に中指を浸し、額をなでることで、霊力を獲得する「お水撫」の儀礼がされたと伝えられている。




中城城址の井戸

世界遺産に登録されている沖縄各地のグスク(城)を歩くと、見事な石積みの城壁がそびえる城址には、必ずいくつもの拝所とともに井泉がある。井泉がなければ、戦えないからだ。それにしても、どこの城跡も小高い山上にあるのに、湧水がある。不思議なほどである。かつて琉球に来たアメリカのペリー艦隊の一行も訪れたことで知られる中城(ナカグスク)城跡(右)には、二か所の井戸があった。



写真の大井戸(ウフグヮー)は、この階段を下りた低い位置にある。グスク自体が、標高約160㍍の高地にあるのに、よく湧水があるものだと感心する。

                   大井戸は、頂上からいえば少し下がった場所になる。だから高いところに降った雨が、ここで湧水となって出てくるのだろう。
 もう一つ夫婦井戸(ミートゥガー)という井戸もあり、城内に2つの井戸を確保していた。戦のことを考えれば、城内での水源の確保は必須の要件だったのだろう。

 

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