福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その57

2014-06-26 | 四国八十八所の霊験
36番青竜寺から37番岩本寺は60キロくらいあります。ここは浦の内湾を挟んで二つのルートがあります。海沿いの横波スカイラインコースと、内陸側のコースです。いずれにせよ全部歩いてはいけません。順に回る時は途中で電車に乗ったりしています。しかし途中の大坂遍路道に私が寄進した道標が立っているのでいずれ歩いて回らなければと思っています。
37番岩本寺は行基菩薩の開基で、聖武天皇の勅を奉じ、仁井田明神のかたわらに建立、仁王経の七福即生の教えにより、天の七星をかたどつて建立した他の六ヵ寺と共に仁井田七福寺とも称されたといいます。弘仁のころ、お大師様が巡錫し、本地仏のご本尊である不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の五体を安置し、自ら星供を修し、藤井寺五徳智院と号されました。澄禅「四国遍路日記」には「新田の五社、南向、横にならびて四社立つ。一社はすこしき高きところに山の上に立つ。」とあります。このあたりの消息は、御詠歌の「むつのちり いつつのやしろ あらはして ふかき にいたの かみのたのしみ」にもあらわれています。
 明治に入り廃寺となったりしていますが明治二十二年に再興されたときは、本堂には先の五体の本尊が安置されています。なかでも観世音菩薩は、昔貧しい狩人の願いをきき入れて長者にさせたことから「福観音」とよばれているということです。また狩人の身代りになった地蔵菩薩も「矢負の地蔵」とよんで信仰されています。

最近もお蔭のはなしが残っています。朝日新聞刊「ふらり巡礼」に昭和31年の37番岩本寺住職の話が載っていました。「関節炎で歩けなくなり松葉杖で母と遍路に出た15才の少年が37番の近くで野宿していた。この子が明方『はやく来い』『はやく来い』とよばれた気がした。みるとお大師様のような人が手招きしておられる。さっと飛び起きて走っていったがあまりにありがたいので駆け戻り母を揺り動かして『はやくいこう』とせがんだ。母が眼を覚ましてみると少年は杖なしで立っていた。二人は抱き合ってうれし涙にくれたということがあった。」と書いてあります。この話も何度読んでも涙が出ます。こうしてお大師様へのありがた涙にくれる人が今現在もどこかの霊場に必ずいらっしゃるのだと思うと、千二百年経っても衆生済度にお働きになっているお大師様の有難さに何とも言えぬ気持ちがします。

境内を黒潮鉄道が走っています。「境内を電車が走っているところは88所中唯一です」と寺族の方が話してくれました。宿坊は遍路を大切にしてくれます。三度目の逆打ち遍路の時は、指導いただいているN師の連絡でここの寺族のかたが一方ならぬ御馳走をしてくださり恐縮至極でした。

ここは常に遍路を大切にされ、宿坊の食事の品数も大変な数です。寺族の方の苦労が偲ばれます。

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