英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

将棋教室の子どもたち

2008-12-04 01:31:12 | 日記
 公民館で、子どもたちに将棋を教えています。7時から8時までは小学生、8時から8時45分までは中学生に。
 小学生には3面指しです。読みが分散されるので、多面指しは棋力が落ちます。しかし、相当、力に差があるので、3面指しでも負けることはありません。しかも、手加減する余裕もないので、叩き潰してしまいます(大人気ないですね)。それでも、子どもたちは負けても負けても挑んできます。なかなか根性があると思っていたのですが、どうやら違うようです。【以下の内容は、すべての子どもに当てはまるのではなく、全体の半分です】
 「下手な鉄砲も、数打てば当たる」という考えらしいです。何回も挑んでいけば、そのうち勝てると思っているらしいです。《なぜ負けたのか?》《何が悪かったのか?》と振り返りません。対局中も一生懸命考えません。これでは、いつまでたっても実力が向上しません。
 それでも勝ちたいという気持ちは強いです。「先生、この飛車ちょうだい」とか「先生は玉を動かしちゃダメ」とか要求してきます。とにかく「先生に勝った」という事実がほしいようです。私も無茶な要求は呑みませんが、なるべく言うことを聞くことにしています。そして、意地でも負けません。

 仕事の後なので、かなりきつい時もあるので「友達同士で指しなさい」と言うと「嫌だ。先生と指す」大人気です。いえ、違います。先生に負けるのは嫌じゃないけど、友達に負けるのは嫌なようです。
 勝ち負けの結果だけを求め、プライドが高い。現代の子どもたちの特徴かもしれません。将棋(多分すべての競技・ゲーム)は「如何に相手を破るか、そのために創意工夫をする。知恵を絞って、その結果、相手に勝つ」、その過程があってこそ面白いのです。なかなかそこまで到達しません。こうなったら根比べです。今の取り組み方では上達しないことに気づくまで、相手をすることにしました。

 3面指しといっても、当然3人しか相手できないので、その他の子どもたちには、1手詰めや3手詰めを解かせます。それを真剣に取り組む子どもと、すぐあきらめる子どもに分かれます。後者はさっきから登場してもらっている「先生に勝ちたい」子どもたちです。
 でも、最近、私に勝つのをあきらめたのか、詰め将棋に挑戦するようになって来ました。下手な鉄砲も数をこなすことで、駒の利きや3手後を思い浮かべる能力がついてきたのか、春の頃より将棋の力もついてきたようです。
 ヒントを与えると、それを元に正解にたどり着くようになって来ました。味をしめて、今度は「ヒント、ヒント」とやかましいです。

 しかし、
「先生、出来た」
「ぜんぜん違う!」
「じゃ、これは?」
「もっと考えろ」
「1手目、何?」
やはり、下手な鉄砲のあてずっぽうが多いです。
 それでも、解けた時の快感や喜びを少しずつ体験してきているようです。

 さて、わがままな小学生が帰ると、今度は中学生が挑んできます。少し手ごわくなるので、2面指しです。
 やはり、次から次へと挑んできます。明らかに、こちらの消耗を狙っています。何としても勝ちたいようです。それでも、意地でも負けません。

 中学生を退け、後片付け等をすると、もうへとへとです。「稽古をつける」と言う立場ですが、これでは逆です。まあ、私も修行中ということです。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする