電脳筆写『 心超臨界 』

歴史とは過去の出来事に対して
人々が合意することにした解釈のことである
( ナポレオン・ボナパルト )

国家連合機関は、「人種差別は今後も続ける」という判決を下したも同然だった――渡部昇一教授

2010-07-19 | 04-歴史・文化・社会
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渡部昇一「日本の歴史」⑥昭和篇
「『昭和の大戦』への道」
【 渡部昇一、ワック、p24 】

このような情勢が続いている時に第一次大戦(1914~18)が起こった。第一次大戦中は、日本人もアメリカ人も関心がヨーロッパに向かっていたため、アメリカにおける人種問題は休止状態になった。

この世界大戦が日米を含む連合軍側の勝利に終わった翌年の1919年(大正8)、国際連盟の結成が決まったのだが、その規約作成の場で日本の牧野伸顕(のぶあき)全権代表が画期的な提案を行った。「連盟に参加している国家は、人間の皮膚の色によって差別を行わない」という内容の条文を規約に盛り込もうというものであった。日本としては長いこと日系移民がアメリカで不当差別される問題に悩まされていたので、それを国際的レベルで改善したいと考えていたのである。

つまり、国家による人種差別は廃止すべきだと訴えたものであり、これは、何十年も時代を先取りした優れた提案で有識者の多くが日本に賛意を示した。しかも、日本の提案は、各国の事情を斟酌(しんしゃく)して、人種差別の即時撤廃などを要求したものではない。

しかし、この提案は葬(ほうむ)り去られることになる。国際連盟に参加しているような国はみな植民地を持っているから、人種差別の撤廃などといったアイデアは危険思想なのだ。実際、アメリカやオーストラリアなどは、「白人を中心とする世界秩序を混乱させるための日本の陰謀(いんぼう)ではないか」という見方さえ持った。

パリ会議での委員会は多数決であったのに、この日本側の提案の時は、賛成多数であったにもかかわらず、議長のアメリカ大統領ウィルソンが、「かように重大な問題は全会一致にすべきだ」という主旨の発言をして否決した。国家間の人種的平等の主張は、民族自決主義など高邁(こうまい)に聞こえる主張をしていたアメリカの信心深い人道主義者とされた大統領(彼はプロテスタント)によって葬られたのである。ちなみに彼は1919年(大正8)にノーベル平和賞を受賞している。

理性に訴えかけるという日本のアプローチは、失敗したばかりか、かえって先進諸国の疑念を増す結果となった。それどころか、世界で最初にできた国際的な国家連合機関は、「人種差別は今後も続ける」という判決を下したも同然だったのである。

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