電脳筆写『 心超臨界 』

幸せは外部の条件によって左右されるものではない
自分の心の持ちようによって決まるのである
( デール・カーネギー )

不都合な真実 《 数百匹の窮鼠が一斉に鈴木氏に飛びかかった――佐藤優 》

2024-09-09 | 04-歴史・文化・社会
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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★「杉原千畝氏の名誉回復」というのは日本政府を貶める
 ための反日プロパガンダであることが判りました。
 真相はこちら
あまりに不自然だった「杉原千畝ブーム」


ビジネスマン必読
インテリジェンス交渉術[最終回]
鈴木宗男氏、その失敗の本質――佐藤優(起訴休職外務事務官・作家)
「文藝春秋」2008年12月号

グロテスクなまでに鈴木氏に擦り寄った
外務省の“裏切り”の論理とは

  [1]「命のビザ」の名誉回復
  [2] 憂鬱なアテンド
  [3] 深い思いと周到な戦略
  [4] 外務官僚の2つの抵抗
  [5] KGB並みの謀略能力
  [6] 嫉妬心のなさが敵をつくった
  [7] 私もまた失敗した


客観的に見て、ロシア、中央アジア、インテリジェンスに関して、筆者の意見は尊重された。外務省組織を迂回して外交案件に与える影響力をいつの間にかもってしまったことに筆者は無自覚だった。ただ専門家として正しいと思うことを進言しているだけのつもりでいた。外務事務次官、外務審議官、駐露大使などの幹部は、筆者を自己の利益にかなうよう徹底的に活用した。しかし、課長級、さらに一部局長級の幹部が「あのノンキャリアをのさばらせておくと外務省の秩序が崩れる」と危機意識をもった。


◆数百匹の窮鼠が一斉に鈴木氏に飛びかかった
[7] 私もまた失敗した (p350)

鈴木氏が力をつけていく過程で、筆者も失敗をした。筆者は、1997年にキャリア扱いの特別専門職員に登用されたが、そもそもノンキャリアの専門職員として入省している。どれだけ仕事が評価されても、将来、本省の局長級幹部や主要国の大使になることはない。従って、キャリア職員と競合することはないのだから、のびのび仕事をさせてもらおうと考え、周囲に遠慮せずフリステンコ・ロシア副首相やジュガーノフ・ロシア共産党議長、ハレビー・モサド長官、パノフ駐日大使など、事務次官や大使が付き合うような人々と筆者は親しく交遊していた。また、アカデミックな関心は東京大学教養学部の専門課程で、ナショナリズム論について教鞭をとることで満たしていた。外務省は文部教官との併任を筆者に認めたが、これもノンキャリア職員に対しては破格の扱いだった。しかし、筆者には特別の扱いを受けているという意識はなかった。

橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗の三総理から呼び出しがあれば、すぐに飛んでいって、問われた事柄について自分の考えを率直に述べた。野中広務官房長官が主催する3、4人の有識者を呼んだ勉強会にも参加し、自分の意見を率直に述べた。鈴木氏とは一日に数回、電話で連絡をとり、二日に1回は面談するようになった。

客観的に見て、ロシア、中央アジア、インテリジェンスに関して、筆者の意見は尊重された。外務省組織を迂回して外交案件に与える影響力をいつの間にかもってしまったことに筆者は無自覚だった。ただ専門家として正しいと思うことを進言しているだけのつもりでいた。外務事務次官、外務審議官、駐露大使などの幹部は、筆者を自己の利益にかなうよう徹底的に活用した。しかし、課長級、さらに一部局長級の幹部が「あのノンキャリアをのさばらせておくと外務省の秩序が崩れる」と危機意識をもった。しかし、筆者はキャリア職員と較べれば芥子粒くらいの力しかないので、専門知識と人脈を強化することで、ノンキャリアとしての尊厳をもって外務省の中で生きていきたいと考えた。それだけのことだった。

それに筆者は鈴木氏を恐いと思ったことが一度もない。鈴木氏が筆者に対して声を荒げたことも文字通り一度もない。1991年10月に初仕事をした後、鈴木氏は政治家、筆者は外務省の専門家という棲み分けに従ったパートナー関係が成立していた。棲み分けているから軋轢(あつれき)が生じないのである。それから、筆者は鈴木氏に人事や処遇で自分の希望を一切伝えなかった。ここには筆者の狡さがある。擦り寄ってくる外務官僚を鈴木氏が信頼しないことを熟知していたので、「人事や処遇に関して黙していることが、出世のために最良の方策」と考えていたからだ。そして鈴木氏が筆者を信頼していることを理解し、筆者を厚遇することで鈴木氏の覚えを目出度くしようとした外務省幹部が、登用、報償費(機密費)の特別割り当て、筆者が率いるインテリジェンス・チームのための特別室を提供してくれた。このような処遇に外務省の同僚が不満と嫉妬を覚えていることを、筆者は少しは意識していたが、たいしたことではないと思っていた。

外務官僚は、キャリア、ノンキャリアを問わず、小中学生の頃からの優等生が多い。褒められることに慣れていて、叱られた経験がほとんどない。そして、すくすくと育ち、一流大学を卒業し、外務官僚になった。そこで、鈴木氏に大声で叱責され、指導されるという事態に遭遇して、この学校秀才たちはほんとうに恐くなってしまったのだ。鈴木氏に叱責され、石のように硬直したり、腰を抜かしてソファーから床に尻餅をついた外務官僚を何人か見た。筆者はそれを最初、演技かと思ったが、ほんとうに殴られるのではないか、殺されて食われてしまうのではないかという動物的恐怖を外務官僚は感じていたのである。

鈴木氏は外務官僚が嘘をついたり、国益上、適切でない省益にこだわっているから、政治主導で外交案件を進めようと思って大声を出すのだが、それがひよわな外務官僚からすれば、恒常的なパワーハラスメント、モラルハラスメントだったのである。

「窮鼠猫を噛む」ということわざがある。この場合、通常、鼠が猫に頚椎をかみ砕かれ、鼠の抵抗は失敗する。しかし、2002年の鈴木宗男バッシングでは、数百匹の窮鼠が一斉に鈴木氏に飛びかかった。特に鈴木氏に人事やカネで世話になり、恥部を握られている外務省幹部が思いっきり鈴木氏に噛みついた。そうでないと自らの悪事が露見してしまうと恐れたからだ。そして、窮鼠集団が猫に勝利したのである。そして、鼠なのだけど、猫攻撃に加わらなかった筆者も、猫と一緒に整理されてしまったのだ。

この話を聞いて、「面白いわね。そのことを是非、本に書いたらいい」と米原さんは言った。

「まだこの話については書く気もちにならないのです」と筆者は答えた。

「もったいないわよ、こういう政治家や官僚の生態についてはみんな読みたいと思うわよ」

「ただ『国家の罠』の次は、ソ連の崩壊について書きたいと思っているんです。そこでもう一度自分を見直してみたいと思うんです」

「そうね。でも早く官僚の殻を脱皮することがあなたには必要よ。ソ連崩壊の原稿できたら、本になる前に見せてね。それから官僚について書いてね」と米原さんは言った。

筆者は「わかりました。そうします」と答えた。

しかし、筆者は米原さんとの約束を果たすことができなかった。ソ連崩壊について書いた『自壊する帝国』の原稿は2006年4月初めに完成した。しかし、それを米原さんに送ることはしなかった。既に米原さんのガンが進行し、文字を読むことが苦痛な段階に至っていたからだ。筆者が原稿を送れば米原さんは無理をしてでも読む。それは嫌だった。同年5月25日に米原さんは鎌倉市の自宅で逝去された。

2007年春、『文藝春秋』編集部から「交渉術について連載してみないか」という提案があったとき、この機会にもう一度、交渉を通じて、官僚としての佐藤優を再検証してみたいと思った。そうすれば米原さんとの約束を果たすことにもなる。結果から見るならば、筆者がやろうとしたことは、何一つ実を結ばなかった。北方領土は日本に返還されなかった。外務省に国際水準の対外インテリジェンス機関を作ることもできなかった。しかし、筆者の失敗から学び取ることができる何かがあるはずだと思い直し、連載の構想を練り始めた。

(完)
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