ユダヤ人、イスラエル問題と不思議な結びつきをもつ――佐藤優さん

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ビジネスマン必読
インテリジェンス交渉術[最終回]
鈴木宗男氏、その失敗の本質――佐藤優(起訴休職外務事務官・作家)
「文藝春秋」2008年12月号

グロテスクなまでに鈴木氏に擦り寄った
外務省の“裏切り”の論理とは

  [1]「命のビザ」の名誉回復
  [2] 憂鬱なアテンド
  [3] 深い思いと周到な戦略
  [4] 外務官僚の2つの抵抗


[4] 外務官僚の2つの抵抗 (p345)

2000年10月10日、外交史料館で杉原千畝氏を顕彰するプレートの除幕式が行われた。顕彰プレートには、「勇気ある人道的行為を行った外交官杉原千畝氏を讃えて」等の文言が記されている。除幕式で河野洋平外相が祝辞を述べたが、そこからは、1991年当時の外務省幹部が杉原氏の名誉回復に抵抗したことは、小指のかけらほども感じられない。ただし、外務官僚はここでも2つの抵抗をした。

第1の抵抗は、顕彰プレートにも河野外相の挨拶にも、「杉原氏が訓令に違反してビザを発給した」という言及がないことだ。官僚は訓令に全面的に従うということになっている。従って、訓令違反を称揚するわけにはいかないという外務官僚の理屈だ。

第2の抵抗は、顕彰プレートの設置場所だ。当初、鈴木氏は外部本省の正面玄関のような目立つ場所に顕彰プレートを設置すべきだと主張したが、外務官僚は徹底的に抵抗し、最終的に鈴木氏も外交史料館の1階に設置することで妥協した。杉原氏は、外務省にとって、対外的宣伝価値はあるが、外務官僚の掟からすると困った存在だ。それだから外部の人は訪れやすいが、外務省職員はめったに訪れない外交史料館は顕彰プレートを設置するのにうってつけの場所だった。

2002年1月末に鈴木宗男バッシングが始まった。同年2月22日、川口順子外相(現参議院議員)、竹内行夫外務事務次官(現最高裁判者裁判官)の決定によって、筆者は国際情報局分析第1課の主任分析官を解任され、外務大臣官房総務課外交史料館の課長補佐に異動になる。そこでは実質的な仕事も与えられず、「飼い殺し」の毎日が続いた。その間、毎日、杉原千畝氏の顕彰プレートの横を通って外交史料館2階に通勤した。そして、同年5月14日午後、外交史料館3階の応接室で筆者は「鬼の特捜」(東京地方検察庁特別捜査部)によって逮捕される。逮捕容疑は、2000年4月、イスラエルのテルアビブで行われたテルアビブ大学主催のロシア問題に関する国際学会に袴田茂樹青山学院大学教授、田中明彦東京大学大学院教授らを派遣する際の費用を外務省関連の国際機関「支援委員会」から拠出したことが背任にあたるというものだった。もちろん決裁書にもとづいてこの支出は行われた。この決裁書には、川島裕外務事務次官、加藤良三外務審議官、谷内正太郎条約局長、東郷和彦欧亜局長の決裁のサインもある。しかし、背任事件とされたのだ。

恐らく、筆者を逮捕するためにやってきた検察官と検察事務官たちも杉原千畝氏の顕彰プレートの横を通ったのであろう。筆者と鈴木氏の運命は、ユダヤ人、イスラエル問題と不思議な結びつきをもっているのだ。

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