電脳筆写『 心超臨界 』

神は二つの棲み家をもつ;
ひとつは天国に、もうひとつは素直で感謝に満ちた心に
( アイザック・ウォルトン )

撮影でOKを出すたび「あのピアノはOKを出してくれたかな」と問いかけている――大林宣彦さん

2009-11-06 | 03-自己・信念・努力
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「こころの玉手箱」――映画作家・大林宣彦
【 09.11.04日経新聞(夕刊)】

 [1] ブリキの映写機の玩具
 [2] 平和を教えてくれたピアノ


[2] 平和を教えてくれたピアノ――中学時代ショパンをまね失敗

幼年時代を過ごした尾道の実家の蔵には、不思議なものもあった。一見すると大きな箪笥(たんす)。けれど引き出しがない。黒くてつやつやしている。蔵の奥で、小さな明かり取りの窓から差しこむ光を受け、静かに輝く姿は美しくもあり、恐ろしくもあった。

ある日勇気を出し、一つだけ開くふたを開けてみた。現れたのは白と黒の積み木。見事なお城ができるぞ、と喜んだが取り出せない。代わりにキシキシカシカシ、ガイコツのような音をたてて上下に動いた。

これが僕とピアノとの最初の出合いだ。音が出なかったのはピアノ線がなかったせいである。当時は戦争末期で、あらゆる金属を軍に供出した。やがて戦争が終わり、軍医だった父が帰ってきた。音の出ないピアノで遊ぶ息子を不憫に思ったのか、すぐに中古を買ってきた。

思い切って鍵盤を叩(たた)いたら、ぽーんと青い夏空に抜けるような音が出た。ぽーんぽーんぽーん。ああ音の積み木だ! 座敷の開け放った窓から白い入道雲と青葉が見える。子供心にこれが平和なんだ、と思った。

それからは、セミの鳴き声、屋台のチャルメラ、耳に入るすべての音をピアノで弾いた。レッスンは一度も受けたことがないが、中学時代にはショパンもベートーベンも映画を見て“耳学問”で弾けるようになっていた。

あるとき僕の中学に県内の校長先生方が視察に訪れた。演奏を仰せつかった僕は、ショパンの「英雄ポロネーズ」を弾くことに決めた。そこまではよかったが、映画で見たように肺を病んだショパンになりきろうとケチャップを口に含み、鍵盤に派手に吐き散らした。

会場は静寂の海。おまけにケチャップの血を浴びたピアノは音が出なくなった。だが、うなだれる僕に副校長先生はおっしゃった。

「お前もショパンのように自分の道で立派な芸術家になれ。そうすればピアノを直すことはできなくても、幸せにすることはできる」

写真は現在、事務所にある珍しい一台。音の出ないピアノはもうこの世にないが、撮影現場でOKを出すたび「あのピアノはOKを出してくれたかな」と僕は胸に問いかけている。

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